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人生最長にして最大の旅〜ウルトラマラソン

2017-04-24 23:54:36 | ランニング

2017/4/23  AM04:30

スタート砲がまだ暗闇と静寂に包まれる富士北麓公園に響き渡る。

スタートゲートだけ明るくライトアップされそこから飛び出す。

またそこへ戻ってこれるか、その不安は恐怖とともに、

周りの選手の圧迫感に押されながら100キロの旅が始まる。

スタートと同時にヴァンヘイレンのJUMPが大爆音で会場に響き渡る。

恐怖を打ち消すように高揚感が毛穴から吹き出る。

おそらく人生で最も肉体的に苦痛を味わう日が始まった。

 

第27回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン。

出走者4500人。出走は小分けにしたブロック単位。

後から出走する選手が声援を贈ってくれる。

 

一体誰が考えたのか、人間の極限に自らチャレンジするマラソンレース。

その距離に自分はどこまで通用するのか、

または潰れるのか、嘆くのか、

幸運にも笑ってフィニッシュできるのか、一体どうなるのかただただ試してみたかった。

未だかつてそのようなシチュエーションに自分を置いたことがない。

フィニッシュできたらきっと何かが変わっているかもしれない。

そして自分を誰かに語るとき、ウルトラランナーという前置詞がつく。

いや、ウルトラランナーという称号だ。

それほど過酷で素晴らしく誇れる称号は今の所思いつかない。

俺には走れる足がある。だから挑戦者たれ。

 

この日は潰れる日ではない。嘆く日でもない。走り切る日だ。

それを再度胸に心に刻み、繰り返し思い返して競技場を後にした。

 

100キロという距離はもちろん未知。

フルは数回走ったし、数週間前は60キロ走を経験した。

だから、きっと耐えるべきは後半20キロだろうと思った。

魂を使って走るのはラスト20キロ。

だからそれまでは自分は機械になりきればいい。

気持ちを持たず繰り返し運動を行う無機物質になればいい、と思った。

 

とにかく完走が目標だったのでスローペースで入る。

息が上がるような走りでは前半で潰れる。

 

ところが機械でも故障する。それは競技場を出て延々に続く下り坂で起こった。

スタートわずか数キロだ。

坂道は何キロ続いただろうか。

速度を落としたがために大腿四頭筋がいきなり悲鳴をあげた。

それに連動するかのように左足の爪が死んだ。さらに右足の甲がパンパンに腫れ上がった。

 

下りの後は登りがある。当然だ。その繰り返しの後に山中湖畔に出る。

空は鉛色でスタート地点より遥かに寒い。1、2度しかない。

手の指先の感覚がなくなる。手袋をしていなかったのだ。

 

いつものランより相当スローで走っているので距離感覚がなくなる。

山中湖1周を終えて30キロ。

雲の間から太陽が出てきて、やっと日の暖かさを感じるようなった。

それでも木陰は寒く、刻々変わる気温変化になかなか対応できず疲労していくことになる。

 

コース全体アップダウンが激しく苦しい。

しかし、苦しいのは自分だけではないしそれは耐え忍ぶしかない。

痛いのは当たり前。それをどうやり過ごすか感じるかは本人次第。

富士山が巨大な姿を見せる。

 

 

そう。苦しみを楽しむ。そう思ったら少々元気が出る。

ランニングは心をコントロールするという行為に過ぎない。

心をコントロールできるものがウルトラのフィニッシュラインを切れるのだ。

 

友人数名がせっかくの休日に応援に来てくれた。

ちょうど43キロ地点で待ち構えていてくれた。

フル42.195を終えたところだから、気分的にはそこから再スタートである。

本人たちは意識してか否か心憎いところにいてくれた。

うるっと来た。サングラスしてるから知られなかったろうけど。

そこから約5キロを並走してくれた。

富士山、満開の桜、多くのウルトラランナーに囲まれて随分と刺激されたに違いない。

でもこの時点で俺は彼らにウルトラを薦めることはあり得なかった。

50キロあたりから身体に異変が出て来たのだ。

 

前半の坂道で痛めたブレーキ筋はその後も硬くなったままで、

膝の靭帯を引っ張り続け時折激痛を生じるようになった。

 

爪の痛みは無視すればいい。甲の傷みも然り。

ランボーが拷問にあっても耐えれるのは、痛みを無視できるからだ。

 

