脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

イヴのケーキ

2006年12月28日 | ブラッドパッチ後の変化
今年もあと3日です。
いよいよ押し詰まってきました。

私にとって、今年はブラッドパッチ治療を受け、
つらかったけれど、
人生の好転の年となりました。

診断や治療にたどり着いただけでなく、
ひきこもり病人でも、
ITのおかげで、皆様とこうして出会えたことで、

「一人ではない。」と思えたことは
とても幸運でした。

長い間、こんな症状を抱えて生きているのは
私だけかと思っていましたが、
ひとりではないとわかり、本当に励まされました。

ありがとうございました。

さて、
イヴの日お話です。

その日の午後、
ケーキ作りに挑戦しました。

と言っても、
卵と牛乳を入れて混ぜるだけのケーキミックスで焼いて、
飾っただけですが・・・

しかも、私がしたことはわずかです。

12月はじめに、家族の運転で買い物にいった時、
少しだけ車を降りてお店に入ってみたら、

手作りケーキの飾り用の、
ヒイラギや
砂糖菓子のサンタやトナカイの人形や
チョコレートのログハウスを見て、ほしくなってしまいました。

「ケーキ作ってみたいなぁ。」という気持ちになって、
作れないかもしれないけれど、
買ってしまったケーキの飾り。

ぎりぎりまで、ケーキ屋さんで買うか、
手作りするか迷ったけれど、

助けてもらいながらも、
完成できたのは満足でした。

でも、実際に私がやったことはわずかな事

ケーキミックスを袋からボールに出したことと、
卵を2個割ったこと、
牛乳を計量したこと、
オーブンレンジに入れて
時間と温度をあわせて、スイッチオンしたこと。

焼きあがって、冷めたところで、
半分にカットしたこと。

(半分に切ったつもりが、二つに分けてみると底が抜けていて
助手に冷たい目で見られました。
しかし、スライスしなおして
生クリームを糊代わりにして、くっつけ補修しました。

ケーキに生クリームを塗って
スライスした果物をサンドしてもらってから
上に生クリームを絞りだしました。

あとは、板チョコを野菜スライサーで削って、
ケーキの周りにつけました。

後は、
混ぜるのも、
生クリームの泡だても、
種をケーキ型に流しこむのも

サンドする、いちごと缶詰の桃をスライスするのも、

いちごを洗ってヘタを取ってのせるのも
ほとんど、助手がやりました。

混ぜることや、あわ立ては、電動ハンドミキサーを使っても
健康な人でもけっこう大変です。

脱力する私の手と、
手動の泡だて器ではちょっと無理です。

もちろん、後片付けの洗い物も
その日だけは、頼れる助手まかせです。

こうしてみると、
テレビのお料理番組の先生は、
以外に楽してるのかも?と思いました。

大変なところはみんな助手まかせで、
できた料理はすべて自分が作った気分になれるんだもの

私が先生役って感じでいい気分でした。
(実際は私が助手?

