私の場合、
たまに身近でいつも私を見ている家族には、
目で見て不調がわかる時もあるようです。
背中を丸め、目が泳ぎ、
どよんとした表情になったり、
真っ白の顔色になったり、
ロボットのようなカクカクした歩き方になったり、
半身をひきずったり、
同じことを繰り返し話したり、
物忘れがあったり、同じミスを繰り返したり、
箸を持つ手がぎこりなかったり、と
視覚的に私の異常が伝わる時もあるのですが、
それはほんとうに
たまに、という程度です。
ほとんどの場合
見た目では私の苦痛は、周囲には伝わらないのです。
見た目には本当に通常の人間やむしろ「健康そう」に見えます。
「味覚、痛覚、触覚、平衡感覚、聴覚、視覚」などの微妙な感覚異常で
「本人だけが感じる症状」が多く、
その苦しさは、なかなか理解されません。
言葉で異常を伝えようとしても、
その健康そうな外見のため、
はじめから真剣に聞いてもらえません。
先日の私のように、
絞殺されそうに、圧死されそうに苦しい時でも、
自分の姿を鏡で見ても、
自分でも、
症状と反比例するかのように、「元気そう」にしか見えないのです。
だから、苦しくてじっとしていたり、横になっていても
怠け者にしか見えないのです。
これは脳脊髄液減少症とわかる前の話ですが、
不調で病院受診しても、
めったに会わない医師の3分診療で、
見た目に元気そうな患者の、深刻な訴えを
真剣に聞いて、信じてもらえるわけがありません。
たとえ訴えを真剣に聞いてもらえても、
「病院に行けるぐらい、体調がいい時」であるためか、
検査しても検査になにも異常は出ないから、なおさら、信じてもらえません。
しかも、短い診察時間で
あの数々の複雑で多彩な症状のすべてを、
話そうと思っても、いざという時、言葉が出てこないし、
言ったそばから忘れてしまう頭で、
あの複雑な症状を言葉で表現できるはずがありません。
私がやっとの思いで言葉で症状を表現して、
一年かけてもブログに書ききれないような複雑な数々の症状を
混乱する思考の頭で、たまにあう医師に理解されるように
言葉でうまく、とっさに3分以内に的確に医師に伝えられるはずがありません。
必死に言葉で訴えようとしても、
高次脳機能障害の脳では、とりとめないことを話してしまい、
そんな患者にうんざりした表情を浮かべる医師も多いのです。
もたもたしていると、言葉には出さずとも、
医師は「で、なにしに来たの?」
「で、あなたはどうしたいの?」というような気まずい雰囲気になってしまいます。
たとえ、患者の言葉に真剣に耳を傾けてくれる医師であっても、
一般的な検査をして異常がなければ、その態度は豹変します。
ますます冷ややかな疑念の目を向けられます。
脳脊髄液減少症という病態は、
何重にも、隠れみのに守られ、その姿をなかなか表に現さず、
患者本人も医師をもあざむく、ずるがしこい犯罪者のような病態です。
なかなかその真犯人の姿に気がつくことも、
捕らえることもできないのです。
そして最後は
「ストレスのせい」「精神的なもの」と言われ、
精神科の薬を山ほど処方されたりします。
患者はワラにもすがる思いで、
その薬を飲み続けます。
処方されれば処方されただけ、