ところが膝の痛みは膝の機能を異常にする。

脳が止まれ、走るな、という指令を出す。

最初、それは偽物だと思った。だいたいにおいて、脳の指令は偽物なのだ。

 

痛みを我慢して100m走ると痛みは消えた。

しかし、エイドステーションで一旦止まるとダメ。

走り出すときに転倒したり、膝を手で押さえて動けなくなる場面が頻出した。

ロキソニンを何度も飲んだ。

医者なら絶対止める量だろう。

膝の痛みはモチベーションを下げ、DNFが脳裏を横切る。

 

エイドではマッサージを入念にして苦痛の表情で再スタートする。

たまたま隣にいたランナーからエアサロンパスをもらう。

 

すごく痛い。

でも克服したい。絶対にあの競技場へ戻る。友達はあそこで待っているだろう。

それに新しい自分がフィニッシュラインの先で待っているかもしれない。

俺がするべきことはフィニッシュを切ること。

絶対に諦めない。全力を尽くす。

 

西湖に差し掛かったとき、笑顔でフィニッシュの目標の他に一つ追加した。

 

「全力を尽くす」

 

エイドステーションでは大きな声で挨拶と礼をした。

ボランティアがそれ以上の大きな声で励ましてくれる。

沿道で個人で応援してくれる人がポツポツいる。

ちゃんとお礼を言う。

みんな素晴らしい笑顔で「頑張って!」「ナイスラン!」と返してくれる。

 

前行くランナーのTシャツのバックプリントに

マラソンには人生の全てが入っている、と書いてあった。

俺はすごくいいこと書いてますね、ありがとう!元気もらいました!と言った。

その人は苦痛に歪んだ顔で俺に、ガンバロウ!ゴール目指そう!と返してくれた。

 

俺はこのようにして、選手や応援者やボランティアからとてもハートフルな気持ちをいただき、

それをアドレナリンに変え残りの40キロに挑んだ。

自ら鎮痛剤を生成し痛みに耐えた。

 

西湖を抜けて国道138へ向かう道はまたもや急な上り坂。

しかし、先日の箱根ターンパイクでの激坂ほどではなかった。

目の前に起こる出来事や事象は全て経験値から緩和できる。

自宅の茅ヶ崎から横浜駅を往復した63キロのおかげで

長距離の苦しさも若干ながら経験値としてこの日に役立った。

辛さは許容できる。

日々の練習は辛さをこの身と心に馴染ませるためにあるのだ。

 

ここまで来ると辛さは「日常」となって体の一部になる。

精進湖の折り返しの半周は、湖畔から少し離れた木陰が暗く鬱蒼とした道で、

富士樹海の霊気を感じる。神々しくもあり邪気をも感じる。

いささか気分の落ち込みを感じながらその精進湖の1周を終える。

残り30キロ。

 

その地点のエイドステーション。

小学校の跡地だろうか、そこで無性に大の字になって地面に仰向けに寝たくなった。

日が照らすアスファルトに仰向けなり目を閉じる。

酒に酔ったように天がぐるぐる回り、上下左右わからなくなる。

そのままだと睡眠に陥ってしまう。すでに疲労困憊の極限に来ている。

 

3、2、1と声に出して起き上がる。

頰を両手で力強く叩き再スタートする。

膝は相変わらず痛いが、その時は骨折してるんじゃないかというくらい激痛が走る。

でも折れてはいないし腫れてもいない。感覚はある。

だからまだ全力は尽くせる。

進む。1歩進めばゴールには1歩近く。

 

精進湖を抜けて西湖に戻る途中、まだまだ多くのランナーとすれ違う。

俺は後方ではない。多分平均的な位置にいる。

ここで制限時間を意識し始めた。

 

10時間以内ゴールはサブ10。ウルトラランナーの目指すタイム。

フルマラソンのサブ3、つまりは3時間切りに相当する。

それこそ十分な経験が必要。テクニック、体力、精神力あっても不可能。

他はなんだろう。。人間力や生き様が関係してくるに違いない。

 

先に書いたTシャツのバックプリントを思い出した。

「マラソンには人生の全てが入っている」

本当の意味はきっとこうだ。

強いランナーこそ人生を強く生きている。

 

世の中速いランナーはいくらでもいる。

でも強いランナーになるには、それなりの人生を経験してこないとなれない。

俺は強いランナーになりたいと心から思った。

サブ10にはなれなくとも掲げた時間をくじけずに走り切る。

12時間が新たな目標だ。

 

