徒然なるまままに

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ジョン・コンスタブル @ フリック・コレクション

2005-10-13 | 美術
ジョン・コンスタブル @ フリック・コレクション

二人の偉大なイギリスのロマン主義風景画家、J.M.W.ターナーとジョン・コンスタブル John Constable(1776-1837)。前者については、夏目漱石も言及 していたが、後者も言及していただろうか。*1 ジョン・コンスタブルについて、私ははじめてフリック・コレクションで開眼した。ジョン・コンスタブルは、《乾草車》を1824年のパリ・サロンに出品し金賞。ドラクロワやバルビゾン派に影響を与え、風景画とジャンルを確立した画家。

《白馬》The White Horse, 1819は、地元サフォークのあまりにどうてことない風景を描いた作品。ただ、彼はこの景色のおかげで画家になろうと決心したということ。画集で見ていると、まったく構図も画題もあまりに見慣れたような風景で見飛ばしてしまうような絵画だが、West Galleryでひょっと立ち止まってしまった。本当に真剣に屋外写生したようで、自然の色の鮮やかさ、細やかさがそのままキャンバスに焼き付けられたようだ。立ち止まらせたのは、水面の光の輝きか木々の描き方か。

9月6日に、国立西洋美術館の常設展で見たフランスのジョゼフ・ヴェルネClaude-Joseph Vernet(1714 - 1789)の《夏の夕べ、イタリア風景》, 1773という風景画家の作品を思い出したが(ここにも水面の表現がある)、やはりもう一度WEBで見ると「外で風景を直接写生、制作したといわれ、その成果は18世紀特有の華やかさをもちながらも、真実味のあふれた清新な描写を持つ、理想的風景画に活かされている」という解説通り、ジョゼフ・ヴェルネの絵画は理想的。The Shipwreck, 1772などは本当に理想的風景画で写生からは遠い、物語が主題。やはり自然への観察眼は、圧倒的にジョン・コンスタブルであった。80年の生涯を同じ風景を見続けたというだけはある。

《白馬》は、・コンスタブルが、王立美術院に展示するために制作した作品の最初のもの。お気に入りで、元の持ち主から買い戻したとのこと。


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      *1 夏目漱石とターナーについては、坊ちゃんにも草枕にもでてくる。寺田寅彦も漱石はターナーが好きだったと書いている。コンスタブルについては見つからなかった。
      • 坊っちゃん 夏目漱石 から 「あの松を見たまえ、幹が真直(まっすぐ)で、上が傘(かさ)のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙(だま)っていた。
      • 草枕 夏目漱石から 「この故(ゆえ)に天然(てんねん)にあれ、人事にあれ、衆俗(しゅうぞく)の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上(むじょう)の宝(ほうろ)を知る。俗にこれを名(なづ)けて美化(びか)と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(いちえい)眼に在(あ)って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累(ぞくるい)の覊絏牢(きせつろう)として絶(た)ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せま)る事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙(おうきょ)が幽霊を描(えが)くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。」 「「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐(ばんさん)の席で、皿に盛(も)るサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍(かたわら)の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。」
      • 柿の種 寺田寅彦 女の顔  夏目先生が洋行から帰ったときに、あちらの画廊の有名な絵の写真を見せられた。  そうして、この中で二、三枚好きなのを取れ、と言われた。  その中に、ギドー・レニの「マグダレナのマリア」があった。  それからまたサー・ジョシュア・レーノルズの童女や天使などがあった。  先生の好きな美女の顔のタイプ、といったようなものが、おぼろげに感ぜられるような気がしたのである。  そのマグダレナのマリアをもらって、神代杉(じんだいすぎ)の安額縁に収めて、下宿の間(びかん)に掲げてあったら、美人の写真なんかかけてけしからん、と言った友人もあった。  千駄木(せんだぎ)時代に、よくターナーの水彩など見せられたころ、ロゼチの描く腺病質(せんびょうしつ)の美女の絵も示された記憶がある。  ああいうタイプもきらいではなかったように思う。  それからまたグリューズの「破瓶(われがめ)」の娘の顔も好きらしかった。  ヴォラプチュアスだと評しておられた。  先生の「虞美人草(ぐびじんそう)」の中に出て来るヴォラプチュアスな顔のモデルがすなわちこれであるかと思われる。 (以下略)
      • 夏目漱石先生の追憶 寺田寅彦「当時先生はターナーの絵が好きで、よくこの画家についていろいろの話をされた。」
      • 小説「坊ちゃん」に登場した松山の名勝 ターナー島の松 復活支援
      • 夏目漱石の「大変」
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    1 コメント

    コメント日が  古い順  |   新しい順
    こんにちは (Tak)
    2005-10-16 12:08:32
    TBありがとうございました。



    昨日たまたま石原千秋さんの漱石関連の本を

    読む機会がありました。

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