脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

9年前の非公開記事・その2 脳過敏症候群

2020年06月30日 | 他の病名との関連性

2011-09-16 07:57:19  に書いた、今まで非公開だった記事、今夜公開します。

9年前の非公開記事は、9年前のその日の日付のところにも公開されるけど、

それじゃ、今、探して読むのが大変だから、ここへもリンクを貼ります。

おそらく思ったままに打った後、下書きのまま、公開しないままの記事がたくさんここには眠ってた。

私が死ぬ前に、それらを順次公開していこうと思っている。

今は、脳過敏症候群なんて病名、すたれてしまって、この病名で検索してくる人いないと思うけど、一応当時は、毎日新聞からムック本も出ていたぐらい騒がれていた。

でも、脳脊髄液減少症の症状を知っている人なら、この症状が脳過敏症候群ではなく、脳脊髄液減少症の症状の一部、光過敏、音過敏の症状であることは容易に想像できた。

でも、脳過敏症候群という病名を提唱し、当時騒がれていた、医師に私は受診したことがなかったから、その医師が果たして、脳脊髄液減少症を知っていたのかどうか知るよしもなかった。

けれど、呑兵衛さんのブログで、呑兵衛さんが、実際に「脳過敏症候群」と診断され、治らず、脳過敏症候群と診断した医師に、脳脊髄液減少症について話すと否定されたとのことを知って、いまごろですが、やはりそれぞれの専門医を名乗る人であっても、脳脊髄液減少症のことは、当時、否定的なお考えだったのだな、と気づいた。

そこで、自分のブログの中に眠っていた、当時書いた、「脳過敏症候群」の記事を探すと、あるわあるは書きかけの記事が・・・。

で、もったいなからひとつずつ公開中。

今日は「毎日ムックにもの申す」という2011-09-16 07:57:19に書かれた記事。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年6月29日公開・9年前に書いた非公開記事「脳過敏症候群は脳脊髄液そっくり病」

2020年06月29日 | 他の病名との関連性

公開していなかった9年前の2011-09-11 00:02:51に書いた記事を、本日、下書きそのままに、公開しました。

 

脳過敏症候群は脳脊髄液減少症そっくり病

この記事以外にも当時、公開するのを躊躇した脳過敏症関連の非公開記事は、

本日確認したらまだあと9記事、あります。

 

今は、この「脳過敏症候群」で検索する人はあまりいないと思われますが、

(アメーバブログの)「呑兵衛さん」が、この「脳過敏症候群」で検索していて、私のこのブログにたどり着いたそうなので、

万一、今も、脳脊髄液減少症の症状を、脳過敏症候群とされて、なかなか脳脊髄液減少症の病名にたどり着けない人もいるかもしれないので、残りの非公開記事も順次公開いていこうと思います。

 

私がもし、死んでしまったら、誰にも読まれないまま、消されてしまう記事たち。

今のうちに、誰かに読んで、何かを考えるきっかけになってもらえたらと思います。

 

あと、当時、私とブログ上で交流があった、アクビちゃん、ろくろさん、うみさん、生存していますか?

あの当時は、皆さんとの交流が孤独な闘病の心の支えでした。

ありがとう!

もし、それらの方とお知り合いの方がいたら、どうか、伝えてください。

私は、今もなんとか生きていますと。

 

 

 

 

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脳脊髄液減少症患者の自殺者は、大人が多いわけ

2020年06月27日 | 心の葛藤

子供が、脳脊髄液減少症の症状の苦しさや、医師やまわりに理解されない精神的苦痛で自殺するという話はあまり聞かない。

(もしかしたら、自殺する子供の中に、大元の原因が脳脊髄液減少症なのにそれに本人も親も誰も気づかないまま亡くなった子はいるのかもしれないけど)

けれど、大人の患者が、せっかく脳脊髄液減少症の診断までいきついて治療もうけているのにもかかわらず、自死でなくなってしまう話は時々聞く。

その理由を私は、自分の体験から想像できる。

悪化した時、それがわかった。

だって、苦しくて苦しくてたまらないにもかかわらず、身近な医師も家族も、私の感じている危機感を感じてくれないし、助けてくれなかったから。

大人の患者は、子供の患者のように守ってくれる親や保護者がいないから、とてもつらい。

 

配偶者とか親兄弟とかが、自分の代わりに動いてくれるようなそんな恵まれた患者ばかりではないから。

入院準備も、移動も、書類書きも、買い物も、親の介護も、自分の会社や周囲への報告も、各種書類の申告も、なんでも自分で、健常者と同じようにすることを、周りから「大人なんだから自分でできるでしょう」と当たり前のように強いられるから。

症状が悪化しても、脳脊髄液減少症を診ている医師のいる病院はどこも予約患者で一杯で、子供の患者優先だから、急激に悪化してもすぐさま診てもらえない。

耐えがたい苦痛を抱えたまま、大人だからと普通の生活を周囲から強いられ続ける。

 

