愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

憲法記念日を国として祝うこともしない安倍政権!その応援団産経が建国記念の日を祝えと!退場!

2016-02-11 | 産経と民主主義

とうとう

日本の建国は神話的な伝説に基づいている

と言わざるを得なくなった産経!

しかし、論旨も内容も

全くデマ・ウソ・スリカエ・ゴマカシ・デタラメだ!

歴史を真摯に学べば、こんな記事は書けないはずだ!

しかし、侵略戦争を正当化する思想が

歴史の事実から遠ざける!

記紀神話を「民俗」として位置付ければ

人殺し装置にはしないはず、できないはずだ!

建国記念の日/政府自ら祝典を開催せよ

産經新聞/2016/2/11 6:00

http://www.sankei.com/column/news/160211/clm1602110001-n1.html

大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。

愛国者の邪論 侵略戦争で国際社会に迷惑をかけたことを反省して制定された日本国憲法制定の日を「建国記念日」にすることなく、しかも、「国として祝う式典は開かれない」ことは誠に「残念というほかない」というべきです。しかも、この日には、安倍首相はどこにいるか!外国にいるのです。一国の首相が、本来の「建国記念日」に全く「関係ねぇ~」と言わんばかりの態度をとっているのです。

そもそも、この「建国記念の日」というモノは、薩長藩閥政府が、自らの政権を正当化するために、天皇を政治的に利用するために創ったシロモノです。以下ご覧ください。

紀元節 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E7%AF%80

…2月11日という日付は、文部省天文局が算出し、暦学者の塚本明毅が審査して決定した。その具体的な計算方法は明らかにされていないが、当時の説明では「干支に相より簡法相立て」としている。…(引用ここまで

この2月11日を「目安」にして国家行事が計画され、天皇の権威を絶対無比のモノとして演出したのです。大日本帝国憲法制定日は、その象徴です。こうして2月11日の「紀元節」しかも、この日を「目安」にして侵略戦争の作戦が立てられるという、非科学的な精神主義的な事がまかり通ったのでした。侵略戦争を扇動するための装置として「紀元節」が使われたことを産経はいっさい隠ぺいしています。

およそジャーナリズムの悖る新聞と言わなければなりません。

そのような装置を、軍国主義復活・憲法改悪の意図をもって復活させようとしたのですが、国民的反対にあったために「建国記念日」ではなく「建国記念の日」という格助詞「の」を入れざるを得なかったのでした。因みに「の」の入っていない祝日はどんなものがあるか!「天皇誕生日」と「憲法記念日」しかりません。ここに「の」を入れたらどうなるでしょうか!産経の無知が浮き彫りです。

2016年の祝日 http://calendar.infocharge.net/cal/2016/

日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。

愛国者の邪論 日本の天下」を「神話的な伝説」を元にして創り上げられた「天皇主権」の時代から「国民主権」に発展して、国民が「統治」することになったことを「建国」として意味づけられない産経の時代錯誤ぶりと無知と姑息ぶりが浮き彫りになります。

「先の敗戦後によって廃止された」のは当然です。ポツダム宣言を受諾したのです!憲法を押し付けた」論とリンクさせたという思惑が透けて視えてきます。しかし、ここに侵略戦争を正当化する産経の思想が浮き彫りになるのです。しかも、こうしたポツダム宣言の思想を形骸化させ、憲法を改悪させようとする産経のネライが、ここでも明らかになってしまっているのです。

半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。

愛国者の邪論 「神話」をスリカエて、人殺しの装置と塗り替えたことこそ、問題にしなければなりません!そもそも古事記・日本書紀は「民俗」として位置付けるべきシロモノであって、薩長藩閥政府・天皇制政府を正当化させるための装置として位置付けることそのものが、「神話的な伝説」を汚すものと言わなければなりません。「国生み」「伝説」そのものは「命の大切」を表現したものであったはずです。

「自国の歴史を否定する自虐まみれの教育」論そのものが、日本の歴史的伝統を否定するものと言わなければなりません。産経のスリカエ・ゴマカシ・デタラメ・大ウソ、トリックのロジックを告発しなければなりません!

