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The 2nd Project of Anti-Christ

Even though I don't know if you believe or not, the second project is still now proceeding.

Buzz·公開 2020年11月3日
地球に帰還する「はやぶさ2」回収隊の便名が!? JALの粋すぎるはからいに感動

「はやぶさ2」は2014年12月に地球を旅立ち、2019年に約3億キロ離れた小惑星「リュウグウ」に到着した。着陸、採取した物質をカプセルに収納し、同年11月から帰路につき、12月5日に上空でカプセルを分離し、オーストラリアのウーメラ砂漠に向けて投下する。

by Kota Hatachi
籏智 広太 BuzzFeed News Reporter, Japan


小惑星「リュウグウ」の探査を終え、地球に帰還している「はやぶさ2」。12月6日にも採取した物質の入ったカプセルがオーストラリアに投下される予定だ。

それに先立ち、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の「カプセル回収隊」の先発隊が日本を出国したのだが……。その際に搭乗した日本航空の粋な計らいが、話題を呼んでいる。


Twitter: @haya2_jaxa

「はやぶさ2」は2014年12月に地球を旅立ち、2019年に約3億キロ離れた小惑星「リュウグウ」に到着した。着陸、採取した物質をカプセルに収納し、同年11月から帰路についていた。

今年12月5日には上空でカプセルを分離し、オーストラリアのウーメラ砂漠に向けて投下する。回収は翌6日の予定で、回収隊の先発隊14人が11月1日に日本を出国し、南部アデレードに向かった。

日本航空の粋な計らいとは、その便名だ。先遣隊たちが搭乗した機体は「JL8823」。数字の語呂合わせで、「はやぶさ」となっていたのだ。

客室乗務員一同から「この素晴らしい任務が無事完了することをお祈りしております」との手紙も渡されたており、「はやぶさ2」の公式アカウントも「とってもうれしいJALの配慮に感動…」とTwitterに綴っている。

ツイートは約8000「いいね」がつくなど話題に。「JALやるねえ」「粋ですね」などのコメントがついている。


Twitter: @haya2_jaxa

いったい、誰の発案なのか。日本航空の広報担当者によると、チャーター便の担当者だという。

担当者は、BuzzFeed Newsの取材に「特別なミッションを応援したいという気持ちと、チャーター便ご利用への感謝の気持ちを少しでも表現できればと思い、JL8823便=JALはやぶさ便と設定しました」と語った。

JAXAの広報担当者によると、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、オーストラリアは他国からの渡航が認められていないこともあり、調整した結果、チャーター便になったという。

先遣隊は国内での自主隔離と現地での2週間の隔離を経て、ウーメラ砂漠に向かい回収作業に当たる。本隊の59人も、11月9日に出国予定だ。

人類史上2度目となる挑戦はどうなるのか。「はやぶさ2」の公式アカウントはこうも記している。

「ありがとう日本の翼。鶴丸の想い、確かに受け取りました。はやぶさ2の翼も、明日のソラに向かって飛び続けます」

引用元:BuzzFeed https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/mosugunisuruhayabusa2ni-jalnosugiruraigani



Project Summary: "We adhere to pursuit the 2nd 123-Shooting-Plan against the Lord."


Numbers: Probably no explanation required.


The Gate in far-flung: Looking forward to your extra spectacle in the mountain of Takaamahara. Read also "The Longest Flight of a Hornet".
※オーストラリア空軍機の破片が御巣鷹の尾根付近で見つかっています


Her strong wish like a rock trembled the ground.


反動の効かない宇宙空間で、どうやって加減速し、どうやって姿勢制御するのか、それを考えるだけでもニヤついてしまうのですが、もはや宇宙開発ニュースは関係者向けの掲示板化しているようです。

 参考:Osiris, REx of What ?

