作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

2023年05月31日 | 哲学一般
 
ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

§8

Zugleich aber ist der Gegenstand wesentlich in dem Verhältnisse zum Bewußtsein bestimmt. Seine Verschiedenheit ist daher umgekehrt als abhängig von der Fortbildung des Bewußtseins zu betrachten.(※1) Diese Gegenseitigkeit  geht in der erscheinenden Sphäre des Bewußtseins selbst vor und läßt die oben (§. 3.) erwähnte Frage unentschieden, welche Bewandniß es an und für sich mit diesen Bestimmungen habe. (※2)


第八節[意識の発展と対象の変化]

しかし同時に、対象は本質的に意識との関係において規定されるから、したがって、その多様性は、反対に意識のさらなる発展に依存していると見なされなければならない。この相互性は、意識の現象する領域それ自体のうちに起きる。そして、先に(§ 3において)言及した問題は、これらの規定が本来的に(必然的に)かかえているところの、いずれが確定的であるかという問題については、未決定のままに残される。


※1

前第七節で、私たちの意識が対象(物)に応じて多様であるという、きわめて自明のことが説明されたが、本節では、逆に意識の発展にともなって(意識の)対象もさまざまに異なって多様であることが説明される。人間の意識の発展にともなって、その意識の対象も多様に変化していくということである。

人間も幼児のあいだは玩具などに興味を示す(意識の対象とする)が、成長するにともなって小学生などになれば、ゲームや野球やサッカーなどに彼らの意識の対象も変わってくる。そして、さらに成長して思春期などを迎えれば、異性を意識の対象としてもつようになるし、またさらに彼らが教養を積んで意識が発展していくに応じて、法律や芸術、宗教などをに興味や関心をもったり、原子力や医学などの自然科学の対象に興味や関心を抱くようになる。

要するに、彼らの意識の発展水準に応じて興味や関心をもつ対象も変化していくということである。意識のあり方によって意識の対象も異なってくる。

豚が豆を欲して真珠を真珠として意識しないのは、豚が人間並みの意識をもちえないからである。また、たとえば哲学などが興味や関心の対象になるには、すなわちその意識の対象となるには、そこまでに意識自体が発展していなければ無理だということである。

※2

先に(第三節において)言及した問題とは、「物が私の意識を規定する(実在論)」のか、それとも「私の意識が物を規定するのか(観念論)」という問題である。しかし、意識と物との関係は、本来的に相互的であるから、どちらが根源的であるか、という問題は未決定のまま残される。参照、第三節
 
 
 
 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

2023年05月31日 | 哲学一般
 
ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第八節[意識の発展と対象の変化]

§8

Zugleich aber ist der Gegenstand wesentlich in dem Verhältnisse zum Bewußtsein bestimmt. Seine Verschiedenheit ist daher umgekehrt als abhängig von der Fortbildung des Bewußtseins zu betrachten.(※1) Diese Gegenseitigkeit  geht in der erscheinenden Sphäre des Bewußtseins selbst vor und läßt die oben (§. 3.) erwähnte Frage unentschieden, welche Bewandniß es an und für sich mit diesen Bestimmungen habe. (※2)


第八節[意識の発展と対象の変化]

しかし同時に、対象は本質的に意識との関係において規定されるから、したがって、その多様性は、反対に意識のさらなる発展に依存していると見なされなければならない。この相互性は、意識の現象する領域それ自体のうちに起きる。そして、先に(§ 3において)言及した問題は、これらの規定が本来的に(必然的に)かかえているところの、いずれが確定的であるかという問題については、未決定のままに残される。


※1

前第七節で、私たちの意識が対象(物)に応じて多様であるという、きわめて自明のことが説明されたが、本節では、逆に意識の発展にともなって(意識の)対象もさまざまに異なって多様であることが説明される。人間の意識の発展にともなって、その意識の対象も多様に変化していくということである。

