おはようございます。旅人宿 宿主の長谷川洋一です。
会津が産んだ偉人「松江春次」をご紹介いたします。
1876年(戊辰戦争から8年後)に生まれた松江春次は、野口英世と同世代の方で、高校時代には英世と同じ教室で学んだ仲です。
機械工学をアメリカで学び、南洋の島々において砂糖の生産工場を興し、現地では「シュガーキング」として知られます。
資本を本土からひっぱり、現地の方々の労働力を使いながら生産を拡充することは良く聴く話ですが、これでは労働力の搾取となり現地が豊かにならないということも良くおきます。
春次は、精糖工場を興すと同時に、現地の方々の教育を拡充し、現地の方々が事業を主導できるような体制を整えたことが大変素晴らしいことで、それが現在でも功績が讃えられるゆえんです。
サイパンには春治の銅像が立ってますが、海外に日本人で全身大の銅像が存在するのは、英世と春次の2体だけ。ともに戊辰戦争後の会津人です。
原発事故後の福島では、「復興は教育から」という風潮があります。
会津での春次の功績は、県立会津工業高校設立に際し力を発揮したこと。会津工業高校の前には、ひっそりと功績を表した案内が記されています。
偉人を産むまとまではいかなくても、復興を目指すために今一度歴史を振り返る旅をしてみるのもよいかもしれませんね。