脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

集団の中の孤独

2007年07月31日 | 心の葛藤
きょうで7月も終わりですか・・・・。
早いものです。

7月後半は、いろいろと連日夏の行事を楽しみました。

疲れて寝込みましたが、
確実に昨年より行動範囲が広がっているのを感じます。

それでも、なお、
日々苦しい波が襲っては、その波に飲まれそうになり、
もがきながらやりすごし、なんとか日々をつないでいます。

時々、その荒波乗りのサーフイン生活に疲れ、
気を抜くと、ふっと海底へ水没してしまいたくなってしまうことも
あります。

よくなってきても、いまだに不可解な症状群と周囲の無理解は耐え難いです。

交通事故以来、得たいのしれない症状に苦しめられ続けていた、
まだ比較的症状が軽くて動けたころ
何度か「集団の中の孤独」を感じたことがあります。

事故から何年か過ぎたころ、
あれは都会の大病院受診の帰りだったでしょうか?

駅で、大勢の人の雑踏の中で、それを最初に感じました。

忙しそうに足早に歩き去る大勢の人の流れの中で、
私は急流の中の岩のように立ちつくし

ぼんやりとその人の動きを見て思いました。

「私の周りにこんなに多くの人がいても、
誰一人、今私が感じている、
この体の苦しみをわかってくれる人はいないんだ。」と・・・・

目に見えない症状を抱え、見た目健康そうな当時の私が
「集団の中の孤独感」を最初に感じた瞬間でした。

その孤独感を先日、日曜もふと感じました。

こんなに身近に家族がいても、
大勢の人たちが私の周りにいても、

ネットを通じて同じ脳脊髄液減少症に苦しむ方がたの存在を知っても、
がんばって治療に取り組んでくれている少数の医師たちの存在を知っても、

同じ交通事故の後遺症の方がたの存在を知っても、
同じように誤診や「原因不明」、「精神的なもの」と
長年放置され続けてきた方がたの存在を知っても、

遠方に脳脊髄液減少症を見つけてくれた主治医がいてくれても、

病名がついても、治療を受けても、なお、
ふと感じる、「孤独感」

日々私が感じている、
「今一瞬を過ごすことさえ苦しい」時があることを
誰も信じてくれない、気づいてもらえないんだという、
えも言われぬ孤独感・・・・。

半身の重苦しさもシビレも、
半身の自由にならなさも、

舌の動きづらさも、
舌の半分のシビレも、

頭のぼんやり感も、
置き忘れをしてしまうほどの、短期記憶力の低下も

心臓の圧迫感も、呼吸の苦しさも、
突然起きる動悸も、

突然ひどくなる、手足の脱力も・・・

背中に石を背負っているような重さだるさも・・・
日常生活のすべての行動が、
自分の世話さえも、重労働に感じることがあることが
なかなかわかってもらえない。

むしろ、調子に波があり、調子のいい時は動けてしまうために、
なおさら無理解を助長してしまう。

そういう、目に見えない障害を抱えながら、
仮病みたいに見えるための誤解にさらされながら、
必死で、一瞬一瞬の日常生活を重ね続けている私のことなど、

頼る医師も身近に探せないまま、
なんとか自分で自分を治そうと努力している日々のことなど、

大人としての義務を果たそうと、
社会人として最低のことはこなそうと、必死の私のことなど、

本当は誰もわかってはくれてはいないことに、ふと気づく瞬間。

深い深い、孤独感が私を襲うのです。

「自分の苦しみは自分しかわからない。」ということは
それは誰にとっても健康な人にとっても、当たり前のことのはずなのに、

この病気だからと言って、特別なわけではないことは
わかっているはずなのに・・・・。

見た目健常者で、中身は言葉にしつくせない、不思議な症状に苦しむ日々。

現実とは別の世界にまぎれこんだような体験のオンパレード。

それに平然とした顔で耐え続け、極力普通の生活をしようと努力している日々は、本当に孤独でつらいのです。

