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The Miracle 10 Years Ago

Dear all readers

On "September 25", this day 10 years ago, we the human race was saved from the road of extinction caused by the radioactive widely diffused from the Fukushima nuclear reactor.


The explosion of the nuclear reactor at Fukushima

As one of the Christians, I call the phenomenon the miracle of God. Without this miracle, I could not have written this article nor found even one reader in the world.

I feel to ask all the readers what we have learned from this incredible luck and what we have done during these 10 years. Since it looks like we have learned nothing from the past as long as I see what now goes on in the world.

Although many lives all over the world were picked up by his right hand that year, we have started again killing ourselves with poisons made by humans, not nuclear substances but vaccines this time.

I expect that the price of this betrayal to God will be very high. Please notice that there leaves not enough time to reconsider and change our wrong deed before God's wrath appears as fires of anger, seen at the Japan Airline Flight 123 incident in 1985.

With lots of love


あれから10年。この文章は10年前に起きたあの奇跡について書いたものです。奇跡が私たちの都合で起きるものでないことは、今更申し上げるまでもないでしょう。大事なのは、その奇跡から何を学んだかということです。

この先何年か、この世に生きる誰一人余すことなく、その成果が問われる日々が続くでしょう。答は誰かが教えてくれるものではなく、各自が見つけるしかありません。どうしようもなく辛い思いをすることがあった時、この文章を思い出していただければ幸いです。

 関連記事:陽電化する日本人(3)-9月25日の奇跡



QUIS NOVIT FORTITUDINEM IRAE TUAE ET SECUNDUM TIMOREM TUUM INDIGNATIONEM TUAM
Who knoweth the power of thy anger, and for thy fear
御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて/あなたの憤りをも知ることでしょう。
(Psalmi 89-11)


The Sun, The Moon and The Earth
Written on the ground of Jesus Christ
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Le Mécanisme Qui Imite La Nature

Chers amis



La figure ci-dessus a été créée sur les informations obtenues à partir de ma source d'information fiable.

Elle explique comment le vaccin contre la contagion actuelle fonctionne dans votre corps. On ne peut trouver pas dans ce tableau des procédés génétiquement modifiés mais des nano-carbones chargés conçus pour le synthétiseur.

Le corps humain communique toujours avec l'environnement au niveau des particules chargées électriquement à l'intérieur du corps et obtient des informations critiques de la terre pour créer des substances indispensables comme des anticorps pour survivre à la situation actuelle comme les maladies contagieuses.

Le mécanisme appliqué au dernier vaccin pourrait être exprimé comme une imitation inverse de ce phénomène naturel. Probablement en changeant la configuration des ondes radio, certaines substances toxiques comme les virus peuvent être fabriquées artificiellement à l'intérieur du corps.

Leurs actes sont toujours des imitations de Dieu et ne dépassent jamais la profondeur de sa sagesse. Un défi au Grand Créateur se termine par payant une grande récompense. L'avertissement est déjà apparu.

C'est à vous de décider si vous le croyez ou non.

Je te souhaite une bonne santé.

※本件の内容を鑑み、誤解を避けるために当面メルマガ以外で日本語解説はいたしません。悪しからずご了承ください。なお、本記事で述べられている生命体の基本動作原理については、過去記事「陽電化する日本人(2)-世界滅亡前夜」で既に触れています。


NUNC ENIM EXTENDENS MANUM PERCUTIAM TE ET POPULUM TUUM PESTE PERIBISQUE DE TERRA
Si j`avais étendu ma main, et que je t`eusse frappé par la mortalité, toi et ton peuple, tu aurais disparu de la terre.
実際、今までにもわたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ
(exode 9-15)


Le Soleil, La lune et La Terre
Écrit sur la terre de Jésus-Christ
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Hope and Desperation

Tsugaru-Soto-Sangunshi is one of the history books telling ancient Japan. I'm sure there are many misunderstandings and prejudices in the book, but it should be not ignored. Since any history books seem not to tell the true history of the ancient time, we need to scrutinize and compare all the cultural artifacts as meaningful materials.

In Sangunshi, Mt. Iwaki in Tsugaru is expressed as a symbol of the ancient Tohoku kingdom and it also tells some ancient emperors of Japan were from Tohoku kingdom.

Those emperors who reined Tohoku and other areas of Japan at the same time can be the emperors whose records were lost in other history books. Because if it is true, the truth could be a kind of humiliation and threat to the people who believe their own pedigree and take advantage of blood connection to keep their high social status.

Of course, I have no idea judging what is true by now. So I went to Tsugaru this week to find some historic pieces which show the answer to the question.


