銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

バスティーユ駅の火事・1998年秋△

2016-12-20 22:05:29 | 政治

 今は、22日の夜10時半です。以下の分を、相当に加筆して、仕上げました。加筆した部分には、アンダーラインを敷いてあります。それで、完成した印に、恒例の△印を総タイトル右横に付けておきます。どうかよろしく。

副題1、『主人が退院しました。前回の、七分の四の、入院日時でしたが、私の方が、退院後の、生活に向けての、準備について、格段に、進歩をしておりました。経験とは、すごいものです』

 前回、4月の、夫の入院は、50日でした。今般は、21日です。非常に短かったです。その病状については、あれこれを言わないというか、言う必要がないと、おもっております。常に、このブログは、私の事を描く世界ですから。

 一番、自分でも驚いたのは、たった、3週間で、新たな生活に向けての、相当な、準備ができた事でした。しかも、昨日から、本日の早朝にかけて、こちらの鎌倉の家を相当に、きれいにしました。昔、昔の事ですが、娘が「お母さんって、やるときはやるんだ」と、驚いてくれましたが、二日程度で家じゅうの大掃除をしました。ある年の暮の事です。この一週間など、その二日間みたいな感じで過ごしました。

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副題2、『しかし、未だに、いろいろな迷いがあるので、金銭的には、相当なロスが出るはずだ・・・・・そのことを語る前にパリのお菓子屋さんの、意地悪なお嬢さんについて、語りたい』

 石段が、居間までは160段ある鎌倉の家で、ついの日を迎えるのか、それとも、車が家についてくれる北久里浜の家に住み、最後の日々を、主人の自由な外出によって、楽しむのかについては、未だに迷っていて、それで、相当な無駄も出るはずです。27日に、テレビと、インターネットの、開線をして貰う、はずですが、『結局は、北久里浜へは、行かない事になったりして』とも、おもっております。マンションだと、こういう部分は、部屋の中に引きこんであるので、ジャックを差し込むだけで、すぐ、開始しするのですが、北久里浜のいえは、そういう形式ではありません。この10日間は、深夜まで、出歩いてばかりでした。交渉事に、入って、相手と懇談するので、時間がかかるのです。

 で、少しでも安く仕上げるために、トースターと、ロースターをどうするかを思案したのですが、最初期に、送ってしまってあったので、この十日間ぐらいトースターなしで、過ごしたのでした。海外で、借りたお家は、すべて、家具付きですが、最新の電化製品などおいていないので、パリでは、毎朝、焼き立てのクロワッサンを、三つ買いました。そのパン屋は、結構大きくて、日本から視察団が来るほど(4区、マレ地区)だったので、「クロワッサンを一つください」とは、言えなかったのです。

 特にお嬢さんが意地悪で、私が版画制作のために、爪の間に、インクが入ってしまうので、アジア人の労働者目と言う目で見るのです。本当は誇り高いアーチストなのですが、彼女からは、バカにされ切っていました。実は現代アートの世界に耽溺するという事は、ぜいたく極まりない事であるのです。それは、もうけと関係が無いので、数世代前までは、金持ちだった、家庭の子供が携わる世界ですから。ほかの人達からは、尊敬をされたこともあるのに、そのパン屋のお嬢さんにだけは、軽蔑をされて居たのでした。

 しかし、アジア人の貧しい労働者にしては、三か月の滞在の、最後のころに、お礼のために、ケーキ(ホール型で、日本円にすると、3000円から、5000円のもの)を、毎日ひとつは、買ったほどでした。無論私費を、大量(200万円)に投じて、居ましたし。だから、こちらが金持ちだという事に、気が付いてくれてもいいはずなのに、彼女は、正反対の行動に出たのです。

 パリのケーキって、日本みたいな蓋つきの白い箱には、入れて売っているわけではないのです。ニューヨークでは、白い箱が多いのですが、それでも、日本みたいな、手が込んだ箱ではありません。パリの方は、箱の素材が、紙そのものに、もともとカラー印刷をされた厚紙で、機械的に、製作された箱に入れてくれます。そのカラー印刷の模様ですが、わたくしの様な、ちょっと、印刷や、デザインの事を知っている眼から見ると、見事に単価が違うのです。日本だと、真っ白な箱の大小の区別があるだけですが、パリの箱は、箱代も、見事に違うだろうというカラー印刷がなされています。5000円用のは、それなりに、4色印刷で、豪華で、美しいのですが、三千円用のはオレンジ色の単色刷りです。

 ある時に、女子店員さんが、私が買ったホールケーキにふさわしい箱に入れてくれようとして居たら、お嬢さんが、そばに来て、「あっちでいいのよ」と、安い箱を指さしました。優しい顔をした店員さんで、『パリの人は小柄なんだなあ』と、思いながら、その情景を黙って見ている私でした。

 今の私だったら、英語でいいから、「あら、いやだ。あなたって、お金持ちのくせに、ものすごい意地悪な人なのね。それじゃあ、恋びとも、できないでしょう」ぐらいの言葉で、たしなめると、思いますよ。あ、は、は。

 いや、そこまでは、言わないかもしれないけれど、内心では、そう思って軽蔑をするでしょう。いや、彼女の顔を見たら、それは、すぐわかります。パリの人にしては、珍しいほどの厚化粧で、そんな化粧をしていて、しかも目を吊り上げて、意地悪な命令をするのですから、性的欲求不満のために、八つ当たりしている女性の、好例でしたから。しかし、1998年ごろの私は、そういう事は、潜在意識の中では、判っていても、外部に、表現することができない人間であって、ただ、黙って、ひどい仕打ちを受けながら、引きさがっていたのです。

