下の文章は小保方ミステリーの一環なので、他のリンク先も示しておきます。中に四重に絡まった嘘があるので、文章は、結局のところ、12本となっています。
小保方嬢について書いた過去分のリンク先、総覧 2014-4-10時点で 2014-04-10 08:55:14 | Weblog
これは、まったくもって前報 山中教授は足を取られましたね。日本そのものを人質にとる悪辣な鎌倉エージェント達 2014-04-04 08:38:02 | Weblog
の続きです。小保方問題の続きです。だが、5日の午後、ずっと、夜にかけて、外出でしたが、その間にさらに複雑に見える様になってきました。
副題1、『さらに、複雑になってきたが、STAP細胞が嘘であることはほとんど間違いがないだろう・・・・・特に、実験ノートが完備していないというのが決定的だ』
だが、そう言うニュースを含めて、小保方さんの研究はやはり、諜略行為だったと、見ています。つまり、嘘であり、作られたものであろうと、言うこととなります。
:::::::::::これから先は、挿入となります。私の個人的な体験を語りますが、それがあるから小保方問題にも、踏み込めるわけなので、ちょっと付き合ってくださいませ。
各種の傍証がありますが、一番びっくりしたのは、実験ノートに日付が付いていないということでした。私自身は、実験は、1965年以来やっておりません。で、そのノートは先生に提出したはずで、既に、廃棄されていると思います。
だが、2000年のニューヨーク、ボブ・ブラックバーン氏の工房(現在は閉鎖されていて存在していないが、ニューヨーク一古い、かつ大きな工房だった)で、制作していたときは、丁寧な、制作ノートを作っています。
まず、日付を入れます。そして、その日にやる仕事の大まかな記述
摺りをする場合、使う銅版のタイトルを書く、使う絵の具(フランス製のシャルボネというインクの色番号を記す。大体の量を記す。ヘイター方式というのは、1mX1mという広い硝子盤二枚にそれぞれのインクを伸ばすので、厳密な量ではないが、チューブなら、3cm出すか、6cm出すかで、作品の色合いが違ってくる。その記述を毎日繰り返す。
1998年のパリ時代には、それをやっていないのは、塩化第二鉄溶液と言うのが、効力を失っていて、ほぼ、50日、版の制作(模様付け)というのに40日以上かかって、それは、単に待っている時間だけだったので、ノートをつけては、おりません。
その次の、1999年ですが、PRATT INSTITUTEというアメリカの美大の大学院で、学ぶ環境としては、最適なのですが、教授が私に嫉妬して、版画の仕事が、うまくできないのでした。それは、次の学期に彼女の講座を誰も取る学生が居なかったと、野地ほど、聞いていますので、確かなことです。教授は毎日、私の邪魔をしたわけではなくて、手下としての日本人女性を使ったのです。で、彼女に邪魔されて、きちんとした仕事ができなかったので、ノートをとってはおりません。
大学院時代というのは、他の教科(現代美術の理論)もとっていたので、そこでの共同研究等もあって、それなりに、版画だけには集中できず、それゆえに、毎日、ノートをつけるほどの、制作ができなかったのです。
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で、翻って、小保方実験です。それは、電子顕微鏡で見るという微細な世界です。だからこそ、精密なノート付けが必要です。たとえば、あの実験の骨子は、・・・・・酸性溶液に細胞を浸すと、初期化ができて、ありとあらゆる臓器へ向けての再生化が可能になる・・・・・
ということでした。それは、現段階ではマウス(実験用ねずみ)で、可能だが、将来は、人間においても可能になるということで、夢の実験が成功したとして大騒ぎになったのです。
で、緻密な実験ノートがない。というのは決定的にSTAP細胞の生成そのものが嘘だと思います。