見た目が死にそうな病人に見えないから、地元の病院でも、助けてもらえない。

入院もさせてもらえない。

日常に普通に生活することを強いられ続ける。

その苦痛と絶望感に耐えられなくなって、亡くなってしまう人もいるんだと私は思う。

 

たしかに子供は未来があるから、救う優先順位は高いのかもしれない。

けれど、脳脊髄液減少症の病院に、自分が何の努力をしなくても大人たちがつなげてくれるような恵まれた子供たちは、

親が働いてくれる。

親が家事をして食事を作って提供してくれる、親が入院準備も入院書類もすべて準備してくれる、

親が障害年金や、確定申告の難しい書類をなんでもやってくれる、

親が病院に症状悪化で受診したいと医師に伝えてくれる、

寝たままでも親が病院まで運んでくれる、

自分に代わって世間に脳脊髄液減少症について発信してくれる、なんでも患者に代わってやってくれる大人たちがいる。

けれど、大人の患者はそうはいいかない。

 

どんなに救急の症状悪化時でも、自分で道を切り開かなければならない。

救急車を呼んで、運ばれて、その病院で助けてもらえるようなそんな普通の病気やケガと全然違う、過酷な状況の中、自分でなんとか生き延びなければならない。

その苦痛さ。

しかも、脳脊髄液減少症でありながら、苦痛を抱えて子供を育て、老人を介護し、働き、家族の生活を支え、家事を毎日しなければならない、そういう世代の大人患者たちがいる。

その人たちよりも、子供を優先して診て!という、子供の親たちに伝えたい。

大人の患者の方が、周囲から、健常者と同じように、求められることが多すぎて、とてもとてもきついんですよ。と。

 

子供だからというだけで、その親たちが「こどもを優先して!学校があるから」というのもわかる。

けれど、他の病気や疾患で「こどもだから大人より治療を優先する優先枠がある」ってことはないと思う。

こどもだからというだけで、診察や治療を優先させるということは、もうそろそろ改めてほしい。

大人も子供も公平に、受診の先着順、あるいは、

普通の災害時と同じように、大人子供関係なく、普通のトリアージにして治療してほしい。

でも、大人患者は大人患者でも、新米患者と慢性患者とは、耐えてきた年月が違いすぎるから、慢性患者ほど痛みや苦しみに我慢づよいはず。

我慢強いから生き残ってきたわけだから。

慢性になればなるほど、我慢起立性頭痛がなかったり、するから、医師から見ても、緊急性が薄いと感じてしまうと思う。

ただでさえ、見た目、元気そうに見える脳脊髄液減少症。

慢性患者は、痛みや苦痛があっても、普通に生きることを強いられ続けてきたから、忍耐力もすごいし、痛みにもかなり我慢強く、辛さに慣れている。

新米患者の方が「苦しい痛い、つらい!」と「頭が痛い、頭が痛い」と大騒ぎするだろうから、医療側も頭が痛い人を放置はできないだろう。

だから、

慢性患者がどんなに髄液漏れがひどくても、黙って耐えて順番を律儀に待つ人と、

新米患者が脳脊髄液減少症の症状を初めて体験してビックリ仰天し、痛いよ苦しいよと大騒ぎする場合、

新米患者の診察や治療を優先されてしまうだろうと思う。

脳脊髄液減少症の症状悪化時、検査まで半年待ち、そこからさらに治療まで半年待てと言われたら、その間、耐えきれず自殺してしまう人がいるのも、私にはすごくよくわかるのです。

脳脊髄液減少症の病名がすでにある時代に、交通事故に遭い、すでに診断してくれる医師が数は少なくても存在する時代に脳脊髄液減少症を発症し、早々に診断され、病名をもらい、れっきとした病人として認められ、

「怠けもの」でも「おかしな人」でも「精神疾患」でもなく、怪我の後遺症、あるいは体の病気だと家族や周囲に認識され、思いやられ助けられ支えられ、すぐさま十分な入院もさせてもらっている人と、

昔の病名も存在しない時代の患者とは、症状に耐えてきた時間がぜんぜん違うのに、

慢性患者はすぐには死なないからと、軽視されがちな気がする。

「頭が痛い」という命にもかかわりかねない、医師が深刻になってくれる症状は、慢性患者にはない場合もあるから、よけい医師から後回しにされがち、放置されがちだから、

脳脊髄液減少症になったばかりの新米患者より、大昔に発症してずっと苦しんできた患者の方が、さらに治療までの待ち時間を長くさせられる気がして、時々悲しくなるのです。

そんなことはないのかもしれないけど。でも、見た目よけい軽症に見えるのは慢性患者だと思うのです。がまん強いから。

今まで医師にいろいろ傷つけられてきたから、傷つけられるぐらいならと、症状を我慢するクセがついているから。

 

 

 

 

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きょうも”伝わらない”

2020年06月25日 | つぶやき

※ 文章が支離滅裂だった部分修正しました。(2020年6月27日)