手作りケーキでイヴの日を過ごしたのは
今までに記憶にないので
生まれてはじめてかもしれません。

ケーキにろうそくを立てて火をつけ、
クリスマスソングのCDをかけて
部屋の明かりを消すと

体が動かなくて、頭が働かなくて
片付けられずゴチャゴチャとした部屋が
闇に消され、

ろうそくの明かりで闇に浮かんだケーキだけが、

別世界の風景のように、
美しく輝いて見えました。

さっそく食べてみると
たとえケーキミックスでも
とってもおいしかった。

なんと言っても手作りは、
生クリームの甘さや量を好みに調節できるし、
サンドする果物や飾りを自由にできる。

たっぷり2パック使った甘さ控えめ生クリームと、
削った板チョコと
新鮮な甘いいちごのハーモニーが
とっても幸せな味に感じました。

一時起き上がることも、立っていることも苦しくてできず、
まして、運転や、買い物になんかできなかった私が

自分でケーキを作ろうとするまでになったので、
よけいおいしく感じたのかもしれません。

「作りたい」と思うこと自体、
昨年のクリスマスには考えられなかったことで
体調や気力の回復の証のような
「思い出のケーキの味」となりそうです。

あとのクリスマス料理は
すべて、冷凍物のレンジおまかせ料理でした。

でも、このケーキひとつだけでも、
「手作り」ができたことが、昨年のクリスマスと違って
とてもうれしかった


昨年には考えられないことが
今年は少しずつできるようになっていく・・・。

ゆっくりとした
うっかりすると気づかないほどの微々たる速度の回復で
1年単位で振り返ると、気づくレベルの回復。

これが「脳脊髄液減少症」の治療後の
回復の仕方なのかもしれません。

前進と後退をくりかえし、
「3歩進んで、2歩さがる。」の歌詞のような、

今まで体験したことのないような、不思議な治り方。

ゆっくりと改善と悪化を繰り返しながら、
らせん階段を上がるような回復の仕方に感じます。

無事ケーキを作り終え、食べ終わり、最後の力を振り絞って
かたづけを済ますと、
そのまま力尽きて寝込みました。

その後丸3日、体調不良で起きていられませんでした。

その日はほとんど横にならずに
いろいろとがんばっていたので・・・。
立っている時間が長かったせいかもしれません。

ケーキ1個作って3日寝込むようでは
ケーキ屋さんのパートで使ってもらえそうにありません。

「こんなことなら、来年はケーキを買おう。」と
言われましたが、

私は
「来年はもっと良くなって、寝込まないかもしれないよ。」
と言いました。

今年は、
自力歩行、自力外出、散歩、少しだけ走ること、
運転、買い物、ブログで文章や絵をかくこと、などなど、
昨年できなかったことが、
短時間なら、いろいろできるようになりました。

どこまで治るのかわからないけれど、

来年も、
今年できなかった事が、
またひとつ、できるようになってみたいと思っています。


・・・あと3日で、来年かぁ・・・・


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冬至

2006年12月22日 | 四季の風景
今日は冬至です。

これからだんだんと、日が延びていきます。
なんだかうれしいです。

冬至にはかぼちゃを食べて、ゆず湯に入る風習があります。
冬至にかぼちゃを食べると病気にならないとか・・・。

もう病気になっているけれど、
この病気に効くというβカロテンが摂れるし

日本の古来からの風習には、
ビタミン補給などの意味があると思うので、

厄よけになるというから、
さっそく煮て食べてみます。

しかし、
「脳脊髄液減少症」患者の脱力する手では
硬いかぼちゃを切るのは大変で、恐怖なのです。

すでに先日半分食べた時、
半分に切ることが命がけのように大変でした。
手元が狂って、かぼちゃがゴロンとなって
おなかに包丁が刺らないようにと
とても緊張しました。

丸ごとレンジで加熱して、
やわらかくすればよかったのですが・・・。

冷凍かぼちゃもあるので、今夜はそっちにします。

冷凍かぼちゃは切ってあるのでとても楽です。

かぼちゃプリン。
かぼちゃサラダ。
かぼちゃの味噌汁。
かぼちゃのシナモンはちみつ煮。
かぼちゃグラタン。
かぼちゃの甘煮。
かぼちゃのてんぷら。
かぼちゃ饅頭。
かぼちゃのシチュー。

かぼちゃは大好きなので、。
誰かいろいろ作って
食べさせてくれないかなぁ、と思います。

そうそう、
お風呂
今夜は柚子湯にしなきゃ

記憶障害だから、うっかり忘れそうです。

あんまり柚子を入れると体がひりひりするので
1個だけ入れて、すぐ出して、
手で持って香りをかぎながら入浴します。

かぼちゃはボケ防止にもなると信じられていたようで
こちらでは、
ぼけ防止のお守りに「かぼちゃ」をかたどったものがあります。

「脳脊髄液減少症」の病名をもらう前、
何年もの間、記憶障害に悩みましたが、

医師に「気のせい」と見捨てられると、
最後は神頼みしかありませんでした。

かぼちゃをかたどった「ぼけ封じ」のお守りを
いつも持ち歩いていました。

かぼちゃをじっと観察していたら、
治ろうと必死だった、あのころの自分を思い出しました。

もっと早く、この病名があったなら・・・
もっと早く原因に気づいていたなら・・・
治療法にたどりついていたなら、・・・

くやしいです。

今年もあと9日です。
早いものです。

これから年末まではバタバタとして、
もしかしたら、もう更新できないかもしれないし、

このままうっかり、
ご挨拶も忘れてしまうかもしれないので、

クリスマスもこないのに、
少し早すぎますが、
いまのうちに皆様にご挨拶しておきます。

今年はいろいろとお世話になりました。

皆様にささえられながら、
苦しい闘病生活もここまでこれました。
本当にありがとうございました。

来年も、
「交通事故後遺症」を克服できる日まで、
苦しくても、自分の命を大切にしながら、

「とりあえず、生きて」
少しでも前に進みたいと思っています。

皆様も、どうかお体に気をつけて

よいお年をお迎えください。   Y.