今回出てきた暗号報道は、35年前の123便事件がどういう性質のものであったのかを如実に示しているので、123便関連として取り上げました。

読者の皆様におかれましては、宇宙喜劇団JAXAさんが活動を始める12月には特にお気を付けください。ソラに浮べたプロジェクター群が新しいタイプのエンタメを披露してくれるかもしれません。

 参考:光らない未確認飛行物体


SUPER ISMAHEL QUOQUE EXAUDIVI TE ECCE BENEDICAM EI ET AUGEBO ET MULTIPLICABO EUM VALDE DUODECIM DUCES GENERABIT ET FACIAM ILLUM IN GENTEM MAGNAM
And as for Ismael I have also heard thee. Behold, I will bless him, and increase, and multiply him exceedingly: he shall beget twelve chiefs, and I will make him a great nation.
イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。
(新共同訳聖書 創世記 第17章20節)



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Urvogel : the Symbol of Our Beginning

*October 30 updated (10月30日に追記があります)

Urvogel, is this creature bird or dinosaur? In Japanese, we call it "Shiso-cho", meaning the prototype of birds. In the view of archeology, it is believed that birds have evolved from this type.

Please remember that there is a shinto shrine which raises the emblem of probably urvogel in Japan.

The very problem is for what it symbolizes.


urvogel, the emblem, logo of Japan Airline


sin original

(神)ブログにおいて、埼玉県日高市にある高麗神社の神紋と日本航空のシンボルマール「鶴丸」の形状がそっくりなことから、同神社と123便事件との関連性を簡単に指摘しています。

もうご存知でしょうが、カルト的犯罪者たちは呪術的な意味でシンボルをたいへん重要視します。ですから、123便事件の真相解明において、シンボルが示す意味は無視できないのです。

この神紋、確かに全体的なデザインは鶴丸とは言えるのですが、鴨のような嘴と鱗のようにも見える羽の形状が気になっていました。

ところが、これを始祖鳥と解釈すると多くの意味が整合することに後から気付きました。すなわち私たち日本人の始祖について多くを語っているのです。その見解については主に(神)ブログ上でお知らせすることになるでしょう。

現上皇陛下が退任直前に同神社を私的参拝された、今ではその意味の深さに驚くばかりです。


写真1:高麗神社の駐車場(平成31年4月撮影)
この気持ちの悪いトーテムポールは明らかに呪術の一部。あまりにもよろしくなかったので、勝手に邪法解除の作法を施しておきました。こういうのは神職が気付くべきであり、気付いているのならば意図的に放置していたのでしょう。このような一見小さな事実が123便事件の背景において大きな位置を占めていると考えられるのです。


写真2:高麗神社の御本殿(同日撮影)
鶴丸、あるいは始祖鳥の神紋が掲げられている。高麗という名から朝鮮半島と日本の歴史的関係だけに注目されがちだが、どうしてそれがこの場所だったのか、そして、どうして現上皇陛下が批判を覚悟でここを訪れたのか、それを深く考察しない限り本当の歴史は見えてこない。


写真3:高麗神社西側の小山に据えられた水天宮(同日撮影)
表向きは「水天宮」だが、ここ(小山を含む)に隠されたものこそ始祖鳥の物語に直結する。これについてはいずれ記事化する予定です。


現場までの地図:(Google Mapより)
首都圏からはJR川越線、八高線、西武池袋線、圏央道などを使ってアクセスできます。


Look unto Abraham your father, and to Sara that bore you: for I called him alone, and blessed him, and multiplied him.
ADTENDITE AD ABRAHAM PATREM VESTRUM ET AD SARRAM QUAE PEPERIT VOS QUIA UNUM VOCAVI EUM ET BENEDIXI EI ET MULTIPLICAVI EUM
あなたたちの父アブラハム/あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び/彼を祝福して子孫を増やした。
(Isaiah 51:2)


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35回目の夏 - 小片に刻まれた想い

追記があります

本日は令和2年8月12日。日本航空123便が遭難したあの日からもう35年もの月日が過ぎ去ったのかと思うと、時の流れの速さに改めて驚くばかりです。

その年生まれた方でも既に35歳を迎えるのですから、当時の事を鮮明に覚えておられるのは、今や40代半ば以上の方々に限られてくるのでしょうね。

私の123便調査も今年で11年目となり、毎年同じことを言ってますが、本件の闇の深さがこれ程までとは、調査開始当初は予想もしなかったことです。

これまで時間を掛けただけの結果はそれなりに得ることはできたと思うのですが、とにかく新しいことが毎年次々と見つかり、事件全体に対する解釈はその都度変更を強いられるような有様です。

