作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

8月14日(木)のTW:辻邦生『西行花伝』のことなど

2014年08月15日 | ツイツター

七巻ぐらいあったと思う。小説をもっとも楽しく読むことが出来たのは中学生くらいの頃だった。純粋に小説のなかに入って楽しむことが出来た。細部の内容は今では忘れてしまったけれど、ロマンロランの『ジャンクリストフ』ショーロホフの『静かなドン』曹雪芹の『紅楼夢』パールバックの『大地』など


どちらかといえば長編小説が多かった。ネットやスマートフォンなどもちろんない時代。就寝前に寝床に持ち込んで、少しずつ読み進めるのが楽しみだった。その頃から経過した時間は半世紀か。少年時代の記憶を思い出して少しずつでも読み始めることが出来ればいいと思っている。読むこと書くことに力を


入れていきたい。そのためには農事に割いてきた時間も犠牲にせざるを得ない。ゲーテのことばを引用してヘーゲルは「一廉の事を為そうとすれば一事に自己を限定すべき」という教訓を残しているけれど、もちろん無能力で移り気で小物で散漫な私には彼ら偉人の教訓を生かすことも到底出来ない。辻邦生の


『西行花伝』を手にしたのは、少しでも西行の周辺についての知識を集めたいと思いはじめたということもある。既に故人となった辻邦生氏の奥さん、辻 佐保子さんのエッセイによると、『西行花伝』が辻邦生氏の「長い執筆活動の究極の到達点を示す作品になった」とのことである。図書館から借り入れた


本は辻 邦生全集第一四巻、三八七頁、四百頁近い大冊である。何時に読み終えることが出来るのかも分からない。また西行の生きた時代や社会のことも少し知りたくて『保元物語』も借りてきた。少し読み始めて、今更どうしようもないほど私が歴史について無知であることを思い知らされる。いずれにしても


辻 邦生氏の『西行花伝』にはトルストイの『戦争と平和』のように記憶しきれないほど多くの人物が登場する。平清盛、藤原頼長、徳大寺実能、待賢門院璋子、鳥羽院、崇徳院、それに愚管抄の作者、慈円などなど。この小説は「序の帖」から始まる。小説の構成としては、西行の弟子とされる藤原秋実の


視点から、彼にとっての偉大なる師、西行の姿が描かれる。かって映画で見たウンベルト・エコの作品『薔薇の名前』のときも、主人公である修道僧アドソの眼から、彼の師であるイギリス人のフランチェスコ会修道士、バスカヴィルのウィリアムの姿を描いていた。なにかおなじく弟子の視点から師の姿を


描いているのも興味深い。「序の帖」藤原秋実、甲斐国八代荘の騒擾を語ること、ならびに長楽寺歌会に及ぶ条々

あの人のことを本当に書けるだろうか。あの人──私が長いこと師と呼んできたあの円位上人、西行のことを。
しばらく前から時雨が檜皮葺きの屋根を鳴らして過ぎてゆく。その幽かな


音を聞いていると、そんなことはとても無理だ、あの人のことなど書けるわけはない、と誰かがつぶやいているような気がする。
たしかに私にとってあの人──我が師西行はあまりに大きな存在だった。私はどんなに努力してもあの人に達することができなかった。それに私たちが生きてきた時代は変転極まり


ない狂乱の日々の連続であった。すべての人々が、洪水の荒れ狂う波間につかの間に出逢い、つかの間に別れて、二度と遇えない宿命に翻弄されて生きていた。私はそうした日々 、師西行と共にいることだけを願った。願いつづけなければ容易に私たちの絆は絶ち切られれてしまいそうな、


そんな切羽詰まった気持ちで生きていた。私は正直言って自分がどんな人間であるか、わが師が何を考え何を感じて生きているか、じっくり思いめぐらすことができなかった。私はただ師のそばで生きること、師の歌を浄書し、師のために使い走りをし、


師のあとについて歩くことだけで、すでに精一杯であった。肝心なことは師西行の近くにていかに生きるかだけであった。
(本書九頁)


「NHKがこの大事件を報道しないのは、狂っています。 NHKも共犯なので、謝罪すべきです。」《米国東海岸在住の邦人の方から、朝日新聞への怒りのメッセージ》 - 【水間条項ー国益最前線ジャーナリスト水間政憲のブログです。】 mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-179…


 
 
 
 
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