銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

元海軍参謀及び元陸軍参謀の二人は、法的な隙間も狙うのだが、使役する駒としての人間の、心理的要素(=嫉妬とか、恨みとか)も、最大限に利用をするのだった

2017-12-23 03:52:20 | 政治

  二日目に前置きを数行置きます。最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。私がさらさらっと描いたメモですが、その日私は殺されそうになったわけですから、忘れられないシーンなのです。下の方にお人形さんの様に赤い服を着た女が居ます。それが、私で、下の道路を右側の北久里浜駅の方から、上がって来て、この三差路で、右方向へ、曲がろうとすると、前方30mぐらいのところに益山智恵子さんの白いハードトップが停車しているのです。1978年当時では、女性が運転する車としては、最高級の類の車です。

 

それは絵の中では、青緑色の長方形で表してあります。私が右へターンして歩き出して、彼女の車の方向へ、向かって、すでに、10mぐらい歩いたところで、彼女の車が急発進をしてくるのですが、・・・・・私は真ん中の右側にある赤い斜線で、表した部分に逃げ込んで助かったのです。その日、相手方にも大騒動が起きるのですが?!?!・・・・・つまり、その1978年当時では敵中の敵足る人物だった・益山重夫・元・海軍参謀が、急死するのですね。それ以下は、本文を、お読みいただきたく。

 ところで、この一文は、完璧に前報

神戸の土師淳君殺しは、横須賀での、大詐欺事件を隠す為にCIAが実行した! 酒鬼薔薇聖斗の文章は井上ひさしが書いた物であろう  2017-12-22 23:47:16 | 政治

 の続きです。

副題1、『私は、瀬島龍三一派の、法的側面の悪を追求したいとは、無論のこと思ってはいる。しかし、それを、追及しても、その土地に建ってしまったマンションを、「壊せ」などと、私が命令できるはずもない。それから、それを、各戸ごとに買った人に「出て行きなさい」と、言うわけにもいかない。

 で、法的側面の悪もさることながら、こういう事案を案出、実行する、スパイ行動の学習者に共通する、心理的特徴をも、書きたいと、思っている。1978年の北久里浜における、地籍変更届という表向きは犯罪ではないともみえるが、実質的には、大詐欺事件であり、泥棒でもある事案(後注1)には、彼らが自分の目的を達成するために、駒または、マウスとして利用する、人間たちの心理的要素が、見事に、あぶり出され、えぐり出され、利用をされている。それは、私にとっては、大いなる、興味の対象である。私は、人間というものに、最大の、興味を置いている存在だからだ』

  この一文は、横須賀市における旧水道山の無償の私有化という法的な事件を、非常に丁寧に、描いているシリーズ(後注1)の、三回目です。しかし、こういう表に出せない闇の事案を、成功へもっていく際には、かれら、CIA連中は、心理的な、面を利用します。他人を利用する際には、彼等の、心の中にある、心理的な悪の要素部分も駆使するのです。私は、法的部分も書きたいですよ。この事件ですが、NHKが、映像として報道をしたり、活字として、日経新聞が、トップに置くことがないものです。しかし、これから、まだ、数章後に語る、財務局を利用した部分については、毎日新聞が「青字が何とか、かんとか」という記事を一面のトップに置いたことがあります。しかし、それは、瀬島隆三たちが、私を脅かすために、当時宅配便として、買っていて、ほぼ毎日読んでいた、そのメディアを利用して、脅かして来ただけなのです。それは、今回の貴ノ岩騒動と全く同じ仕組みでした。

 彼らの悪辣さとは、この12月10日に、町内会総会を持ってきて、そこで、雪ノ下の方でも、最大級の嫌がらせとして、行われた、アジサイ畑欺罔事件(私の土地が盗まれているとか、崖が無断で破壊をされている)の証拠を最終的に消して行こうとしているモノを、実行する決議をしたという悪を指します。それから、同時に、貴ノ岩騒動を起こして、このアジサイ畑欺罔事件の主因者である、安野智紗夫人を持ち上げて、心理的にやっつけて、ノイローゼにさせようぜと、していることも含みます。そして、その上、50人ぐらいの、人間を使って、私のキャリーバッグを盗みました。このご近所、特に安野家の猫が、自由自在に、この家に侵入してくる(後注3)ので、安野家、または、他の数軒の家では、警察から合いかぎをもらっていて、侵入しているのではないか(後注4)と、書いたり、しているので、それが、真実だったから、警察の特殊部隊は、そこまで、大掛かりに、動いて、私のキャリーバッグを盗んだというわけです。