人間も幼児のあいだは玩具などに興味を示す(意識の対象とする)が、成長するにともなって小学生などになれば、ゲームや野球やサッカーなどに彼らの意識の対象も変わってくる。そして、さらに成長して思春期などを迎えれば、異性を意識の対象としてもつようになるし、またさらに彼らが教養を積んで意識が発展していくに応じて、法律や芸術、宗教などに興味や関心をもったり、原子力や医学などの自然科学の対象に興味や関心を抱くようになる。

要するに、彼らの意識の発展水準に応じて興味や関心をもつ意識の対象も変化していくということである。意識のあり方によって意識の対象も異なってくる。

豚が豆を欲して真珠を真珠として意識しないのは、豚が人間並みの意識をもちえないからである。また、たとえば哲学などが興味や関心の対象になるには、すなわちその意識の対象となるには、そこまでに意識自体が発展していなければ無理だということである。

※2

先に(第三節において)言及した問題とは、「物が私の意識を規定する(実在論)」のか、それとも「私の意識が物を規定するのか(観念論)」という問題である。しかし、意識と物との関係は、本来的に相互的であるから、どちらが根源的であるか、という問題は未決定のまま残される。参照、第三節
 
 
 
 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性]

2023年05月24日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性]

§7

Das Bewusstsein ist die bestimmte Beziehung des Ich auf einen Gegenstand. Insofern man von dem Gegenstande ausgeht, kann gesagt werden, dass es verschieden ist nach der  Verschiedenheit der Gegenstände,  die es hat.(※1)

第七節[対象の多様性と意識の多様性]
  
意識とは、対象に対する「私」の規定された関係である。人が対象を起点とするかぎり、意識のもつ 対象の多様性に 応じて、意識はさまざまに異なるといえる。

 

※1
意識の対象は、主に私たちの視覚を通して認識される。桜の花を見れば、花が私たちの意識の内容になるし、海を見れば、海が私たちの意識の内容になる。対象が私たちの意識を規定するという、対象と「私」の相互的な関係にある意識(これが本篇の主題である)の一面について、きわめて自明の事実を述べている。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第七節[対象の多様性と意識の多様性] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/e0KeWT

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象]

2023年05月18日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象]

§6

Das Bewusstsein ist überhaupt das Wissen von einem Gegenstande, es sei ein äußerer oder innerer, ohne Rücksicht darauf, ob er sich ohne Zutun des Geistes ihm darbiete,(※1) oder ob er durch diesen hervorgebracht sei. (※2)Nach seinen Tätigkeiten wird der Geist betrachtet, (※3)insofern die Bestimmungen seines Bewusstseins ihm selbst zugeschrieben werden.(※4)

 

第六節[精神の働きと意識の対象]

 意識とは一般に、それが外的であれ内的であれ、対象についての知識である。その対象が精神のはたらきなくして意識に与えられたものであるのか、あるいは、精神のはたらきによって意識にもたらされたものであるか、どうかにはかかわらない。精神は精神の活動を通して考察される。精神は、その意識の諸規定が精神自体に起因するかぎり、その活動性の面から考察される。

 

※1
「意識の対象が精神のはたらきなくして意識に与えられたもの」
── 「精神の現象学」における「A 観察する理性」の対象となるもの。原子から生命体などに至る自然科学の対象。

※2
「精神のはたらきによって意識にもたらされたもの」
──   真、善、美など人文科学の対象となるもの。宗教や芸術、哲学そのものなど、精神の働きによって意識にもたらされる対象。

※3
精神とは意識であり、かつ思考そのものである。精神自体も精神の活動によって、つまり思考によって考察される。

※4
「精神の現象学」は「感覚」から「知覚」、さらに「悟性」へと意識の働きを動的に考察している。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第六節[精神の働きと意識の対象] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/3YwMFp

 

 

 

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Watch: Highlights of King Charles's and Queen Camilla's coronation

2023年05月06日 | 日記・紀行

Watch: Highlights of King Charles's and Queen Camilla's coronation

 

 

英国の立憲君主国家体制は、日本のこれからの憲法改正の上での貴重な研究対象になると思います。

ヘーゲル「立憲君主制について」(「夕暮れのフクロウ」記事一覧20180808〜20181026) - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/jrMhon

§280 Zusatz.[君主と完成された国家組織体] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/doHABd

 

 

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