「うちの先生はすでに脳脊髄液減少症を知っている」と言われた話

テレビに出ていた某医師に脳脊髄液減少症について伝えようとした。

「すでにうちの先生は知っている」と阻止された。

医師に直接伝えられない、受け取ってもらえない、会ってもらえない、突き返される、といった、さまざまな門前払いには慣れていたはずの私だったけど、

今日も失望した。

「脳脊髄液減少症について十分知っている医師」なんて、そうはいないよ。

知っていたら治せるはず。

あなたは治せない患者をたくさん抱えているはず。

だから、脳脊髄液減少症の治療をしているとは言えないと私は思う。

 

でも、あなたは、患者に寄り添えている。

だから私はあなたに伝えようとした。

あなたには、診断も治療もできなくても、患者の症状の訴えから、脳脊髄液減少症に気づけるかもしれないと。

そこから患者を専門医につなげてくれる先生かもしれないと。

 

けれど、

私のひさしぶりの“脳脊髄液減少症について伝えようと”する思いはあなたに伝えることはできなかった。

伝えるすべさえ、受付事務担当者という第三者によって絶たれてしまったのだから。

 

心の暖かい人たちがいる病院でも、脳脊髄液減少症に対するこの対応に、

この病院は脳脊髄液減少症に関してはダメだと感じた。

ここの医師も、脳脊髄液減少症を知っていて治療に取り組んでいるとはいっても、知っているのは「病名だけ」でしょう?となんとなく思った。

知っているなら、脳脊髄液減少症の患者と向き合い続けてきた医師たちの今までの経緯を知っていますか?

知らないでしょう?

詳しい症状や、その症状が出た時、自分でできる対処方とか、病院でできる対処法とか、知っていて、患者に教えられますか?

おそらくできないでしょう?

「知っている。治療に取り組んでいる。」という医師に限って、脳脊髄液減少症について何もわかっていない。
私が医師に伝えるのを阻止した人が私に言った言葉。
 
「知ってますよ。難しい病気ですよね。」と。
その先生の側近の事務の人が、「難しい病」なんて言っているそれこそが誤解だよ。

脳脊髄液減少症が難しい病気だって?
脳脊髄液減少症は早期発見、早期治療すれば、回復はそう難しくないはず。

私のように回復を難しくしているのは、医師のあなたのように、あなたの思い込みで、あなたが知っている範囲での別の病名つけて、それを患者に信じ込ませてしまっているから。

患者があなたの誤診を何も疑わず信じ込んでしまった結果、患者はずっと、あなたの診断とあなたを信じ続け、なかなか「脳脊髄液減少症」の存在に気づけず、その分、回復が遠のく。

脳脊髄液減少症の病名も存在しなかった私のような時代の患者なら、早期発見、早期治療ができず、こじらせて私のように難治性にしてしまうのはしかたがない。

けれど、2020年、令和の今の時代、私のような思いを、あなたたち医師の無知とおごりで、私のような思いを、二度と患者たちにさせないでほしい。

私の身近で自治体のホームページに掲載されていたから、過去に受診してみた医師のことをふと思い出した。

私が脳脊髄液減少症のことを診察室で伝えようとしたら「脳脊髄液減少症?そんなの知ってるよ!」と言い放った医師、その後、自治体のホームページから消え、以後全く掲載されなくなったことを思い出した。

「知っているなら、地域のために、患者の相談にのるぐらいのことは続けてほしかった」

あの先生、私の話を聞いて、自分の知識に自信がなくなったのだろうか?

今回のことで思い出したよ、あの脳外科医のことを。

「原因不明の病名」をつけて医師が自己満足する前に

「理解不能」「原因不明」の患者の訴えに出会ったら、まずは「脳脊髄液減少症」を疑って専門医に患者を紹介してほしい。

と同時に、自分もできる範囲で、正しく早期に診断するために、あなたが医師としてできることをするために勉強してほしい。

そうすれば治らない患者は減っていくはず。

いつまでたっても脳脊髄液減少症の専門医にたどりつけず、どんどん悪化していくから結果的に回復がしにくくなるんだと私は自分の体験から思う。

患者が回復に向かう時は、あなたの診断を“誤診では?”と気づき、自分で行動を変えた時。

でもあなたは自分の“誤診”を認めようとしない。

あくまで自分が診断した病名にこだわり続ける。

あなたから離れた患者は、別の医師によって、“脳脊髄液減少症”だと判明し、治療で良くなっても、

わざわざあなたに「あなたの以前の診断は間違っていましたよ。」とは言いに出かけてこない。

だから、あなたは自分の「誤診」に永遠に気づかない。

たとえ自分の誤診にうすうす感じていても、決して認めない。

先に自分が診断した病名をあくまで撤回しないで、先に診断した病名に、加える形で「脳脊髄液減少症」をつけさせるはず。

患者もそれを受け入れるはず。

先に、〇〇の病名があって、それに加えて「脳脊髄液減少症」もあなたには併発していたんですね、と。

自分のプライドのためか、自分の誤診を認めてしまうことの恐れか、絶対自分の診断が間違っていたと撤回しない医師たち。

そういうもんですよね、医師の多くって。

 

