愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

象徴天皇制における天皇のあり方について、その政治利用を徹底して排除するための国民的議論を!

2013-12-23 | 日記

今日は天皇誕生日、祝日です。戦前は天長節と言われていました。中国思想でした。天長節」という歌も歌われ、国民に徹底されました。伊勢神宮などの神社では天長祭が行なわれているとのことです。日本の歴史において「天皇の歴史」は大きな重みを持っていることは事実です。

 

しかし、「日本」という国家が、現在の「領土」を前提としてみるのではなく、歴史的に捉えてみて、この列島とその周囲の島々にすむ人々にどのように確認されていたか、また、その地域は、そのくらいの地域で確認されてきたか、その議論は別にして、便宜的に「日本」という言葉を使うとして、「日本」社会の「頂点」をささえる底辺に位置していた、生産労働に従事していた名もなき民衆に、同じほどの光を与えていくことが、今ほど求められている時はないと思います。

 

そういう意味で考えると,天皇が国民の中に浸透するようになったのは、明治維新後だったように思います。あの維新を主導した下級武士たちは、少年睦仁天皇のことを「玉」と隠語で呼んでいたのです。彼は「尊皇(王」」主義を掲げながらも、当時の天皇は、その程度の存在でした。このことは「八重の桜」のなかでも、鳥羽伏見の戦いで「錦の御旗」を掲げた薩長連合軍に対して会津桑名中心の幕府軍がビビッてしまったこと、「会津も尊皇だった」論に見ることができます。当時から現代の時代劇に盛んに使われた「尊皇か、佐幕か」という論調自身が、当時の権力闘争におけるスリカエがあったことを強調しておかなければなりません。

 

そういう意味で、今日も、天皇の政治利用をみることができます。そのことについては、これまで記事に書いてきましたのでご覧ください。

 

原発売り込み宣伝マシンとして天皇を利用する安倍政権を批判もしないマスコミの国民主権形骸化に大渇!(2013-12-01 12:09:32)

 

ここでは、天皇が自分の誕生日に当たって、記者会見で述べたことについて、記事にしておきます。愛国者の邪論が注目したことは、天皇自身が日本国憲法をどのように評価しているか、ということです。

 

天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの一年のご動静(平成25年12月23日)

大東亜戦争について

80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。(引用ここまで

 

侵略戦争であったかどうか、裕仁天皇の戦争責任については述べてはいません。しかも、日本人の犠牲者しか言及していないのです。これが到達点なのでしょうか。アジアへの配慮は別のところで言及していますので、ここで敢えて言わなかったのでしょうか。それにしても、アジアへの配慮が「政治的」な臭いがしてしまうということそのものに、日本国の後進性があるように思います。

 

憲法について

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。(引用ここまで

 

憲法が押し付けられたものでないことを述べているのですが、当然でしょう。歴史の事実をみれば、安倍首相の「押し付け憲法」論の誤りを天皇の自身が述べているのです。これは憲法尊重擁護の義務を負っている天皇としても当然の見解です。如何に歴代自民党が憲法違反行為を行なってきたか、ある意味明瞭になったように思います。

 

天皇の国事行為について

日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されています。この条項を遵守することを念頭において,私は天皇としての活動を律しています。しかし,質問にあった五輪招致活動のように,主旨がはっきりうたってあればともかく,問題によっては,国政に関与するのかどうか,判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に,また法律的に,考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合,参与も宮内庁長官始め関係者も,この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って,事に当たっていくつもりです。(引用ここまで

 

元首化を求める政権政党や天皇の政治利用を企む安倍自公政権など、天皇の立場が非常に微妙な立場にあることが判ります。「孤独」発言は、その微妙な立場を表現したように思います。天皇の立場を明確化した、いわゆる「規制」事項が、時代とともに曖昧にされてきたことを、愛国者の邪論は、以下のように指摘しておきました。

 

戦後自民党政権は、「天皇は国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(憲法第4条)というルール・規制を「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」(憲法第3条)を使って曖昧にしてきました。その象徴的日本語が「公的行為」でした。これが政治的利用の代名詞でした。(引用ここまで

 

この指摘が、今回の天皇の記者会見によって、改めて証明されたように思います。天皇自身が天皇制(国体)「護持」のために、どのように政府を利用しているか、それは定かではありません。

 

しかし、少なくとも「国事行為」を「遵守することを念頭において,私は天皇としての活動を律してい」るが、「しかし,…問題によっては,国政に関与するのかどうか,判断の難しい場合もあ」ると述べたことの意味は大きなものがあります。やはり「天皇の政治利用」

はあるのだということを天皇自身が述べていることの意味は非常に重いと思います。

 

今日のテレビ朝日のモーニングバードでは、この点についは曖昧でした。「内奏」についても、何ら批判することなく安倍首相の「内奏」映像を、また「私的行為」としての「宮中祭祀」映像を流していました。ここにも政治的利用問題があるように思います。その点で言えば、今朝のNHKラジオの方が天皇の記者会見の内容を一定程度正確に伝えていました。

 

昼のスクランブルでは、天皇の戦争や憲法などに対する認識について、「国民を代表したもの」とのなかにし礼氏のコメントには安倍自公政権の暴走を意識したものとハッキリしていました。アッパレを贈りたいと思います。