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副題2、『実験マウスを扱ったのは、若山照彦先生の方であって、しかも、マウスの細胞が取り替えられていたそうだ。それって、なんですか? 小保方さんには、生物分子学会には、まったく無関係な私だって、裏切られましたが・・・・・』
さて、実験ノートには、詳細な記述が必要だと思います。その分量が少ないことと、日付がなされていないのは、絶対的な落ち度でありましょう。が、それでも、小保方さんが、『自分には非がない』と主張して、来週明けに記者会見を開くそうです。待っていましょう。それは、すでに、千週ある予定でした。だが、私が小保方さんの発表は、徹底的に嘘だったと、その前日に書いたからこそ、ないだろうと思っていた私の予想通りに、なかったですね。
私も相当なレベルで、この問題には、迷ったり、悩んだりしました。だが、あのピンクの壁紙と、割烹着が、嘘だとは、最初から思ってはいたのです。というのもマウスを切り裂くわけでしょう。その血が飛び散ります。割烹着を通すでしょう。
しかし、そこのところのなぞは解けました。小保方さんは、マウスを扱っていないのです。その部分は山梨大学の若山先生が担当なさっていたそうです。で、最初期に、相当に同情した小保方さんの苦労というものがずいぶんと、へな猪口なものだと、考える様になりました。私はママうすの体を切り開き、望みどおりの部位の細胞を取り出すところから、小保方さんが担当して居ると、考えていたからです。
それは、間違いであって、小保方さんが担当したのは、小さなシャーレか、それとも、試験管内部に入れられた、細胞群であって、彼女は手をぜんぜん汚していないのです。高性能な顕微鏡でしか発見できない非常に微細なものを扱うのでしょうから、このずさんさは、ありえないですね。
後ほど、小保方さんの博士号取得論文そのものが、コピペ部分が大量にある論文だったと聞いて、さらに、実験そのものが嘘だったことは、確定的だと、思います。
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副題3、『山中研究室の若手なんて、必死で再現実験をしたでしょうね。そして、嘘だとわかってきたと、私は推察しています』
だが、四重に絡まって語りにくいというのは、誰がこの嘘を発案したのか? 野依良治博士はどこまで、ご存知で、どこまで、関与なさっていたか? そう言う部分がまるでわからないので、書くのが難しいのです。
そして、私が嘘だとはっきり書き始めてから、突然に小保方さんに味方する論調がネットの世界に出てきました。小保方いじめは、嫉妬心から起きているというデビ夫人のツィッターなどが、昨日から、大仰に、取り上げられています。こう言うところが却って怪しいのです。それで、ほとんど嘘だと、確信し始めています。
でも、私が傍証によって、それを摘発(?)する前に、大勢の人から、『これは嘘だというのろしが上がったと聞いていますが、その研究者たちの中には、山中先生のスタッフも含まれていたと思います。もし、小保方さんの実験が本当だったら、山中先生の今までの苦労は水泡に帰するからです。で、お弟子さんたちが、必死になって、追試をしてみて、できないとなって、おかしい変だとなってきたのでしょう。
ここから先ですが、アンダーラインがありませんが、副題αまでは、ずっと、加筆部分となります。
だけどね、あの激しいIPS細胞の、実用か実験が、停滞したと思いますよ。この大騒動で、一ヶ月はね。しかし、野依先生さえ巻き込んだ可能性のある、これほどの、嘘がどうして、起案され、実行をされたかのなぞは、いまだに残っていますが、ともかく、私を引っ掛ける目的があったのは、30%の部分で確かでしょう。