治りたい一心で飲みつづけます。
原因が違っているのに、処方された薬の影響の怖さを
私は知っています。
診断が間違っていれば、その処方の効果は
一時的なものか、
何の効果もないか、
かえってまた違った苦しさを増したり、
よけい心身のバランスを崩したりします。
中には精神に強い影響を及ぼす薬もあり、
ただでさえ、脳脊髄液漏れでいろいろな精神症状も出て、
安定を欠いていた精神状態が
よけい不安定におかしくなったりもします。
線維筋痛症で自殺した、とされているあの方は、
私が体験したこの流れに
もしかしたら、流されてしまったのかもしれないと、
残念でなりません。
全身の激痛に苦しみ、赤ちゃんも抱けず、
「一日に40個ぐらい20数種類の薬を飲むほどの日々が、
永遠に続くことになる。彼女の心の中に、絶望が広がっていったのか。」
と女性週刊誌に書いてありました。(女性セブン2006年2月22日号 P30)
当時テレビに何度も出てきた何人かの線維筋痛症の専門医や
第一人者とされる先生方の言い回しが、
私が今まで言われ続けてきた
「性格的なもの」「精神的なもの」「ストレス」という
言葉が出てきたのを聞き、どうも気になりました。
脳脊髄液減少症患者の多くも体験しているはずですが、
医師が自分にわからない症状や原因は
皆、患者自身のせいであるかのような言い方は
許せません。
あの方の自殺報道を週刊誌やテレビで見て、
あまりに似ている症状、経過、流れに、
線維筋痛症とは、脳脊髄液減少症と同じ病態につけられた
「違う病名」なのではないのか?と改めて思いました。
私は
「あのような痛み、苦しみが、育児ストレスやうつや性格のせいで
出るわけがない。
もし、脳脊髄液減少症を知る医師や
専門医にたどりついて相談していたり、
ブラッドパッチを受けていたら、
彼女は死なずにすんだかもしれない

一生一日40個もの薬を飲む必要など、なかったのかもしれない。」と
の思いが消えませんでした。
(私と同じ思いを、漫画家のまつもと泉さんもご自身のブログで書かれています。
松本さんの記事は私のブックマークにはってありますので、手順に従って、お読みください。)
ところで、この線維筋痛症という病名は、
いつ?どこのどなたが名づけたのでしょうか?
どなたかご存知でしたら、教えてください。
(つづく)
たまに身近でいつも私を見ている家族には、
目で見て不調がわかる時もあるようです。
背中を丸め、目が泳ぎ、
どよんとした表情になったり、
真っ白の顔色になったり、
ロボットのようなカクカクした歩き方になったり、
半身をひきずったり、
同じことを繰り返し話したり、
物忘れがあったり、同じミスを繰り返したり、
箸を持つ手がぎこりなかったり、と
視覚的に私の異常が伝わる時もあるのですが、
それはほんとうに
たまに、という程度です。
ほとんどの場合
見た目では私の苦痛は、周囲には伝わらないのです。
見た目には本当に通常の人間やむしろ「健康そう」に見えます。
「味覚、痛覚、触覚、平衡感覚、聴覚、視覚」などの微妙な感覚異常で
「本人だけが感じる症状」が多く、
その苦しさは、なかなか理解されません。
言葉で異常を伝えようとしても、
その健康そうな外見のため、
はじめから真剣に聞いてもらえません。
先日の私のように、
絞殺されそうに、圧死されそうに苦しい時でも、
自分の姿を鏡で見ても、
自分でも、
症状と反比例するかのように、「元気そう」にしか見えないのです。

だから、苦しくてじっとしていたり、横になっていても
怠け者にしか見えないのです。

これは脳脊髄液減少症とわかる前の話ですが、
不調で病院受診しても、
めったに会わない医師の3分診療で、
見た目に元気そうな患者の、深刻な訴えを
真剣に聞いて、信じてもらえるわけがありません。
たとえ訴えを真剣に聞いてもらえても、
「病院に行けるぐらい、体調がいい時」であるためか、
検査しても検査になにも異常は出ないから、なおさら、信じてもらえません。

しかも、短い診察時間で
あの数々の複雑で多彩な症状のすべてを、
話そうと思っても、いざという時、言葉が出てこないし、
言ったそばから忘れてしまう頭で、
あの複雑な症状を言葉で表現できるはずがありません。