だから、今回、私にこんな対応をした、あなたと、あなたのいる病院に、私は、とても、原因不明の症状に苦しんでいる方々をお勧めできません。

だって、こんなんじゃ脳脊髄液減少症を見抜けるはずがないし見逃されると思うし、治せないと思うから。

回復を難しくしているのは、別の病名つけて脳脊髄液減少症の専門医につなげないあなたたちのせいだよ。」と言いたかったけどやめた。
もう、この人たちには何を言っても伝わらないと判断したから。
「脳脊髄液減少症=難しい病気」という発言をすること自体、誤解だと、思って失望した。
こういう病院が実在しているのはざらだからしかたがないけど。

この対応で、私は、今回この病院の体制がもうダメだと、そう思った。

原因不明の症状に苦しむ人たちに、「この病院、藁にもすがる思いで行ってはダメだよ」と教えてあげたいけど、みんな行っちゃうんだろうな。

だって、何度もテレビに出ている医師だから。

そうして、みんなその先生の診断を信じ切って離れない。だから治らない。

治らないってことは、誤診されていると気づけない。

医師も絶対に自分の診断が間違っていたとは認めない。

(え?この私だって治っていないじゃないですって?
ええ、完治はしておりません。でもそれは、交通事故から何十年もほったらかされてきて早期発見早期治療が遅れてこじらせたからであって、
主治医が悪いわけでも、間違っていたわけでも、治療法が効果がなかったわけでもありません。)

今まで、自分が診断して別の病名つけていた人たちが、実は脳脊髄液減少症で治療したら回復したなんて、信じたくもないだろう。

たとえ、内心自分の誤診に気づいている医師がいたとしても、今さら認められないのが医師のプライドなのかも。

医療者がすべて聖人とは限らない

世の中ではコロナで医師が称賛されているけど、その陰で脳脊髄液減少症患者が一部の心無い医師たちから受けていたことを、書いてもいいのだろうか?と思う。

でも、患者の思いや感じたことを書かなきゃ、これから先も何も医師たちは変わらないのだろうと思う。

本当にいい医師って、常に勉強しているし、生の患者の体験から学ぼうとするはず。

それができない医師は、たくさんいるはず。

やりきれない。

患者は自分の体を自分で守り、自分で回復させるために、医師をいつも冷静に観察して考えてほしい。

「この人の言っていることが正しいかどうか」といつも自分で考えてほしい。

 

髄液漏れだと、考える力も奪われてしまうのだけど、力を振り絞って自分で考え行動を起こしてほしい。

病名をつけてくれる医師にたどりついたことだけに、安心しないでほしい。

そこがゴールとは限らないのだから。

そこからまた何度も何度も試練をくぐってから、症状の本当の原因と、本当の回復へのゴールが見えてくることがあるのだから。

患者も、医師は神様じゃないってこと忘れないでほしい。

常に自分で考え続けてほしい、自分の体は自分が一番よくわかっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

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私がこのブログを始めたわけ

2020年06月23日 | つぶやき

ブログを始めた動機

昔は、脳脊髄液減少症の症状でブログ記事を書くのは今よりもっとつらかった。

このブログを始めたころは、インターネットが普及しはじめ、ブログが流行り始めたばかりのころ。

そもそも私は機械が苦手だった。

その上、体を長く起こして座っていることもままならなかった。

パソコンの前に座っているだけで、白い光が目にしみて、つらかった。

光を暗く調節しても、今度は電磁波かなにかわからないけど、とにかくパソコンの前にいるのがつらかった。

 

しかも、そのころ、脳脊髄液減少症治療に取り組む医師は、日本中の大勢の「脳脊髄液減少症の存在を否定する医師たち」に袋叩きにあっていた。

「損保とつながる医師」が、ブラッドパッチ治療を「おなじないのようなもの」で回復は患者の思い込みと言っていた。

損保は、この事故後遺症を否定するのに、あの手この手で動いていた。

 

あのころ、身をもって、脳脊髄液減少症の発症原因と、その後の理不尽さと、症状の理解されなさと、ブラッドパッチの効果を知ってしまった私。

実際に、交通事故にあったわけでもなく、原因不明の症状に日常を奪われたわけでもなく、ただ、医師というだけで、「脳脊髄液減少症の存在やブラッドパッチの効果」を平然と否定する“専門家”たち。

数少ない脳脊髄液減少症患者の治療に取り組む医師たちを、バカにし、軽蔑する多くの医師たち。

私は、こうした、無知な医師たちが許せなかった。

だから、

パソコンが苦手なのに、ネットが苦手なのに、体を起こしたり、パソコンや携帯画面を見るのは、つらかったのに、

「書かなきゃ!伝えなきゃ! 私が気づいて知ってしまったこと」と思って書きはじめた。

ただでさえ、精神症状で、精神状態も不安定だった。

ネットが苦手で、見知らぬ誰かが読むのが、恐怖でしかたなかった。

 

