愛国者の邪論

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復帰40年記念社説:「核密約」に怒りを喚起させないマスコミ、最も歓迎しているのは米政府!これが証拠だ!

2012-05-23 | 日記
沖縄施政権復帰40年記念社説をみてきたが、いわゆる「唯一の核兵器被投下国ニッポン」の最大の問題、課題である「核密約」について、日本のマスコミがどのように位置づけて報道したか、それをみてみよう。以下、各社の核兵器に関する記述の部分である。


沖縄が期待した基地のない「本土並み」の暮らしと現実の落差は、あまりに大きかった。「核抜き」はどうだろう。沖縄に配備されていた戦術核ミサイルは撤去されたが、返還後の沖縄には、核再持ち込みの「密約」疑惑がつきまとった。一連の密約問題を検証した外務省の有識者委員会は一昨年、核再持ち込みについて「必ずしも密約とは言えない」としたが、佐藤首相とニクソン米大統領が署名した、再持ち込みに関する極秘扱いの文書の存在は否定しようがない。委員会の結論には強い違和感が残る。また、返還の見返りに、本来、米国が支払うべき土地の復元費用を日本政府が肩代わりする約束をしていたことも明らかになった。こちらは有識者委員会も密約と認定した。これら「沖縄密約」は、国民と沖縄を裏切る外交史の暗部である。(毎日)

沖縄返還の基本方針は「核抜き本土並み」だ。核抜きとは、沖縄に配備されていた核兵器の撤去、本土並みとは、日米安全保障条約と関連取り決めが沖縄にも変更なく適用されることを意味する。同時に、沖縄県土面積の12・6%を占める米軍基地を本土並みに縮小することでもあった。(東京)

米軍の核兵器を撤去し日米安全保障条約を本土と同等に適用する「核抜き・本土並み」が復帰時の原則だった。米軍基地は本土並みに整理・縮小するのが国の公約だった。40年後の現状はその理念からほど遠い。有事には沖縄への核の再持ち込みを認める「密約」の存在が明らかになっている。(北海道)

不透明な「核抜き」は、基地存続への反発や政府への不信感を強め、保革対立の形で県内世論を二分した。「核抜き」のうそは暴かれたが、40年はいかにも長すぎた。(河北新報)

「核抜き本土並み」とされた復帰だが、在日米軍基地のうち74%が沖縄に集中、基地に関しては「本土並み」とはほど遠い。三沢基地を抱え沖縄に次ぐ本県の7.6%からみても、沖縄の負担は余りにも重い。(東奥日報)

40年前のきのう、戦後27年間、米軍統治下にあった沖縄の施政権が日本に返還された。沖縄復帰にあたり日本政府が掲げた方針は「核抜き・本土並み」。当時の佐藤栄作首相が表明し、政治的スローガンにも扱われた。▼復帰後も米軍基地が残る沖縄にも非核三原則が適用される。そう強調された「核抜き」は、実はまやかしだった。関係者の証言や外交文書などで、核持ち込みを可能とする「密約」の存在が裏付けられた(静岡・大自在)

1950年代後半から60年代にかけて、本土の基地は約4分の1に減ったが、沖縄の基地は約2倍に増えた。沖縄の祖国復帰運動は、非民主的な米軍施政の下に置かれてきた人々が「基地のない平和な島」を取り戻そうという運動でもあったが、「核抜き、本土並み」といわれた復帰は、少なくとも基地に関しては本土並みになっていない。(岐阜)(山陰中央新報)

 これ以上沖縄に犠牲を強いてはならない。佐藤栄作元首相の密使として沖縄返還交渉に当たった本県出身の国際政治学者、若泉敬氏は96年、重い犠牲と負担を強いた沖縄に対する呵責(かしゃく)の念から「結果責任」を取った。記念式典には「県外、国外」を掲げながら迷走、混乱させた鳩山由紀夫元首相も出席の予定だ。会場周辺では政府の沖縄政策に抗議して市民団体がデモ行進する。若泉氏のように覚悟のある政治家は、氏の言う「愚者の楽園」日本にはいないのか。(福井)