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毎日新聞、記事を読んで・・・2

2006年12月20日 | つぶやき
今日は曇りでしたが、少し太陽も出てきました。

今日は、痛みも
身の置き所のないだるさや締め付けるような苦しさも

少し和らいできました。

昨日の続きです。

「否定的意見でも、書いてくださった医師は
何もしない医師よりは、まし。」

そう思ってはみても、

否定派の先生の意見を読んでいて、
患者の一人として
なんだか、悲しくなってしまいました。

「むちうち損傷で髄液が漏れる病態の存在はない。」という
交通事故との因果関係がないようなご意見の
F大学医学部 整形外科教授 B医師と、

「そんなに患者数が多いはずはない、RI検査も正常との比較がなされていない。
ブラッドパッチの効果はプラシーボ効果(偽薬効果、暗示効果)の検証も必要。」
とのご意見の
K東中央病院 脳神経外科部長 Y医師

お二人の、ご意見を読んで、

「では、先生方のお考えの元、私の症状をもっと早く、
検査して、診断して、治療して治していただきたかった。」・・・・
と言いたくなりました。

今までの医師には、だれにも治せなかったから、
こんなに長く私は、苦しんできたのです。

今までどの医師も、診断も治療もできなくて
自分たちで原因がわからないことはすべて、
「精神的なもの」とか「気のせい」と
みんな患者のせいにして、放り出してきたくせに・・・。と
怒りさえわきました。

「仮病、気のせい、」「ありえない」「あなたの性格の問題」と
私が今までさんざん、医師に冷たく言い放たれてきた言葉を

まるで、この記事で、
また医師たちから寄ってたかって言われたように感じてしまい、
悲しくなってしまったのです。

交通事故後の「脳脊髄液減少症」がありえないというなら、
「じゃあ、私のこの交通事故後から現れた症状は何ですか?」と聞きたいです。
なぜ、ブラッドパッチで改善しはじめたのでしょうか?

交通事故の示談後も何年も何年も苦しみ続ける私でも
保険金目的の「仮病」でしょうか?

「髄液漏れ」ではないのなら、では原因はなんでしょうか?
なぜ。今までの医師たちの治療では治らなかったのでしょうか?

お二人の先生方は

交通事故後のいくら治療しても治らない
「仮病のようにも見える」患者に
出あったことはないのでしょうか?

一見元気そうで、
検査でも、その症状に結びつく原因らしきものが見つからず
それでも症状を訴える患者を
「精神的なもの」として精神科などの他科にまわして
ご自分は治療放棄してしまった経験はありませんか?

もし、そういう患者の訴えを半信半疑で聞いて、
早々に他科にまわしていたなら、
いくらB医師が30年の脊髄頚椎外傷治療の経験がおありでも、

Y医師が「低髄液圧症候群」の著書がおありでも、
この病態の多くを見逃していた可能性だってあるはずです。

そういった「精神的なもの」とした患者の中に
「脳脊髄液減少症」の患者が混じっていたことだって
否定できないと思うのです。

そういった一見「困った」患者の苦痛を
なんとかして軽減させてあげようと、
最後まで真剣に向き合い、投げ出さず、治療に取り組んだ
ご経験がありますか?

この病気を知り、自ら疑って、
今まで医療に見放されていた患者たちが殺到する病院や
医師の治療現場を実際に見てきましたか?

多くの患者の検査、治療、その後の経過を実際
観察したことがありますか?