むかし、まだ、まだ、石塚さんと仲良しであって、石塚さんにもメールマガジンとしてエッセイを送っていた頃、どこかで、二人だけで居た時、(グループ展で、一緒だったので、レストランの、出入り口などで、ちょっと、二人だけになるときはありました)、「やはり、理系の文章だねえ」と、言っていただいた記憶があるのです。
私の文章には飛躍はありません。それを使うこともできますが、できるだけ使いません。そう言うところをおっしゃっているのだと思います。
さて、それでは、小保方さんが、こう言う嘘に巻き込まれたのは、いつからだったのかを、追求していきたいと思うのですが、それは、別の機会に回して、本章を早く終わりとさせていただきましょう。
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これから先は、強烈なストレスを浴びている時の、自己救済術について書くと、そこから、自然に、また政治に入って行くのです。だから、ここから先も付き合ってくださいませ。
副題α、『練馬美術館に今の催しは面白い』
5日(土)は、ブログを書くのを中断して、練馬美術館に行ってきました。明日までかな? 8日までかな。仮想の武士集団、という、フィギュアーめいた小ささの、武士像が、連続して展示してあります。
作者はまだ、30歳なんですって。広島市立大学美術学部という、辺境(東京の上野や、銀座という美術の中心から見れば、という意味です。広島は大都会ですが、美術的には辺境です。だが、それが、よかったのです)で学んできた男性で、情報過多につぶされていない面白い人材です。
お客様もいっぱいでした。私は練馬区って、本当に知らない場所で、本日、初めて中村橋という駅に降りてみて、駅舎もきれいだし、練馬区美術館が、駅に近いので、すっかり気に入ってしまって、ここに、今買う予定がある中古マンションを、買おうかと思ったほどです。鎌倉では、結構な高さのある山の中に、住んでいるために、歩けなくなった時のために、エレベーターつきのマンションを探していて、それを終の棲家とするつもりです。
『土地勘のまったくないこの駅近辺でもいいかなあ』などと、思い始めたほどでした。それほど、気に入っちゃいました。東京西北部って、60年前に、所沢にすむ親戚(旧軍隊で、飛行機乗りだった。ただし、終戦時は、すでに、軍の上層部の人間だった)のお宅に訪問した時以来、だと思うのですよね。狭山湖には行ったことはあるが、狭山湖って言うのは、住宅地ではないので、今回始めて、東京西北部の住宅街に、途中下車してみて、惹かれました。
横浜は好きですよ。鎌倉も好きですよ。だけど、練馬あたりの平坦な雰囲気と空の広さには、久しぶりの魅力を感じます。我が家って。窓から、樹木はたくさん見えるのです。が、空は見えない場所のです。いや、少しは見えます。それこそ、とんび側をかく程度の広さの空は、見えます。
いや、中村橋って、静かそうだなあ。池袋に近いのに。それに、『みなとみらい』に一直線(一本)で行かれるしと、本当に、気に入ってしまって・・・・・
写真は、一枚目は、我が家のアップです。二枚目は、左側に、鎌倉市街が見えます。左側の岡の上に、ちょこっととんがっているのは、逗子との境にあるごみ焼却場の塔です。そして、そこらあたりにトンネルがあって、そこを通って、鎌倉から逗子へ入るのですよ。
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副題、『鎌倉市内に入るのに、通行税を取ると、鎌倉警察署が言っているが?』
本日「そこに、入るのに通行税を取る』と、警察が決めたそうです。逗子に向かう人はどうなるのだろう。ばかばかしい提言だが、多分、これもまた、私が、言う鎌倉エージェント、
と、その今では主役のひとりとなっている(かも知れないと、私が思い始めた)前田氏が、共産党員だから、それに、警察が協力するという意味で、嫌がらせの発案をしたことの証拠のひとつです。
