霊場恐山には地上の世界にない黄泉の国がある。黄泉の国とは死後の世界。人
は誰しも生命を感じながら常に「死」を意識。だから人々は本州最北の霊地体験
にやってくる。そして、極楽浜から流れ出る三途川の太鼓橋を渡り現世に還る。
菅江真澄の歩いた道:江戸時代の紀行家・歌人である菅江真澄は恐山湯治が気
にいり、五度も入山し、恐山の湯小屋に入って当時の温泉文化を観察す。
『・・・「罪深いものがここまでくると、この橋は糸などが掛かっている
ように細く思われ、鬼石は本当の鬼のすがたで睨み、岸辺に生えてい
る楢も、二十尋の竜と化して恐ろしい様相・・・この橋を渡ることがで
きず、みな引き返してゆく・・・」・・・湖水の面に夕陽が映えて・・・静か
に暮れていった・・・御寺に入ると・・・食事をし、やがて寝床についた』
参考:本日、10月31日から陸奥之国霊場恐山は閉山となり、来年の5月までの
長い冬籠り 。一般の方はそれまで本BLOGで恐山を擬体験してください。
霊場恐山境内には浄めの湯小屋がある。霊場・地獄めぐりの前には
この浄めの湯で世俗の汚れを洗い落とし、後には体に纏わりついた
霊気を流して娑婆に戻る。その中でも筆者お気に入りの一湯がこれ。
【Data】含石膏・食塩ー硫化水素泉 61.5℃ pH2.71 源泉:恐山5号泉
参考:本物の名湯ベスト100(講談社現代新書:石川理夫著)-別格恐山温泉
学術:日本温泉地域・自然文化資産No.8 恐山の温泉霊場と自然湧出泉源地帯
参照#①花染の湯湯小屋 ②薬師の湯 ③冷抜の湯 ④古滝の湯
願望:この極上の湯小屋から宿坊の湯殿が遠望できる。筆者は未湯。
此処は酒類禁止だがいつか宿坊に宿泊して味わいたいと思う。
※御法の湯(酸性・含硫黄ーナトリウムー塩化物・硫酸塩泉 73.2℃ PH2.32)
源泉入浴は人々にとって様々な意味がある。一般的に健康維持(躰の清浄、患部の癒し)
だが、ここ恐山ではやはり下山に備えた百鬼夜行、悪霊の除去であろう。できれば替え
の衣類を持込み全身を浄めた後、新しい衣装に着替え遭遇した一切の厄を封じ込めたい。
現況:冬季にはこの湯小屋だけが開かれて、霊山を守る僧侶がお勤めの身を朝な
夕なに浄める。嘗ては男女兼有で利用されていたが、今は男湯として利用。
参照#「薬師の湯」の湯殿景観
地上界が見え始めた丘からもう一度、硫黄漂う地獄界に目を転じる。何故
塩屋地獄と名付けられたか知らないが生命要素の塩を営む業の様な生地獄。
大尽山、宇曽利湖を背景に拡がる冥府世界に誘う。我を取り戻し踵を返す。
参照:①北海道(登別温泉 三途川地獄) ②北海道 (川湯温泉 硫黄山)
③秋田県(泥湯温泉 川原毛地獄) ④長野県 (善光寺 閻魔大王)
⑤栃木県(那須温泉 殺生石地獄) ⑥長崎県 (雲仙 大叫喚地獄)
⑦熊本県(はげの湯 大小蒸地獄) ⑧台湾国 (北投温泉 地熱谷)
かつては激しく熱水や硫黄が噴き出していた一帯。そのおどろおどろしさから
修羅王地獄と名付けられた。現在はその勢いも衰えた。更には東日本大地震(
2011年3月11日)の以後硫黄の吹き出しも途絶えた。地球は繋がっているのだ。
参照:東日本大震災(本BLOGカテゴリー)
日本各地の「地獄」を観て来たが、恐山ほど死者を思う人々にとって気遣いの地獄はない。