時々、すべてを投げ捨てて、この世界から逃げ出したくなります。

通常の健康な人と同じ空間時間にいても、
脳脊髄液減少症の私だけが、
次元だけが違うゆがんだ世界にいるような感覚。

健康な人が3次元空間にいて、
私だけが、ゆがんだ4次元空間にいて、

3次元と4次元空間が重なっているせいで、
一見同じ時間空間で行動しているように見えても、
実はまったく別の世界にいる感覚。

それが、脳脊髄液減少症にとりつかれた私の住む世界。

その世界に住む住人は、私ひとりのように感じてしまいます。

その世界には同じ患者さんも紛れこんで、もとの世界に帰れないで、
もがいている方もいるのでしょうが、
私にはその姿が見えません。

現実に親しい患者仲間も身近にはいません。
そのせいで、孤独を感じるのかもしれません。

まあ、長年放置されれば、友人も一人去り、二人去りは
当たり前でしょう。

入院の時でも運よく知り合わなければ、
なかなか同じ地域で励ましあう仲間もできないでしょう。

私は誰かと知り合えるかもと期待していた入院で
残念ながらその機会がなかったので、孤独なままです。

事故後すぐ、この病気を知る医師に出会い、病名をもらい、
治療を受けられ、
同じ患者仲間とも出会えるなんて、幸運続きの人ばかりではありません。

以前には多くの患者たちが、孤独と無理解の中で死んでいったはずです。

孤独を感じるのは、
たぶん、この病態が世間に「非常に苦しく長引く病」として認められず、
暖かく支えてもらえていないせいもあると思います。

専門医に「脳脊髄液減少症」という病名をもらってさえも、

地域の身近な医師や医療に
「重病」「難病」に値するに思えるこの症状をわかってもらえず、
「軽んじられ、冷笑され、軽蔑され、放置され続け、相談にものってもらえず
身近で適切な医療支援が得られない。」せいもあると思います。

れっきとした被害者なのに、
相手に罪をつぐなってもらうことも
保険会社からきちんとした補償ももらえないばかりか、
今も健康保険で暖かく手厚く支えてもらえていないせいもあると思います。

被害者として、当たり前の権利を主張することのできる、
現代の交通事故被害者の方がうらやましく、ねたましく、
そういう幸運な方を見るのも知るのもつらくなって、心を閉ざし
さらに、孤独を自分で深めてしまいます。

難病に匹敵する症状と、時間もお金も体力もかかる病態なのに、
国の何の支援もないせいもあると思います。

昔、この病態の存在に世界中の誰も気づいていなかったころも
患者、交通事故被害者は確かに存在したのです。

ドクターショッピングしていたころの私が、
雑踏の中でふと感じた「集団の中の孤独感」

「脳脊髄液減少症」の病名をもらい、れっきとした「病人」となった今も、
時々、やりきれない、底知れない、孤独感が
私を襲うのです。・・・

長い時間、仮病扱いされてきた患者にとって、
「脳脊髄液減少症」の病名と治療だけが、すべての解決策ではないと思うのです。
今は医療現場も混乱して、それだけで手一杯なのはわかります。

でも、
長年の放置期間で医師や周囲の無理解によって患者が受けた深い心の傷。
その心の傷をそのままに、「脳脊髄液減少症」の病名と治療だけで、
真の元気は取り戻せない気がします。

なんらかの精神的支援の必要性を強く感じています。

いつか、この病気の治療が軌道に乗り、少し余裕が出てくる日がきたなら、
体の治療だけでなく、脳脊髄液減少症という「目に見えない怪我」によって
さらに無理解にさらされ、2次的3次的被害に遭い、
心的外傷を負った患者の心のリハビリや、ケアにも、
医療、福祉がともに手厚く取り組んでほしいと願っています。

せめて、国は、
現在の交通事故被害者に比べて、
あまりにも恵まれない、過去の交通事故被害者の脳脊髄液減少症患者に対し、
なんらかの支援策を打ち出してほしいものです。

