揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに
2006年11月7日から12月24日
東京国立近代美術館
ちらしには、如何にも劇画風の小林永濯「道真天拝山祈祷の図」 。これを見て一寸引いてしまっていたが、好評のようなので行ってきた。狩野芳崖、小林永濯、小杉放菴など普段まとまって作品を鑑賞しない作家の作品が楽しめた。
まずは、第一章 狩野芳崖・高橋由一 日本画と洋画の始まり。
高橋由一は、
高橋由一 捕象図 明治7年 1874 墨/絹布 軸 東京国立博物館
高橋由一 美人(花魁) 明治5年 1872 油彩/キャンバス 額 東京藝術大学 重文
などが展示されていた。 「捕象図」では、西洋の画題をデッサンをうまく描いているが、油彩に取り組んだ作品は悪戦苦闘ぶりがありあり。従来の画題(花魁とか)、表現法で、そのまま油絵を描こうとしてうまくいっていないのだ。この展覧会では「鮭」は展示されていない。どこやって「鮭」に到達したか。そこを展示をしてほしかった。
狩野芳崖は、
狩野芳崖 地中海真景図 明治15年 1882 墨、膠彩/紙 額 個人蔵
狩野芳崖 暁霧山水 明治20年 1887 膠彩/絹布 額 東京藝術大学 も彩色のため、さらに不思議な雰囲気を備えている。
狩野芳崖 不動明王 明治20年 1887 膠彩、金/紙 軸 東京藝術大学 重文
狩野芳崖 仁王捉鬼 明治19年 1886 膠彩/紙 軸 個人蔵 ;
などが展示されていた。
狩野芳崖 悲母観音 明治21年 1888 膠彩、金/絹布 額 東京藝術大学 重文
は、前期だけのため、今回は未見。狩野芳崖は、もともと西洋技法に興味をもっていたようで、「地中海真景図」などは日本画に心境地を開いている。銅板画のような印象を与える。「小堀鞆音と近代日本画の系譜」(記録はこちら)にて「江山一望之図」(明治17年)という遠近法のある同種の山水図を見たばかり。「暁霧山水」は、彩色のため、さらに不思議な雰囲気を備えている。
そして「仁王捉鬼」。この極彩色の仁王。赤と青緑の対比は、新しき西洋絵具を用いたために出すことが出来た色合い。ここを昇華して到達したのが、「悲母観音」ということになるとのこと。無理やり油彩を始めず、日本画の中に西洋画の技法をいれたことにより、EVOLUTIONに成功したのが、狩野芳崖であったのだろう。
印象派は、西洋の絵画の伝統に日本の浮世絵を技法をうまく取り入れて昇華させた。西洋人はすごいという論調を昔読んだ気がする。ゴッホの「ゴーギー爺さん」などは浮世絵の影響を受けているとよく例に引き出されるが、あの昇華されていない印象と、高橋由一の「美人(花魁)」は印象は同じようなものにも思えてくる。日本人も日本の絵画の伝統に、西洋の技法をうまく取り入れて1888年という印象派と同じ時期に完成させていると思いを強くした。
第二章 明治絵画の深層 日本画と洋画の混成
ここでは、河鍋暁斎、小林永濯、橋本雅邦、彭城貞徳、田村宗立、原田直次郎ほかが展示されているが、この章のハイライトは小林永濯だろう。
小林永濯 道真天拝山祈祷の図 明治7-19年頃 c.1874-86 墨、膠彩、水彩/綿布 軸 ボストン美術館
小林永濯 加藤清正武将図 明治4年 1871 墨、膠彩、金/板 額 杉並区 堀之内 妙法寺
小林永濯 七福神 明治13年頃 c.1880 墨、膠彩/絹布 軸 ボストン美術館
小林永濯 天瓊を以って滄海を探るの図 明治17-23年頃 1880年代半ば 墨、膠彩/絹布 軸 ボストン美術館
劇画風の道真、趣味の悪い七福神、なまなましいイザナギ、イザナミを描いた「天瓊を以って滄海を探るの図」などインパクトは絶大。現在のわれわれには許容の範囲だが、当時はどうだったのだろうか?
