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北原白秋歌碑 帰去来 (白秋詩碑苑)

2024年04月05日 |   ✒歌碑句碑 紀行

 歌碑鑑賞追記北原白秋歌碑 白秋詩碑苑帰去来歌碑 福岡県柳川市  (2015.05.16) 

 九州を数回訪問しているが、この時は長崎県へ有明海を渡っての旅の途中の柳川訪問。
 柳川市は水郷の里として有名だが、筆者には北原白秋の生誕の地として刻まれていた。
 学生時代に手にした北原白秋詩集に、柳川水郷の情緒的挿絵が差し込まれていたから。

 碑文山門(やまと)は我が産土(うぶすな)雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら
    飛ばまし 今一度(いまひとたび) 
    筑紫よ かく呼ばへば 戀(こ)ほしよ潮の落差 火照(ほてり)沁む夕日の潟
    盲(し)うるに  早やもこの眼  見ざらむ  また葦かび 籠飼(ろうげ)や水かげろふ  
    帰らなむ いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ
    待つらむぞ今一度(いまひとたび)
    故郷やそのかの子ら 皆老いて遠きに 何ぞ寄る童(わらべ)ごころ 

 解説:漢詩陶淵明「帰去来の辞」を下敷に晩年の白秋が書いた故郷筑紫への望郷の詩歌。
    人間晩年になると終の棲家が何処になるかが重要。筆者はいつも弘前城の甍を
    思いながら生きて来た。生まれ故郷とはそのように重い、しかしユートピアも
    又、尊い。生まれ故郷でも、ユートピアでもない地に生きて行く哀しみは深い。
 所感:この歌碑がある白秋詩碑苑はお世話になったかんぽの宿(現亀の井ホテル)か
    ら徒歩で数分。柳川水郷一帯は、北原白秋を中心に観光資源が形成されていた

 参照北原白秋(自然派詩人/童謡歌人)探訪紀行


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