荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「市場商栄会 業四お買い物横丁」を再訪した。

2020年10月06日 | 散文

古い商店街を再訪しました。随分久しぶりなのでちょっと探しました。

 

スカイツリーが突き抜ける下町商店街です。

 

あっという間に人が居なくなります。

 

スカイツリー完成直後にやって来て以来です。

 

もう10年になるでしょうか? 

 

当時、スカイツリーの麓にある下町情緒豊かな商店街と紹介されていました。

 

新旧共存の象徴的に紹介されていましたが、もうこの四差路界隈だけが残っています。

 

八百屋は人の食を司るから特別な税金免除でもあるのでしょうか? 

 

何処の商店街に行っても八百屋は残っています。

 

「在原業平」からの命名です。「業平四丁目」の略です。東武が「業平駅」から「スカイツリー駅」に改名したので、この界隈にだけ残っている地名です。

 

あれからビルが増えました。

 

「さくら・ゆ」が在りました。珍しく平仮名の店名です。まだ内湯が無い家が残っている界隈です。

 

「ゆ」の下は「湯」でしょうか?「湯」ではいけないのでしょうか?暖簾を注文したら看板と違って「湯」で仕上がってきた?換えやすい暖簾を訂正した?ってところでしょうか?

 

業四交差点のすぐ近くです。

 

「さくら・ゆ」の前から見上げます。スカイツリーが聳えます。

秋の空です。

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「山の宿の渡し跡」が在った。

2020年10月06日 | 散文

「すみだリバーウォーク」の浅草側の出入り口の傍です。こんな石碑が有りました。

 

階段の上は隅田川土手です。左にスカイツリー、右に東武スカイツリーラインの鉄橋が見えます。

 

今回「すみだリバーウォーク」に来なかったら出逢わなかった石碑です。

 

説明板を読みます。 「山の宿(しゅく)の渡し 台東区花川戸一丁目一番 隅田川渡船の一つに、『山の宿の渡し』と呼ぶ渡船があった。明治四十年(1907)発行の『東京市浅草全図』は、隅田川に航路を描き、『山のノ宿ノ渡、枕橋のノ渡トモ云』と記入している。位置は吾妻橋上流約250メートル。浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結んでいた。花川戸河岸西隣の町名を、『山ノ宿町』といった。渡しの名はその町名をとった命名。別称は、東岸船着場が枕橋橋畔にあったのにちなむ。枕橋は墨田区内現存の北十間川架橋。北十間川の隅田川合流点近くに架設されている。

 

渡船創設年代は不明。枕橋上流隅田河岸は、江戸中期頃から墨堤と呼ばれ、行楽地として賑わった。桜の季節は特に人出が多く、山の宿の渡しはそれらの人を墨堤に運んだであろう。したがって、江戸中期以降開設とみなせるが、天明元年(1781)作『隅田川両岸一覧図絵』はこの渡しを描いていない。 平成四年十一月 台東区教育委員会」

 

随分分かりにくい説明ですが、渡し跡はこんな場所に在ります。

「すみだリバーウォーク」を歩こうと思わなかったら出逢えなかった旧跡でした。散策には時々こんな出逢いがあります。

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