実際に、悪化例も改善例も、
ぜひ先生方のご自身の目で見て、確かめて、
患者の生の声を聞いてから

また、改めて、お考えをお聞かせください。

原因不明とされる患者たちは、
整形外科や脳外科、神経内科、
から追い出され、他の科をたらいまわしにされたあげく、

精神科にまわされ、どこの科でも治らず、冷遇され、
最後は現代医学での治療をあきらめ、
民間療法などにすがっていくため

一般の先生方の目の前から排除され、
追い出され、消えていくのですから、
先生方が
「診たことがない。症例が少ないはず。そんなに患者は多くはない。」
と感じるのは当たり前だと思います。

原因不明で、
得たいのしれない症状を訴える患者をすべて除外して、
残った患者でいくら臨床経験を積んだとしても、

今までの医療からこぼれ落ちた
この「脳脊髄液減少症」という病名しかたどり着けなかった患者の
苦しみの深さを理解することは難しいと思います。

先生方の臨床経験は、
先生方の「既存の医学知識に合致した患者だけ」の
臨床経験なのではないでしょうか?

先生方の持つ既存の医学知識では「理解不能の患者」は
先生方の臨床経験数に含まれているとは
私には思えません。

「今までの診断法、治療法からこぼれ落ちた患者」は
医療に追い出され、失望し、
医師の心無い言葉に絶望し、
「苦しさを理解してもらえない。」と感じた医師の方がたの周辺からは
すでに、立ち去っているからです。

何人もの整形外科医に、
「この頚椎の状態では、この症状は考えられない。」と言われました。
神経内科医にも、脳外科医にも「精神的なもの」と扱われました。

被害者なのに、何年も何年もまともに症状を認めてもらえず、
病人として扱われずに苦しみぬいて
この世にこんな症状は私ひとりだけなのか・・・・と
孤独にさいなまれながらも、
思考力低下から何度も事故死しそうになりながらも
生き抜いてきました。

得たいのしれない苦しみを抱えた患者の存在をすべてを
最初から疑いの目で見ては
ただの「困った患者」としか見えてこないのは当たり前です。

私たちは深刻な病態を抱えながら、すがるように
先生方の目の前にいたのに

先生方には、深刻な症状を抱えた病人として
「見えていなかった。」のではないでしょうか?。

あるのに見えない透明な病気・・・「脳脊髄液減少症」。


3Dマジック画像のように、

見えていても、
別なものを見ようとする目を持たなければ

「私たち患者の存在」も、
「脳脊髄液減少症」も
「病態の真相や良い治療法」も
見えてこないように思います。

この病気を疑って、
殺到する患者の治療に取り組む医師たちは
日々過酷な労働を強いられています。

そういった医師たちを、
対岸の火事のように遠くから見ているだけで、
机上で批判するのは簡単です。

患者の一人として、お願いがあるのです。

その批判できるだけの、先生方の知識と経験を生かして、
この病気に取り組む医師と
「苦しむ患者を救う。」という同じ目的で
どうか心通わせて
情報交換しあって、議論しあって
病態解明と治療法開発のために
実際に行動していただきたいのです。

きっと、先生がたも、
私たち患者を救い出す、
レスキュー隊のような頼もしい力となって
暖かく手をさしのべて、助けてくださる日がもうすぐ来ると
私は信じています。

(あ、晴れてきました。日が出ると、気持ちも明るくなります。
でも・・・今日もこうして一日が過ぎてゆく・・・
私、何のために生きているんだろう?時々むなしくなります。)

追記:
毎日新聞記事を読んでみたい方は、
直接新聞社に問い合わせてみてはいかがでしょうか?

12月16日の「髄液漏れを考える」の記事といえば、
載っている新聞ごと購入できると思います。
以前私は、遠くの地方誌の記事読みたさにその地方新聞社に電話して
目的の日の新聞を1部購入した経験があります。

http://www.mainichi.co.jp/annuncio/gaiyo.html

記事の中央に「ご意見を」と書いてありましたので、
ぜひ、多くの患者の皆様にこの記事を読んでいただき、
患者としての体験や率直な感想を編集部に届けていただけたらと願っています。

編集部:
毎日新聞東京本社編集局
「論点」編集部
メール:ronten@mbx.mainichi.co.jp

病気仲間のろくろさんが教えてくれた記事
はっておきます。↓(ろくろさん、いつも情報ありがとうございます。)
内容は、新聞記事とほぼ同じようです。
http://www.mainichi.co.jp/universalon/clipping/200612/370.html(まだ、つづく)