田村宗立 (月樵) 弁慶曳鐘図 明治34年 1901 油彩、金/キャンバス 額 京都国立博物館;
この作品の弁慶が鐘を曳く力強い表現は、日本のルーベンスといいたい。洋画では、このような力強い表現は他にないのでは。
第三章 日本絵画の探求 日本画と洋画の根底
ここは大家の作品が並ぶ。日本画家は日本画の革新を、洋画家は洋画の日本化を求める傾向があったというが、その意味安心して見れる作品ばかり。
横山大観 迷児 明治35年 1902 木炭、金(裏箔)/絹布 軸 個人蔵
下村観山 ダイオゼニス 明治36年 1903 膠彩/絹布 軸 東京国立近代美術館
下村観山 魚籃観音 昭和3年 1928 墨、膠彩/紙 軸 3幅 西中山 妙福寺
モナリザの顔をした魚籃観音。妖しい雰囲気となる。三渓園でも魚籃観音を拝見したが、今回は三幅対で展示されていたので観音様らしく拝見。
竹内栖鳳 ヴェニスの月 明治37年 1904 墨/絹布 軸 高島屋史料館
菱田春草 秋木立 明治42年 1909 膠彩/絹布 軸 東京国立近代美術館
岡田三郎助 あやめの衣 昭和2年 1927 油彩/紙(キャンバスに貼付) 額 ポーラ美術館 (ポーラ・コレクション)
和田英作 野遊び 大正14年 1925 油彩/キャンバス 額 東京藝術大学
など。
第四章 日本画の中の西洋、第五章 洋画の中の日本画。
藤田嗣治の墨の多用は藤田嗣治展で納得したが、梅原龍三郎も岩絵の具を混ぜて画面の色彩を創っていることが紹介されている。
第六章 揺らぐ近代画家たち 日本画と洋画のはざまで
萬鉄五郎のキュビスムな日本画の軸「橋下望遠図」「渓流に魚を釣る」には、思わず笑ってしまう。
岸田劉生の麗子像の不気味さは、デューラーなど北方ルネサンスの影響というのは今回初めて知る。日本画「四季の花果図」は即興的な面白さはあるが手遊びか。
小杉放菴の作品が少しまとまって展示されていた。
小杉放菴(未醒) 黄初平 大正4年 1915 油彩、金/キャンバス 額 小杉放菴記念日光美術館
小杉放菴(未醒) 水郷 明治44年 1911 油彩、木炭/キャンバス 額 東京国立近代美術館
小杉放菴(未醒) 羅摩物語 昭和3年 1928 油彩/キャンバス 額 東京国立近代美術館
小杉放菴(未醒) 白雲幽石図 昭和8年頃 c.1933 墨、膠彩/紙 額 小杉放菴記念日光美術館
小杉放菴(未醒) 海南画冊 昭和6年 1931 墨、膠彩/紙 画帖装 全18面 東京国立近代美術館
小杉放菴(未醒) 椿 昭和12年 1937 墨、膠彩、金/絹布 屏風 2曲1隻 東京国立近代美術館
小杉放菴(未醒) 天のうづめの命 昭和26年 1951 油彩、金/キャンバス 額 出光美術館
小杉放菴(未醒) 静物 昭和30年頃 c.1955 油彩/キャンバス 額 小杉放菴記念日光美術館
小杉放菴は、先月出光美術館で「天のうづめの命」が展示されていて、出光佐三がパトロンとして購入し、実は多くの作品を出光美術館で所蔵していることを知ったばかり。そして、今回初めてまとまって作品を見た。小杉放菴は、日本画も西洋絵画も器用に描いたという。
図録の解説に、文化人類学者山口昌男「敗者の精神史」という論考が引用されていて、放菴は再評価されるべきとあった。しかし、シャヴァンヌに影響された作品「水郷」という作品。放菴という画号。そんなことからして、放菴は世間の評価よりも文人のような隠棲を望んでいたのではないのかと思ったりした。隠棲しても十分な出光というパトロンがいたのですから。いずれにしろ、小杉放菴記念日光美術館というのがあるようだ。一度訪れたい。
川端龍子の西洋画の技法を用いた日本画「佳人好在」はなんともいえない日本家屋の風景。
熊谷守一も実はまとまって鑑賞するのは始めて。「海の図」「畳の裸婦」「白仔猫」は可愛いですね。
2006年11月7日から12月24日
東京国立近代美術館
ちらしには、如何にも劇画風の小林永濯「道真天拝山祈祷の図」 。これを見て一寸引いてしまっていたが、好評のようなので行ってきた。狩野芳崖、小林永濯、小杉放菴など普段まとまって作品を鑑賞しない作家の作品が楽しめた。
まずは、第一章 狩野芳崖・高橋由一 日本画と洋画の始まり。
高橋由一は、
