作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

大田神社再訪

2023年04月30日 | 日記・紀行

 

2023(令和5)年4月30日(日)晴のち曇り雨。

買い物に行く途中に、大田神社に立ち寄る。沢にカキツバタがキレイに咲いていた。

この神社にもこれまで何度もおとづれているけれども、どの神様が祀られているのかも知らずにお参りしていた。ネットであらためて調べてみると、神社の創建は上賀茂神社よりも古いらしく、祭神は天鈿女命(アメノウズメのミコト)といい、天照大御神が天岩戸開きの際に、岩戸の前で神楽踊りをされた女神だという。それで芸能上達や延命長寿にご利益があるらしい。そんなことは何も知らずにお参りしていた。

カキツバタの花盛りにちょうど運よく出くわしたけれど、以前に見たカキツバタの印象がどこかちがった。以前に見たカキツバタは、もっと色彩が淡白で小ぶりのような気がした。昔に在原業平たちが和歌に詠んだ日本の古来の原種のカキツバタはこんなだったのかと、そのとき感動したが、この日に見たカキツバタは少し大ぶりで色も少し濃いように感じた。

カキツバタにアメノウズメのミコトを思いいでて

 

かさねがさね  きつつはあれど  つゆしらず  

     花のいろにも  たゆたう昔を

 

初詣 - 作雨作晴 https://is.gd/4bVlna

大田神社 | 賀茂別雷神社(上賀茂神社:かみがもじんじゃ)公式Webサイト https://is.gd/6Op8Go

 

花の名前がわからない。

※ ネットで画像検索にかけると「クレマチス」という名の花であることがわかりました。

夕日にしずむ西山

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

2023年04月26日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

§5

Der Geist aber nach seiner Selbsttätigkeit  innerhalb seiner selbst  und in Beziehung auf sich, unabhängig von der Bezie­hung auf Anderes, wird in der eigentlichen Geisteslehre oder  Psychologie  betrachtet.

第五節[本来の精神論、もしくは心理学]

しかし、精神が 自分自身の内部における 自己活動の面から、そして自己との関係の中にあって、他者との関係からは切り離されてあるときの精神は、本来の精神論として、もしくは 心理学 として考察される。

 


精神の作用を考察するにしても、それを他者との関係において、つまり意識の問題として考察する「精神の現象論」と、他者から切り離して、精神の自己内部における自己活動の面から考察する本来の精神論、心理学との違いが説明される。

なお、心理学については、同じヘーゲル『哲学入門』第三教程、上級篇の第三部「精神の学」の中で、身体と結びついた精神として考察されている。

また哲学的百科事典(エンサイクロペディー)C 「心理学、精神」§440 の中では「心理学は、精神の能力、精神の普遍的な行動様式、たとえば、直観、想像、記憶や欲望などを考察する」と説明されている。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第五節[本来の精神論、もしくは心理学] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/Iyhzof

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学]

2023年04月24日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学]

§4

Das Subjekt, bestimmter gedacht, ist der Geist(※1). Er ist erschei­nend, als wesentlich auf einen seienden Gegenstand sich beziehend: insofern ist er Bewusstsein. Die Lehre vom Bewusstsein ist  daher die Phänomenologie des Geistes.

第四節[意識の学としての精神の現象学]

主観とは、より具体的にいえば、精神である。精神は自らを一つの存在する対象に本質的に関係させるものとして現れるものである。そのかぎりにおいて、精神とは意識である。したがって、意識の学は 精神の現象学 である。


※1

ヘーゲル哲学が難解であるとされるのは、ここで使われているような、「主観」とか「精神」とか「意識」といった用語が具体的に何を意味しているのか、わかりづらいためでもあるだろう。

「主観」といい「精神」と言っても、それらは存在する何らかの対象と関係づけられて現れるものである限りにおいて、それは意識でもある。

この『哲学入門』中級篇以下において簡潔に説明されている「精神の現象論」は、ヘーゲルの実質的な処女作『精神の現象学』に見られるような冗長さや難解さはなく、むしろ「精神の現象論」の核心を的確に理解するのに役立つ。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第四節[意識の学としての精神の現象学] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/bJPXjO

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論]

2023年04月10日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論]

§3

Indem im Wissen die Dinge und ihre Bestimmungen(※1)sind, ist einerseits die Vorstellung möglich, dass dieselben(※2) an und für sich (※3)außer dem Bewusstsein sind und diesem schlechthin als ein Fremdes und Fertiges gegeben werden; andererseits aber, indem das Bewusstsein dem Wissen eben so wesentlich ist, (※4)wird auch die Vorstellung möglich, dass das Bewusstsein diese seine Welt sich selbst setzt und die Bestimmungen derselben durch sein Verhalten und seine Tätigkeit (※5)ganz oder zum Teil selbst her­vorbringe oder modifiziere. (※6)Die erstere Vorstellungsweise ist der Realismus, die andere der Idealismus genannt worden. Hier sind die allgemeinen Bestimmungen der Dinge nur überhaupt als bestimmte Beziehung vom Objekt auf das Subjekt zu be­trachten.(※7)

第三節[実在論と観念論]

知識のうちには物とその規定とがあるから、一面においては、物自体は本来的にも、かつそれ自体として(独立して)意識の外にあって、そして、これらは全く外来品とか出来合品として与えられたもののように考えることもできる。しかし、他面においては、知識にとって、意識はまさに本質的なものであるゆえに、意識は自分の知識の世界を自分自身で設定し、自分の行為と行動を通してその規定自体の全体を、あるいは部分を自身で作り出すか、あるいは改変すると考えることもできる。はじめの考え方は「実在論」と、他方は「観念論」とよばれる。ここでは、ただ一般的に、物の普遍的な規定は、客観から主観に対して指定された関係とみなされなければならない。

 

※1
 die Dinge und ihre Bestimmungen
「鉄は黒い」という私たちの知識で言うなら、物は鉄で、「黒い」が規定である。

※2
dieselben  これらは
die Dinge und ihre Bestimmungen (物とその規定)

※3
植物の成長についての私たちの知識でたとえるなら、「an und für sich」は種子の状態で
「für sich」は発芽の状態ともいうべきか。それらは私たちの意識の外に独立してある。

「an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

※4
私たちの意識なくして知識はありえない。

※5
いずれも同意語だけれど、それぞれニュアンスの違いがあるようだ。おおよそ次のように理解している。
Aktion(動作、活動、働き、action)、Handlung(そぶり、所作)、Operation(軍事的、学問的、技術的な活動、行動)、Tat(意図的な行為、行動)、Verhalten(ふるまい、態度)

※6
原子を分割して核エネルギーを引き出した人間は、青い桜の花を作り出すこともできるかもしれない。

※7
この「精神の現象論」におけるヘーゲルの立場は、「実在論」でもなければ「観念論」でもない。仏教用語で、物そのものを「色」、私たちの意識を「心」と呼ぶなら、私たちの知識においては、この物と意識の両者は切り離すことのできない関係にあるから「色心不二」の立場ということもできる。ヘーゲルが「観念論(Idealismus)」をどのような意味で使っているかを確認しておく必要がある。

§278c[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/ovLOgU

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第三節[実在論と観念論] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/ffcQl8

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする