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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

完走 ~第28回チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン

2018-04-30 00:37:55 | ランニング

 

チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン。

第1回は13人。それから数えること28回の今回の大会は、エントリー数4500人。

伝統的な日本屈指のクラシックレースである。

 

昨年、初めてエントリーしたのだが、大会の雰囲気に飲まれ、初っ端から飛ばしてしまい、膝を痛め、今思えばとても無謀だったし、反省する点が多い。

あまりの疲弊に登り坂は全部歩き、エイドでは倒れ込む始末だった。

 

フィニッシュはとても感動的で、多くの観客、応援で埋め尽くされた花道で、走ってきた辛さはすべて吹き飛んでしまう。友人やエイドや沿道の応援に感謝の気持ちでいっぱいになる。

これがあるから、またエントリーする。辛さの分、喜びも大きい。

 

フルマラソンでいう「30キロの壁」は、ウルトラでももちろん現れる。

ウルトラはペースが遅いので、40キロくらいに壁が現れる。

フルならあと10キロ耐えればいいが、でもウルトラはその先にあと60キロある。

完璧な絶望感と、計り知れない喪失感。これがウルトラの壁の正体。

 

この壁にどう向き合うか、どう乗り越えるか。

辛さをコントロールし、厳しさを力に変える。

もはや走力の問題ではない。

経験値、冷静さ、そして生き様が問われるのだと思う。

 

 

このレースで過去にこんなキャッチコピーがあった。

挑戦者たれ。

厳しさを力に。

苦しさを操れ。

自分を興せ。

未知を愛せ。

 

この言葉を胸に刻み、4:45 スタート。

 

エントリー数4500人。

ブロックに分かれ時間差でスタート。

 

前泊のホステルでスウェーデン人の若者と知り合いになった。

MAX 24歳。 エンジニア。 日本語ができない。

レースに一人で参加。

朝、会場までオレの車に乗せて一緒に来た。

彼は4:30スタート。

そいつがスタートに並ぶ時、

Exceed your LIMIT! 限界を超えろよ!といって見送った。

あと、今日は生涯の思い出になる。辛さを楽しめ、とも伝えた。

金髪でパンチパーマが伸びたようなアフロ野郎は真剣な顔つきでスタートを切っていったよ。

今回の目標は彼だ。

15分後にスタートするオレは30歳若いアスリートにどこまで離されずに食らいつくか。

 

履くシューズは新調した。クラウドX ホワイトバージョン。あいにく試走できなかった。

でも心配いらない。Onには絶対の信頼がある。

フィット感が半端じゃなく、しかもアッパーが柔らかいのにホールド感が強い。剛性が高いのだ。

スタートして勝手に足が前に出るので、少々腰が引けるくらいだった。

一言、速いシューズ。しかし、スピードランだけじゃなく、足が疲れてからも性能発揮するクッションを備えている。

100キロをこのシューズと苦楽を共にする。

どうかフィニッシュまでオレを導いてくれ。

どこも痛くならないように。 シューズだけが頼り。

 

 

走りながら、会話したり笑ったりするのは気分転換になる。

笑顔になることで身体全体がリラックスできるのでとてもいい。

ランニングで一番大切な筋肉は表情筋であることは間違いない。

だから隣に並んだランナー、男女関係なく話しやすそうな人には積極的に話しかけるようにしている。

結局のところ、励まし合うことができるからだ。

 

富士吉田市から山中湖を一周し、河口湖へ向かうために一旦国道から山側に入る。

そこからレース最初の長い登りが始まる。35キロ前後地点。

もうすでにほとんどが歩いている。 

オレは去年そこをしっかり歩いている。そこを走れた。

走れたのは辛くないから、じゃない。とてもつらい。でも純粋にとても嬉しい。

 

河口湖大橋も走って渡りきれた。

去年はここでもしっかり止まってしまったのだ。

橋の欄干にもたれて放心した場所、脳が止まれの司令を出し始める場所。

ここを走って通過する。

 

そろそろ壁タイムがやってくる。河口湖を過ぎ西湖に入る辺りだ。

壁は必ずやってくる。痛みも一緒に連れてくる。

やれやれ、と思う。

 

さあ、オレの気力は果たして力を発揮するのか、力を出せずに途中で潰れるか。

少し、新しいことを発見した。

気力というのは何も前向きの強い思いだけではない。

眼の前の困難を何事もないように、車窓から景色が流れるように、

なんて言えばいいんだろうか、、、気を流すとでも言おうか、

感情をもたず、気持ちを流してあげるのだ。

 

痛いのは当然。でも辛いのはオプション。

それをコントロールするのはオレ次第。

とてもいい言葉があった。

「ひたすら走る」

 