前田家って、夫の祝一氏も学者(駒澤大学の元教授)で、奥さんの清子さんも学者(國學院大學の元講師)で、お嬢さんも学者(某大学に既に勤務開始、現在、助手かな、それとも、準教授クラスかな?)なのに、自分たちが助かるために、小保方問題という壮大な嘘を、設定したのです。無論、その二つの夫婦だけが、発案したり、NATUREの編集部を動かしたりしたわけではなくて、
今まで、私がその名前をここに挙げてきた数多くのエージェントたちが、大・協力をしたのですが、最も得をする人物としては、この山の住民たる安野夫妻と、前田夫妻ですから。
警察が、即応していることと、
札幌の、ガスボンベ犯が、昨日、警察官用、住宅の玄関で、爆発させたときいて、それも、また、例のエージェント(ただし、ブルーカラーとして使われて居る人材だろう)がやったと思っています。
アンネの本を破壊したのも、同じ類の人間です。それは、顔を曝していませんね。名前も曝していません。精神的におかしいとのことで、隠されていますが、それは、テレビカメラの前で、その顔を曝してしまうと、保見容疑者や、阿部俊樹容疑者と、同じく、私に『偽者です。本人はやっていないでしょう』と、論ぱくされてしまうからです。
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副題γ、『上に挙げた縦長の写真の方に特別な意味があります』
上に挙げた写真ですが、誤解を招いていると思います。のんびりしたところで暮らしていて、幸せな事を誇っていると。違うんですよ。その写真には、特別な意味があるのです。
縦長のほうで、左上のほうに、近景として桜の花が見えますね。その下が、安野家が15年前から開拓した、北側の花畑に当たります。
それは、結構な問題を含む土地です。私の土地が、コンクリートうちをされていて、事実上使えない(だから、盗まれたといっている)のと、反対に、そちら様は傾斜地を、15坪程度、開拓して増やしたのです。
そして、そこへ、2013年7月23日、平木さんというところのお子さんたちを招いて、大きな声を出させて遊ばせました。それは、平木さんにとってではなくて、前田・安野量夫妻にとって、尚利の雄たけびという類のモノです。
どういうことかというと、平成の八墓村事件を起こして、近隣トラブルを起こす人間は、凶悪なのだと、私の読者に思わせ、私のブログから読者を引っ剥がすことに成功したと、彼女たちが考えたからでしょう。
これは、私の盗まれた土地そのものの現場で、孫の撮影をしたり、孫に、千代子レート遊びをさせて、その場所が、決定的に、公的な場所であるかのごとく振舞う悪巧みの一環として行われていることです。平木さんまで、ここで、ご主人が子供に、キャッチボールを行わせていました。
その撮影会のときに、獣医学科の問題が出たのですが、和歌山照彦先生って、獣医学科の出身ですよね。だから、そこから前田家が、若山先生をリクルートをしたとは言いません。しかし、坊ちゃんが獣医学科の卒業なので、それを、格好が悪いと思ったのか、その撮影会以来、全国の獣医学部は生物環境学科と名前を変更されました。
小保方さんの、問題が、結局は前田・安野両家を助けることが目的とされていると、結論付けるのも、この30年弱の両家の行ってきた事を、逐一照覧すると、そうなるのです。
私が休憩に長時間をいただきたいといったのも、その事を既に部分的に書いていますので、それのリンク先を探したいと願ったからでした。その上、画面がゆらゆら揺れて,上下に激しくスクロールを繰り返すので、書きにくいからです。しかし、今は、午後五時ですが、そのリンク先を探すのはあきらめて、ここから先は、医学部進学と、獣医学部進学の問題について述べていきます。それは、小保方さんとも、関係がありますので・・・・・
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副題7、『医学部進学希望者が、自動的に、獣医学部へ進学するケースが多い。受験科目が同じだから』
