きのう、名瀬市大熊(だいくま)で開かれた豊年相撲大会を見に行きました。公民館前の広場にはこのような土俵があり、奄美各地の集落でみることができます。
きのうは奄美の各地で豊年相撲大会が行われていました。
招かれた、集落のお年寄りたちの前、熱戦が繰り広げられます。お年寄りたちは皆、正装です。行事さんの服装にも伝統が感じられます。このときはお昼ごろ。中学生の取り組みでした。本格的なまわしをしています。場内には放送席も設けられ、大勢の観客が熱心に見まもります。
テントの下のゴザにあぐらをかいて熱心に取り組みを見つめる地元の相撲好きのおじさん。肩に力が入ります。肩に入った力が肘からあぐらの膝に伝わり体が東へ西へ傾きます。時には腕を組んだまま、首だけが正面に傾きます。(よっし、うん)
取り組みが終わるたびにおじさんは「あっげー」と言って、肩のタオルで汗をぬぐい、時々焼酎を飲み、また背筋を伸ばして次の取り組みを待ちます。後ろの観客の人たちにする取り組みの短い「解説」も的確です。「ほんとに楽しそうですねー。」大一番では「あげー」は取り組みの最中連発されます。それは、大勢の観客のどよめきをリードしているかのようです。
最近は、こうした奄美の伝統行事や、文化にも関心をよせる観光客の人たちも増えました。
公民館と相撲の土俵については、おじさんも文献で読んだ記憶はありません。
そのこと自体にも、ぼんやりと興味を感じています。
農作.物の豊凶を占うための綱引きとかは、読んだような。
奄美の各集落にある公民館は、集落の決まりごとを決めたり、式典や、踊りの稽古、かつてはその広場はこどもの遊び場として、ひとびとの生活に密着していました。今でもそうだと思います。
相撲は敬老の日に行われるのが一般的でしょうか。
公民館の歴史については、『名瀬市誌』に記述がありますが、これは各集落の公民館につてではないようです。
戦後、軍政下に、社会教育活動の一分野として、法律の規定されています。(市町村単位?)
ただ、この公民館活動は、奄美以外の、沖縄・宮古・八重山の各群島では、全くふるわなかったとあります(琉球中央政府の予算が苦しかったから)。
46代でしたか、大相撲の横綱朝潮の生誕地の徳之島 井ノ川の公民館には、横綱の銅像があるのですが、そこには土俵はありませんでした。
奄美大島では、学校の校庭や、団地にすら屋根つきの土俵があるところがあります。
奄美の幕末のころの風俗などを描いた資料が残っていて、それに、「島人相撲」の絵が描かれています。
現在、インターネットでみることができます。
↓こちらです。左から右へ8番目の写真を拡大してください。
http://wwwdl.lib.kagoshima-u.ac.jp/cgi-bin/z3950/prec_img_disp.cgi?ts_id=0306250004&start_pos=41&lang_mode=J
俵を地面のまるく並べた土俵で、行司は軍配をもっています。
観客は老若男女。
この時代、奄美は黒糖の生産で、大変な時代だったというのが、おじさんのイメージですが。
江戸では、享保年間(1716年から1735年)には俵は、半分地中に埋めれる。
このページの一覧は↓こちらです。
http://ir.kagoshima-u.ac.jp/handle/10232/249
うー、とりとめもないことを書いてしまいました。
おじさんも興味がある問題ですが、手におえません。
どなたか教えてください。