今回の選挙前に
「弱者を切り捨てない。」「国民の生活が第一」と言った政治家もいましたね。

言葉だけでなく、実行してもらいたいものです。

そして、ひとりでも多くの脳脊髄液減少症患者が
「集団の中での孤独」を感じないように、
国が率先して
日常の生活さえ回らない状態で、
精神的にも、経済的にも、医療的にも孤立する患者の救済に力を尽くしてほしいと
心から願っています。


追伸:
コメントのほとんどは私自身のものです
私のある夏の一日のつまらない記録です。







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暑中お見舞い申し上げます。

2007年07月27日 | 日記
皆さんお元気ですか・・

私は、苦しい波がありますが、なんとかやっています。

今日は夏らしい暑い一日でした。

こんな日はプールに行ったら気持ちいいだろうなぁ・・
と思いつつ、エアコンのきいた室内に一日いました。

昨年は、脳脊髄液減少症の
目のまぶしさと、頻尿と、喉の異常な渇き
体を起こしていられない症状と、
現れては消える不思議な半身マヒ症状、両手両足の脱力で、ほとんど家にいました。

今年はそれらの症状もかなり改善し、
苦しいながらも動けるので、いろいろできる範囲で、夏を満喫したいと思っています。

、旅、スイカ

花火、祭  

、川、

などなど、夏の行事は一通り味わいたいです。

思うように出かけられない方も、ぜひ身近な夏   を、楽しんでみてください。

私も庭で、
コンビニで買った花火5本セット、そのうちやって楽しむ予定です。

皆さんも、夏バテなどされませんよう、食べて、飲んで、しっかり睡眠をとって、
お体に気をつけて、お過ごしください。

それでは、また・・・・
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「開かずの間」を開けた!。

2007年07月18日 | ブラッドパッチ後の変化
今日は5月下旬の気温だそうで、
涼しくて過ごしやすいのですが、なぜか昨日より、気力がわきません。

台風が近づいていた時は、非常に痛み苦しみが増し、
行ってしまって晴れた16日もなぜか体調はいまいちで(もしかして地震の影響?)
17日はなぜか非常に楽で一日動いていました。

さて、最近の私のブラッドパッチ後の変化を書きます。

交通事故の足の後遺症と、
脳脊髄液減少症の症状悪化で、思うように動けなくなり、
2年間、ほとんと手つかずだった、「開かずの間」。

足の踏み場もないほどに、物であふれかえり、
空気もよどみ、窓にカビははえ、
ほこりだらけの、物置と化したその部屋。

6月末あたりから
その「開かずの間」のドアを開け、
窓を開けて空気を入れ替え、

体調が良く、気力、余力がある時に、
少しずつかたづけはじめています。

今まで日々の生活をまわすための家事だけでやっとでした。

よけいなかたづけに挑戦しようとしても、
すでに、手足の脱力と、座位さえ苦しくて保てない症状になり、
いつも、やりかけては中断して、その後あきらめ放置してきました。

日常生活の中で、
体力的にも、思考力的にも、整理整頓できない物を
とりあえず、その部屋へ移動してきただけで片付けはできませんでした。

捨てるかどうかの判断もできず、
整理整頓する体力も思考力もなく、かたづけられなかったのです。

それが今、少しずつですが、できるようになりつつある私。

山のようにたまった品々の整理に取り組みはじめてみて、
「いらない物」と「とっておきたい物」の判断も、
以前よりはできるようになっていると感じています。

これも、ブラッドパッチ後の変化といえると思います。


脳脊髄液減少症は「整理整頓する能力」も奪います。
だらしがないわけではありません。
できないのです。

それなのに、病名がつくまでの私は
「できない」ことを、周りの人間から責められてきました。

手足の脱力で物を持っていられなくて
体を起こしていられなくて、
しかも考えがまとまらなくて、
心身ともにつらい症状のオンパレードに耐えて、
生きているのに精一杯で、
どうにも、こうにも、それどころではないのです。