様々な地獄巡り、水子供養塚、お地蔵群、祈りの極楽浜渡り、そして清めの湯小屋などだ。
何よりも感心したのはこの納骨堂。ポケットに忍ばせた大切な人の骨一片、そっと納める。
屹度そんな人もいるだろう。自宅では供養し切れない。この無限の自然に納めてこそ供養
可能。そういう場所に毎年多くの過去想い人が訪れる。恐山は霊場のテーマパークなのだ。
参照:①北海道(登別温泉 三途川地獄) ②北海道 (川湯温泉 硫黄山)
③秋田県(泥湯温泉 川原毛地獄) ④長野県 (善光寺 閻魔大王)
⑤栃木県(那須温泉 殺生石地獄) ⑥長崎県 (雲仙 大叫喚地獄)
⑦熊本県(はげの湯 大小蒸地獄) ⑧台湾国 (北投温泉 地熱谷)
もと来た参道へ戻るには3つの道がある。賭博地獄、金堀地獄、重罪地獄、どうや地獄、
修羅王地獄を抜ける地獄ルート(順路)、 参道方面の丘を上がり延命地蔵尊を拝し塔婆堂
に抜ける延命ルート。それと、引き返す道。どちらをとるかは貴方次第だ。筆者は延命。
映像:極楽浜から延命地蔵を目指す道は「胎内くぐり」という現世の世界へ帰る道である。
浄め:諸地獄を抜け、極楽浜に辿り着き、東日本大震災の鎮魂をして帰路「胎内くぐり」
を抜けると眼前に恐山温泉浴舎が見えてくる。此処で身体を浄め恐山霊場を辞す。
参照#恐山霊場の浄めの湯「花染めの湯」
下北半島恐山の地獄巡りを経て辿り着くのが恐山カルデラ湖。宇曽利湖畔白砂に
強酸の水面が光る。そして遥か後方に大仏の様に優しく微笑んで包み込む大尽山。
この景観こそ、136の地獄を抜け、小石を積んで来た者を導く極楽浄土浜なのだ。
感慨:何度この光景を手中にしたことか。生憎の曇り模様だが。青空とは違った
緊張感が漲る。適当に掠れた雲も又、天国の淡い空間を演出する様に思う。
歌碑:名勝・温泉地を訪ねる紀行家大町桂月がこの景観を次のように詠んでいる。
『 恐山 心と見ゆる 湖を
囲める峰も 蓮華なり 』(大町桂月)
参照#①天国(大尽山)から見下ろした恐山・宇曽利湖の極楽&地獄の景観
②極楽浜で一時、黄泉の国の想い人と語らう老婆(恐山霊場)
映像:日本を代表する「霊場」にある名湯四湯小屋のひとつ
改修(補強)前の湯船の景観筆者が感動の湯景観である。
恐山は祈りの山、鎮魂の山、霊の山、そして湯籠りの山である。
参道の両側に湯小屋がある佇まいは、日本の寺社で此処だけの
湯景観。今日は特別な思いで、この魂の湯に浸かり身を清める。
【Data】含食塩ー炭酸鉄泉 51.7 ℃ pH2.03 源泉:恐山4.11号泉
参考:本物の名湯ベスト100(講談社現代新書:石川理夫著)-別格恐山温泉
学術:日本温泉地域・自然文化資産NO.8 恐山の温泉霊場と自然湧出泉源地帯
参考:恐山には5つの湯壺が用意されている。宿坊1、湯小屋4。
その中で映像湯小屋は現在は女性専用となった「冷抜の湯」
筆者的には、混浴の「花染の湯」が最も好きなのだが。
参照:①霊場の湯小屋景観(左-古滝の湯、右-冷抜の湯) ②花染め湯景観
恐山菩提寺の象徴的お堂。ご本尊地蔵菩薩を祀っている。荒涼たる地獄の入口に
人間の建造物が立ち塞がるように建っている。先ずこのお堂で地獄めぐりの安寧
を祈ってから奥に行くのがよろしい。決して真っ直ぐ地獄に行かないようにね!。
参照:黄泉(よみ)の門