私がやっとの思いで言葉で症状を表現して、
一年かけてもブログに書ききれないような複雑な数々の症状を
混乱する思考の頭で、たまにあう医師に理解されるように
言葉でうまく、とっさに3分以内に的確に医師に伝えられるはずがありません。
必死に言葉で訴えようとしても、
高次脳機能障害の脳では、とりとめないことを話してしまい、
そんな患者にうんざりした表情を浮かべる医師も多いのです。
もたもたしていると、言葉には出さずとも、
医師は「で、なにしに来たの?」
「で、あなたはどうしたいの?」というような気まずい雰囲気になってしまいます。
たとえ、患者の言葉に真剣に耳を傾けてくれる医師であっても、
一般的な検査をして異常がなければ、その態度は豹変します。
ますます冷ややかな疑念の目を向けられます。

脳脊髄液減少症という病態は、
何重にも、隠れみのに守られ、その姿をなかなか表に現さず、
患者本人も医師をもあざむく、ずるがしこい犯罪者のような病態です。
なかなかその真犯人の姿に気がつくことも、
捕らえることもできないのです。
そして最後は
「ストレスのせい」「精神的なもの」と言われ、
精神科の薬を山ほど処方されたりします。
患者はワラにもすがる思いで、
その薬を飲み続けます。
処方されれば処方されただけ、









治りたい一心で飲みつづけます。
原因が違っているのに、処方された薬の影響の怖さを
私は知っています。
診断が間違っていれば、その処方の効果は
一時的なものか、
何の効果もないか、
かえってまた違った苦しさを増したり、
よけい心身のバランスを崩したりします。

中には精神に強い影響を及ぼす薬もあり、

ただでさえ、脳脊髄液漏れでいろいろな精神症状も出て、
安定を欠いていた精神状態が
よけい不安定におかしくなったりもします。
線維筋痛症で自殺した、とされているあの方は、
私が体験したこの流れに
もしかしたら、流されてしまったのかもしれないと、
残念でなりません。

全身の激痛に苦しみ、赤ちゃんも抱けず、
「一日に40個ぐらい20数種類の薬を飲むほどの日々が、
永遠に続くことになる。彼女の心の中に、絶望が広がっていったのか。」
と女性週刊誌に書いてありました。(女性セブン2006年2月22日号 P30)
当時テレビに何度も出てきた何人かの線維筋痛症の専門医や
第一人者とされる先生方の言い回しが、
私が今まで言われ続けてきた
「性格的なもの」「精神的なもの」「ストレス」という
言葉が出てきたのを聞き、どうも気になりました。

脳脊髄液減少症患者の多くも体験しているはずですが、
医師が自分にわからない症状や原因は
皆、患者自身のせいであるかのような言い方は
許せません。
あの方の自殺報道を週刊誌やテレビで見て、
あまりに似ている症状、経過、流れに、
線維筋痛症とは、脳脊髄液減少症と同じ病態につけられた
「違う病名」なのではないのか?と改めて思いました。
私は
「あのような痛み、苦しみが、育児ストレスやうつや性格のせいで
出るわけがない。
もし、脳脊髄液減少症を知る医師や
専門医にたどりついて相談していたり、
ブラッドパッチを受けていたら、
彼女は死なずにすんだかもしれない


一生一日40個もの薬を飲む必要など、なかったのかもしれない。」と
の思いが消えませんでした。

(私と同じ思いを、漫画家のまつもと泉さんもご自身のブログで書かれています。
松本さんの記事は私のブックマークにはってありますので、手順に従って、お読みください。)
ところで、この線維筋痛症という病名は、
いつ?どこのどなたが名づけたのでしょうか?
どなたかご存知でしたら、教えてください。

