銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

養老先生夫妻は、妙本寺のお見合いに助力をされましたか?・・・・・智内威雄、智内兄助、岩槻里子、岩槻輝子、

2020-08-13 21:14:12 | 政治

副題1、『その録画番組を、見たのは、今の主題を、引き続き、しつこく、追及している最中で、疲労困憊したからだった』

 最近の数日は、妙本寺を、主舞台にした政治的文章を書いている最中です。で、78歳の今は、以前ほど早く書けないのです。しかも、次の白内障手術を控えていて、夫婦そろって、武蔵小杉のホテルに泊まるので、泥棒対策で大変なので、スピードを落としています。で、12日は、何も書きませんでした。

 で、13日ですが、今、書いて居ることは、自家薬籠中の事です。昔、西隣に住んで居た遠藤夫人が、どれ程に、私を苦しめたか? それを書くことは、本当に書きたい事であり、

 しかも、鎌倉市庁舎移転などという嘘などの、各種の政治的・謀略・現象と連動しているので、絶対に書きたい事です。本日、13日は、やまゆり園事件の、本当の目的まで、書いたところです。後注0へ

 非常に軽く、物事をとらえる方は、ここ、三章を、女同士の戦いだと、誤解をされて、パススルーなさった方もあるでしょう。で、それもあるだろうし、一方で、鎌倉エージェントにとって、とても恐ろしい文章なので、訪問者数を、嘘の報告をされていることもあるでしょう。だから、読者からの反響で、自分を、盛り上げることができない、そういう状況でした。外部から見ると、そういう状況で、もし、損得を考えるのなら、違う話題に入った方がいいかもしれないと、言う状況でした。

 しかし、しつこく、とりかかって居て、書き続けているわけですが、丁寧に、丁寧に、事情を書いて居ると、それは、疲れるわけですね。で、13日の、7時ごろ、中断して、休むことにしたのです。

 そしてブルーレイレコーダーの空き時間を増やそうとして、録画番組を消費することにしました。

 ごく、直近の録画番組から、宗教の時間を選びました。開けると、大変美形の青年が登場しました。智内威雄と、言い、左手のピアニスト、という副題が、ついて居ました。

 苗字が珍しいです。それで、何となく、智内兄助の、親戚の人ではないかと、思いました。でも、画家である、智内兄助に、音楽家の、息子がいるとは、思わず、甥か、従兄弟、又は、はとこクラスの親戚であろうと、思っていたのです。

 しかし、途中で、両親の紹介があり、やはり、父親が、智内兄助でした。母は、多恵子と言って、もしかすると、父と芸大の、同窓でしょう。きれいな方で、一時期、歌手としてでしょうが、劇団四季の舞台にも立っていたそうです。が、威雄(たけお)さんが、三歳の時には、既に、自宅で、ピアノ教師をするという生活に入って居た模様です。で、長男の威雄さんは、三歳の時からピアノを母に習って居たそうです。

:::::::::ここで、私自身の想念に入りますが、両親は、とても仲が良かったのだと、思います。だから、お母さんは、自分を主役にたてるのを捨てて、ピアノ教師という、舞台に立つよりは、ストレスが、かからない、かつ、時間の制限が少ない、仕事を選びました。面白くないかもしれないし、自分の志とか、一生を捨てたも同然の、思いきりですが、「一粒の麦、もし、落ちなば・・・・」という聖書の、文言からすると、母と、言う任務を優先した、まことに賢い選択だったと、思います。だから、お子さんが、思念・深い、美青年へと、育ちあがりました。

  ただ、子供のころから、優秀なピアニストなのに、25歳のころに、右手に麻痺が、発生という苦境に、息子さんが、立ち至ったのは、深い苦悩をお母さんに与えたと思います。何もかも恵まれている様なご家庭にも、苦難は、訪れます。

 ただ、父親の兄助氏が、ただひとり、「大丈夫、左手のピアニストとして行きなさい。画家だって、右手一本で、表現するのだから、左手だけでも大丈夫」と励ましてくれたそうです。「それは、変な励まし方だったが、ありがたかった」と、威雄さんは、言って居ました。智内兄助って、毎日新聞に宮尾登美子が【蔵】を連載していた時に、挿絵を書いて居た人です。::::::