前田夫人って、極端に勝ち気みたいです。それで、同じく極端に勝気な、安野夫人と仲良しです。で、二人の中へ、石川和子さんという女性も加わって、そこで、ま図、三人の輪ができます。そうすると、活発に動いている主婦が、10人程度しか居ないこの山ではそちらが主流派となり、それ以外の人は、排除され、いじめられる方となります。私が引っ越してきた時は、その対象が藤本夫人という方でした。
ここから先は文体を変えます。
で、藤本夫人は、自分が、そう言う失礼な災いを受けるいわれがないと思っていますので、前田夫人をしかるために、彼女たち、上流の人が道路を使えないことと成る、自宅の敷地(だが事実上は、そのフェンスが作られるのは、道路の真ん中になる・・・・・特にその頃は、両側に花畑がしつらえてあったので、道はばが、1mしかなかったので、実際にそれができたら、みんな大弱りになる。だが、その様に、藤本夫人がせざるを得なかったのは、安野夫人主催の、40代の主婦たち、いじめ軍団による、毎日開かれていた、井戸端会議のせいなのだ。それなのに、引っ越してきたばかりの私が犠牲になった。今思えば、主人がまず座下に出向させられていたのも瀬島龍三が裏から手を回したのだと思われる。で、主婦と子供たち二人だけの、三人暮らしの弱さを狙われてしまった。
ひどい話だ。だが、鶴岡八幡宮のご推薦で、國學院大學の講師にさせてもらった前田夫人は当たるを幸いなぎ倒すといった勢いで、自分側の反省を一切しないで、私の犠牲によって、自分たちが救われた。道路位置指定とか、何とか、法律そのものを変えてきて、まるで、自分たちが正義のグループみたいに振舞っている。司法が日本ではめちゃくちゃになっている。そこから、一票の違憲裁判も起こされるのだけれど、
ともかく、今問題なのは、医学部と、獣医学部の関係だ。小保方さんは、東邦大学付属孝行だということだ。その付属高校の駒場校は、今現在、偏差値の上で、もっともハイレベルな高校と見なされているらしい。東大の合格者が、本年度全国一だという話だ。
小保方さんは、姉妹校の出身だが、東邦と名前が付く限り、医学部進学を目指していた可能性は強い。で、早稲田入学だが、一般の人にとっては大喜びのはずだが、小保方さんにとっては不満があった可能性もある。
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副題8、『どうして、東京女子医大が,早稲田に,基礎医学部門を譲り渡したかが不思議だったが、もしかしたら小保方さんを将来使うために、そうした?』
大学の部門の譲り渡しなど、過去に聞いたことがないのに、東京女子医大が、基礎医学部門を早稲田に譲り渡して、共同研究場所としたと、いうニュースがブラウザ(ヤフー、OCN=ぐー、ライヴドアー)のどれかを通じて、私の手元に届いたのは、いつだったでしょうか?
今思うと、それは、小保方さんを将来使うための措置だったのではないとも思われるのです。 1998年、私はパリに行って、山内百合子さんという上智大学出身の女流画家と知り合うのですが、山内さんは、とても立派な紳士とお見合いをなさって、日本で、結婚をされました。それはいい印ですが、そのお世話をしたのが、どうも、奥島孝康氏であるみたいなのです。その奥島氏は、大相撲壊滅作戦で、伊藤滋氏が、手に負えなくなったら、急に乗り出してきて、独立ガバナンスの何とか委員会の委員長となりました。ところが、これは、氏にとっては、暗黒の経歴らしくて、氏独自の、wikipedia等では、小さな扱いとなっているか、または、消された情報と成っています。当時委員の一人で、はしゃぎまくっていた渡辺美樹氏の経歴からも一切が消えています。
この件が、起きたのは、2009年頃ですね。もしかしたら、その頃、既に、小保方さんが、将来のサイボーグとして、リクルートをされていた? で、彼女をお姫様に仕立て上げるために、庶民がもっとも、こどもを進学させたい先と考えている医学部を卒業をさせたことにするために、東京女子医大の、基礎医学部門を、早稲田が急遽買った?