だから、そういう状態にある、
脳脊髄液減少症患者や認知症や高次脳機能障害の方がいたら、

片付けができない事を責めないで、責めて勝手に捨てたりしないで、
「だらしがないのではなく、脳の機能低下状態で、できない」と理解して、
患者の心の負担にならないよう、無理のない方法で
話を聞きながら、声かけしながら、
さりげなく支えてあげてください。

どうか皆様、ご理解ください。

医師や看護師の皆様も、
入院中の脳脊髄液減少症患者が、なんでも「やりっぱなし」で
一見「マナーがなっていない。」「だらしがない」ように見えても、

それは、脳脊髄液減少症の高次脳機能障害であることもあると知ってください。

患者さんを暖かな目で見てあげてください。

一般の健常者の皆様も
単にだらしがない人と
「脳の機能低下でできなくなっている人」の見極めは難しいでしょうが、

会社の上司の方も、家族も、医師も、
そういう人に遭遇したら、
「頭が悪い、覚えが悪い、だらしがない。」と責める前に、
いつも、「脳の何らかの障害によるものかも?」という考えも頭において、

まず、その人の脳で何かが起こっていないか?を考えて、
どんな状態か、どんな症状があるのか本人によく聞いて、
適切な対応をしてくださるようにお願いします。

私が脳脊髄液減少症で体験したように、
世の中には、さまざまな病気や怪我の影響で、
自分の努力ではどうにもならない状態で、
思うように行動できない方がたが、たくさんいるはずです。

見た目ではわからない、その障害の存在を、
もっともっと多くの方がたに想像していただきたいのです。

でも、治療により、治る可能性のある症状もあります。
私の場合治る途中の体験では
「できたり」「できなかったり」します。

回復の過程で、そういう状態もあるということをわかっていただき
「できるのに、やらない、なまけてる。」と
どうか責めないでください。

私も、まだ、回復途上で、
体調と相談しながらいろいろなことに休み休み、チャレンジしています。
ですが、過渡期ゆえの新たな「無理解」にさらされるのが、またつらいです。

他の病気と違って、
「できるようになったから、その日以降はさらにどんどんできるようになる。」「症状が消えたから、その日以降、回復するのみ」というものでもないのです。
激しい波があるのです。