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副題2、『この宗教の番組には、当たりはずれがあるのだけれど、先週の信愛塾(横浜)の先生・たけさん・に続いて、今週も聞きでが、大きかった・・・・・特に智内家では、最も大切な事は、それが、美しいか、美しくないかであった・・・・・と、いう部分だ』

 各家庭に、家訓というか、目標はあるものだ。各家庭なりのカラーがあるものだ。智内家の家訓は、素晴らしいものだと、思うし、私自身の、最大の価値感もそこにおいていて、したがって、このブログの読者から、「美形好きの川崎さん」とからかわれている始末だ。

 私には理不尽な敵がいて、ご近所人間(実動、15軒にしか過ぎない場所なのに)を、次から次へと、攻撃用弾丸として、使ってくる。私は、攻撃されたり、損失を与えられたりすると、相手に向かって意識が集中するので、それ以前には、ぼんやりとしか意識されていなかった、相手の家庭内、事情がぱ、ぱ、ぱっと、見えてくるのだった。

 というわけで、もともと、感受性が鋭い私は、この35年間の間に、15軒の、家全部の内情がわかってしまった。15軒とは、もともと、数が少ないし、そのほとんど全員が、次から次へと、使役をされるので、ほとんどの家の内情はわかってしまった。

 わたくしが最も嫌うのは、嘘が、蔓延している家庭だ。表面上は美しく整えられている。しかし、夫婦円満とは、嘘であり、親子仲良しも嘘である。そういう種類の、家庭がある。そういうのを最も嫌って居る。

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副題3、『私が今、最大の、論点として、対象としている遠藤家に、おける問題点は、日本に古くから存在する、・・・・・兄弟垣にせめげど・・・・・という、ことわざが全く通用しないというポイントなのだ。

 親子喧嘩の声が、するのは、全く構わない。それが、発達上、自然な経過だからだ。しかし、信頼する家族間で、喧嘩をするのは構わないが、外に向かっては、喧嘩をしないと、言うのが、日本的美徳の一つだと、思う。

 上に置いた写真は我が家を北側から見た図なのだけれど、背景の樹木たちを見ていただくと、右側が高くて、左側が下がっていく。つまり、丘は、左(東側)に向かって、海抜が、低くなり、やがて、八幡宮の駐車場に達し、道路(鎌倉街道)を渡ると、文華館(旧県立近代美術館、本館)に到達する。

 という事は、反対側(=西側)は、我が家よりも高いという事となる。西側の60cmほど高い場所に遠藤家というのはあったのだけれど、その家は、平屋だったので、二階で、主に暮らす我が家よりも、もっと暗い家であった。その暗い庭に、白いスピッツが、つながれっぱなしだった。つまり、犬は、排便も庭でするという事。排尿は土が吸い込むとは思うものの、便(ふん)は、土には、しみこまない。

 その庭ごみを、毎日我が家に掃き込むのが遠藤夫人だった。私は毎日は、抗議をしない。どうして、しないかというと、私の成長過程において、こういう人間は、かつて存在しなかったからだ。みんな、自分を律することが、できる人間であって、こんなにばかげた行動をする人間は、かつて、見たことがないからだった。しかし、私だって、普通の人間で、年末には、すべてをきれいにしたい。したがって、この件は許しがたい。で、抗議をしたのだけれど、「やって居ません」という。これにはさらに驚いた。どうしようもないが、さらに、驚くのは、次の機会として、回覧板をもっていったときに、初めて旦那が出てきて、「あの件で、訴えますよ」といった。もう、口があんぐりとなって、閉まらないと言うほどに驚いた。

 しかし、CIAエージェントは、私の敵は、自分の味方として、好処遇をする。したがって、遠藤家のお嬢様は、北鎌倉女子学園の音楽の先生である、児島百代先生か、川合先生(こちらは、我が家の、真下に家があるので、所在地は、知っているが、先生自身とは、交流が皆無なので、下の名前を知らない)と、伊藤玄二郎のタッグマッチをもって、妙本寺のお嫁さんになった。

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副題4、『養老先生のネコメンタリーは、先生が紫煙をくゆらせながら、日本人の問題点を語るところが好きで、何度も、何度も、繰り返してみた。で、新編が放映されることとなった。タイトルは、養老先生とまる・・・・・しかし、それを、見た後で、以前とは、違う嫌なポイントを発見したので、一回だけ見て、削除をしたのだが、本日になって、ふと思うのは、先生ご夫妻も、妙本寺と、遠藤家の、お見合いの席に、同席なさって居たのではないかと、言う点だ。妙本寺側の、知人としてである』

 この間、【養老先生とまる】という番組を見て居たら、それは、ほとんどの、場面で、以前放映をされた【ネコメンタリー】に出てきた映像を、使って居るのだった。が、新しく、妙本寺の、映像が、くわえられていて、養老先生は、「幼少期は、ここが遊び場だったのです」とおっしゃった。

 以前のネコメンタリーを見ていて、先生のお宅は西御門の山すそではないかと思っていた。地形と日光の当たり方から考えると、そうなる。又は、二階堂の山すそか?