(つづく)
脳脊髄液減少症、線維筋痛症、神経因性疼痛の患者さんは「精神的なもの」などと一蹴されてしまい、正確な診断を受けることがなかなかできず、いくつもの病名を告げられ、途方に暮れている状況であると聞きます。
以前、読売新聞のオンラインで、脳脊髄液減少症の患者さんについての記事がありました。まともな診断を受けることができている患者は3割にも満たなかったとあったように記憶しております。
見た目に表れないために、症状を訴えることすらままならない状況であることが理解されない。正確な診断を受けられない…これほど患者さんにとってきついことはないでしょうね。
脳脊髄減少症のみなさんは、同じ症状を訴えているのだから・・・もう国も医師も認めて欲しいですよね!
話を真摯に聞いて欲しい!
検査をして欲しい!(シンチはちょっと危険だが)
原因が分からず悩んでいる方は大勢いるのだから。
私は最近、いろんな先生や、FMSの患者さんたちとお話していると、テイズイとFMSはマッタク違う病態だと思うようになりました。
ただ合併している人は、かなりいると思います。
もし髄液が漏れているなら、パッチしないと、いい治療しても効果が出ない事になります。治療をする先生は、広い視点を持って治療してもらいたいデス。
どうも、見た目にも苦しさが現れず、検査にも出ない、本人が感じるだけの、異常は、冷遇される傾向にあるみたいで、とても悲しいです。
昔は血糖値も、血圧も、体温すら、数値化できなかった時代があったのでしょうから、
目に見えない異常も、まだまだあると認めてもらいたいです。
それまで、名前も知りませんでした。
ろくろさんは、いろんな知識や人脈があるから、実際の患者さんたちの生の声を聞いているろくろさんの情報は確かなのだと思います。
でも、違う病態でも、似ているために、最初の診断のところで
間違っている場合もあるように思います。
もし、良かったら、全く違う病態だと思う根拠をどうか教えてください。
私も時々、体の中を線維筋痛症の方が表現する「ガラスが駆け巡るような痛み」も感じるのです。
11月は、体の内部を食い荒らされるような痛みも感じています。
これを、ブラッドパッチしても、全然治らないと思えば、そうも言えますし・・・。
謎です。
それに、繊維ではなく「線」維なのは、この漢字の意味が良くわからないのですが、もし、ご存知でしたら教えてください。
誰がいつ、命名したのか?
ご存知ですか?
いずれにせよ、全く違う病態だとしても、同じ人間に起こることです。
研究者たちは、分野や病名ごとに壁を作らず、情報交換してほしいと願っています。
「他の病気があっても、線維筋痛症の診断は妨げられない。」
とすると・・・・
脳脊髄液減少症でも、
線維筋痛症の診断名がついてもおかしくないのね。
う~ん、よくわからない。
どこがどう違うのか・・・・?
僕も今年の3月にこの病気と診断されましたが、BPを受けてません。今日も生理食塩水を入れて調子良くなるようなら、BPしようという流れになっていたのですが、どうも僕はグレー患者なのだそうです。RIは3月で、1時間の早期膀胱集積は見られるものの、症状が薄いと言う事で、医師から、様子見ようという流れになりました。今日ミエロも撮りましが問題なし、とう事です。
でも、もう1年、視覚の違和感、ふらつき、軽い頭、首の違和感に悩まされてます。仕事は日に13時間肉体労働+デスクワークしてます。仕事終わりにはぐったりです。1年前までは、その後、デートしたり、仲間と飲みにいけてましたが、今は無理です。休みの日はバイクとスポーツの日々でしたが、今は皆無です。ひたすら寝てます。
