作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

大原の寂然

2017年09月27日 | 西行考

 

讃岐におはしまして後、歌といふことの世にいと聞えざりければ、寂然が許へ言ひ遣はしける

1228 言の葉の  情け絶えにし 折節に あり逢ふ身こそ
   悲しかりけれ

  かへし

1229 敷島や  絶えぬる道に 泣く泣くも 君とのみこそ
   跡をしのばめ


崇徳院が讃岐にいらっしゃった後には、和歌ということが世の中にほとんど行われなくなったので、寂然の許へ歌を詠んで送りました。

1228

和歌のことばにも 心が失われてしまった時代に 巡り合う我が身こそ悲しいものです
    
   次の歌を寂然が送り返してきました
1229 

和歌も途絶えてしまった道を、ともに泣きながらも、あなたとだけは、まだ和歌の盛んだった頃の跡を偲びあいましょう

保元の乱に敗れた崇徳院は都から遠く離れた讃岐へと流される。和歌に造詣の深かった崇徳院のいなくなった後には、和歌の道もほとんど廃れてしまった。そこで西行は、和歌の道にともに勤しんだ仲間である大原の寂然(藤原頼業)の許へ、歌を詠んで送る。

 

 

 


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