≪ Ⅿemoir(メモワール) : 青い森名湯巡里 恐山温泉 古滝の湯(2003.6.28入湯) ≫
下北半島恐山霊場の参道左側。塔婆堂が後ろにある湯小屋。ここは女性専用。
硫黄泉なので窓は開放して入るのが理想だが、人声はするが窓は締め切って
いる。非常にきけんなのだが、やはり覗かれるのが嫌なのだろう。命がけだ。
【Data】含食塩ー硫黄泉 65.5 ℃ pH2.2 源泉:恐山10号泉(古滝の湯)
{新表記: 含酸性・含硫黄ーナトリウムー塩化物泉}
参考:本物の名湯ベスト100(講談社現代新書:石川理夫著)-別格恐山温泉
学術:日本温泉地域・自然文化資産NO.8 恐山の温泉霊場と自然湧出泉源地帯
2018年下北半島巡礼は、やはり恐山温泉から始まった。恐山温泉とは恐山菩提寺
境内にある湯小屋巡り。筆者にとって恐山とは温泉を意味する。その恐山は丁度
夏の例大祭で賑わっていた。映像の「塔婆堂」で信者の方々は卒塔婆を買い求める。
≪ お便り速報:北海道風景画館便り三十一 中富良野 奈江2018.10.17 ≫
映像:風景画館館主 奥田画伯作「十勝岳残照2018(70×35㎝)」*BY POST CARD
今秋も北海道発、北の大自然に抱かれ魅せられた風景画家から便りが届いた。
北海道が大好きな筆者がかつて毎年の様にツーリングし立ち寄った風景画館。
そこで奥田画伯が今も絵筆をとり頑張っている様子が届く。頑張れ風景画館
便り:奥田修一画伯のお便り文章に共感した一文抜粋
「・・・夕焼けのやさしい赤が、稲穂の黄色と呼応し、山には雪があり・・・・・・」
「・・・すぐれた芸術作品には、四次元を上回る次元が存在していると思う・・」
「・・数時間の後、夢に見たルルドの泉に立った。修道女ベルナデッタが・・・」
下北半島の拠点むつ市。今日はこの街のビジネスホテル泊。かねてから
田名部神社周辺の飲み屋街で田名部の夜を味わいたかったのだ。今日は
当地宿泊なので、田名部名物を肴にディープな夜を過ごすこととなった。
その田名部神社横丁で遭遇したのがこの猫。『斗南の猫』と名付けたい。
参考:現在のむつ市は旧田名部町がコアで、その後大湊、川内、脇野沢
大畑が合併吸収され人口55,554人(平成18年4月)の市である。
歴史:旧田名部は南部藩の代官所、大湊町は帝国海軍軍港(現海上自衛隊)
脇野沢が漁業(陸奥湾)、川内は林業‣鉱業、大畑も漁業(津軽海峡
‣太平洋)とそれぞれ特色ある。そして悲劇の斗南藩が誕生したのだ。
政治:明治政府が日本の曙を告げたともいわれるが、歴史はそんなに単純
ではない。要は権力闘争。西の勢力が東の勢力を駆逐。その結果当
時の東勢力会津藩が徹底的にたたかれて下北半島むつ市迄辿り着く。
残念ながら今の政治も西高東低で推移する、そういう見方も出来る。
斗南:斗南藩は当初三戸郡(二戸一部含)、上北郡、下北郡の3万石で構成
され、会津藩士17千人が移住成立した新藩。会津藩23万石に遠く
及ばず、八戸市を除く今の南部下北で、当初三戸に藩庁が設置され
五戸を経て、むつ市(田名部)が最終地となった。諸説あるが、斗南
とは南(薩摩・長州)に斗(闘)う意味も込められてるという。筆者
が三沢市に赴任していた時も多くの有力者は会津出身末裔であった。
参照:①斗南名湯斗南温泉 ②薩摩名湯硫黄谷温泉 ③長州名湯湯本温泉