作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

二人の経済学者の論争

2012年11月26日 | ニュース・現実評論

 

二人の経済学者の論争


ガチンコ対決! 高橋洋一VS池田信夫  新政権で日本経済はどうなる!?11/22

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19435741


原子力発電にからむエネルギー政策の問題で論争がある。そこで、たとえば武田邦彦氏らの原発廃止派と原発再開派の論争について、私たち一般の特別な専門知識ももたない国民が、どのように対応し判断すべきなのかといった問題が起きる。私自身の考え方は、先にツィッターにメモしておいたが、それと同じようなことが経済政策をめぐる問題についても言えると思う。

経済政策にかんする論点としては、TPPの参加の是非、消費税増税の是非。日銀法改正の問題、規制緩和、インフレターゲットをめぐる金融政策などをめぐって、さまざまな立場から議論が繰り広げられている。

いずれにしても、広く深く客観的な専門知識を背景にしているはずの経済学者ら専門家の間でも論争と対立のある問題である。専門家たちの間でも意見が対立しているのであるから、一般の普通の国民が判断しかねるのもやむを得ないことだろう。

しかし、そうした場合でも解決策がないかというと必ずしもそうではないと思う。そのためには、相互に意見の対立する専門学者たちに公開の場で議論させることである。それを見て国民多数が常識的に判断することである。そのことによって、おおよそ正しい政策選択が行われてゆくだろうと思う。もちろん、神ならぬ人間の行うことだから全く誤らないということはないにしても。

ただ、その際に肝心なことは、一方の立場に偏することなく公平に、さまざまな立場からの専門家、識者を集めて論議させることである。

これまでの日本の官僚行政のように、審議会であらかじめ官僚に都合の良い膳立てをして、「学識者」に官僚の意見を代弁させて公開議論だけは済ませるという欺瞞的で形式的な論議にさせてはならないことは言うまでもない。

行政や官僚が公正で公平であるならば、国民も安心して「有識者」の選任についても彼ら役人に任せることができるのだが、先の「皇室典範にかんする有識者会議」や「原子力諮問委員会」のように、官僚たちが自分たちに都合の良い意見を述べる「学者(これを御用学者と言うのだが)」たちばかりを選任して形式的に議論させる欺瞞会議では話にも成らない。

しかし、それでも最近はインターネットなどが浸透してきて、情報のチャンネルが増えるにつれて、一方的ではなくさまざまの立場からの情報や議論が入手しやすくなった。そのことによって政策についての判断に国民の間に選択肢も広がり裁量の余地も深まる。それだけ政策選択の妥当性も高まることになる。

「ニコ生」で先日行われた経済学者らの議論をたまたま見た。一人は小泉政権での経済政策のブレインであった高橋洋一氏で、他方は池田信夫氏である。池田信夫氏はご本人がブログなどでよく発言されておられるのでだいたいの意見内容はつかむことができる。しかし、高橋洋一氏らの見解はこれまで不勉強でよくわからなかった。

しかし、こうした議論を通じて、あらためて、高橋洋一氏が安倍晋三自民党総裁や橋下徹大阪市長らの経済政策に影響を及ぼしているブレインであることなどが聴いていてよくわかった。

上にリンクしたYOUTUBEの議論では、六対三の比率で高橋洋一氏の見解に視聴者が理解を示していたと言われる。こうしたインターネット上での議論も、来るべき総選挙での投票基準に参考になると思われる。

 

高橋洋一氏 消費税増税に反対する10の理由

http://www.youtube.com/watch?v=O4r6Hrr5V7E&feature=related

『増税をもくろむ財務省の真の意図①』高橋洋一 AJER2011.12.3(1)

 http://www.youtube.com/watch?v=gDEBjfCfGIQ&feature=related

 

※ 付論

司会者の力量

これらの議論を聴いていて、気付くもう一つのことは、こうした議論の場での司会者の力量の問題である。

司会者の田原総一郎氏は、「金曜朝生テレビ」の司会もされていて日本の代表的なジャーナリストともされている方であるが、見ていてわかることは、こうした会議での司会の仕方の基本を、田原氏は習得されていないことである。

司会者の役割は、論点を絞ってそれぞれの発言者に等しい時間枠で自由に交互に論じさせ主張させることである。そして、司会者の私見や生半可の知識を差し込んで妨害しないことである。そうしてこそディベートが活発になる。

司会者は、相撲の行事のように議論のスムーズな進行を形式的に公平に取り仕切ることに徹するだけである。そして、その論議の内容の是非、成否についての判断は視聴者に任せる。

ジャーナリストの第一人者と紹介された田原氏がこの程度であるとすれば、民主主義の機能する基本でもある「会議」の「司会を含む運営の仕方」についての、日本の学校教育の貧困を証明することになっているのかもしれない。その結果としての日本のジャーナリズムの水準ということか。

 

 

 

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