 多分、それが、真実だから、でしょう。だから、私は、仕方がないので、キャリーバッグにパスポートから何から、すべてを入れて持ち歩いているわけですが、徹夜明けで、そのまま、外出しているときは、うたたねをするので、それが、好機だと、見做されて、盗まれたのです。 

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『東日本銀行と、横浜銀行の合併は、無論のこと、この事案と関係がある。それを本日は語ろう。それに、依って、CIAエージェントがどういう風にものを考えて行くかが、皆様には、お分かりになるだろうから』

 益山重夫、元海軍参謀と、その妻智恵子さんは、横須賀市の水道山という大規模な面積を、只で、私有化しようとして、計画を練ったわけです。その場所を最初に彼が買ったのは、1960年代だと推察していますが、その時の面積は、たった、150坪だけでした。そして、その詐欺事件が起きた時点では、すでに、水道山に蚕食を果たしていて、彼の地所は、もう、800坪には達していたので、後、400坪開墾をして、総坪数、1200坪にするのは、彼にとっては、やましい事でも何でもなかったと、最近では、理解をしています。地籍変更届という悪辣な仕組みを利用するのですが、戦時中は、横須賀市内で、トップに近いエリートだったわけですから、簡単にできる事だったのです。

 しかも、彼が、その場所を買った時点では、まだ、道路整備も果たされてはいない、人跡未踏な、自然林であって、非常に安い値段だったと、思います。現在の貨幣価値に直しても、30万円もしなかったと思います。しかし美麗なマンションを建てたり、デザイナーズ、建売住宅を建てたりして、すでに、30億円を超す、利益を手にしていると、思いますので、一万倍の、価値を生み出したというわけです。うまい話です。それを、心理的な方向からも、強化するために、嶋田章三さんへの、40年弱の長きにわたって、横須賀市からの税金の、投入も考えると、莫大な、金額を、かれらは、手にしているわけです。杉本夫妻が、実質的に手にしている、一種のわいろ金としても、宮大工が建てた豪邸に、引っ越したという利益だけではないのですよ。

 ところで、それほどの、事ができたのは、横須賀市と、京浜急行(京急池田分譲地を開発して、道路整備などを、してやったので、その山林が、1970年代に入って、急に大きな価値を持つようになったのだから、京急もむろんのこと、協力していると、考えた方がいい)と、関東法務局、横須賀支所と、関東財務局、横須賀支所のすべてを抱き込んで、事を行っているので、 可能だったのです。

 それで、本日は後ろの方で、関東財務局の話にも入りますが、その前に、こういう人物たち、(つまり、若い日に、日本の軍隊内で、諜報活動の、訓練を受けていて、現在では、益山重夫氏は、内心では憎んでいるであろう、アメリカという巨大組織をバックにしている、CIAとも共同をしている、日本の鎌倉エージェント)は、そこに、存在している民間人の事情と、その性格を利用しきるわけです。

 私は、この世界で、単純に、ご近所からの、攻撃を描いて、憂さ晴らしをしているわけではなくて、そういう構造も含めてしっかりと、書き表したいと、思っているわけです。

 ところで、益山夫妻は、もし、地籍変更届をまっとうにするのなら、山ノ下の、住民すべての実印を、たった、一枚の書類(ただし、パンフレット級の厚さのあるもの)を、50軒以上の家を回って、あつめないといけないのですが、「たった11軒分しか集めて居なかった」と、以前申しております。それは、架空の道路で、山全体を囲んで、それを、横須賀市に寄付するという形をとるので、11軒分+、横須賀市で、済むことだったというわけです。

 彼らが最も警戒をしたのは、我が家の西隣の原正芳家でした。で、最初から、その家からは、実印をもらわないことにして、国有地で囲んだのです。これを後で、丁寧に語らないといけないのですが、それよりも先に、上滝家という人間を語りたいです。彼には、本当にことを言って、協力を仰ぎ、私には嘘を言って、差別をしたという現象がありました。

 私は先に原家側の問題の調査を開始したのですが、途中で、上滝家と、我が家に差別がある事を知って激怒したのです。だからこそ、徹底的に調べまくったのですよ。最終段階まで、調べまくったのです。