損保関係者かと思われる、心無いコメントが相次ぎ、ただでさえつらい症状がある患者なのに、健常者?にいじめられ何度も心折れそうになった。

まとめられない文章

過去の記事を読めばわかるけど、このブログ、文章がダラダラと続いてまとまっていない。

当時は、今より高次脳機能障害がつよくて、言いたいことをまとめることに難儀した。

同じことを繰り返し書いたりまとめられない。

今も、文章をまとめるのも、電話で要点を適切に短く話すのも苦手だけど、以前よりはマシになった。

あのころ、必死で伝えてたな。脳脊髄液減少症のこと。

 

でも、あれから14年たっても、私の身近な医師たちは、脳脊髄液減少症のこと、何もわかっていない。

そのことで、今、また、ここに帰ってきた。

ここが私の原点だから。

 

 

 

 

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伝わらない・・・

2020年06月23日 | つぶやき

昔、書いた「伝わらない」という記事

このブログで、昔、たしか「伝わらない・・・」という記事を書いた。

2006年11月23日 つたわらない

脳脊髄液減少症の症状を言葉で表しても、文字であらわしても、どうやっても、医師に伝わらないという思いを、書いたきがする。

それが、10年以上たった今でも、何も変わらない。

医師の多くが、2020年になった今でも、脳脊髄液減少症についてほとんど何もわかっていない。

 

昔と違うのは、病名だけはかろうじて知っている医師が増えたこと。

それでも、脳脊髄液減少症のことをわかっていないから、今でも、私の住んでいる地域の普通の医師たちの、脳脊髄液減少症の無知ぶりには、愕然とする。

脳脊髄液漏出症のブラッドパッチ治療が、多くの患者の、血のにじむような何年もかかった署名運動によって、健康保険適用が実現したのが、2016年4月。

しかし、実態は私がこのブログを始めた2006年のころと、あまり変わっていない。

今も、脳脊髄液減少症の伝えにくい症状を、患者が一生懸命に医師に伝えようとすればするほど、「神経症」「困った患者」「心の病」にされてしまう。

ブラッドパッチ治療の健康保険適用から4年もたつというのに、「自分には脳脊髄液減少症は関係ない」と思っている医師のなんと多いことか・・・。

新型コロナウイルス対策には熱心でも脳脊髄液減少症には無関心な行政

それに、患者たちの努力で、全国の都道府県庁に、脳脊髄液減少症の情報が掲載され、対応医療機関が掲載されても、何年も更新されていない県もある。

リストに載っている病院に行ってみても、とても「脳脊髄液減少症の非典型例」まで診断するのは無理と感じる医師ばかり。

「典型例」だって、脳脊髄液減少症の検査画像を本当に読めるのか怪しい感じがする医師もいる。

だって、先に書いたように、「診察室の椅子に座っている人は大丈夫」なんて言った医師に、検査してもらっても、ダメだと思って私は逃げるように帰ってきたことがあった。

そもそも脳脊髄液減少症のことをわかっていないのに、自ら「専門医」みたいに言われて「専門外来」なんか作られても困る。

他の医療機関も、「ブラッドパッチできます。」なんて、検査機器もない、入院施設もないクリニックが言っていたりする。

みな自己申告で「うちで診ますよ。」というだけで、その実力はいろいろだと感じた。

怖い。

昔、とある行政の、脳脊髄液減少症の対応医療機関として名前が乗っていた医療機関で、実はそこでは怪しい民間療法をやっている病院が乗っていた。

そのことを行政は知らないで載せている。なんのスクリーニングもなく、すべて医師の県への自己申告だけで安易に乗掲載する。 恐ろしい。

他の医師をたくさんめぐっても症状の原因がわからず、県の発する情報ならと、藁にもすがる思いでその病院に行ってしまう人もいることだろう。恐ろしい。

ああ、恐ろしい、恐ろしい。

知らないって恐ろしい。

自分で脳脊髄液減少症になってみれば、患者の言葉が嘘でないこと、わかるはずなんだけど。

この新型コロナウイルス感染症一色の2020年。

脳脊髄液減少症だって、新型コロナウイルス感染症以上に、誰にでもなりうるものだってことに、誰にでも無関係ではないってことに、

いったいいつになったら、世界中の人達が気づくんだろう。

あと、30年ぐらいは、軽くかかるんじゃないかって、悲観してる。

 

 

 

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呑兵衛さん、私のブログを読んでくれた皆さま、ありがとう!

2020年06月14日 | 小さな幸せ

しばらく、このブログから離れていた私ですが、たまたま、前回のブログで書いたように、私が知らない間に私のブログを読んでくださった方がいたこともあって、

先日、気が向いてネットで「脳脊髄液減少症」で検索していました。

すると偶然

呑兵衛さんのブログ を見つけました。

 

偶然気づいた、脳脊髄液減少症患者さんのブログ

私は普段は、他の脳脊髄液減少症患者さんのブログは読むと気持ちが落ち込むので、ほとんど読みません。

誰かがご自身のブログをリンクされても、その先をたどって読むこともほとんどないのです。

なぜなら、最近脳脊髄液減少症ブログを始められるような方々は、若く、「脳脊髄液減少症と診断された」といっても、「脳脊髄液減少症が世の中に認められはじめてからの」発症で、発症から診断治療までが早く、同じ病名でも私とは全く経緯が違うからです。