走る。ひたすら走る。ただひたすら走るだけ。

 

西湖を抜ける登り坂を終え、精進湖に向かう。

青木ヶ原大橋。西湖と本栖湖を結ぶ富士パノラマラインにある高架だ。

 

前方から金髪のMAXが登りを走ってきた。

この時点でオレより1時間以上速い。

まだまだ限界は超えていないようだ。

ナイスラン!でハイタッチ。

 

西湖を終え河口湖を走る。最後の湖畔。

この湖畔の道が終わらない。

ロング&ワインディングロード、今回これが一番きつかった。

本当にきつい。背中がガチガチになり、額から落ちる汗が目に染みる。

そのため目を閉じると、ガードレールに寄ったりセンターラインに寄ってることにハッとなる。

フラフラなのだ。

結局壁は終わることはなかった。

 

富士吉田市に入る。長い長い歩道を延々進む。

横断歩道の信号が随所にあり止まりグセがつく。

ここらへんに来ると、72キロの部の選手たちにどんどん抜かされる。

特に女性に抜かされる。

苦しい顔をして走ったかと思うと止まる。それを繰り返すのは男。

女性は淡々と走り続ける。止まらない。

だからロングレースで確信する。女はとても強い。男は及ばない。

 

最後の関門、95キロ地点の河口湖ステラシアターに到着。

バナナを口に頬張りコーラをがぶ飲みする。

やっと95キロまで来た。残すは5キロ、、、、

げんこつ両手で「よし!!!」と気合を入れて出発。

このラスト5キロが富士五湖ウルトラのメインディッシュなのである。

激坂4キロ、走っている者などいない。

みんな背中を丸くしてゾンビのように歩いている。

オレも去年はすべて歩いた。歩く力さえ残っていなかったかも。

 

そこを走る。前の選手をどんどん抜く。

ここで走ってもそんなにタイムは縮まらない。

でもどうしてもここを走らなくてはいけない。

ここを走れるかどうか、、ずっとそう思ってきたね。

ここに沿道の応援はない。ひっそりとした森の道で静寂極まりない。

ひたすら走る。一步進めば一步フィニッシュに近づく。

 

走り切る。ラスト1キロ。

 

大観衆の感動の花道を通りフィニッシュへ向かう。

この感動はすべての人に味わって欲しいなあと思う。

 

11時間44分。

昨年より4分短縮。

多くの坂道を走った今回。

ほとんどの坂道を歩いた前回。

しかも前回はエイドで仰向けになったり、膝が痛くて相当の時間を休んだ。

今回はもっと速くても良かったのに、前回フラットでがんばったのか、

今回フラットで温存しすぎたのか、、、

 

金髪アフロのMaxは11時間30分。

30歳離れていて15分差はOKだろう。

 

素晴らしい大会でした。

エイドの応援、沿道の応援、そして友人の私設エイド&応援。

応援が無いと走りきれない。

走るのは一人だけど独りではないね。

 

 


チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン ~4日前 

2018-04-18 00:11:26 | ランニング

ジャパンクラシック~チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン 世界遺産シリーズ第1戦

 

心揺さぶる自分だけの冒険へ

フルマラソン42.195kmの先にあるもの。

その扉を開ける資格は、ウルトラのスタートラインに立つ勇気を抱くランナーに等しく訪れる。

エリートだろうとビギナーだろうと違いはない。やるかやらないか、ただそれだけ。

 ~The north face  HPより

    

(The north face HPより)

ウルトラマラソンに出る、と言うと大抵の人はおかしいって言う。

そもそも100キロを1日のうちに走り切る人は希少に違いない。

友人や知り合いは「私は無理だ」という。

 

その通り。無理と初めから決めてかかるあなたは走れないだろう。

もちろん僕も走れないかも知れない。

結局のところ完走できなければ、無理だった、と言わざるを得ないが、

でも決定的に違うのは僕がチャレンジすることだ。

可能性があるならチャレンジする。

晴れ渡る空、富士山がピンクに染まり始めるころの100キロ先の風景を見たいのだ。

走る意味などそんなものはない。運良くフィニッシュできれば自ずと意味はついてくるだろう。

何かを求めて走るのではない。走りたいだけ。それだけだ。

 

走る意味は、走りながら、走り終えたときに付いてくる。

強いて言えば、壮絶なドラマが自分自身という主人公を中心に、

一生分のストーリーを10時間と数時間に凝縮して展開される。

そのとき思う事々が走る意味なのだ。

まずはスタートラインに立つこと、それが重要だ。

数ヶ月の間準備をしてきた。

勇気を振り絞り、己を鼓舞できないと、スタートラインにすら立てないのだ。

だから僕は思う。

スタートラインに立ったランナーはすでに勝者なのだと。

 