 当時の上滝家の当主は、ときわ相互銀行に勤務していました。これが、現在、東日本銀行と改名しています。是こそ、裏に、CIAが居る事の典型例なのです。そして、横浜銀行と合併をしています。これも、現在の鎌倉雪の下における西隣の、住民である白井達雄さんが、横浜銀行・鎌倉支店を設計したという事情があるので、一種のからかいとして、起こされた事案でしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『上滝夫妻は、ときわ相互銀行内での社内・恋愛が、実った結婚だと私は見ているが、奥さんは、専業主婦をしていて、無収入ながら、かかあ天下の典型であり、ご主人を尻の下に敷いていた。それは、普通父親の方は、娘がかわいいので、幼稚園に行かせないという措置には反対をするはずなのに、父親もそれに賛成をしていたと、見えるからだ。それほどに、奥さんの方が、上に立っていたのは、彼女の方は、父親が、戦死した遺族として育ったので、母子家庭であるから、気が強くなるのは仕方がないとは、思っていた。

 が、私が困り切ってしまった点は、少女期に貧しい育ちだったせいか、お子さんに対して、正しい意味での愛情がわいていない所だった。繊細さが足りなかった。特に偏愛があって、お兄ちゃんの方は、かわいいのだが、下の女の子の方は、かわいくないらしくて、お兄ちゃんは、幼稚園に通っていたのに、下の子の方は、幼稚園にも、入れてもらっていなかった。お金がないわけではないのに、そうしていた。その上、その子には、真実の意味でのしつけも、一切、なされて居なかった。ただ、ただ、押さえつけて、いい子にさせていた模様だった。後日に成ると、叩いたり、つねったりして、言う事を聞かせていたのではないだろうかと、思うほどになった。

 で、その子は、自宅でお菓子をもらっていないらしくて、それがために、我が家で、盗み食いを繰り返す様になり、私は、悩みに悩むこととなる。数か月間は我慢をしたが、押し入れの中に隠れて、生キャラメルのついたお菓子を食べ、客用布団の、シーツを汚したときは、我慢の限界に達して、上滝夫人を呼び、現場を見せて、数か月間、困り切っている現状を話した。

 ここが、私が、「保育所で、子供を育ててはだめですよ」という最大のポイントだ。幼稚園にしろ、保育園にしろ、担当者の体力が持たないので、ルールの下で、言う事を聞かせながら、育てる。したがって、子供が、自由自在に遊ぶという経験をしていない。しかし、子供というのは、『ここなら自由なんだ。叱られないのだ』と、思ったら、やりたい放題をやる処がある。特に親が、単純に、ただ叱りつけて、おとなしくさせていると、そうなる。

 上滝家のお嬢さんが、幼稚園に行かないということを決めて、四月から毎日我が家に遊びに来る様になってから、一週間後には、私が、与える十時のおやつとか、三時のおやつ以外の時間に、台所から、袋菓子を盗み出して、隠れて食べる様になった。我が家の娘は、彼女とは、二歳も年下なので、抵抗ができない。私は非常に困って、言葉による注意はした。それから、袋菓子を子供の手の届かない高い位置に隠した。しかし盗み食いは継続した。

 この件だが、それ以前に、上滝夫人から、「川崎さん、うどんのゆで汁で、食器を洗うと、油汚れが落ちるのよ」と聞いていた。界面活性剤入りの食器用洗剤を使わないでも済むというコツを聞いた。『ずいぶんとつつましい生活だなあ』と、思った。私の方は、毎日お手伝いさんが来る様な家に育っていて、母が、「私がね。たとえ大根一本腐らせたとしても、その間、頭を使えば、100万円は、違うのよ」といいながら、「任天堂が大化けしたわ」とか、「京セラも、7000円になったのよ」という様な家に育っているのだ。

 だから、上滝家では、袋菓子を、日常的には、買っていないという事は判った。銀行マン夫婦だから蓄財には熱心で、食費も熟慮の上で、節約をしていたのだと、推察できる。しかも、子供を自宅で、丁寧に育てる、意識がないので、子供の友達を家に呼んで、自由自在に遊ばせるという習慣もない模様だった。お兄ちゃんの方には、たまにでも、それをしていたかもしれないが、下の子の方は、やって居なかった。はっきり言うと、偏愛と、それから、一種のネグレクトもあったと、思う。ただし、結構なレベルで、自分が見えない人も多いので、上滝夫人もそういうタイプだったとすれば、自分の愛情不足のせいで、大・問題が、他人の家(=我が家)で起きている事には、気が付きもしなかったみたいだ。