医師から専門医にすぐ紹介してもらえたり、

地元医師の理解に恵まれていたり、家族や配偶者や地域の支援と理解に恵まれているとかで、

同じ病名でも病名に至る過程とその後の苦しみの質と量が私とは全然違っていると感じてしまうからです。

他の脳脊髄液減少症患者さんのブログを読むと、私はよけい気持ちが落ち込むので普段は読まないのです。

テレビも見ると同じ理由で同病患者さんが出ているのを見るとつらくなりますのでほとんど見ません。

自分の心を平静に保つためです。

 

けれど、この呑兵衛さんブログは、気になって、なぜか開いて、読んでしまいました。

なぜならタイトルの下の目につきやすいところに「私は脳脊髄液減少症の患者さんのブログで同病に巡り着くことが出来」と書いてあったからです。

「誰のブログ?」と気になってしまったのです。

そして、そのブログを開くうち、2014年3月24日の記事「救ってくれたのは患者さんのブログ」という記事を見つけたのです。

そして、読んで知ったのです。

呑兵衛さんの原因不明の症状を脳脊髄液減少症だと気づかせるきっかけになったブログとは、この私のブログだということに。

お役にたててよかった!

呑兵衛さんが私のブログについて記事を書いてくださったのが2014年3月だから、そこから6年もたった、2020年の6月の今になってはじめて、私はそのことを知りました。

しかも、呑兵衛さんのその記事のコメント欄にも、他にも、「いぷぅ」さんも私のこのブログで救われたと書いてあり、「piyo」さんという方も、私のこのブログについて書いてくださっていました。

驚きと同時に、本当に感動しました。

私の記事を読んでくださった皆さん、ありがとうございます。

すべての皆様に、私は「ありがとう」と伝えられないので、

どなたか皆様に伝えていただけませんか?私が皆さまの存在に気づいて感謝していたと・・・。

呑兵衛さんの記事のコメント欄に、コメント書こうとしたのですが、私はアメブロのアメンバーではないためかコメント欄がなぜか開かなくて、気づいたことをお知らせすることもできませんでした。

それにしても、脳脊髄液減少症が健康保険適用になったのが2016年4月ですから、

それ以前にもかかわらず、専門家でも医師でもない私のブログをよく読んで、信じてくださり、

そして、自分で自分を助ける行動を起こし、

症状の本当の原因である、脳脊髄液減少症にたどりつけた方々が複数いたということは、私としても、感動的です。

これで私の人生が無駄ではなかったと、自分の人生の意味を肯定でき、

 

安心していつでも寿命を迎えられます。

 

呑兵衛さんが私のブログで気づいたことを書いてくださり、その文章を6年後に私がたまたま目にして、

「私の経験が、誰かのお役に立てた」ことを確認できました。

症状を人に理解されず、誤解され、つらい人生だったけれど、

症状が辛い中でのブログ更新だったけれど、書いてきてよかったと、思いました。

本当に救われました。

こちらこそ、書いてくださり、ありがとうございました。

6年かかりましたが、ちゃんと私に届きました。

皆さまのお役に立てて幸いです

私の経験や考えや気づきが、誰かのお役にたったのかと思うと、生き延びてきてよかったと思えました。

他にも、ご自身のブログで、私のことを書いてくださっている方もいるのかもしれませんね。

もし、いたら、このコメント欄で教えてください。

以前より精神状態はいいので、人間不信での恐怖心が落ち着いている時には読みに行けるかもしれません。

行けなくても、ここでならお話できるかもしれませんから。

 

2020年、日本の片隅で脳脊髄液減少症について思う

本当なら東京オリンピックで輝かしい年になるはずだった今年。

新型コロナウイルス感染症の蔓延で国を挙げて新型コロナウイルス感染症対策に取り組んでいます。

その中で、脳脊髄液減少症の国や医師の、患者に対する無関心と無理解の過去を知っている私は

とても複雑な思いです。

指定感染症だから「新型コロナウイルス感染症患者は税金で無料で治してもらえる」事を、私は複雑な思いでみています。

なぜなら、

脳脊髄液減少症の私は、当時は、治療はもちろん検査にも全く健康保険がきかなかったから。

ずべて自費だったから。

高額の治療費を貯金を取り崩して払い続けてきた私にとって、2020年のこの今は、脳脊髄液減少症の理不尽さを繰り返し思い知らされています。

「新型コロナウイルス」一色の世の中を、この数か月、脳脊髄液減少症の私は冷静にみていました。

そして、「新型コロナウイルス」には関心を持ち、「脳脊髄液減少症」には無関心な世の中に、精神的につらく感じ、

自分が生きてきた人生の意味さえも無意味だったかもと思って、うつになりかけていました。

そんな時、

呑兵衛さんのブログに出会いました。

私のこのブログが、日本のどこかの誰かの皆さまの「脳脊髄液減少症」にたどりつくきっかけになったと事を「呑兵衛さんのブログ」で今回初めて知り、救われた思いがしました。
 