 しかし、「妙本寺で、幼いころ、よく遊んだ」と、おっしゃると、先生のご実家は、大町に在ったとなる。先生の母君はお医者さんなので、駅近くに診療所があったとなると、先生が幼少期を過ごされた家は、大町に在って、今、NHKBSPが撮影しているお宅は、先生ご夫妻が、ご自分たちのために建てた家なのかもしれない。

 先生が紫煙をくゆらせながら、世相や、日本人について、語る場面が好きだから、ネコメンタリーの方は何度も、見た。これは、受動喫煙反対運動が、これまた、私のブログを否定する為に始まったという事情があるので、後程、一本独立した文章を書きたいと思って居る。それほどなので、何度も、何度も繰り返してみた。

 ところで、私がパソコンのネット検索で、なにを調べたか、録画番組で、何を視聴したかは、すべて、監視されている。で、此の養老先生のネコメンタリーを利用してやろうと、鎌倉エージェントは考えたらしい。新しく、奥様の茶道指南の場面と、養老先生が、妙本寺を案内する場面が加わっていた。両方とも私を意識した、加筆であった。奥様については、25年ぐらい前に、郵便局で先生名義の、A4の書類を出しておられる姿を、見た。大変美しいお顔で、かつ、派手なガラの、・付・け・下・げ・姿だったと、記憶している。髪は黒く、パーマがかかって居て、全身一分の隙も無い和服姿だった。で、草食系に見える養老先生とは、ムードがあまりに違うので、我が家で、主人に対して、それを話題にしたことがある。

 で、奥様が、今度の、【養老先生とまる】では、ずっと、落ち着いた和服姿で、ご登場なさった。養老先生の年齢にふさわしい、地味目(ただし、超上等なおべべであるのは、以前と同じだったが)の殺したピンクの鮫肌小紋か、無地の、重めのちりめんの和服で、茶道指南をされている映像が出てきた。お客は、有名人だったと、思う。

 これも、私の夫婦間の、室内会話を、訂正する方向なので、嫌だから、すぐ削除してしまった。しかし、2020年、8月13日に入って、ふと、思い至ったのだが、あの、重めのちりめんの和服姿って、そのまま、妙本寺のお座敷に移行をして、そこに、お座りになって、お見合いの仲人をなさったとしたら、もう、見事、見事なおさまりがある。

 遠藤家と、鎌倉一、お金持ちである、妙本寺側との、お見合いは、釣り合わない雰囲気があるが、独身の児島百代先生と、河合先生の、組み合わせだけではなくて、養老先生ご夫妻が、出席なさって居たら、信用度がまるで、違ってくる。で、お見合いの成功度は高い。だが、それにしてもそのお見合いが、わたくしをやっつけるために、計画されたものである事には変わりはない。そして、私の方も、今、現在、山中伸弥先生と双璧をなすほどの、人気のある学者である、養老先生が、そのお見合いの仲人をなさって居たと、しても、全く揺るぎはない。自分が書いたものを引っ込めたり、訂正したりする必要は感じていない。

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副題5、『その時点=2020-8-13に、智内厳雄の、家庭の思い出を聞いたのは、最大の、天からのお助けだった。彼の家庭では、最優先事項は、美であるとの事・・・・・伊藤玄二郎のルーティンメソッドの一つに、私が、文章に書いた、あいてを、私の目の前に、出現させると、言う手がある。それは、過去、千回ぐらい、繰り返されてきた手法なのだけれど、遠藤夫人に、それが適用されて、彼女が、私の目の前に出現したのは、却って、こちらにとって、ラッキーだった。彼女は、女性版、小錦という程度に太っていたからだった。我が家の隣に住んで居たころと、比較すると、横幅だけは、三倍になって居て、体重も二倍になっていると、推察された。