間を取り持ったのは、榊原節子さん?(ICUでの、私の同期性にして、最近五年間、常にライバル扱いとして、私の面前に現れる存在。皇后美智子様のいとこにして、元新日鉄研究所、東大名誉教授の水島さん一郎博士のお嬢様、お茶大、付属高校時代は、浪人をしている私の一期下である・・・・・そして、何よりもここで、言いたいのは、東京女子大一の有名人心臓外科専門医の榊原シゲル博士のお嫁さんである)
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副題9、『鍵は、小保方さんの父が握っているだろう』
では、どういうルートを通じて、小保方さんに、こう言ううその発表をさせる様に納得をさせたのか? それは、父上を通じてと推察しています。
父君が、ICU卒だったらぴったり不調が合いますが、同窓会名簿には、そのユニークな苗字はなくて、早稲田、東大、上智大学の三つの大学の卒業生である可能性が強いですね。
父君は横浜に普段住んでおられるそうです。そこがキーポイントです。私の横浜に明るいのですが、現在は、人的コネは一切使っておりません。考えがあり、しかも、弾圧の最中なので、友人そのものと付き合わないこととしているのです。付き合うと必ず、その友人が敵方にリクルートをされてしまい、私が結局のところ、悲しい思いをするからです。
でも、反対にエージェントの中で、もっとも活発に動いている存在の一人、伊藤玄二郎は、横浜に大きなコネを持っています。
彼は旧制第一高女(現在名、平沼高校)の出身です。20年ぐらい前に、「女子美の力、侮るべからず」と思ったことがあるのですが、各県の場合旧制第一高女とか、都の場合は旧制第三高女あたりまで含んで、女性の力は偉大なりを実感します。つまり、夫が偉いのです。結婚相手が有名人とか、実力者が多いのです。
これがお茶大と成ると、また、違ってくるのですね。結婚よりも自分自身の力をたのむ女性が増えるから。フェリスとか、精神女子大にも似た傾向があると思いますが、旧制第一高女も大きな、人的コネを涵養する場所なのです。
これから先は例の見てきた様な嘘を言いの類ですが、小保方さんの実家は、千葉県にあります。だが、ご両親が今回一切マスコミに姿を見せませんでした。五輪で、いい成績を上げた選手には、ご両親への取材が殺到します。で、一種の推察ですが、父君は長い期間横浜で、別居なさっていて、それゆえに、小保方さんの、性格にゆがみが生じたとも、見なすこともできるのです。
小保方さんの最初の記者会見のときに、高校時代の同級生が、「イタ子と呼ばれていた」と、発言をしたそうです。の血ほど、それもネットの世界で、公開されることとなるのですが、恋愛妄想が強かったと、言われています。それもこれも、ご両親が、別居状態にあると、お子さんに現れる現象です。小保方さんのりょうしんなら両方とも、有名大学の出身のはずです。その祖父母の代も、中流の上でしょう。だけど、お父さんとは,相当に前から別居状態だったと推察されると、お父さんを慕う気持が募りますね。お母さんに悪いから普段は抑えていますが,時に,お父さんから呼び出しがかかって,デートをするということになると、非常にうれしいということになるでしょう。
そのお父さんが、横浜に住んでいる。そのお父さんを、伊藤玄二郎他の、私の過去のブログで、その名前が出てきたエージェントの一人がたらしこんでしまえば、小保方さんを巻き込むのは容易です。
だけど、そうなると、歌舞伎の世界となります。というのも小保方さんのお父さんは、まだ、現役の会社員でしょう。一流企業だったはずですよ。
もし、小保方事件で、こう言う真実が暴露されたら、お父さんの勤務している会社も大損害をこうむります。だから、小保方さんは何も語れません。
大きな裏があるとは、そう言うことでしょう。これは、将来の推移を見て、再度書き直す可能性はあります。
が、お父さんが不倫に走ったというよりも、頭のよい男女が結婚生活を維持し続けることがいかに大変かを物語っています。でも、お母さんが専業主婦だったら、離婚はできませんね。それに対面上もお嬢さんの、平穏で、無事な結婚を願えば、離婚はしない方がいい。二重生活を送ることができるほどの、収入があれば、そうするでしょう。アメリカでは、カリフォルニアに、日本人を洗脳する基地がある(鳩山由紀夫さんしかり,佐高信ししかり)と見ていますが、
対日本人的、諜略行為の発信源は、横浜であることも多いのです。横浜トリエンナーレも、美術9条の会の前に、私を阻害し、蹴落とすために設定されたと見なしています。