 我が家とは、私が、子供に対して、愛情を持っているので、毎日、保育園状態で、たくさんの子供が、その四月以前には、遊びに来ていた。横浜の家でもそうだったのだが、横須賀の家でも同じだった。その問題の年の、四月から我が家の上の子が幼稚園に行く様になったので、急に静かになって、女の子が、二人だけ室内で遊ぶという状況が出現していたのだった。で、上滝夫人は、我が家に預けて居れば安心だという事で、それもあって、幼稚園の行かせなかったのかもしれない。

 ところで、「ネグレクトだ」とまで、私が、言ってしまうのは、愛情をもって育てられた他の家の子は、私の言う事を素直に聞くのに、上滝さんのお嬢ちゃんが、まるで、言う事を聞かないからだ。他人の言う事でも、ちゃんとした育てられ方をしている子供は、聞く。親から丁寧に、愛情をもって叱られるという、経験を積み重ねているので、叱られるという事への経験を積んでいるのだ。で、叱られたときに、自分がやりたかった事を、いったん諦めても、さして、被害が大きくはないという事を、知って居る。そして、やがて、世の中には、やってはいけないことがあるという事を、少しずつだが、分かって来る。

 この時に、私は『ここに、比較をすると、横浜の方が民度が高いなあ』とは、思い到った。傾きマンションの件が起きたのは、JR横浜線・鴨居駅を最寄りとするマンションだ。同じ最寄り駅を利用する、東本郷というところに、私は住んでいたのだが、そこは横浜線の最寄りなので、1970年代は、東京の丸の内辺りへ行くのには、京急北久里浜とほとんど、同じ程度の時間で、やっとたどり着けるという一帯だった。だけど、横浜と横須賀というブランド名が違うせいで、北久里浜の方が、地価が安いので、住んでいる住民の意識がまるで違うのだった。ただし、2017年の、今は判らない。360度眺望が可能で、しかも美麗な、マンションである【ルネ北久里浜】に住んでいる人たちなどは、相当にレベルが高いかもしれないし。

 ともかく、1970年代の、横浜の家の、周辺には、上滝夫人の様なマナーの人間は、いなかった。ともかく、子育てとは大変なものだから、お世話になれば、お礼を言いあうとか、「今度は我が家の方で、遊ばせましょうね」という言う間柄が、形成をされていた。そういう間柄があれば、上滝夫人もやがて、真実に気がついて居たかもしれないし、私も、もっと早く、その悩みを打ち明けられていただろう。

 上滝家のお嬢ちゃんにとって、私は他人である。よそのおばちゃんである。よそのおばちゃんの、言う事を聞かず、ひんがら目で、ただ、にらんでくるのをみて、『この子って、こんなに暗い表情をするのだから、普段は、叩いたり、つねったりして、しつけているのではないかしら。だから、痛い事をしては来ない、私の事は、何も怖い事はないと、思っているのかしら』とも思った。そうなると、ますます、この件を上滝夫人には言えなくなる。

 「保育所に預けないと、我が家は収入が足りないので、保育所に預けてはだめだと、言うあなたはひどい」と、言う人もいるだろう。だけど、保育所では、ここまでの経験を子供の方ができない。幼稚園は、単純に友達を作る処だと、私は考えている。それに、だいたい三歳まで、まともに育てられているお子さんが集まっているので、眼を放しても大丈夫だけれど、三歳までの時期を保育所で、育てるのは、反対だ。また、「専業主婦同志で、集まれる、市の施設が、あって、それがありがたい」と、言い合うヤングママの、映像を、NHKは、よく報道をするが、ああいうモノだけではだめだ。どうしてかというと、そこに置いてあるものが、少ないからだ。公園のお砂場もいいが、お砂場だけでは駄目だ。お砂場にも置いてあるものが少ない。家の中で、自由自在に遊ばせることが必要なのだ。子供は創造性が高いので、ありと、あらゆるものを使って遊ぶ。そういう中で、自分にとって、危険なものがあるとか、親が、困るものがあるとか、ジョジョに、教えていくのだ。子育ては、重労働であり、そこに手抜きをすると、結局は、しっぺ返しを食う。そして、親の方は、得難い機会を失う。何を失うかというと、智恵をつけるという事だ。親の方にも大量の知恵がつくのが子育てである。

 よく只ほど高いものはないと言うが、それは、子育てには当たっている。子供食堂とか、無償で大学生が子どもを教えてくれている塾があるみたいだ。子供の方は成長すると、それが、どれほどに、自分にとって、大切なありがたいものだったかに、気が付く。しかし、子供が子どもの頃の親の方は、何も気が付かないで、お礼を言いに行っていない可能性を感じる。ただ、シングルマザーで、三つぐらいの職を掛け持ちをしていると、聞いている存在は置きの毒だ。