脳脊髄液減少症が今ほど医師にも知られていなかった時代に、

専門家でも医師でもないただの患者の私の経験を、読んでくださり、何が真実で何が間違っているのかを見極めてくださり、行動を起こしてくださった皆さま。

そして、皆様を苦しめる症状の本当の原因にたどり着いた皆様。

ありがとうございます。

私の言葉を信じてくださって。

 

私も人生の終末に近づいた今、「もし?」と思うことがたくさんあります。

もし、もっと早く診断されていたら?、

もし、今の時代に事故にあっていたなら?、

もし、私の症状を理解し私に代わって動いてくれ助けてくれる家族がいたら?と思うことがあります。(家族がいないわけではありませんが)

もし、ブラッドパッチが健康保険適用になった後に交通事故に遭っていたら?、

もし、私の周りにもっと早く脳脊髄液減少症を知っていて専門医につなげてくれる医師がいたら?と、いろいろ考えてしまい、

すべてなかった時代に交通事故にあってしまった、アンラッキーな自分の人生に、

生きてきた意味を考えて、やりきれなくなっていました。

さらに、今年、2020年、新型コロナウイルス感染症で、

医師や医療者たちが称賛され、拍手され、感謝され応援される世間の風潮が巻き起こり、医師や医療に心まで傷つけられ続けた私にとって、つらい日々でした。

「医師には感謝することはあっても、批判するなんてもってのほか」という無言の世間の風潮と圧力を感じるからです。

この複雑な患者の私の気持ちについては、長くなるので次回書きたいと思います。

 

 

 

 

 

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私は医療者に拍手なんてできない!

2020年06月14日 | 心の葛藤

私はまだ、脳脊髄液減少症という病名はおろか、今では、ちょっと大きい病院ならどこでもある検査機器のMRIもなかった時代に交通事故に遭いました。


「原因不明の症状」に振り回されながら、医師にも家族にも症状を理解されず、ドクターショッピングをせざるを得ない中で、医師たちに何度も何度も、言葉と態度で傷つけられて医師不信、医療不信、人間不信になりながらも生きてきました。

医師の恐ろしさを知ってしまいました。


医師と医療関係者の無能さと、人格の問題点です。

医師が、自分の知識ではわからないのはしかたがないですし、わからないから患者を専門医に導けないのもしかたがないです。


でもそれだけならまだしも、自分が患者の症状の原因がわからないからといって、

症状の原因を患者の性格のせいにしたり、ただでさえ原因不明の治らない症状に苦しんでいる患者を、医師によるひどい言葉と無理解な態度でさらに患者を苦しめ、患者を絶望させ、患者を自殺に追い込みかねない「間接的殺人者」になりかねない、医師がいるのです。


そういう医師でも、医師であれば、この新型コロナウイルス感染症が蔓延した2020年には、医師だから、医療者だからという理由で、多くの人達に「感謝」され「拍手」され、「称賛」ているのでしょう。

私にはとてもできません。

私が感謝できるのは、私の症状の原因で「脳脊髄液漏出症」を疑いで、きちんとその検査をし、診断し、治療してくれた医師と、

脳脊髄液減少症に詳しくないももの、私の訴えを理解しようと、ご自分のできる範囲でなんとか対処してくれようと努力してくださった複数の地元医師の先生だけです。

私の脳脊髄液減少の症状を見逃し続けただけでなく、私をバカにし、症状のすべてを私の心のせいにし、途中で脳脊髄液減少症と診断がついて治療していても、その診断した医師を非難し、初対面の私にいきなり批判を始める医師たちのなんと多いことか。

自分は脳脊髄液減少症患者を真剣に救おうともしないくせに・・・。

若い時、医師国家試験をたまたま、たった一度だけ通過して取れた「医師」という資格だけを取った、

実力もないペーパードライバーみたいな「医師という名前だけの素人」も多数いると感じるからです。

そういう医師に多数出会ってしまい、医師の恐ろしさを知ってしまった私。

その恐ろしさをさえ誘発させかねないほそれとは逆の感情が今も消えないまま、心の傷を抱えている私としては、

医師や医療者がいかに悪魔のように恐ろしいかを経験してしまいました。

そんな経験をした患者がいることなど、世の中の人は知る由もないでしょうし、たとえそんな経験を語ったとしても、とても世間に理解してもらうことなどできず、

「いまこの時期に医療関係者の悪口を言うのではない」と私がバッシングを受けるのは目に見えているでしょう。

医療に見捨てられ、医師に見捨てられ、「あなたの症状はあなたの心が生み出している」と突き放された経験のある人間でないと、

医療関係者と言う名の悪魔みたいな存在と、そういう医療者に心傷つけられた人間の存在など、永遠に知られることなどないのでしょう。

 

 

 

 

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東京工業大学名誉教授、森政弘先生の本に私のこのブログの記事が!