そのような経験からはっきりと言えるのは

 123便事件だけは常識で理解できない

ということです。そもそも、当時の事故調査委員会が出した「圧力隔壁の破損」という事故原因自体が、誰でも首を捻るような非常識な結論なのですから、その真相を更に手繰れば、より非常識な現実に出会うだろうことは、既に予想されていたことだったのかもしれません。

しかし、どんな複雑な背景があったとしても、多くの方々が命を落としたことだけは事実です。今日この日は、そんな人々の為に、心から追悼の意を捧げたいと思います。

読者の皆様におかれましては、123便の姿がレーダーから消えたと言われる時刻、午後6時56分前後になりましたならば、わずかな時間でよいので、犠牲者のご冥福を祈ってあげてくださいますよう、お願い申し上げます。


■令和2年の慰霊
本日から10日前の8月2日、慰霊のため御巣鷹の尾根に登りました。7月から降り続いた長雨は、その日の前日にはあがり始め、当日は雨の後の爽やかな空気と晴天に恵まれることとなりました。当初登る予定ではなかった尾根ですが、この機会を逃してはと思い、急遽、慰霊碑まで登ることを決めたのです。


画像1:土砂で車道が塞がれた登山口駐車場
7月の雨のせいか、あちこちで小規模な土砂崩れが見られました。登山口に一番近い駐車場には車が入れられません。


画像2:木々が倒れる登山道
登山道の周囲でも、土砂崩れにより倒れた木々の枝や幹が、沢や山道に覆いかぶさっていました。幸いなことに、管理者の手がしっかりと入っており、登山そのものにそれほど支障はありません。足元に注意なのと、奥の方の登山道に一部通行不能な箇所があることに留意してください。


画像3:流れる斜面の土
やはり降り続いた雨のせいか、あちこちで土砂が流出して養生シート・ネットを押し破っていました。私がこの日、123便の遺留品を見つけられたのは、こんな事情もあったからなのです。


画像4:昇魂之碑と高天原山
尾根上の広場に出た時、空は晴れ渡り、昇魂之碑の向こうにはっきりと高天原山を望むことができました。


画像5:123便コクピットクルーの墓標
この日までに、既に何組かの慰霊者が訪れていたのか、色鮮やかな花々が墓標に添えられていました。私はここで祈りの言葉を唱え、次の和歌を残してきました。

 この尾根に 三十五(みといつ)年の 過ぐるとも
 永久に忘れじ とき待つ君を


画像6:登山口に置かれたカウンタ
私は下山した時にカウンタを押しましたが、山小屋の管理人さんは、その日は登る人が多いとおっしゃっていました。


画像7:墓標群を巡る山道脇で拾った遺留品
一つ前の記事でもお知らせしましたが、この時に流れ出た土砂の中で見つけたのが、この123便の窓板だと思われる、透明アクリル板の破片です。

後日、この破片を携え日頃懇意にしているお社に向かい、そこで、この窓板に映っただろう全ての出来事が癒され、救われることを再び祈ってきました。

よろしかったら、読者の皆様もこの写真を通して、この不幸な出来事に関わる全ての方々が救われるようお祈りください。おそらく、天上の神様はそれを伝えるためにこの小片を私に持たせたのだと思います。


■2機目の123便(追記)
これは、メルマガで既にお知らせはしているものの、今回の記事で掲載するべきかどうかはひどく迷いました。しかし、冒頭で「この事件だけは常識で片付けられない」とお断りしたばかりなので、結論部分だけを先にお知らせしたいと思います。


画像8:123便の遭難現場は2か所ある

上の図ですが、単に遭難現場が2か所あるとかいう話ではありません。どう考えても

 123便は2機遭難していたのです。

この猛暑のせいでとうとう頭がやられた?いいえ違います、長期にわたる調査により導かれた結論です。どうしてそう言えるのか、詳細は今後追って説明することになるでしょう。