北野武監督が、講談社編集部襲撃という、忌まわしい過去により、リクルートをされて、エージェントたちの格好の、宣伝道具となっていますが、彼を洗浄した舞台こそ、芸大であって、それも上野びキャンパスの中ではなくて、横浜に設置されていますね。
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副題10、『小保方さんの父君に影響を与えた別の人物もあるかもしれない』
小保方問題で、父君が重要な鍵を握っているというアイデアは、私側では、変更がないのですが、小保方さんの父君にこの案を納得をさせた人物という部分で、伊藤げんじろう以外の名前を挙げておかないといけないかもしれません。もうひとつルートがあります。それは、成岡庸司君のラインです。
彼は、横浜国立大学の付属中学校の出身ですが、その後で、日比谷高校へ進学しています。その後が早稲田大学です。この三つの学校を出た後で、横浜で、有力者になっている人物はいるでしょう。また、小保方さんの父君の勤務している会社の上司として、活躍している人物と成岡君が親しいということがあるかもしれません。
ともかく、この問題は、2008年ごろに企画をされた可能性があり、となると、井上ひさしは、まだ、完璧に生きていたので、彼がまた、発案した可能性があります。
小保方さんがなぜ、選ばれたかというと、当時の私は、『自分は顔がきれいではない』とか、『化粧は絶対にしない』とか書いていたので、そこを突っ込んでやろうと考えたと、推察されます。
で、私はいつも、彼らは幼稚極まりないといっていますが、彼らにしてみれば、これほど込み入ったわな用のアイデアは、絶対に見破られないと信じていて、私に対して、『あほめ、お前なんか、ぶっ潰してやる。何を、こっちの事を幼稚だといっているのだ』と、豪語していた可能性はあります。
2005年、ごろ、出先で、貸しパソコンを開けると、当時、よく読んでいた、まぐまぐというブラウザ提供の、動物占いの、託宣が、いつもとはまったく違う文体で、『膝下に下れよ』と成っていたのです。
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そこから考えると、井上ひさしが、この小保方事案も考え出した可能性は高いです。私も真実に到達するまで、相当に時間がかかりますが、『まあ、ここらあたりが真実でしょう』とか『まあ、丁寧に書けば、50%で、あたらない場合も考えておきますが』・・・・・といっておきます。これで、長年にわたり変われてきていた小保方さんに、大金が授与されている事も解明できたし、ご両親が一切マスコミに出てこないのも解明されたし、日本の大権力者である、エージェントが後ろについているわけ柄ですから理研が小保方さんを解雇できないというのも理解ができる様になりました。普通だったら絶対に解雇です。ところで、私がこれを書いたために小保方さんが解雇されるとしたら、それは、日本と日本人にこれほどの、大恥を搔かせたので、仕方がないですねとなります。
お気の毒だけどそうなります。でも、すぐ、次の職場を例の連中たちが世話をしてあげるはずだから、生きて行く道は、十分に保障をされて居るでしょう。使われた弾丸ですし、ずっと、黙っていてもらわないといけないので、大金が引く続いて授与されるはずです。
この辺で、この章は終わりとしておきましょう。
日付としては、5日の深夜に初稿を書き、6日に完成をさせた。
雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
なお、このブログは、2008年からはじめています。その2010年度より数えはじめた伸べ訪問回数は、2139713です。
(後注1、私が過去に小保方さんについて書いたもの)
*1 14-02-06 佐村河内守の嘘・・・・メディアの高次利用が、破綻をした時・・・・アカデミズムの弊害△△
*2 14-02-03 小保方晴子さんの、苦労、・・・・・その自己救済術のひとつであろう手相占いについて
*3 14-02-0 臨床医と、基礎医学の学者には、隠された対立がある筈だ。それは、作曲の世界だけではない筈△
*4 14-03-13 鎌倉春秋窯が、日本の誇り理研をつぶすーー小保方問題は、藤田千彩のケースと英国利用という点でそっくりだ
*5 14-04-02 NATUREは、『日本分子生物学会』の雑誌ではない。そこが小保方問題の真実追及の糸口だ
*6、14-04-04 川中教授は足を取られましたね。日本そのものを人質にとる悪辣な鎌倉エージェント達
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