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毎日新聞、記事を読んで・・・1

2006年12月19日 | つぶやき
昨日は晴れて暖かかったので、
29回めの散歩に行って1周歩いてきました。
前回の28回めもあたたかな日で1周半くらい歩いてきました。

しかし、昨日は散歩から帰ってから、家事もままならないほどに
体調が悪化しました。
それを今日の午前中もひきずって、寝込んでいました。

安定した体調がなかなか続きません。
午前中歩けた人が、夜は動けないとは
当の本人も理解に苦しみます。

しかし、これが「脳脊髄液減少症」の恐ろしさでもあります。
大丈夫だと思って出かけて、出先で動けなくなったり
先の予定が立てられないなどの、日常生活に障害を感じます。

さて、
12月16日付けの毎日新聞記事「髄液漏れを考える」を読みました。

日曜に家族の運転で、買い物ついでに図書館に寄って、
コピーをしてきました。
新聞の1面全部に近い量の記事で、文章の量が多く、
文章理解力の低下した私は、毎日少しずつ読んでいます。

ざっと読んだだけですが、読んだ直後から、
複雑な気持ちになりました。
その気持ちは後日書くとして、

こういうさまざまな違った意見をあえて載せて
問題提起してくださった毎日新聞に対し、すごいと思いました。

他の新聞社が、「脳脊髄液減少症」について
継続的にほとんど取り上げない中
毎日新聞は、
頻繁に記事にしてくれていると思います。

この病気を報道すると、
きっと、この病気の存在を認めない医師などから
反発も、圧力もあることでしょう。

それでも、報道し続ける毎日新聞は
この病気の抱える患者の現実をよく見据え、
人道的に深刻さをよく理解してくれていると感じています。

担当記者さん、ありがとうございます。

報道ステーションではこの病を報道してくれても、
その系列の朝日新聞は、ほとんど記事にしません。
この病態の抱える深刻な事態を、
正視しようとする気さえないのかと
とても残念に思っています。

また、今回毎日新聞で
顔出しで、ご自分の意見を述べてくださった
お二人の否定派の医師の方がたも、
それはそれで「すごい」「えらい」と思いました。

ある意見に対し、反対の意見を、公に述べるということは、
将来、誰かが
「自分の意見は間違っていた。
となる可能性もありうるわけで、それなりの覚悟が必要です。
それを知りつつ、はっきりとご自身のお考えを述べてくださったお二人の医師。

この病態に対し、「様子見」をきめこんで、何の行動も起こさず
自分の意見も公には言わない医師よりは、まだ、
良心的な医師に感じました。

「髄液漏れ」について、
いろいろな意見で議論されることは重要だと思います。

新しい概念が現れ、受け入れられる時には、
必ず相反する意見がぶつかりあうのは常でしょう。
また、そうでなくてはなりません。

真実に近づくプロセスとして、
避けて通れない、必要なことだと思います。

昔、
地球を中心にして、太陽や月や星が回っているという
「天動説」が常識で、長い間信じられ、

地球が自転しながら太陽の周りを回っているという
「地動説」は非常識とされた時代がありました。
http://www.astron.pref.gunma.jp/kyozai01/tendou/tendou_top.html

地動説を支持した人たちは当時、迫害されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC

歴史とともに、常識も非常識も変わっていくものだということを
忘れてはならないと思います。

今までと違うまったく新しい概念は、
いつの世も、一度は迫害される運命にあるのだと思います。

そういう議論の中で、さまざまな角度からの検証がなされ、
次第に真実が見出されてくることを
期待したいと思います。

(つづく)



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森の「綿菓子屋」さん。

2006年12月12日 | 四季の風景
今日は12月12日
今年もあと19日。残りわずかです。
今日はこちらは曇り
午後から雨になるようです。

昨日の朝は寒くて、庭に霜柱を見ました。
たまった水に氷もはっていました。

今朝はくもりだったせいか、比較的暖かな朝で
霜はおりていませんでした。

最近寒いせいか、
インフルエンザにかかった時のように、全身のふしぶしが痛みます。
昨日も今朝も痛みで目が覚め、本当にこんな目覚めが嫌で、
つい「もう死にたい。」と
弱音が自然に口から出てしまいました。
こんな日もあります。