たった8社しか取り扱っていない。このことをどう見るかだが、それにしても、書き方は大いに問題だ。その理由について、以下述べてみる。

復帰当時、1960年代から72年5月15日まで、問われていたのは、沖縄を日本国憲法下に戻すことだった。そして非核三原則の具体化であった。だが、国民には全く異なる密約が交わされていた。国会の「批准」さえなかった。明らかに憲法違反の「密約」であった。

北朝鮮や中国の「脅威」をことさら煽るマスコミは、米国の核兵器も持ち込みの密約、そして日米地位協定によって、どこにも自由に基地を、米軍を展開できる日米関係、こうした状況を踏まえて、中国や北朝鮮に対する報道ぶりを、こうした日米関係に適用しなければ、中国や北朝鮮のことを云々できない。

この「核密約」は日米の重大な国家犯罪であるにも係わらず、国民にウソを付きとおしてきた訳だが、そのことについて、極めて寛容的な社説を書いている。国民はこのことの意味を、憲法との関係で問わなければならない。各社も、そのことをきちっと、「しっかりと」反省しなければならない。ジャーナリズム精神が泣くというものだ。

そこで、日本の「核アレルギー」に関して米国政府がどのように位置づけていたか、新原昭治『日米「密約」外交と人民のたたかい』(新日本出版社)に掲載されていた資料を掲載しておこう。これをみると、米国政府の意向を受けたマスコミと言われても仕方のないことが判る。日本国憲法の平和主義・非核三原則より日米安保条約=軍事同盟優先の立場に立つ理由が良く理解できる。そう判断せざるを得ないものだ。


米解禁文書32 米国務省政策企画本部作成の機密報告書『日本の外交政策の動向』から
(1976年1月19日付)(抄訳)
〔日本の〕安全保障の分野で、絶えず検討しつづけなければならない特別の問題が一つある。核のトランジット(一時持ち込み)問題である。これは、われわれの両国関係において最も破壊的な作用をする危険を秘めた問題である。
日本政府は現在、大衆向けには米国による核のトランジット立ち寄りを知っていないとの態度をとっており、われわれがその承認を要請したとすればそうした立ち寄りの承認を断るであろう。
したがって、現行の〔日本への核兵器の〕トランジットの慣行が裏付けを伴って公然と暴露されたら、次のような結果が確実にもたらされるであろう。
(1)日本政府の崩壊
(2)米日防衛関係に最も強く反対の立場をとる野党指導者らへの信頼の高まり
(3)米日安全保障協力を擁護してきた日本の関係者らへの信頼のそれ相応の喪失
(4)日本の基本的な価値基準を米国が尊重していないとする大衆の疑念
遺憾なことにこの問題を片づけるためのどの選択肢も望ましいとは思えないし、政治的に実現可能とは考えられない。日本国内の政治的傾向に照らせば、〔核兵器の〕トランジット(一時持ち込み)は日本への核兵器イントロダクション(持ち込み=常時配備)の禁止を犯すことにはならないという理屈に、国民の理解と支持をとりけようと日本政府が努力するとは、実際問題として考えられない。
最小限、われわれはこの問題をめぐり、われわれの公然たる立場のちぐはぐが拡大することのもたらす犠牲と危険について、日本政府の重要関係者らに折にふれて認識させつづけること。(引用ここまで)

どうだろうか?
本来であるならば、、こうした「密約」が発覚した段階で、「日本列島騒乱」状態にならなければ「愛国者」とは言えまい。まさに「売国者」と言われても仕方がない。神戸新聞などは非核神戸方式があるのだから、そうした観点から、もっと論ずるべきだし、米軍基地のある自治体の新聞は、この「密約」に対して、自分の問題として捉えた報道をすべきだ。

だが、日本は眠れる獅子ならぬ猫、米軍の番犬と言える。そう言われても仕方のないものだ。米国政府の「危惧」に応えられない日本、まさにアメリカ脳におかされてしまった実態が浮き彫りになったのではないだろうか?


密約にアメリカ脳に声もなし闘う歴史今こそ出だせ


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