荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

4月2日の「宮城野部屋」

2024年04月03日 | 散文

宮城野部屋の不祥事に対して、日本相撲協会は4月1日付けで、親方を含めて全員、伊勢ヶ濱部屋預かりとしました。気になったので行ってみました。玄関前の景色は何も変わっていません。宮城野部屋の看板は有るし、相撲取りが乗る自転車は有るし、間垣親方の引退相撲のポスターは有るし、状態です。

穿った見方をします。これは元横綱白鵬の、部家を残したい意思表示ではないでしょうか?

ここの大家は元関脇ジェシー高見山です?高見山にしてみれば、借りてくれたら家賃が入ります。とっくに引退している身としては、日本相撲協会が何を言おうが関係ありません。

その足で伊勢ヶ濱部屋にやって来ました。静かな佇まいです。

普段停まっている自動車が無いのが、ちょっと違和感がありますが、、、

玄関前の盆栽が益々立派になりました。

時節柄しだれ桜が咲いています。親方丹精の賜物でしょうか?

正面から眺めます。やっぱりなんか、異常な静けさです。

宮城野部屋の人達は何処にいるのでしょう?

近所の支援は変わりません。

尊富士、力士が多くて稽古が十分できないかもしれないけど、連覇してやれ!

 

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本行寺は縁(ゆかり)の多い寺

2024年04月03日 | 散文

谷中の本行寺は「縁」の多い寺です。先ずは、小林一茶が定期的に句会を開いた寺です。

石碑の背後は花曇りのしだれ桜です。

そして、太田道灌縁の寺です。ここは台地の上で見通しが利きます。物見砦跡でもあります。

そして月見寺でもあります。

背後にはしだれ桜が咲いています。

見上げます。

月見をした山頭火の句碑です。「ぽつと月がある東京に来てゐる」

本行寺と小林一茶と太田道灌の謂れです。「長禄元年(1457)、太田道灌(資長)が江戸城築城の際、眺めの良いこの地に『物見塚』という斥候台を造ったという。『江戸名所図会』の『日暮里惣図』によると、本行寺の境内裏手に『ものミ塚』があり、塚の脇にこの石碑が描かれている。本行寺は道灌の末裔とされる掛川藩主太田氏の菩提寺であり、寛永三年(1750)に住職の日忠や太田氏にゆかりのある古屋孝長、四宮成煥らが、道灌の業績を記した碑を建てた。撰文は、儒者の石島筑波。小林一茶もしばしば訪れ、『陽炎や道灌どのの物見塚』と詠んでいる。物見塚は、明治時代の鉄道敷設でなくなったが、碑は山門を入った正面に移設されて今日に至る。」

小林一茶の句碑です。「陽炎や道灌どのの物見塚」

短冊塚も有ります。

背後には、しだれ桜とハクモクレンです。

 

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