さて、
12月4日に初霜を見ました。
翌日も霜で車も空き地も真っ白でした。
冬だなぁと感じました。

その日は寒かったけれど晴れていたので、
気温が上がるのを待って、公園に散歩行ってきました。
これで26回目です。

翌日5日にも、出かけるのが11時ごろと遅れたけれど、
散歩にいきました。
27回目です。

でも、出かけるタイミングは遅かったせいか
具合が悪くなってきて、いつものコースより短めに歩いて、
早めに帰ってきました。

以来きょうまで、散歩には行っていません。

12月の公園は木々の紅葉も終わり、
木の葉が落ち、うっそうとしていた森が
急に日が差し込んで明るくなってきました

最後の落ち葉が道を埋め尽くし、
もみじの赤や黄色の木の葉で埋め尽くされた木の下は
まるで色とりどりの糸で織られたじゅうたんが
しかれているようでした。

11月末のある朝の散歩の時、
朝日のスポットライトの射す林の中で、
まるで、雪のように絶え間なくハラハラと散る、木の葉を見ました。

とても幻想的な美しい光景でした。

考えてみると、
今までの人生の中で、
10月11月12月と移りゆく、木々たちを、
こんなにも毎日のように観察したことはありませんでした。

紅葉の名所は何度か見たことはあっても、
身近な木々たちの葉が次第に少しずつ色づき、
散っていく一部始終の変化を、
見て、嗅いで、木の葉を拾って、描いてと、
全身で感じたことも、ありませんでした。

いつも、苦しい症状を抱えながらも
時間に追われ、学業や仕事や忙しい日常に追われ、
必死に生きていたから、

こんなにじっくりと紅葉の一部始終を見たことは
今までの人生で一度もありませんでした。

こんな秋は、今年が生まれてはじめてでした。

「脳脊髄液減少症」が悪化して、リハビリ散歩が必要なほどにならなければ
こんな時間は、私の人生にはなかったかもしれません。

そう思うと、今までの人生も、悪化後の苦しさも
ブラッドパッチ後も孤独な闘病も、リハビリも、
ただ、苦しいだけではなく、

自分と向き合ったり、四季の自然からエネルギーをもらう
大切な時間を与えてもらったのかもしれません。

「人生に起こることがらに、何も無駄なことはない。」のだと思えました。


この秋、公園にいくと、私にはひそかな楽しみがありました。

それは、「森の綿菓子屋さん」に会うことです。

その「森の綿菓子屋さん」は
いつもそこで、甘い香りを周囲一杯にただよわせて
私が来るのを待っていて、
11月下旬まで、私を励まし楽しませてくれました。

「おっ、今日も歩いてきたな。」
「がんばれよ。」といわんばかりに
そこを通るたび、甘い香りで応援してくれました。

しかし・・・・・、
そこには、「綿菓子屋さん」の姿は見えません。

ただ、濃厚な、砂糖がこげるような、
カラメルソースのような、
お祭りの屋台の綿菓子やさんの近くにただようような、
甘い香りがするだけです

私はいつも、そこで足を止めました。
見渡すかぎり、森です。
「はて?」と毎回考えました。

「近くに精糖工場でもあるのかな?」
そう、本気で考えました。

でもそんな施設は周囲にはありません。

「ミツバチの巣でもあるのかな?」
「はちみつの匂いかな?」
でも、蜂の気配もありません。

「はて?この甘い香りの正体はいったい?」

散歩をしている老夫婦に
「ここに来ると甘い香りがしますよね?なんでしょう?」
と聞いてみましたが
老夫婦は二人でニコニコと首をかしげるばかりでした。

老夫婦には、この香りがわからない様子でした。
耳が遠くて、私の声が聞き取れなかったのかも・・・

まさか、私だけが感じる幻臭?