できたものが、またできなくなったり、
消えた症状がまた現れたりするのです。

普通の病気や怪我の治り方とは、あきらかに違う治り方なのです。
それが、なかなかわかってもらえないため、理解も支援も受けにくいのです。

私の脳も、長年の「脳脊髄液漏れ」によって脳が受けたダメージが
どこまで治るのかわかりませんが、
希望を捨てずに、あきらめないで毎日を過ごしたいと思います。

これから「開かずの間」以外にも、
長い長い時間「脳脊髄液減少症」によって、ほったらかしだった場所や
物を少しずつ、整理していきたいと思います。

脳脊髄液減少症になって自然に「整理整頓」できたのは、

私のまわりの「人間関係」ぐらいです。・・・・


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北海道への思い

2007年07月16日 | つぶやき
台風一過で、今日は晴れです。
今朝はいつもより、背中の痛みが軽く感じました。

たまった洗濯物を、脱力のある手でなんとか干して、乾かします。
今日は忙しくなりそうです。

大型台風接近中
脱力とひどいだるさ、呼吸と心臓の苦しさと
背中の重苦しい鈍痛があり、とてもつらかったです。

まあ、いつものことですから、顔には出さず耐えましたが、
家事がものすごく重労働に感じました。


さて、
今日は「北海道の思い」を少し書きます。

私は、交通事故後、体の不調を抱えながらも、北海道の道を長距離運転したことがあります。

原因不明の不可解な症状をたくさん抱えていても、
どんなに医師に訴え、検査をしても「異常なし」と言われ、

当時は、まさか「脳脊髄液が漏れている」とはどの医師も気づくはずもなく、
どこにも、そんな情報はなく、患者本人が気づくはずもなく、

今ほど症状も重くなかったために、不調ながらも
長距離の運転がなんとかできたのです。

北海道の道は、街中以外は、車がみな、
高速道路のようなスピードで走っていることに驚きました。

雄大な土地に、まっすぐな道路。

見渡す限りの草原や、見渡す限りのじゃがいも畑を運転していると、
ついついスピードが出てしまいます。

私も気がつかないうちに、いつもは出さないスピードで運転していました。

道路のまわりに家がゴチャゴチャとないために、
スピード感が薄れてしまうのです。

そんな北海道では、交通事故は多いのだろうな~、と
その時も思いました。

さらに、北海道速度、ともいうべき、その走行スピードは、
万一事故になった時の人体に与えるダメージも大きいだろうなぁと想像しました。

そして、そんなスピードで普通に走ってしまう土地柄では、
交通事故による、脳脊髄液減少症も多いのだろうと
この病名を知ってから思っていました。

それなのに、正しく診断も、治療もされないまま
多くの人が、医師の思い込みの病名とかつけれられたり、放置されたりして
苦しみ続けているに違いない、そう思っていました。

そして、月日が流れ、・・・
入院中の病院で、
北海道で、脳脊髄液減少症の治療に取り組む医師のお名前を偶然耳にしました。

いつもなら、すぐ忘れてしまう、その医師の名前を、
私はずっと今まで忘れませんでした。

耳にした時、
「北海道でこの病態の治療に、真剣に取り組んでいる医師がいるの?」
「本当に?」
「私の住んでいる地域でも、理解してくれる医師がなかなか見つからないのに。」と、驚いたと同時に

「ああ、あの交通事故が多いであろう、北海道で、
この病気に関心を持ってくださっている医師がいる。」と思い、
胸が熱くなりました。

同じ患者を救助してくれようとしている、そのお気持ちだけで、
ありがたいと思いました。

どんな先生かお会いしたことはありませんが、

きっと、患者の訴えに真摯に耳を傾けてくださる先生だからこそ、
脳脊髄液減少症の存在を認めて、治療に取り組みはじめてくださったのだと
思います。

どんな経緯で、「脳脊髄液減少症」に関心を持ち、
治療に取り組んでくださるようになったのかは、私はわかりませんが、
そういう先生がいてくださることは、本当にありがたいです。

ドクハラを受け続け、人に裏切られ続け、
医師嫌い、医師不信、人間不信になった私でさえ、
人を信じる気持ちが少しわいてきます。

ひとりでも多くの医師が、一刻も早く、
脳脊髄液減少症に苦しむ患者に救助の手を差し伸べてほしいと思います。

本当に、苦しくつらい病態です。
本当に、仮病みたいにみえる、理解されない病態です。

日本中の医師が、脳脊髄液減少症を学び、
患者の苦しさつらさを深く理解し、治療に力を貸してほしいと願っています。

人の心ある、医師がこの日本には大勢いるはずです。

見た目ではわかなくても、
表面には出てこない災害でも、

突然の土砂崩れに、
埋もれたまま放置された被災者のような、脳脊髄液減少症患者たちが、
今も社会の無理解に埋もれて、適切な医療の恩恵も受けられず
うめき苦しんで救助を待っているはずです。