 そういうケースは、特別な事として、日本人は得てして、大きな、しっかりした組織を、形成しているモノには、ありがたがってお金を支払う。しかし、無冠であるご近所の人が助けてくれたりすることに関しては、お礼を言わない。しかし、私は読者の皆様には、言っておきたい。もし、あなたの周辺に、子育て世代が居て、「ご近所の人が親切に預かってくれたりしたときがあったら、時給三千円ぐらいの恩を、相手に感じておくべきだ・・・・」と教えて置いた方がいいと。「相手は絶対に受け取らないだろう。だけど、心の中では、そういう風に感じて置いた方がいい」とも。

~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ミスター上滝というのは、いわゆるシュワルツネッガー・タイプだった。つまり、スポーツマンタイプだという事。で、男性フェロモンも旺盛だから、小柄なタイプの奥さんが、惹かれて恋愛結婚をしたのだと、言う事はよくわかって居た。しかし、この地籍変更届騒ぎが、起きていた、ちょうどそのころに、ミスター上滝が取った行動は、私には許せなかった。・・・・・それで・・・・・』

 ところで、上野おかし騒動が起きてから、上滝家では、突然に、お嬢さんの方を外へ出さない様にし始めました。幼稚園に行っていないので、我が家以外には、他に友達が居ません。別の家に、一人、別の、お嬢さんが居ましたが、その子は、上滝家のお嬢さんより、三歳も年下であり、かつ、そこも家の中には、入れない主義なので、4歳以上の女の子にとって、遊び相手としては、つまらない相手なのです。外で、18インチの自転車を転がすなんて、すぐ飽きる事だからです。男の子はザリガニ鳥とか、三角ベースとか、集団で遊ぶことが好きですが、女の子の方は、家ので、お人形さんとかそれから、お母さんの持ち物をあれこれ使って、おままごとをするのが好きなのですね。だから、その子とも遊ばないし、家の中に閉じ込められている事となりました。

 それは、上滝夫人の復讐行為でした。しかも、頑強に、一年と、9か月は続きました。これは、私の心情とか、性格とはまるで違った行動様式でした。それは、ネコ一つだって、トラブルが起きても、猫の自由を尊重するために、自由に出していて、更に重篤なトラブルが、石川和子さんとの間に起きてしまう事でも明らかな様に、私は自分ん面子よりも、自分の保護下に置かれている存在を守ろうと、考える人間だからです。で、そのままの状態で五年が過ぎました。

 で、上滝夫人というのは、悪口を言いふらすタイプだと、思います。でね。益山夫妻は、スパイを放っていたと、思います。つまり、住人の中に、スパイをする人間も作っていたでしょう。だから、この争いを1978年にはすでに把握して居たと、と、私は考えます。で、益山氏は、それを利用しようと考えました。つまり、実印を押す11軒の中に、山ノ下の地境地主は一切含まれておらず、原正芳家を除外すると、ほぼ、益山氏が、作って売り出した、建売住宅の人間ばかりですから、言う事を聞かせやすいのです。

 しかし、上滝氏だけは、単純に言う事を聞かせて、実印を押させたという以上のものがあると感じました。というのも、急にですが、毎週、土日の午後、わが家前の、道路を使って、子供の遊びを支配し始めたのです。と、同時に我が家の子供を疎外し始めました。まあ、それほどに、被害は感じて居ませんでしたよ。上滝家のお子さんは、上も下も我が家の子供とは学年が違うので、もともと、一緒に遊んではいませんでした。

 しかし、非常に派手な声を上げながら我が家の南面、20mぐらいに広がっている道路を使って、きゃあ、きゃあ、キャッチボールなど始めると、どうしてもその雰囲気に、誘われて、うちの子は、出ていきます。しかし、出て行ったあとでは、絶対に我が子に、役割を与えないのです。上滝氏が指導命令して、我が子を疎外するのでした。私の子供は、私に対して泣いて帰ってくるという様なことはしないで、さっさと、別の、昔から仲良しだった所へ遊びに行ってしまいます。もともと、上滝家とは、遊んでいないのですから、さして、被害はありません。しかし、私の方は、毎週、彼の悪意を見せつけられるわけです。それ以前の四年間に奥さんの復讐行為を見せつけられていて、更にここへきて旦那の方からの悪意を見せつけられるわけです。