ずっと疑問に思いながら、
公園散歩に通いました。

いつ行っても、そこを通ると香ってくる
あま~いカラメルの香り・・・。

ある日、その正体がやっとわかりました。

その正体とは・・・・・

決してキレイな紅葉とはいえない、あたり一面に敷きつめられた、
茶色の「桂(かつら)の木の落ち葉」でした。

茶色になった落ち葉をひろって、匂いをかいでみると、
カラメルの香りそっくり
「これだ」と
気がついた時の驚き。

そして、確かに「香りの元」があったことで
微妙な木の葉の香りを感じ取ることができた
自分の嗅覚の回復したことの気づきと驚き。

改めて周囲を見回すと
その場所は、桂の大木が何本かそびえ立っていました。

「森の綿菓子屋さん」の正体は
かつらの木たちだったのです。

まさか、この甘い香りの正体が、「木の葉」とは想像もしませんでした。

ハート型の「桂の葉」は、
好きな人の持ち物の本にそっとはさんでおくと
自分の思いが伝わると
昔、山の案内人から聞いたことはありましたが

こんなに甘い香りがすることを、
この秋まで、私は全く知りませんでした。

桂の木の大木が何本かある林の一帯には
10月ごろから、11月下旬まで、ずっと甘い香りがただよっていました。

どうして落ち葉がこんなにおいしそうな香りがするのか、
自然界のいたずらに驚きました。

桂の茶色になった落ち葉だけが香るのでしょうか?
若葉はどんな香りがするのでしょうか?
興味はつきません。
また調べてみたいと思います。

落ち葉を拾い集め、何枚か持って帰って、玄関とパソコンの横に置きました。
すると、家の中まで、ずっとあの甘い香りがするのです。
自然の芳香剤です。
ちなみに家族は「しょうゆせんべい」の香りと言いました。

私は甘い香りに感じました。
甘い香りは、なぜか心を穏やかにしてくれます。

桂の木は、ちょうど歩いていて苦しくなる
折り返し地点にあったのです。
甘い香りをかぐと
「もう少し。」とがんばれました。

この秋、桂の落ち葉の香りには
本当に励まされ、楽しませてもらいました。

でも11月下旬24回目の散歩した時、
もう桂の木の横を通っても、甘い香りはしなくなっていました。

落ち葉として落ちてからも、しばらく甘い香りを漂わせたあと、
カラカラになって、その甘い香りが終わるようです。

11月下旬で、すべての葉が落ちてしまいました。

「森の綿菓子屋さん」も11月で閉店のようです。

この秋、私の孤独なリハビリ散歩を
いつもそこで待っていて、甘い香りで応援してくれた
「森の綿菓子屋さん」。
ありがとう。

今より元気になって、きっと会いにいくから、
また、来年、甘い香りをかがせてね。



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体感時間が変化する。

2006年12月04日 | ブラッドパッチ後の変化
きょうは晴れで26回目の散歩に行ってきました。
散歩の話はあとで詳しく書くとして、

たった今、週1回の唯一の娯楽、
テレビドラマの「のだめカンタービレ」を見ていて、
不思議な体験をしたので、忘れないうちに書いておきます。

「時間がなかなか進まない。」ように感じたのです。

これは「脳脊髄液減少症が回復したため」に、感じた現象かもしれません。

ドラマを見ながら、「もう30分たったかな?」と思って時計を見ると
まだ10分しか過ぎていなかったのです。

しかも9時30分から、なかなか時間が進まない感じがしました。

ドラマを見ながらチラチラ時計を見るのですが、
時計の針の動きが、異常に遅く感じました。

10分はたったかな?と思って時計を見ると1分くらいしか進んでいなかったり、
実に不思議な体験です。

1時間ドラマなのに、異常に長く感じました。

どうして、このように感じたのかわかりません。

夜なので、いつものように、体を起こしていると苦しくて
横になったり、リクライニングしたりの姿勢で見ていて、
決して調子がいいというわけではありませんでした。

なのに、この体験。
いったい
これが、ろくろさんの言っていた↓
回復してくると「時間が長く感じてくる。」という現象なのでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/rokurokubi/20060722

なぜ?
どうして?こういう時間の感覚の変化が起きるのでしょうか?

うまく表現できませんが
「回復すると体感時間が変化する」→「時間がなかなか進まない感じ。」
に感じるのかもしれません。

今まで1時間ドラマでも、その情報量すべてを解読できず、
スポットの画面やセリフを理解し、またスポットを理解し、と
飛び飛びの情報をつなぎ合わせて理解していた感じでした。

それがテレビドラマを、飛び飛びのスポットの情報ではなく、
より多くの情報量を連続して脳が読み取り、
理解できるようになったせいかもしれません。

でも、なぜ、脳の情報処理機能が向上すると、
「時間がなかなか進まない」ように感じるのでしょうか・・・?