せめて、全科の医師が、
脳脊髄液減少症という病態の症状のすべてを頭にたたきこんで、

常にその可能性を頭の片隅において、患者の訴えを聞いて、
早期発見、早期診断につながるようお力を貸してほしいと思います。

北海道を思い、
北海道の運転を思い出し、
北海道の交通事故被害者を思い、
北海道の、脳脊髄液減少症患者を思い・・・

そして、北海道で治療に取り組む医師を思い・・・・

北海道に心をはせると、
さまざまな思いが心をよぎりました。

どうか、もっともっと多くの
医師の皆様や、理解ある一般の皆様方が、

「脳脊髄液減少症」に、
あたたかな救助の手をさしのべてほしいと願っています。



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運転距離が延びた! 2

2007年07月14日 | ブラッドパッチ後の変化
台風が来てます。
すごい低気圧だと、テレビで言っています。

ここのところの、首の締め付け感、脱力感、心臓呼吸の苦しさは
この低気圧のせいかもしれません。

でも、一日中具合悪いわけではなく、
ふうっと楽になって、動けるようになったりもします。

本当に不思議な症状です。
自分でも仮病みたいで、不思議なんだから、
他人はもっと疑問視するのもしかたがないのかもしれません。


さて、きのうのつづきです。

いろいろ用事がある時は、まず、
最優先の目的のみにしぼり、用事をすませ、一度家に戻ります。

そして、自分の体調と相談をして、
余力があるようなら、次の用事のために出かけます。

無理そうなら、後日、再チャレンジします。

たかが買い物、用足しなどの外出なのに、
健康な人なら、気軽に一度に順序よく行えるはずなのに、

私にとって、その日、その時間の体調、思考力によって、
慎重に考え、
ひとつずつ、行動せざるをえないのです

効率悪いですが、失敗体験があるだけに、
自分がミスをしないためや、
頻尿でつらい思いをしないため、
無事に家に帰ってこれるための、私なりの工夫です。

普通より、思考力の落ちた頭でも、
必死に自分と向き合って、対話して、
リスクを避ける最善策を考えてからでないと、運転はしません。

時に、車は「走る凶器」になることは、
交通事故に巻き込まれた私は、身をもって体験していますから・・・・

7月4日の日は、その日だけで3往復、
合計50キロメートル近く運転しました。

運転再開当時からは、
ヒヤリとすることは、正直、いろいろありました。

でも、なんとか事故も起こさず、無事にここまでこれました。

振り返れば、
昨年の今ごろは、目もまぶしく、体を長く起こしていられず、
呼吸も常に苦しく、手足の脱力もひどく、
助手席にさえ、シートを倒さなければ座っていられませんでした。

ほとんどカーテンを閉め切った家の中でひきこもり状態で、

自力での行動は、たまに気がむいた時、
短時間、庭に出る程度でした。

自分で運転して外出して、公園を歩いたり、買い物したり、
用事をこなしたりすることなど、
とてもとても、できない状態でした。

それが、1年後、
こうして、調子のいい日は、少しずつ外出して用事をこなせるようになりました。

そして、
トータルですが、こんなに長い、時間と距離できるようになっています。

自分でも驚きです

日々は目先の苦しいことばかりに気を取られて、
あまり回復に気がつかないのですが、

昨年と比べれば、確実に回復傾向にあり、
行動範囲が広がっていることに気づきました。

まだまだ症状は残り、
苦しい日もあり、寝たり起きたりの時間の方が長く、
思うように動けない日もありますが、

交通事故以来、
得たいのしれない症状に取り付かれ、
暗黒の地獄の中を、孤独にさまよっていた私が
長い長い出口の、ひとすじの光を見た思いです。

これからも、希望を捨てずに、
少しずつ、できることを増やしながら、

日々をとえあえず、命をつないで
生きていきたいと思います。


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運転距離が延びた! 1

2007年07月13日 | ブラッドパッチ後の変化
大型台風接近中
そのせいか、ここ2,3日手足の脱力と、
肺と心臓を絞られるような苦しさと
体の心棒(脊髄?)の締め付け感と、
背中の重苦しい鈍痛があり、つらいです。

まあ、いつものことですから、
平然とした顔して、ひたすら耐えてますが、
家事がものすごく重労働に感じます。

症状のオンパレードがあまりにつらいと、
無宗教の私がついつい
「神様、助けてください。」とつぶやいてしまいます。

こんな気候のせいか、体調は一進一退・・・
それでも、振り返って長い目でみれば、良くなっている感じです。

5月は体調よかったのに、6月からまたダウンです。

本当に体調に激しい波があります。
月単位でも、日単位でも、時間単位でも・・・。
(普通の疾患の概念では、たぶんなかなか理解されないと思います。

散歩は6月28日に6月7日以来の20日ぶりの
57回目?の散歩に行ったきり、休止中です。

でも、その日は蒸し暑く、湿度の高いサウナの中を歩いているようで、
呼吸もしずらい感じで、空中で溺れてしまいそうで、とても苦しかったので、
最近は散歩は休んでます。