昨日、(真)ブログに掲載した「HELLO WORLD の暗号(2)」は単なるアニメ評論ではありません、これから私が出す情報を理解するために、基本情報として読まれることを意図しているのです。このアニメ作品には3人の同一人物が登場する、それがヒントです。

参考:黒霧123便関連記事ガイド


UNUM VERO HOC NON LATEAT VOS CARISSIMI QUIA UNUS DIES APUD DOMINUM SICUT MILLE ANNI ET MILLE ANNI SICUT DIES UNUs
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
(新共同訳聖書 ペトロの手紙2 第3章8節)


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ゴーン報道写真・エコノミスト表紙絵そして123便

今回は、(真)ブログ記事『テストコード「123便」とベイルート大爆発』でご紹介した、7月20日に仏ルモンド紙が掲載した「ゴーン氏による8月4日ベイルート大爆発予告」とも取れる、手サイン「4」についての追加考察です。


画像1:ゴーン氏の手サイン「4」。同氏がベイルートにて逃亡生活を続けているのは言うまでもないでしょう。お気の毒なことに、氏の邸宅はこの大爆発で居住不能となり、現在は郊外で一時避難生活を余儀なくされているようですが‥


画像2:大爆発後のベイルート(引用ニューヨーク・タイムス)

「ゴーン氏の予告」と書きましたが、この写真の選定と掲載を決定したのはルモンド紙編集部の方なので、正確にはルモンド紙の予言、あるいはフランス情報部からのリーク情報と表現するのが適切なのかもしれませんが。

もしもこれが、同爆発事故の予告であるならば、この大爆発は事故などではなく、フランス政府情報部が事前に掴んだ、あるいはなんらかの形でフランス政府機関が関与した、計画爆発(テロ)だとも見ることができます。

その意味では、レバノンのアウン大統領が今回の爆発原因について「外国勢力が干渉した可能性」を言及するのもよく分かる話です。

そもそも、昨年末に起きたゴーン氏の逃亡事件そのものが奇想天外であり、忘れてならないのは、ゴーン氏が元日産会長として日本の経済界、日本政府の経済政策に一定の影響力を持っていたことです。その点からも、ベイルートの大爆発に関して我が国は全く無縁とは言えないのです。

昨年末のゴーン氏逃亡に関して、本年1月に私は次のような記事を書いています

 ・ゴーン氏逃亡報道に見る123便事件 1/8
 ・中東戦争、準備は整ったのか? 1/11
 ・ゴーン氏逃亡報道に見る123便事件(2) 1/13

これらの記事の主要点は

 ・ゴーン氏逃亡は1985年の123便事件とリンクしている(昭和天皇拉致疑惑)
 ・ゴーン氏逃亡は中東における新たな計画の布石である
 ・旧水軍家系・旧宮家等がゴーン氏逃亡と中東計画に関与している

というものです。

前出の(真)ブログ記事では、最近話題になったWEBサイト「フライトレーダー24」に3回出現したという「JL123(=123便)」というテストコードが、実は単なる誤用・事故などではなく、今回のベイルート大爆発、およびこの8月に計画されているかもしれない爆破テロと関連しているのではないかとの推測を論じています。

同記事の最後に、国内で爆破テロが計画されているなら「ららら」と名付けられている土地がターゲットにされているのではないか?と、写真以外に場所を示さず締めくくっていますが、実はその場所については、世界的権威を有する経済誌が、既に一昨年に警告を示しているのです。それをお記憶でしょうか?


画像3:駿河湾から見た富士山
    参考:エコノミスト2019-表紙の解読


画像4:(真)ブログで掲載した写真

これでもうお分かりになったと思います。ここは一見、どこでもありそうな地方都市ですが、伊藤忠商事が民間業務を逸脱した一大拠点を築いている土地でもあります。

そして、ここは歴史的には旧水軍が支配した土地であり、その後は徳川幕府の支配下に入りましたが、最近は徳川家系とはあまり上手く行ってないようです。それはゴーン氏のインタビュー記事からもそこはかとなく窺えます。なお、その徳川家系は

