讃岐におはしまして後、歌といふことの世にいと聞えざりければ、寂然が許へ言ひ遣はしける
1228 言の葉の 情け絶えにし 折節に あり逢ふ身こそ
悲しかりけれ
かへし
1229 敷島や 絶えぬる道に 泣く泣くも 君とのみこそ
跡をしのばめ
崇徳院が讃岐にいらっしゃった後には、和歌ということが世の中にほとんど行われなくなったので、寂然の許へ歌を詠んで送りました。
1228
和歌のことばにも 心が失われてしまった時代に 巡り合う我が身こそ悲しいものです
次の歌を寂然が送り返してきました
1229
和歌も途絶えてしまった道を、ともに泣きながらも、あなたとだけは、まだ和歌の盛んだった頃の跡を偲びあいましょう
保元の乱に敗れた崇徳院は都から遠く離れた讃岐へと流される。和歌に造詣の深かった崇徳院のいなくなった後には、和歌の道もほとんど廃れてしまった。そこで西行は、和歌の道にともに勤しんだ仲間である大原の寂然(藤原頼業)の許へ、歌を詠んで送る。
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