 ここに以前に書いた、何故、彼女が美しく見えないかの理由を繰り返して張り付けておきたい。

彼女は、人生においてある大きなポイントで、欠落したまま、年月を送ってきた女性だからです。人を愛し、自分を愛したら、あれ程(小錦みたいに)太るはずがないのです。何らかの不満を抱えている可能性があります。実存的不満です。自分は、勝ち組の筈だ。夫だが、一流銀行に勤めている。しかも東大出である。息子も一流大学へ進学し、一流企業へ就職した。娘は、鎌倉一、富裕な家に嫁いだ。何もかも不満はない・・・・・その筈だ。夫は、セクシュアルな意味では、品行方正で、女性関係には、何も、問題はない。しかし、どうしたのだろう。この閉塞感と、不満の意識は?と、思って居るはずです。

 彼女は現代日本が、求める典型像として生きてきました。勝つことが、最優先事項です。世間が認める一流とか、勝ち組というパターンを追い求めて、それを得た筈です。しかし、他人をも、自分をも愛して居ません。夫も愛していないし、子供も愛してきませんでした。で、成功したかもしれないけれど、内面は、空虚です。そういう意味では、苦労はあるが、私には、愛とか、情とか、言うものがいっぱいにあふれています。そして、何よりも考えることが好きでそれが、できる生活を苦労の上で、確保しました。考えることは、書くことでしか、完結しないので、格という修行もしてきました。それは、得難い個性だし、得難い人生なのです。私は、自分に満足をしているし、自分が愛されていることをも知って居ます。誰から、と問われれば、答えましょう。全脳の力を持ち、すべてを、収まるべきところにお納めになる神様に愛されていると、言う点で、信じるものがあるのです。愛されて居なくても、他人を愛するという事を学んできましたが、周辺から裏切られれば、そういう人は、振り払い捨てて、来ています。伊藤玄二郎達が、「遠藤夫人も、渡辺幸子さんも、お前より勝っているのだぞ」と言って居るのはわかって居ますが、全く悔しくないのです。もし悔しかったら、以下の様な文章は書かないと、思いますよ。この一文はあくまでも、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの悪戸さを表現するための文章であり、彼らが企画したことが何であるかを書くための、文章です。したがって、彼等が私の文章に出てきた恥多い、遠藤夫人を持ち上げて、「お前よりこっちが上等だ。お前は負けた」と言えば言うほど、具体的に、いきさつを書くこととなります。伊藤玄二郎を分析する為だからです。その点をご留意くださって、読み進めてくださいませ。

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副題6、『しかし、この美しい宗教の番組には、問題点が、もう一つあった。インタビューワーが岩槻里子さんだったことだ。彼女は、N響アワーを司会していたので、音楽のことは詳しい。彼女のおばにあたる、岩槻輝子さんに言わせると、池辺晋一郎さんのいわゆるお寒いジョークに、上手に対応をしていたので、NHK内の評価が高いそうだ。

 しかし、この岩槻輝子さんこそ、ICUでは、テリーと呼ばれていた、一年時の同級生で、私を、ベイカーさんという、エール大学出身で、当時ICUに留学中のアメリカ人学生と「会いなさいよ」と、私に勧めた、人物なのだった。

 テリーのいない、たった、四人だけ、出席している部屋で、ある男の子(日比谷高校卒)が、「僕は、もう、学生への、啓もう活動には絶望をしている。これからは、社会人を相手に、啓もう活動をしていきたい」というと、ベイカーさんが、「僕ね、三鷹警察署の署長と、ともだちだから、三鷹駅前で、ビラを配るのの、許可を取ってきてあげるよ」と、日本語で、言ったのです。私は、目を丸くしました。

 ベイカーさんというのは、金髪碧眼で、惜しむらくは背が低い。しかし、俳優のメルファーラーより美形だと、思われるほどの、美少年で、かつ、エール大学在学中と、聞いています。いつも、紫色のコーデュロイのジャケットを着ていて、さっそうと、自転車で、構内を走り回って居る存在です。そんなエリート学生がどうして、おじさんであろう、三鷹警察署の署長と親しいのですか? 変じゃあないですか?