さて、以下は、
最近の「ブラッドパッチ後の変化」と、
「脳脊髄液減少症の高次脳機能障害の症状」の
両方にかかわる私の体験です。


7月4日の日、必要に迫られて50Km近く運転しました。
と、いっても、3回に分けてのトータルの運転距離ですが・・・。

こんなに長距離を、一日で運転したのは、
昨年秋から、運転再開して以来はじめてです。

なんだか、少し自信がつきました。

いつもは、車の運転は,
散歩リハビリの公園の往復で精一杯ですが
その日は、家から隣町まで3往復運転しました。

1回の外出で1度で用事をすまさず、
3回に分けて外出したのには、理由があります。

ひとつは、頻尿のため、長い運転と外出が不安なため。

次に、物忘れのための落し物や失くし物を防ぐため、ひとつひとつ用事が済むごとに、一度家に戻るほうが安全なため。

最後に、苦しくなって帰りの運転が危険になる前に、安全に帰ってくるため。

(実は、1回は、外出したものの、家に忘れ物をして、取りにもどったため2回往復の予定が3回になってしまいました。)

以上の理由から、一度に用事をすまさず、
いったん戻って重要書類や、買ったものを置いて、
トイレに寄って、水分とって一休みして、また外出する事を繰り返しました。

水分はいつも持ち歩いているのですが、
外出時のトイレは、駐車場からかなり歩かなければならず、
間にあわない不安も重なり、
精神的にも身体的にも、つらいのです。

家に一度戻るのは、トイレと体調だけでなく、
重要なものは失くさないうちに
に置きにくるためです。

高次脳機能障害と思われる症状で、
複数の物事をこなす順序を、覚えることができないのと、
優先順位を決めて、効率よく回ることができない症状を自覚しているからです。

いくつも同時に用事をこなそうとすると、
物忘れで、いく順序を忘れたり、
途中で、物を落としたり、失くしたり、置き忘れたりする危険もあるからです。

どこで、何を失くしたのか、どこに無意識に置いたのか?
「無意識の行動」は思い出せないのです。

ひとつずつなら、なんとか、体力的にも、思考力的にも、無理がないのです。

だから、
大切な用事がある時は、ひとつの用事が済んだら、
どこにも寄らず一度家に戻ることで、

失くし物、落し物、置き忘れをふせいでいます。

(つづく)
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ねじばな

2007年07月11日 | 四季の風景
今年も庭に、
ねじばなが咲きました。

左が時計と逆回りのねじれ方、
右が時計回りのねじれ方。
うまく撮れなかったけど、よーく見ればわかるかな?

同じ花で、右巻きと左巻きがあるなんて
不思議ですね・・・。



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七夕

2007年07月07日 | 日記
今日は2007年の7月7日、
ラッキーセブンのたなばたの日です。

6年前、
苦しい症状を抱えながらも、
なんとか働けていた、たなばたの日を思い出します。

毎年、「たまばたさま」の
「笹の葉さらさら~」の歌を、自宅で1度は弾き語りで歌ったものですが、
今年は歌いませんでした。

これから、気が向いたら、7月中に歌ってみます。

いつもは、苦しくても、
せめて季節感を味わいたいと思い、
折り紙で前もって、たなばた飾りを作るのですが、

今日は、当日まで忘れていました。

庭の笹を抜いてきて、ペットボトルにさして、
折り紙のたんざく下げて
小さな七夕かざり作りました。

短冊に願いごとを書きました。
「開運」
「減量」
「健康回復」(もちろん、脳脊髄液減少症の回復)
「お金が稼げますように。」などなど・・・

宝くじ、当たりませんでした。
200円しか・・・

もう、宝くじには頼りません。
なんでもいいから、自分の治療費ぐらい稼げる手段を見つけたいです。

家にいて、できる仕事ないかなぁ・・・

健康とスタイルと筋力と、仕事とお金と幸せがほしいなんて、
やはり私よくばりかなぁ・・・


ところで、
織姫と彦星

曇り空で、遭えなかったのかなぁ・・・・・



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