まだ、今の私の思考では、よく理解できないのです。
「ミステリー」です。
何日かじっくり考えれば、
自分の身に起こった出来事の意味が理解できるかも・・。
今週いっぱい考えてみます。

私の今までと昨夜の体験を事実を表現すると、

脳脊髄液減少症の症状としては(脳機能低下の状態では・・・)
「一日の時間が短く」感じていたものが、

回復すると正常な時間経過の速度を
「時間がなかなか進まない。」と感じるという事です。

一日24時間がものすごく短く感じていたものが、
回復すると一日24時間を24時間として感じることが、
今までと比べて時間が長く感じるために、

まるで時間の速度が遅くなったような
一日が36時間になったかのように感じる。」とでも表現するしかありません。

症状を説明するのも難しいですが、
回復の過程も、
「言語化して表現するのが」非常に難しいです。

「脳脊髄液減少症」って症状も回復も実に複雑怪奇で
体験したことのない人に伝えるのが、
本当に難しい病気です。

それにしても、脳って不思議な臓器です。
きっと未知の機能が、いっぱいあるのでしょうね。

「脳脊髄液減少症」の原因や治療を研究すれば、
きっと新たな脳機能や、脳脊髄液が生体にどんな働きをしているのかが解明でき、
脳科学の進歩に必ず役立つと思います。

脳の研究者の皆様、
脳トレ開発した、川島隆太先生(脳トレゲームでお世話になってます。)、
どうか、「脳脊髄液減少症」研究にお力をお貸しください。

この病気の治療に取り組む医師は、患者の治療に忙しすぎて、
きっと、なかなか研究まで手が回らないはずです。

脳研究者の皆様が、治療に取り組む医師と協力しあって、
この病気の解明に取り組めば、
きっと原因解明でき、
多くの患者たちを救うと思います。
そして、
「脳脊髄液減少症」の研究は「新しい発見」の宝庫かもしれません。

一刻も早い原因解明と、患者の苦しみ軽減の治療の研究、
どうぞよろしくお願いします。

それにしてもビックリ体験でした。


[補足説明]
翌日と翌々日に自分の体験の意味を考えて考えたこと。
以下と上の図に書いてみました。
あくまで私の推察です。

脳脊髄液減少症で脳機能が低下した状態で
自分が一定量の仕事Aをこなし終わる時間を1時間とする。
(今までの脳の情報処理能力の量をAとする。)
その状態で脳は「自分が仕事Aがこなし終わる時間を約1時間」と
体内感覚で記憶する。

ところが、その同じ人がある日突然、
意識しないうちに脳機能がアップしていて、
いつものように一定の仕事量Aをやった場合どうなるか?。

一定量の仕事Aをこなし終わった時、30分しかかからなかった。
同じ仕事量をいつもは1時間かかっている。
そのため、体内感覚で
「自分が一定量の仕事Aをこなし終わる時間は約1時間」と記憶している。

だからいつものように、自分が一定量のAの仕事が終わった時、
「1時間は経過しているはず。」と思い込んでいる。
しかし、時計を見ると、実際は30分しかたっていない。

「1時間たったと思ったのに、実際には30分しかたっていなかった。」
そこで
「まるで時計の針が止まっていたような、針の動きが遅くなったような。」
感じがして、結果的に→「時間の進む速度が遅くなったように感じた。」という現象だったと思います。
うまく説明できないけど、そんな感じ。

物理や数学に強い人、誰かうまく説明して~。

ミステリーには推理はつきもの。
アタミステリーで培った推理力で
自分に起こったミステリーの推理をしてみました。
違うかな?

本当に「脳脊髄液減少症」の症状も回復の過程も説明するのは難しいです。
もしかしたら、認知症の高齢者や、脳障害を抱える子供たちや大人の方がたは
こういうさまざまな体験をしているのかもしれません。

それを表現して外部に伝える手段さえ奪われているから、
自分がどういう状態か伝えられない。

「脳脊髄液減少症」患者の体験を検証することは、
そういう表現できない人たちの感じている「異常感や症状」を
推察することにつながるかもしれません。



コメント (66)
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