「神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた」のはポツダム宣言で否定された「軍国主義」を鼓吹するものとして「皇国史観」が使われてきたからです。古事記や日本書紀に明記されている「神話的伝統」は本来は、「皇国史観」などとしてゆがめられるものではなく、純粋に「民俗」的「伝統」として位置付けられるべきものです。

しかし、産経など侵略戦争を正当化する輩は、江戸時代までは、全くと言っていいほど無関心だった神話的「神話的な伝説」を使って、これを侵略と殺人と略奪の装置として利用したのでした。これは歴史の事実です。そのような歴史を否定するのは当然です。これは憲法の前文にも明記されていることです。

神話はそっくり史実ではないにしろ」と断りながらも、「民族の貴重な遺産」お「誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか」と脅すのです。しかし、「国際社会から評価され」るためには侵略戦争の政治的精神的支柱であった「軍国主義」とそれを支えた「皇国史観」を否定することです。

産経は、このことをスリカエています。糞と味噌をゴチャゴチャにすることで、「軍国主義」「皇国史観」の復活を策動しているのです。およそ学問の知見も否定する暴挙と言わなければなりません。

先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる」のは、何も「神話」だけではありません。この日本列島に暮らした「先人」のより良い暮らしを求める「戦い」にこそ、学ばなければならないということです。

そもそも、安倍自民党応援団の産経に「民族の貴重な遺産」を「誇りに思わない国民」などということをいう資格は全くありません!

それは、「皇国史観」の「支柱」であった全国の「神社」の「荒廃」、「限界集落」が、どのような政治の下で創りだされたのか!全く反省も総括もなされていません!地方を荒廃させてきたのは戦後自民党政権の高度経済成長政策であったことは紛れもない歴史的事実です。

しかし、こうした事実は隠ぺいして、「青少年の健全な愛国心を育てられよう」などと、ご託宣を述べてるのです。自分こそが「愛国者」だと、「愛国者」ブルのは止めなさい!ということです。安倍自民党政権と産経こそが最も非愛国的といわなければならないシロモノであると言わなければなりません。

戦前は「鬼畜米英」と叫び、反対する臣民を非国民・国賊としてきた安倍自民党と産経の先人たちが、戦後は、命乞いから、親米となり、日米軍事同盟容認と推進の立場から、この美しい日本をめちゃくちゃにしてきた「歴史の事実」を隠ぺいすることはできません!こんな不道徳は許されるものではありません!

昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。

愛国者の邪論 これを紹介するところに、侵略戦争を正当化し軍国主義の復活を狙っている産経の姑息な思想が浮き彫りになります。1940年「皇紀2600年」のデタラメさはもちろんのこと、この年がどのように位置付けられたものか。そして翌年に何が引き起こされ、多数の国民とアジア太平洋諸国の国民を殺していったのか!このことを想像できれば、このような歌を「壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ」などということはできないはずです。

しかも、「壮大な建国の歴史」と言いますが、この言葉から「神話」であることを離れて「事実」としてスリカエ、デタラメ、ゴマカシ、大ウソをついていることが浮き彫りになります。

紀元前660年に「日本」が「建国」されたなどと言うことは「妄想」を遥かに超えた「歴史の偽造」と言わなければなりません!産経は「紀元前660年」はどんな『時代」だったか!もう一度中学校から学習し直すべきでしょう!全くケシカランことです。

しかも「日本」などという言葉が、「紀元前660年」にあったか!現在の「日本」は、いつごろから言われていたか、しかも、その統治の範囲はどうだったか!全くの無知と言わなければなりません。国民をバカにするな!学問をバカにするな!科学をバカにするな!ということです。

のホームページ

http://www.geocities.jp/kaidoukita/

海道東征 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9D%B1%E5%BE%81

海道東征』(かいどうとうせい)は、北原白秋詩、信時潔曲による交声曲(カンタータ)である。1940年皇紀2600年を祝賀する皇紀2600年奉祝曲として作られた。白秋晩年の大作、信時の代表作である。関連した阪田寛夫の著作の題名にもなった。(引用ここまで


新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。
いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。(引用ここまで)

愛国者の邪論 完全に言葉に酔っています!「いま国内外で直面している幾多の困難」は一体全体誰が創ったものか!天災でしょうか?

 「日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思い」こそ、戦前の臣民主義と言わなければなりません。事実がゴマカシ・スリカエ・デタラメを吹聴すること、ウソを吐くことは、必ずや国民的批判に晒されることでしょう。この記事が、そのために貢献できることを願っています。



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