:::::::::ここで、挿入となりますが、この件が、私側で、すべてが解決した後で、弁護士さんが、こういう風におっしゃったのです。「最初のうちは、私は、あなたの事を、典型的な被害者像だと、見ていました。しかし、実際は、違うのですね。非常に賢い人ですね。驚きました。こういう人には、過去に出会ったことがない」と。ここで言う被害者像というのは、外見が弱弱しくて、しかも性質は善良で、人と争う事を好まないので、詐欺などに引っかかりやすくて、損ばかり、負っている人を指します。上野公園とか、多摩川の河川敷で、ホームレスとして暮らしている人などは、典型的な被害者像の、人の、末路だろうと、私の方は、見ているほどです。:::::::::

 という挿入を入れて元へ戻ります。上滝氏が、わざと、うちの子を疎外し始めた、ケースが、土曜日も入れると、8回以上は続いたうえで、私は、外へ出て、上滝氏の傍へ寄って行きました。

 ここで、上滝氏は、『うん、あいつめ!、「子供の世界に、口を出すな」といいに来たな。だけど、無視してやるぞ』と、思ったのではないでしょうか。読者の皆様も、そういう風に予測をなさいますか? でもね、本当は賢い私は、上滝氏が、無視してくることなど、想定内に、入れているのです。その上で、『ここは、千載一遇のチャンスである。これ以降は、彼に話しかけるチャンスはない』と、思っているわけですね。 

 だから、外見は、以前通り、弱弱しく見えても内心では、強い覚悟をもって、彼に近づいて行っているのです。その強い念波は、彼にも伝わったのではないでしょうか。15mほどの距離を縮めながら、彼に近づくにつれて、彼は、質問を受け入れる雰囲気を見せ始めました。

~~~~~~~~~~~~~

副題5、『益山氏の、コマとしての、他人を利用する方策が、その日の、上滝氏の発言によって、しっかりと、私に、判った瞬間だった。そして、私は、激怒をして、その時点より前には、我慢をして居て、実行をしないでいた、次の一手を打つこととなる。それ以前は、調査をするだけだったのだが、詳細を書いた内容証明を法務局あてに送る事となる』

 「ねえ、上滝さん、私はね。益山さんから、印鑑を押してくださいと頼まれているのよ。この道路を横須賀市に、寄付をするんですって。上滝さんも、同じことを言われて、頼まれたの?」と。

 私はその時点では、益山氏の悪巧みのすべてを見破っていました。そして、書類のタイトルが、地籍変更届であって、単純な寄付では、まったくない事も知っていました。寄付とは、それに、よって悪事を完成させるための口実であるという事もわかって居ました。そして、上滝氏の実印がそこにすでに押されているのにも気がついて居ました。

 すると、上滝氏は、やや、控えめになりました。しかし、もし、道路全部が寄付されたら、自分が困ると、思ったのでしょう。以下の様な事を言い始めたのです。

 「あれ、(変だなあ?) 僕は違うと思っていますよ、地籍変更届だと、聞いています。もしそれが受理されたら、この土地を、僕がもらうことになっています」と、言って、彼は足元の、6坪程度の、車返しを、指した。それを聞いて、私の方は、以下の様に考え始めます。

 『ああ、そうだったのか? 益山氏は、原家は、オミットをして、一切の、かかわりを、無しにしている。しかし、原家の南隣の家である、上滝氏は、巻き込んでいるのだ。私の見る処、上滝氏は、高卒で銀行に入った人物だと、思われるが、それでも、あの、11軒の中では、もっとも、知的レベルが高いと、見做されているのだ。

 そして、益山智恵子夫人の方だ。彼女は颯爽として、いつも、白い・セドリックハードトップの窓を開けて、シェパードの顔を出しながら、お買い物に行っている。元街ユニオンの紙袋を後ろの席に置いて帰って来る。何も問題がなかったころ、彼女は、自宅でお茶をごちそうしてくれた。その時に、「私は、戦時中に、都立大学(現在名、首都大学)の土木工学科を出て居るのよ。戦時中って、男の人の数が、少なかったでしょう。だから、勉強を、させられたの」と言っていた。だけど、もし頭が悪かったら、入学を要請されなかっただろう。頭もよくて、顔は美人だ。原節子似だと、私はいつも思っている。しかも今は、ご主人のために畑仕事をしている。すごい良妻だ。『ご主人がかわいがるのも郁子なるかな?』と、思った。

 ここなのですが、この智恵子夫人が、豹変をするのですよ。同じ年の、10月11日の、午後、四時ごろ、車で私をひき殺そうとして失敗をするのです。しかも、その夜に、益山重夫氏は、急死をするのです。非常に劇的な話として展開をして行くのです。しかし、ここでは、その一か月前の時点の話にとどめます。益山夫妻については、別の章で、詳細に語る事として、ここでは、9月中の、上滝氏との道路上での会話に戻ります。

 ともかく、益山智恵子さんは、土木技師としては、優秀であり、たった150坪ほどを買って、転入していて、小さな規模の住宅団地を、開発をするにしては、驚くほどに、立派な道路を設計していました。後から思えば、水道山全部の、住人がそこを通るかもしれない道路だったので、見事な道路を設計したのも道理です。ところで、道路の、集団お掃除は、いろいろなところで、それが、行われていますが、この北久里浜でも、地域住民は、ひと月に一回ほど、道路を、掃除する決まりがありました。益山夫人は、それには参加しないものの、毎週、三回ほど、一人で、そこを掃除していました。愛着の有る道路だった模様です。で、土木の専門家が設計をした、立派な道路だから、大きな車返しがありました。それが、上滝さんの、入り口に、横たわっていて、もし、それを上滝氏が貰う事となったら、彼は、自分の築地を作り直すでしょう。そして、総坪数が、36坪か、40坪の家に成って行くと、思います。これは、非常にうれしい事でしょう。家の増改築が、設計上、自由自在になるからです。なるほどなあと納得をしました。 

 「ああ、そうですか」と、彼には言っただけで、彼が予測をしていただろう、子供の遊び方の方には、何も文句もつけず、さっと、引き下がりました。しかし、内心では激怒していました。ありとあらゆる部分で、こっちは上だという思いもあったし、その上に、お子さんの事では、こっちも被害者だと、言う思いがありました。上滝夫人の、四年間も続いた、頑なな復讐行為には、うんざりして居たし、ご近所に、向かって私を、一人悪者に仕上げている気配も感じましたから、本当に怒りに怒っていたのです。

 しかし、私は感情的にはならない方です、。だから、怒りの矛先を、上滝氏に向けるなどという事はありません。

 その夜だったと、思います。私は、【欺罔】という法律用語を使った、内容証明を書き始めるのです。

 そして、あて先を五か所選び、次の日に送付をする事となります。