 

眼の前に必ず現れる分厚い壁。

それは想像するものではない。

自分の足で確かめに行くのだ。

その壁を超える行為、これがチャレンジの真の意味だ。

 

壁を乗り越えるとき、とても重要なことに気がつく。

乗り越えられるか否か、それは身体問題ではなく、心の問題ということにあらためて気づく。

心を開く。自分を今までの檻から解き放つのだ。

その扉の鍵は自分自身が持っている。

鍵を刺して扉を開けるか開けないかはランナー次第。

 

ウルトラランニングとはそういうものだ。

ただのランニングではない。

扉を開けて、壁を乗り越えたとき、おそらく嘘のように身体は軽くなるだろう。

そしてフィニッシュへ吸い込まれる。

 

 

新しい自分がそこに立っている。

 

こうして我慢に我慢を重ねてなんとか走り続けているうちに、75キロあたりで何かがすうっと抜けた。

そういう感覚があった。「抜ける」という以外にうまい表現を思いつけない。

まるで石壁を通り抜けるみたいに、あっちの方に身体が通過してしまったのだ。

     ~村上春樹著 『走ることについ て語るときに 僕の語ること』

(The north face HPより)


チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン1週間前

2018-04-16 00:15:59 | ランニング

(富士山絶景を臨んで走る! チャレンジ富士五湖かUTMFね)

マラソンやトレイルレースに出るようになって
明らかに変わったことがある。

それはハッキリと決まった日時が設定されること。
目標期限が明確になるんだね。

漠然とした目標って多いと思う。
こうなりたい、そうなりたい。
でも、いつなるんだよ?
- そのうちね(^o^)

そうじゃない。
「2018年4月22日にオレは100キロを11時間以内で走り切る」
っていう具体的な目標だ。

こういう目標設定って今までにはなかった。

会社での報告書の提出期限じゃないよ。
これは納期であって、自ら設定した目標ではない。
そういえば高校受験や大学受験もちょっと違う。
受験は通過点に過ぎないからな。

ランニングの場合は、通過点ではないね。
一つのレースが終われば、パチンッ!はい終了。
42キロ走りきって細胞が全滅し、数日立つと全部新しい細胞に生まれ変わる。
フルマラソンを初めて走るとホントにそう思う。生まれ変わったぞ!みたいな。

でも、フルも何回も走ってると感動は薄くなるんだよね。

で、やっちゃうんだ、ウルトラチャレンジに。 ウルトラトレイルに。

ウルトラの世界で100キロは短距離かもしれんけど、
細胞どころじゃない。
魂がリニューアルされます。
心が入れ替わります。

なんだ、そのだらしない性格かわってないやん!
と言われても、そういうどうでもいいところは変わりません。


ウルトラを走ってるとこの思いが交錯するんだよ。

希望があるからこそ真の絶望がある
絶望があるからこそ真の希望がある

どっちが真か、、どっちも真なんだろうな。 偽はないと思うよ。

ウンチ味のカレーを食うか
カレー味のウンチを食うか

と同じかもしれない。
だいたいの人はウンチ味のカレーを食う、って言う。
身体に入るのはカレーだから、入り口だけ我慢すればいいという理由だ。
でも10人に聞くと3人は、
カレー味のウンチがいいと言う。
腹に入ってしまえばわからない。毒ではないし。
食った瞬間、美味い!と思うことが大切なんだとか。

だからどちらも真なのだ。絶望も希望も。

人生の栄枯盛衰を1日で味わえる、というのはまさに絶望と希望の交錯を否が応でも味わえるということだ。
これは外部からではなく、自分の心の中で起こる核分裂みたいなものだ。

分裂してプチプチ小爆発して、最後フィニッシュで大爆発。

魂がそっくりリニューアル、アップデートされます。

ウルトラの達人は、きっとこの核分裂で起こるエネルギーで走ってるんだろうね。
そうでもしないと100キロとか無理っす。


目標の日時がちゃんと設定される。
そこで11時間切る、っていうのは目標って最初に書いたけど、
文章書いてるうちに、??って思ってきた。
時間はどうでもいい。
つらいパートをどうやって克服してくかが、オレのやるべきことだ。
心が折れて折れて折れまくったとき、どうやって修復してくかが課題だ。

結果としてタイムが出るだけ。
だから心の鍛錬の場として出場しよう。

あれ?? そう書いたらなんか気持ちが重くなってきたぞい・ω・

今年のマントラは、バットマン ブルース・ウエインの父親の名言にしよう。

人はなぜ落ちると思う?這い上がることを学ぶためだ