などが展示されていた。 「捕象図」では、西洋の画題をデッサンをうまく描いているが、油彩に取り組んだ作品は悪戦苦闘ぶりがありあり。従来の画題(花魁とか)、表現法で、そのまま油絵を描こうとしてうまくいっていないのだ。この展覧会では「鮭」は展示されていない。どこやって「鮭」に到達したか。そこを展示をしてほしかった。
狩野芳崖は、
などが展示されていた。
は、前期だけのため、今回は未見。狩野芳崖は、もともと西洋技法に興味をもっていたようで、「地中海真景図」などは日本画に心境地を開いている。銅板画のような印象を与える。「小堀鞆音と近代日本画の系譜」(記録はこちら)にて「江山一望之図」(明治17年)という遠近法のある同種の山水図を見たばかり。「暁霧山水」は、彩色のため、さらに不思議な雰囲気を備えている。
そして「仁王捉鬼」。この極彩色の仁王。赤と青緑の対比は、新しき西洋絵具を用いたために出すことが出来た色合い。ここを昇華して到達したのが、「悲母観音」ということになるとのこと。無理やり油彩を始めず、日本画の中に西洋画の技法をいれたことにより、EVOLUTIONに成功したのが、狩野芳崖であったのだろう。
印象派は、西洋の絵画の伝統に日本の浮世絵を技法をうまく取り入れて昇華させた。西洋人はすごいという論調を昔読んだ気がする。ゴッホの「ゴーギー爺さん」などは浮世絵の影響を受けているとよく例に引き出されるが、あの昇華されていない印象と、高橋由一の「美人(花魁)」は印象は同じようなものにも思えてくる。日本人も日本の絵画の伝統に、西洋の技法をうまく取り入れて1888年という印象派と同じ時期に完成させていると思いを強くした。
第二章 明治絵画の深層 日本画と洋画の混成
ここでは、河鍋暁斎、小林永濯、橋本雅邦、彭城貞徳、田村宗立、原田直次郎ほかが展示されているが、この章のハイライトは小林永濯だろう。
劇画風の道真、趣味の悪い七福神、なまなましいイザナギ、イザナミを描いた「天瓊を以って滄海を探るの図」などインパクトは絶大。現在のわれわれには許容の範囲だが、当時はどうだったのだろうか?
この作品の弁慶が鐘を曳く力強い表現は、日本のルーベンスといいたい。洋画では、このような力強い表現は他にないのでは。
第三章 日本絵画の探求 日本画と洋画の根底
ここは大家の作品が並ぶ。日本画家は日本画の革新を、洋画家は洋画の日本化を求める傾向があったというが、その意味安心して見れる作品ばかり。
モナリザの顔をした魚籃観音。妖しい雰囲気となる。三渓園でも魚籃観音を拝見したが、今回は三幅対で展示されていたので観音様らしく拝見。
など。
第四章 日本画の中の西洋、第五章 洋画の中の日本画。
藤田嗣治の墨の多用は藤田嗣治展で納得したが、梅原龍三郎も岩絵の具を混ぜて画面の色彩を創っていることが紹介されている。
第六章 揺らぐ近代画家たち 日本画と洋画のはざまで
萬鉄五郎のキュビスムな日本画の軸「橋下望遠図」「渓流に魚を釣る」には、思わず笑ってしまう。
岸田劉生の麗子像の不気味さは、デューラーなど北方ルネサンスの影響というのは今回初めて知る。日本画「四季の花果図」は即興的な面白さはあるが手遊びか。
小杉放菴の作品が少しまとまって展示されていた。
小杉放菴は、先月出光美術館で「天のうづめの命」が展示されていて、出光佐三がパトロンとして購入し、実は多くの作品を出光美術館で所蔵していることを知ったばかり。そして、今回初めてまとまって作品を見た。小杉放菴は、日本画も西洋絵画も器用に描いたという。
図録の解説に、文化人類学者山口昌男「敗者の精神史」という論考が引用されていて、放菴は再評価されるべきとあった。しかし、シャヴァンヌに影響された作品「水郷」という作品。放菴という画号。そんなことからして、放菴は世間の評価よりも文人のような隠棲を望んでいたのではないのかと思ったりした。隠棲しても十分な出光というパトロンがいたのですから。いずれにしろ、小杉放菴記念日光美術館というのがあるようだ。一度訪れたい。
川端龍子の西洋画の技法を用いた日本画「佳人好在」はなんともいえない日本家屋の風景。
熊谷守一も実はまとまって鑑賞するのは始めて。「海の図」「畳の裸婦」「白仔猫」は可愛いですね。
われわれ日本人の感覚がかなり人為的に偏向させられていたことを再認識しました。
ただ、ビゲローらの選んだ「ちょっと変な画たち」に共感できるようになるのにはまだ時間がかかりそうです。