それまで時計はあまり見なかったが、ゴール20キロ前あたりから頻繁に時間をきにするようになった。

 

エイドステーションでは必ずコーラを飲み、カフェインの力を借りる。

レーズンを頬張り足の痙攣を予防する。

最後の20キロ何があるかわからない。

 

ずっとそう思いながら走った。

そう。ずっとだ。

。。。ずっと20キロなのだ。

距離が少なくならない。

とにかく100mが長い。

20キロからその先は距離感も時間感覚もなくなる魔の時間帯だった。

とにかくきつい。足を運ぶこと。手を振ること。

縁石を乗り越えるだけで相当のパワーを使ったし、足裏を引きずる音まで聞こえた。

 

河口湖ステラシアターという最後のエイドに立ち寄る。

そのエイドの脇には小学校のグランドがあり、

少年野球チームの練習が終わったらしく多くの小学生が声援を贈ってくれた。

彼らは野球少年で、ほんの少しだけランナーの気持ちをわかってくれてるかもしれない。

俺は一人一人にありがとう!って礼を返した。

声援は力になるし、礼も自らの力になる。

立ち寄ったエイドで飲んだコーラは世の中で一番うまいコーラだったな。

 

ラスト5キロ。気が遠くなるような上り坂が4キロ続く。

 

世の中で人生で一番きつかったものは何ですか?

と、富士五湖のウルトラランナーに聞くとする。

ほとんどが富士北麓公園に向かう4キロの上り坂、と答えるだろう。

 

時計が壊れている、もしくは距離計が壊れている、と思うくらい3キロ看板は見えてこなかったし、

2キロ看板は10キロ先にあるような錯覚に陥る。

 

やがて、そして、とうとう、ついに、ラスト1キロ看板を通過した。

そこからなだらかな下り坂になった。

膝の痛みは皆無になり、on cloudのソールは鉄板のように硬かったが、あのクッションを取り戻した。

肩甲骨から羽が生え、富士山から降りてきた天使が俺の背中を押してるように感じた。

Run on Cloud.

俺のシューズはまさに雲の上を走ってるというのが売りの文句だ。

それは売りの文句ではなく、実際に雲の上を走るということは、こういうことなんだ!と実感した。

トライアスリートが最後に潰れかけたときに助けてくれるシューズ。

俺は雲の上を走りながら競技場へ向かう。

 

競技場入り口に差し掛かったとき、そこで応援の友達が待っていてくれた。

俺の加速はさらにギアを1段あげた。

友達が隣の歩道で並走して全力で走ってくれている姿が見えた。

このまま10キロ走れる。そう思った。

MCが俺のゼッケンナンバーと名前を読み上げる。

最後のコーナーを曲がると朝スタートしたゲートが目の前に出てくる。

背中にいた天使は多くのスパルタ兵士に変わり、俺は軍団を率いるレオニダス。

100キロの旅がようやく終わる。

最後の力を振り絞る。

 

目標は達成できる。

笑顔でゴールすることと、全力を尽くすこと。

 

フィニッシュテープを切る。11時間48分。

 

頭の中が瞬間真っ白になる。一瞬の無音。

やがて後方から来るフィニッシャーたちで周囲は湧き上がっている。

感動のゴールシーン。

ゴール手前からファミリーでフィニッシュ。

選手同士抱き合う、かたい握手。天を仰ぎガッツポーズ。

全てのフィニッシャーの笑顔と涙で溢れかえる。

 

俺も笑顔でゴールはしたが、、、涙腺が完全に崩壊した。

 

フィニッシュの瞬間、真横にいた友達、エイドステーションの応援、沿道の人達、

富士山、桜並木、西湖に吹く風、世界一のコーラ、頑張ってくださいと応援してくれた小学生、

前泊の宿のオーナーのメモ書き、そしてそして最後まで耐え抜いたこの身体。

 共に参戦した友人はあいにく体調不調でDNF。

でも彼の分も合わせてフィニッシュした。

 

そういった12時間の思い出がフィニッシュ後3秒間に凝縮し、

言いようのない安堵感と達成感と感謝の気持ちでいっぱいになった。

フィニッシュラインの後方に見える富士山のようにでっかく。

 

人生最長にて最大の旅が終わった。

 

挑戦者たれ

自分を輿せ

辛さを操れ

未知を愛せ

 

この通り実行した1日だった。

 

俺の墓碑に何か刻むなら、ウルトラランナーという文字が入るだろう。

 


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