 ただし、いつも通り、私は目を丸くしただけで、何もしゃべらないのです。「ベイカーさん。あなたは、どうして、三鷹警察署の署長なんっていう人と親しいの。それって、変じゃあない?」などとは、絶対に言いません。だから、すぐ、ベイカーさんは、自分が大失敗をしたと考えたのです。

 私は彼が、CIAのスパイだとは、まだ、気が付いていません。当時はエージェントという言葉はまだ使われておらず、スパイと言って居たのですが、彼がCIAのスパイであるなんて、私はまだ気が付いていません。私は性善説の人で、なかなか、本当のことまでは、気が付かないのです。この件の正しい解釈ができ始めたのは、最近、10年の事です。

 ただ、ベイカーさんは、私を殺そうとしたのです。自分の失敗を糊塗するためにね。夜ICUの滑走路を、大澤の停留所に向かって歩いていた時に、後ろから自転車で追い抜いて、先回りをしていて、桜やヒバの植え込みの陰に隠れていたのです。そして、通り過ぎた私を見かけると、後ろからさっと出てきて、私の首を渾身の力を込めて、締めつけました。本当に死ぬかと思いました。それほどの力を入れられたのですが、こちらも渾身の力で後ろから、回っている相手の腕をつかんで、振り払おうとしていると、二人同時に、右側に向かって倒れたのです。その時、ベイカーさんの腕が、私より二センチぐらい長かったのでしょう。それで、先にアスファルトにあたって、電流が流れたのですね。肘には、そういう弱点があるのです。それで、彼の力が、急に弱まったので、私は、大急ぎで、振り払い、前へ向かって駆け出しました。そして、充分に相手と離れたと、思った時に、前方から、学生たちの声が聞こえました。

 1965年当時は、大澤バス停と、言うところの方がバスの本数が多かったのです。で、私もそこを利用しようと考えて居ましたし、7,8人の学生たち(知り合いは居なかったが)も、そういう人達でした。私は、その学生たちと一緒にキャンパス内に戻り、第三女子寮に帰り、池田さんという寮母さんに、「痴漢に襲われた」と、報告をしました。嘘じゃあないのです。当時は、そうとしか考えられませんでした。

 でも、私が、一号室で、テリーは三号室です。当時てリーが、どう対応したのかは、全く覚えておりません。でも、今思うと、これが、苦難の始まりです。テリーは、純粋日本人です。だが、AFS経験者です。AFS経験者の内、高田弘子さんは、フェリス出身で、私とは、横浜国立大学付属中学の同級生です。で、顔がきれいで、所作が、優れて居ます。お嬢さんっぽい。で、アメリカでは、ユダヤ人の大富豪がホストファミリーとなって、そのホストペアレントが、当時は、名門女子大だった、ブラウン大学の留学費用も出してくれました。で、卒業後、日本で、刀剣協会の理事を務め、世界中の大金持ちとコンタクトを取り、その情報を握った女性です。

 テリーは京都に住んで居て、国際会議の同時通訳をしたり、農業をしたりしながら、お子さんを育てて居ます。文句のつけようもない、賢夫人です。そして、私に対して、失礼な態度を取ったことはありません。それは、遠藤夫人などとは、比べ物のない賢さで、あります。だけど、よく考えると怖いです。

 テリーの怖さは、AFS留学済みの学生なら、英語はすでにペラペラなので、普通は、取らない英語の授業を一年時、全部取ったという事です。塩見和子さんは、AFS経験者ではないが、帰国子女なので、英語の授業は取りませんでした。となると、できる友達の数が少ないです。テリーは、残る90%の、留学未経験者の友人を得ました。その中から、真にまじめな学生を選び、つぶすために、ベイカーさんへ、貢物として差し出したのです。私は、そういう貢物の一つだったのです。

 非常に怖いです。里子さんは、テリーの兄のお子さんです。既婚者ですが、就職時の名前をいまだ使っている女性です。

 これは、どういう事かというと、お前の息子とか、娘とか、兄弟って、日が当たらないではないか? しかし、別の人間には日が当たるのだよ。悲しめよと、言われていると、言う事です。

 そして、智内兄助の作品を、好きですし、ピアノ曲は好きですし、レジェンド(伝説)をまとう美形の青年の悲劇だったら、絶対に、この番組を、見るでしょう。そして、成功した女性として、岩槻里子に出会うわけです。大阪発、金曜日の午後ナマを彼女は今司会をしていますが、私はその番組を全く見ないのです。だから、この宗教の時間が準備されました。お前、悲しめよと、言われているわけです。では、悲しんで置きましょう。あ、は、は。

 推敲、加筆後、署名を入れます。

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