~~~~~~~~~

副題6、『その内容証明は、ケチのつけようもない文章であって、男性の弁護士さんには、<あなたが、これほどに、頭の良い人であるとは、思ってもいなかった>と、言われたし、益山夫妻には、打撃を与えたことは確かだし、上滝氏も、それ以降は、静かには、成った』

 この内容証明が、驚くほどの、衝撃を益山夫妻に与えたので、益山智恵子夫人から、私は、轢き殺されそうになったのです。しかし、私は性善説の人だから、彼女の車が、こっちへ向かって急発進をしてくるまでは、それに、ついて、うっすらと、気が付いているモノの、それは、潜在意識のなかだけであって、ビビって居ないのです。自分が大量の血を流して、そこに横たわっている姿などは、予測をしていないわけです。その、恐れを知らないリラックスぶりが、救いになったのか、敏捷に動くことができて、くぼみに逃げ込み、無事でした。

 そして、こういう際にも、冷静極まりない私は、まず、盗聴を恐れて、外の公衆電話で、この事実を女性の弁護士さんに告げて、その次には、盗聴を却って有効し、自分側に、有利にするために、自宅の電話から、同じ内容を、女性の、弁護士さんに、知らせました。

 それで、益山氏は、智恵子夫人が失敗した直後に、暗殺未遂が、失敗したという事実を知る事となります。

 さて、これから先は益山氏の死因と、どうして、急死が起きたのかを、といて行かないといけません。

 このブログは、全体が、ミステリー小説の形をとっていると、繰り返し言っています。敵さんたちは、すべてを、真相が隠された事として、行うので、真相を究明してく行くのが、このブログの役目です。

 その中でも益山重夫氏の死は、最大のミステリーです。そして、条件設定を変えることによって、幾何級数的な数の解が、出来します。

~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『益山氏の、急死について、私は、種々様々な、考察をめぐらすのだった。智恵子夫人が、車で、私をひき殺そうとしたのが、益山氏の命令だったのか、それとも、智恵子夫人の独断だったのかによっても、相当に違ってくる』