 

しかし、それにしても、天皇の「国事行為」は具体的です。この「行為」のみについて、厳格に遵守することを政治が行なわなければなりません。これは主権者である国民に対する責任の問題です。そのためにも、また点の自身が「遵守する」としている「国事行為」について、国民的議論を巻き起こしていくことが必要だろうと思います。

 

「公的行為」、「皇室外交」、「私的行為」としての「宗教行為」についても、単なる一般的な「公務」として曖昧化するのではなく、政治利用の弊害、歴史の教訓として位置づけ、厳格に遵守するように国民的議論を起こしていくべきでしょう。

 

もう一つは、いわゆる「皇室外交」です。これについてもすでに記事にしてあります。そこで、以下の部分について、述べてみたいと思います。

インド大統領閣下主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(平成25年12月2日)

仏教について

…貴国と我が国とは地理的に離れ,古い時代には両国の間で人々の交流はほとんどなかったように考えられます。しかし,貴国で成立した仏教は6世紀には朝鮮半島の百済から我が国に伝えられ,8世紀には奈良の都には幾つもの寺院が建立され,仏教に対する信仰は盛んになりました。8世紀には,はるばるインドから日本を訪れた僧菩提(ぼだい)僊那(せんな)が,孝謙天皇,聖武上皇,光明皇太后の見守る中で,奈良の大仏の開眼供養に開眼導師を務めたことが知られています。この時に大仏のお目を入れるために使われた筆は今なお正倉院の宝物の中に伝えられています。(引用ここまで

 

皇室の私的行為としての神道行事、祭祀が、歴史的には、新しいものであること、明治政府による神道の政治利用が天皇自身の言葉で語られたように思います。そもそも天皇家は、その菩提寺が京都の泉涌寺であったことにみるように仏教徒でした。そうした歴史の事実をスリカエ、日本社会における伝統であった神仏習合思想を排除して、神仏分離廃仏毀釈まで行なって神道国教化政策を推進してきた歴史の弊害について、国民的議論と総括をすべきです。

 

非暴力思想について

前回の貴国訪問の旅はこのコルカタ訪問に始まり,ムンバイ,デリー,アグラ,ブタガヤ,パトナ等,かなり広い地域にわたりました。私どもは二人ともまだ20代半ばの若さであり,この国の深さを十分に知るには程遠くありましたが,この旅で当時のプラサド大統領始め,独立当時からの国の指導者たちと接し,この国の来し方を学ぶとともに,この方々の民主主義,国際主義,さらには非暴力を旨としたガンジーの思想の流れをくむ平和主義を理想とする国造りへの高い志に触れたことは,今日もなお私どもの中に強い印象として刻まれています。(引用ここまで

 

このガンジーの非暴力思想については、安倍首相も語っていることですが、歳を重ねてきた天皇自身が、この思想を語ったことの意味は大きな意義があったように思います。この思想は憲法第9条に受け継がれているからです。非暴力思想には、必ず「不服従」思想がリンクされていることは周知の事実です。安倍首相など、憲法九条を否定する勢力が強調しているような、いわゆる「やられぱなし」論ではありません。この非暴力思想は、同時に紛争を非暴力的手段で、話し合いで解決するという思想です。極めて積極的平和主義なのです。ここにも安倍首相のゴマカシ・スリカエがあります。

 

この思想は明治期においては、田中正造が、大正期においても、中国民衆が日本商品ボイコット運動を、朝鮮の民衆が3,1事件、万歳事件といわれる独立運動で展開していることです。戦後においては阿波根昌鴻が米軍基地撤去運動で実践していることであり、最近では、アセアンで議論されている、日本のマスコミでは黙殺している戦争放棄条約に結実しているのです。

 

日米中含む戦争放棄条約を/インドネシア大統領が呼びかけ 2013年12月14日

 

以上、天皇の記者会見を検証してみました。マスコミが、この天皇の発言を、安倍自公政権の暴走との関係で、どのように意味づけるか、それはないと思いますので、愛国者の邪論が、意味づけてみました。愛国者の邪論は、憲法擁護の立場ですので、主権の存する天皇の地位は、尊重します。だからこそ、憲法にもとづく「国事行為」の厳守を、国民的議論で徹底化していくべきだと思います。

 

同時に、これまで述べてきたように、天皇の歴史について、民衆との関係で意味づけ、学校でしっかり教えていくべきだと思います。何故か。日本国の最高法規の第一条の天皇条項があるにもかかわらず、天皇について、あまりにタブー化し、曖昧化し、しかし天皇を政治利用をしているのです。80歳という高齢の明仁天皇をインドまで引っ張り出すなど、一般社会の庶民感覚、フツーでは考えられないことを安倍政権は平気でやるのです。この様な非人道的な政治利用を克服すべきです。

 

政治利用するまえに、「天皇」という言葉の意味・由来・日本の歴史のなかで果たしてきた役割、天皇家自身が、時の政権を利用しながら「万世一系」を維持してきたことなどなど、その歴史を学校で教えるべきです。それこそが日本の歴史と伝統から学ぶことになると確信するものです。



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