 フランスに対して太いコネクション

を有することで知られています。なるほど、マクロン仏大統領のレバノンに対する毅然とした態度もそういう背景があるなら分からなくもありません。

この辺の事情に関しては、(新)ブログ記事「日産はトヨタか」をお読み頂くと分かり易いかもしれません。

遠く離れたベイルートがどうして日本と関係があるのか、それも35年も前の日本航空123便事件との繋がりの中で?それをゴーン氏報道写真を起点に説明してきましたが、これを簡単に言うならこういうことでしょう、

 123便事件は終わっていない

のだと。終わらせましょう、もういい加減に…

参考:黒霧123便関連記事ガイド


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闇夜に蠢くもの(6) - 殺戮の光景

この記事は、2018年1月の記事「James Bond Returned」に関連して、補足資料として下記のGIFアニメ画像をご紹介するものです。


※画像としてかなり重いのでご容赦ください

同映画が公開されたのは米国では1985年の5月、日本では7月の初旬です。画像を見ればお分かりになるように、この映画ポスターは、その年(1985年)の夏に注目するよう、観る者を促しています。巧妙に「JAL(日本航空)」というキーワードを忍ばせて。

これだけではありませんが、1980年代のメディア・興行には、こういう予告めいた仄めかしが、内外問わずあらゆるところに散りばめられています。これらを以って、私は

 123便撃墜計画は予め存在していた

と結論付けるのです。


1985年の夏、8月12日、果たして日本航空123便は目的地の伊丹空港に降り立つことなく、関東甲信の山中でその無残な姿を発見されるのです。まるで、後から火をかけられたように焼け爛れた遺体と共に。

そして、真っ黒に焼けた多くの遺体の傍に、どうしてなのか、メモ書きや紙幣が焦げ跡も付けず散乱していたというおまけ付きで。


画像:当時のFOCUS誌から、座ったままの黒焦げ遺体。周囲の木は燃えていない
   ※あまりにも生々しい写真なのでボカシを入れています

これまでに、8月12日の当日に同機を目撃した、遭難現場と思われる地点に到達したという方々からお話を伺ってきましたが、その中でも最も衝撃的だったのが、

 123便はほとんど無傷で山中に不時着していた

というものです。

夜中に現場近くに入ったその方は、とにかく無事そうなので安心して帰宅したところ、後から大惨事のニュースをメディアで見て驚いたと言います(*註)。

*註:これは「闇夜に蠢くもの(4)」でご紹介したM氏の証言とはまた別のものです。時間的にはM氏よりもかなり早く現場に入られたようです。何故なら、当時既に現場近くまで林道が整備されていましたから。現場は昭和初期まで林業が盛んな場所だったのであり、「夜中に入ると危険な場所」という当時の報道は全て事実に基づかない印象操作だったのです。

私はこれまで、あまりにも極端すぎるこの証言については懐疑的でした。また、事実だとしたらこの方の身に危険が及ぶことになると、本証言の取り扱いには注意してましたが、最近その方がご高齢でお亡くなりになったこと、そして「翼で飛べないジャンボジェット」で説明した通り、

 そもそも旅客機は翼なんぞで飛んでない

という点がはっきりしてきたので、何かしらの未知の飛行原理を使い同機が山中に不時着した可能性も否定できないとの結論に至りました。

もしも、123便が山中に不時着していたとするなら、あの真っ黒に焼け焦げた遺体群はいったい何だったのでしょうか?まさか、これがこの映画ポスターが予告していた

 殺戮の光景 (A View to A Kill)

の意味だとしたら、あまりにもひど過ぎる話です。

123便撃墜計画とは、誰が関わったどのような目的の計画だったのか、そして、8月12日の深夜、山中で何があったのか、これをはっきりさせない限り、この国の行く末は果てしなく悲観的なままとなるでしょう。

また、これまで本件を隠し、うやむやのままとしてきた代償は、おそらく全日本国民が多かれ少なかれ、身を以って払わされることになるだろうと、ここでお伝えしておきます。

 参考:黒霧123便関連記事ガイド


 * * *


DIXIT CUSTOS VENIT MANE ET NOX SI QUAERITIS QUAERITE CONVERTIMINI VENITE
見張りの者は言った。「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよ/もう一度来るがよい。」
(新共同訳聖書 イザヤ書 21章12節)


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