 私は本日までに、仮名でありますが、一回、程、このいきさつを、書いています。【元参謀の陰謀】という小説形式の文章です。その中では、

 『車で、私を、轢き殺そうとしたのは、智恵子夫人の独断であり、

 私の電話を盗聴していた益山氏は、その失敗を、初めて、知った上で、悲しみにうたれて、自殺をしたか、脳溢血を起こしたのかのどちらかだ』という説です。

 益山氏は、智恵子夫人をとても大切にしていました。30歳も若い妻を非常に大切にしていました。それは、台風が来て、平地の平作川が氾濫をして、平地が、水浸しになった日かなあ。それとも別の日か、ある男性が、益山氏のことを、「お爺さん」と、呼んだのですよ。その時に判りました。「妻のために、そういういい方は、やめてほしい」と、言ったのですよ。妻のためにですって。

 益山智恵子さんは、大学を出ている働く女性です。土木設計技師です。だから、娘を生んだけれど、戦後、将校クラブで働く必要ができた時に、アメリカ人将校と恋に落ちて、アメリカへ出奔をしてしまった前の奥様とは、カラーが違います。前の奥様は、いいところのお嬢様であって、戦時中までは、それで、OKだったのですが、嵐の様な日々を迎える時期に当たって、信念がしっかりして居ないという事や、旦那さんへ向かう真実の愛情が、育っていなかったとか、いろいろあって、ご主人に多大は、屈辱を与えました。その苦境のころに、ご主人に寄り添ったのです。智恵子夫人は、戦時中にすでに海軍の仕事をする為に、益山重夫氏と、知り合っていたのかもしれません。ともかく、北久里浜の丘の上で、たった、二人だけの土木会社に、雇われに来たとは、とても思えないほどの、上玉です。

 いかし、そんな上質な女に、殺人未遂を起こさせてしまうほどの、失敗を自分は、やってしまったのだと、思って、絶望をして、自殺をしたか、それとも、脳溢血等を、起こしたのか?・・・・・という解釈です。

 私は、2004年ごろ、益山智恵子さんから、罵りの電話をもらっています。それを、聞くと、強いヒステリー性格を彼女が持っていると、判断をしたので、あの暗殺未遂が、彼女独特の判断だったのではないかと、おもっております。

 益山氏の失敗とは何かというと、『私を、原正芳家と同じく、この悪事とは、無関係な人としておくべきだった』という事です。それは、財務局を巻き込めば簡単にできる事なのです。この財務局の部分が、これまた、長文に成るので、今は、あまり、詳しくは語りませんが、内容証明の宛先にも、財務局を加えていますので、いつかは、丁寧に語ります

 ところで、内容証明とは、有効期間が、5年間だそうです。それは、私は知っています。そして、その内容証明が盗まれています。是こそ、警察庁が、瀬島龍三の、支配下にあるという証明でもあります。もう、このブログ文は、あっちこっちへ、飛び火して行くのですよ。

 ルネ北久里浜が、白井達雄さんの設計だと、私はだいぶ前から、仮定をしていますが、もし、それが、当たって居たら、40年前の事件が、今、の、私に多大な被害を与えることとなるので、この一文は、現在でも、古い話ではないと、言えます。

 しかし、事実は違っていて、益山氏自ら、計画したのだけれど、失敗っしたのを、私の電話で、知り、横浜元町ユニオンから、帰宅する彼女を待たないで、青酸カリ等を、のんで、自殺をしたという可能性もあるのです。分かりません。

 しかし、現実の私は今現在、大変な攻撃を受けているわけですから、こういう文章を丁寧に、丁寧に、書き連ねていくほかはないのです。神様への報告書としてもです。悪人たちの特に、渡辺賢司の様に、末端も末端で、第六位レベルぐらいで、使役をされている人間が出て来るし、保坂航子さんの様に、自分の本当の名前・涼子を捨ててまで、攻撃をしてくる人もいるわけですから、休みなく戦いを続けないといけないのです。

 そして、渡辺ミカさんの様に、・・・・・私に、夫・賢司氏の不始末を書かれたから、復讐行為に出てくる・・・・・という様な人物も現れますので、瞬時の油断もできません。法的な隙間を利用して実行された悪事の結果、ここまでの、大騒動が、しゅったいをしているのです。どうしてかというと、益山氏の親友たる、瀬島龍三が、CIAのエージェントだからです。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4398988です。

 このシリーズは無論、続きます。しかし、本日は、ここまでです。後で、リンク先を整備し、誤変換を直します。それが終わったら、書いた日付と署名を入れます。

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神戸の土師淳君殺しは、横須... | トップ | M氏が青地という物を急に設定... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事