2020年06月13日 | 本のおしらせ

私の場合、「脳脊髄液減少症」と診断されるまでかなり年月がかかってしまったため、まだやや症状は残り残念ながら完治してはおりませんが、

このブログを書き始めたころの私とは雲泥の差で、声も大きくなり、ひとりで出かけられるし、かなり動けるうようになりました。

数か月前、ひさしぶりの検査入院で、病院のベット上で、ふと放置していた自分のこのブログを思い出し、なにげなくネット検索してみました。

すると、びっくり!。

東京工業大学名誉教授の森政弘先生が、数年前にご自身の著書で、私のこのブログの記事を取り上げてくださっているのを発見!先生を、失礼ながら私は存じ上げていなかったので、調べてみると、ロボットコンテストの父と言われる偉い方のようです。

電子書籍と、単子本とで、出ているようです。

「第四章 設計への警告 幸せとは何か 人間型ロボットの人間以上の効果」という 176ページからの文章です。

Amazonのサンプルで少しだけ読めたので、私の書いたブログの文章に間違いありません。その中でASIMOの開発者の竹中透様と一緒に写った写真もあったので、驚きました。

この本、読んでみたいと思いましたが、お値段がけっこういいです。

病院で患者として偶然、森先生のこの本を発見して、一部読んで、感じることがあったのすが、その後、新型コロナウイルス感染症が蔓延したことで、ますます病人に対するロボットの可能性を感じたので、その思いは、またここに書けたらと思います。

森先生がここを見てくださるかどうかわかりませんが・・・

森先生、私のつたないブログの文章を取り上げていただきありがとうございました。

その、私の元記事 今から14年前の、2006年11月11日の記事「はしるロボット」

脳脊髄液減少症の患者さんはじめ、最近、ここに来てくださったばかりで、そんな昔の記事を見たこともない方々は、もしよろしかったら読んでみてください。

 

 

 

 

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新型コロナウイルス感染症の2020年に思う

2020年06月12日 | つぶやき

2020年、新型コロナウイルス感染症が蔓延し、人々が今までになく危機感を持って過ごしています。

世間も国も自治体も、新型コロナウイルス感染症対策に必死に取り組んでいます。

私が今年思ったことは、

「自分に関係がある、自分にも感染する可能性がある」と思う疾患には人々も強い関心を示し、必死に勉強し、対策を考え、対処するけれど、

「自分には関係ない」と思う疾患、たとえば(脳脊髄液減少症とか)には、「興味がないんだな」ってこと。

でもね、実は、脳脊髄液減少症は、新型コロナウイルス感染症なんかよりもはるか昔から、人類を人知れず苦しめてきて、

時には命や人生を奪ってきたであろうことに、いまだに世間の人達は気づいていないと、私は思うのです。

新型コロナウイルス感染症に、国も県も、市も目が向いているうちは、とてもとても脳脊髄液減少症になんか興味関心を持つ人はいないでしょう。

これで、しばらく、また脳脊髄液減少症には世間の目は10年ぐらい向かず、無関心が続くんだろうなと思いました。

私は、新型コロナウイルスに感染したことはないから、脳脊髄液減少症と新型コロナウイルス感染症のどちらかが自分の中でつらいか、比べられないけれど、

もしかして脳脊髄液減少症の方が総合的に見て、深刻なんじゃないかなな、と思っています。

新型コロナウイルス感染症になったけれど、

医療に救われ退院した人たちの体験談を聞くと、症状のつらさが医師にも理解されず、なかなか検査にも治療にも至れないその期間が、長くても2週間とか、そんなものだけど、

脳脊髄液減少症は、診断治療に至るまで、数か月はもちろん、数年にわたることもある。

新型コロナウイルス感染症よりも、脳脊髄液減少症の方が、はるかに長く、患者の苦しみも大きいと感じました。

新型コロナウイルス感染は多くの人の命を奪うけど、脳脊髄液減少症は人の命をそんなに奪うことはないでしょう?、

だから脳脊髄液減少症なんてたいしたことはないのよ、新型コロナウイルス感染症の方が、はるかに深刻だよ、と言われそうだけど、それは違うと私は思うのです。

脳脊髄液減少症で突然死とか、周囲の無理解とか自殺とかで亡くなっていても、亡くなった人を「髄液漏れがあったかどうか?」なんて検査していないんだから、

脳脊髄液減少症でも直接的間接的に亡くなっている人たちは実は数多く潜在している気がするのです。

新型コロナウイルス感染症で亡くなった人よりも、脳脊髄液減少症が原因で、直接、間接的に、心と体の不調をきたし、結果的に命を失った人も、実はたくさん今までにいたと想しています。

こうして、生き残った人しか、その思いを発信することができないのです。

本当の病の恐ろしさ怖さを知っているのは、その疾患になったけど、幸い助かった人ではなく、その疾患で命を落とした人だと私は思うのです。

脳脊髄液減少症が、世界中に、もっと「自分事」して興味関心を持ってもらえる日は、いつになるのでしょうか?

 

 

 

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お久しぶりです、ゆめです。

2020年06月12日 | 日記

ご無沙汰いたしました。

皆さんお元気ですか?

なんと!5年ぶりの更新です。

なにかと忙しくてね~。

私は再発とかいろいろありましたが、生きていますよ。

 

 

 

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