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副題2、『しかし、屈辱を晴らす機会は、やって来た。キーパーソンは、お隣の紳士だったが』

 あのね、そういうときでも、神様は、助けてくださるのですよ。私がお借りしていたアパルトマンは、小さいので、上と、お隣が独身の人でした。

 上の人は、地方の、大学の学長の、お嬢様で、お父さんは、まるで、アインシュタインをさらに上品にした様な人でした。それは、二、三度の接触があって分かった事です。そのお嬢様との交流も書きたいぐらいですが、ここでは、煩雑になるので、オミットします。

 隣の男性は、私より五歳程度若い人です。普段はあいさつをする程度の間柄でしたが、帰国直前に、どうしてものこぎりが、必要になり、それは、上の階のお嬢様は持っていないと判断をしたので、お隣の男性からそれを借りたいと、思ってブザーを押すと、ここで、「待っていてください」と、最初の一室に通されました。古い建物を、玄関がないという形式にリフォームされてあったのです。

 中央に当時(1998年)は、大型だったIBMの真っ白なパソコンが置いてあって、そばに、これも真っ白な皮が貼ってある大型のリクライニングシートがどでーんと、場所を締めていて、その両側は、天井まである、設置型の、しかもモダンなデザインの本棚でした。どんな分野の人かはわかりませんが、相当なインテリで、かつ、高給取りの人だったのです。というのも女性が訪ねて来るという事はなく、とても静かな生活でしたし。特に高給を取って居る人だろうと、思ったのは、彼がベージュ色のウールのロングコートを着ていたことです。ベージュ色のウールのロングコートなんて、日本でも、ニューヨークでも男性が着ている姿は、ほとんど見たことがないです。

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副題3、『お菓子屋さんの、意地悪から、少しの間離れて、ウールのロングコートについて語りたい』

 たまたま、バスティーユの駅で、明らかにアメリカ人とわかる女性に、道を聞かれたことがあって、その時、彼女が着ていたのもキャメル色のウールのコートでした。が、生地が、男性の方は、綾織りで、女性は、起毛の生地(厚手のフラノか?)でしたが・・・・・私って、洋裁ができるので、素材は、すぐ、判断ができます。

 その日は、バスティーユの駅は火事だったのです。パリの地下鉄って、タイヤがゴムでできているのですって。で、タイヤが燃えたのです。非常にゴム臭くて、煙もあったので、誰もが不安でした。特に構内放送が、フランス語だけだったので、彼女は、不安だったみたいです。

 でもね、遠くから、ひときわ背の高い(ハイヒールも穿いていた)彼女が、プリンセスラインの、キャメル色のコートの裾を翻して、まっすぐに、私目指して、近づいてきて、「どうしたら、いいのかしら?」と、質問をして来た時には、あっという程に驚いて、しかもありがたいと、思いました。というのも、私の方は、黒のポリエステル製の、ハーフコートに、黒のウールの御ズボンという、まったく目立たない服装で、歩いているのに、特別に、選ばれたからです。お菓子屋さんの、お嬢さんは、私の事を貧しいアジア系の、労働者と、見做して、ケーキの箱の問題で、いじめて来るのに、こちらの女性は、あたり一面で、右往左往している、何百人の、コケイジャン(白人系)の中から、アジア系の私を、選んでくれたからです。その当時は、版画だけに打ち込んでいて、しかも手相が、抜群に、良かった(感性が、高いという意味でですよ)ので、不思議なことが、いい意味で、起きた模様でした。

 私もフランス語は得意ではないのですが、異常が起きた時にすぐ、近所の人に英語で問い合わせていて、どういう状況になって居るかを、すでに、把握していたので、そのグレースケリーみたいな上品なアメリカ人女性に、仔細を教えてあげることができました。そのうえで、どの通路を通ったら、パリで、一番古い、かつメインの道路に出られるかを教えてあげました。バスティーユ駅は、すべてが地下にあるからです。そして、放射状の地下通路が、八方に向かっています。それは、映画ポンヌフの恋人に出て来たとおりです。ただし、それが、バスティーユ駅のものだったか、どうかは、知りません。円形広場を利用した、地下鉄駅は、他にもあるでしょうから。

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副題4、『版画工房で、毎日同じ石をいじって、二枚のリトを仕上げる、紺色のウールのハーフ・コートを着て来る青年が居た。・・・・・これについて、語りたいのだが、それをすると、この一文が終わらなくなるので、本日は、・・・・・日本人の想像を超える大金持ちが、パリには、居るのだ。ウィークデイに売る予定のない版画、イコール、ただ、研究のためにする版画を、3か月、も取り組み続けている青年が居るのだから。

 ヨーロッパは奥が深いなあ・・・・・と、思った・・・・・というだけで、とどめたい。それが、1998年のパリの事だが、当時の日本の、丸の内は、90%が黒のウールのロングコートを着ていたと、私は、感じているが、パリは、そうではなかった。既に、化繊の軽いコートの時代に入っていた』

 すみませんが、まだ、ごはんの話まで入っていませんが、主人が退院してきたので、ここで、寝ます。同時刻に起きないといけないので、・・・・・・続きは、後日に書きます。主人は、8時には、床に入る習慣があるので。

 で、続きを、22日の夜10時半から、以下の章で、書きます。

 

 なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、3826856です。

 2016年12月21日から、22日にかけてこれを書く。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

 

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