将来に対する不安、いつまでも家族は生きてませんし、迷惑かける訳にもいかない。仕事休む事は家族の生活をおびやかす事になるので、休むわけにも辞めるわけにもいきません。上司は僕の体調が悪い事を知っているので、日勤の給料の安い部署に変えようと思案中らしいし、それこそ、破綻です。今現在34歳ですが、後30年はばりばり働かないと未来はないし、結婚も家購入もみおくりました。たまに、仕事終わりに車で帰宅途中、猛スピードで海に突っ込んで死のう、と脳裏によぎります。それなら、親の年金生活をおびやかさずにすむと。。労災と保険金入るしね。でもまだ、死ぬ時じゃない、ふんばれ、と思い直します。生き地獄ですよ。この状態で生計を立てるのは。でも、今日希望の光をみました。看護士さんで歳の頃は40歳くらいの方でなんとBP2回されて、仕事に復帰されている方と病院で出会いました。その方は交通事故に遭われて、全くおきられない、吐きまくり、車の揺れでも、吐く、ふらつきすぎて歩けない、体中痛い、そんな状態から、今は雨の日頭重くなる程度で、後はふらつかない、痛くない状態まで、治ったそうです。先生にも、この病気は絶対治るから、心配するな、仕事行ける間は頑張って、もうだめ、と思ったらおいで、治すから、と励まされました。看護士さんにも治るから、大丈夫、このケガは気持ちで、ずいぶん左右されるから、もし駄目でもBPでほんんと良くなるから、といわれました。癒着の痛みはおそらく医師の腕にかかってくると思います。
大きい病院だからいいというわけでもない。その方は癒着の痛みはすっかりないといってました。
後、めまいふらつきは首からの事もあるので、ブロック注射で全くなくなる人もいるようです。
あ~もう少しがんばるか。
限度が超えたのか、疲れすぎ、えびのように丸くなってもう体はへろへろ動きません。 熱は出て、呼吸もおかしくなり、「呼吸困難こないように、こないように」と祈りつつ、、聴覚過敏になるは、、しびれがでそうになるは、、不安と恐怖で横になって天井とのお見合い。
氷をもらい冷やしたら、親切な人が「この薬は風でも痛みでもよく効く、飲みなさい」とくれる。
私、「いや、うあ違うんだ、かくかくしかじかで薬は効かない。 だから氷だけでください、、」
とうてい理解してもらえません。 最後には夢さんの場合と同じように怪訝な顔をされます。
外で話し声や、音楽が体に刺さ去って気持ち悪くなるからといっても理解してもらえないから、黙って絶えて時間のたつのを待つだけ、、
口は達者だから「だれも私の症状がわからない」
まだ、体調が悪いなりに動けるところに戻らない。 だいたい回復に1週間近くかかる。
自由に動けたら、今頃、、ああ、残念、
しかし、これも人生、がんばろう
もう、そろそろ、生理周期で、具合の悪い時期に突入するので、
コメント止めようかと思っていたら、
皆さんの貴重な書き込みが・・・
お辛い中、皆さん本当にありがとうございます。
私もとても参考になりますし、
同じ患者さんも参考になると思いますし、ここを訪れる健康な方がたにも患者の実態を知っていただけると思います。
ありがとうございます。
コメント保留になっている時は、どんどん書き込んでおいてください。
すぐ、公開できない時もありますが、
生きている限り、いつかは必ず公開しますから・・・。
私も、現在検査でまだ漏れて
出来れば、体力的にも、経済的にも、2度目は避けたかったのですが、
・・・。
でも、これでも、昨年よりは、たまに一人で買い物にも出かけられるようになり、回復したのです。
ブラッドパッチ前は、庭に出るのもやっとでしたから。
自分で運転して外出して、店内回って買い物なんて、不可能でしたらから。
文章はまとまらず、パソコンの画面も眩しくて見ていられず、苦しくて5分とすわっていられず、ブログを書くなんて全くできませんでしたから。
孤独で孤独で、苦しくて耐えられなくて、同病の患者さんのブログにすがりつくようにして、そこでの同病の患者さんたちとの交流だけが支えてしたから、
そこでも、短いコメント残すのがやっとでしたから・・・。
今も痛みや苦しみは残るものの、ブラッドパッチ前よりは、確実に楽になっています。
私もね、何年か前、まだ、こんなに悪化していなかったころ、
運転していて、このままスピード上げて、どこかにぶつかって死にたいと思ったことがあります。
本当に、何の罪もない、交通事故被害者が、どうして症状だけでなく、無理解や、経済的苦しみまで抱えこみ、死にたくなるほどに追い詰められていくのか、わかりません。
しかも、患者を助けるべき医師の中にはこの病態を否定し、保険会社寄りの診断基準を作ろうとさえしている方がたがいることが、あまりにもひどく、許せません。
現実に被害者がこの病態であるのに、都合の悪い被害者は除外してしまうような、診断基準を作ろうとしている医師たちは、
殺人鬼と同じだと私は思っています。