The flash above Mt. Iwaki in the morning. Is it a sign of hope or desperation? Maybe both. (pictured Sep8 from Hirosaki city)


青森県津軽地方の調査へ行ってきました。調査レポートについては取りまとめた後に随時お知らせしたいと思います。

アニメ映画「もののけ姫」の冒頭がなぜ「蝦夷(えみし:東北)」の地に現れた「タゴの守(大国主がモデル)」であったのか、その理由も見えてきました。

 八月十二日よる、おかあさんがいないので、どうしたのかなとおもってそとにでてみると、したのおじさんたちと、どうろにでてなにかはなしていました。したのおじさんが、「あかくひかっているものがとんでいるよ。」と、いったので、わたしもみました。山にかくれたり、でたりしていました。「きみがわるいね。」と、みんなではなしました。

小さな目は見た」より

※完訳と解説については次のメルマガ(9月16日号)に掲載します。


QUI AIT OSTENDE MIHI GLORIAM TUAM RESPONDIT EGO OSTENDAM OMNE BONUM TIBI ET VOCABO IN NOMINE DOMINI CORAM TE ET MISEREBOR CUI VOLUERO ET CLEMENS ERO IN QUEM MIHI PLACUERIT RURSUMQUE AIT NON POTERIS VIDERE FACIEM MEAM NON ENIM VIDEBIT ME HOMO ET VIVET

And he said: Shew me thy glory. He answered: I will shew thee all good, and I will proclaim in the name of the Lord before thee: and I will have mercy on whom I will, and I will be merciful to whom it shall please me. And again he said: Thou canst not see my face: for man shall not see me, and live.

モーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と言うと、主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
(exodus 33-18,19,20)


The Sun, The Moon and The Earth
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認めたくない、憂うべき日本の現状(22)-電気の嘘と国家詐欺

※9月5日に大幅な追記を行いました

前回。久々に電気関係の記事「風力発電で電力消費」を投稿しました。これは過去記事「大電力送電の大嘘」の延長であったのですが、改めて旧記事を読み返してみると、かなり分かりにくいな、と自分でも反省することの多い内容です。

そこで、同記事をもう少し理解しやすくまとめたのが今回の記事です。既に読まれてご理解いただけた読者様は改めて読む必要はありませんが、よく分からなかったと思われる方は、こちらでもう一度チャレンジしてみてください。

私としては、理系を志す中高生、学校の先生、そして現場作業での不条理にいつも悩まされている電気工事士の皆さんたちには、特にお読み頂きたいと思っています。


■大電流が流せない絶対的な理由
まず、発電所から一般家庭や事業所までの電気の流れを次のような模式図にしてみました。


画像1:発電所からの電気の流れ

この図に出てきた、V、R、I はそれぞれ電圧、抵抗、電流に対応しています。そして、この3つの値の間には「オームの法則」というどなたでもご存知の物理法則が働いています。


画像2:オームの法則とその変形式

この図では、左辺に抵抗Rを置いた変形式も併せて載せています。ここで、電圧を100ボルト、電流を20アンペアとしてみましょう。オームの法則から、この電気回路の抵抗値が5オームであることは直ぐに計算できます。


画像3:オームの法則による抵抗値の計算

さて、ここで現実世界の大電力送電に話を移します。電力会社の説明によると、

 送電効率を上げるために50万ボルトの高電圧をかけている

と一般的に説明されています。こんなことは普通は有り得ないことですが、この高電圧回路の全抵抗値が5オームという非常に小さいものと仮定します。するとこの回路を流れる電流値はいくらになるでしょうか?


画像4:5オームの抵抗に50万ボルトの電圧をかけたら

やはりオームの法則により、10万アンペアの電流が流れると計算されます。さて、ここでもう少し物理的詳細に踏み込んでみます。

これは高校物理でも取り扱う事項ですが、二つの同方向に流れる電流の間には引力が発生することが分かっています。これを電流間力と呼ぶことにします。ここで、10万アンペアの電流が流れる導線内に5万ボルトずつの2本の導線が平行に設置されているという物理モデルを仮定してみましょう。


画像5:電流間力の物理モデル

この図に示した「電流間力の減少ファクター」にご注意ください。これは1千万分の1という極めて小さい数字で、電流間力の計算結果を大幅に減少させる要因となっています。さて、この電流1、2にそれぞれ5万アンペアの電流が流れたと仮定した場合、どのような計算結果になるかを示したのが次の図です。


画像6:5万アンペア時の電流間力の計算

先ほどの「電流間力の減少ファクター」が既に消滅し、この先は電流値が増えれば増えるほど電流間力は増大することが分かると思います。

これに加え、電流1、2間の距離の問題が効いてきます。導線が円形だとしたとき、2本の内部導線モデルでは、外側の導線の直系の半分がその距離に該当します。

しかし実際には、無限個の内部導線がびっしり詰まっているのが現実に近いモデルとして考えられます。そうなると各内部導線と隣接する他の内部導線間の距離はどんどん小さくなります。そうなるとそれらの間に働く力はどうなるのでしょうか?


画像7:距離が縮まると電流間力は増大する

これらの力の総和がどうなるかは積分モデルの解析が必要なのですが、ここではそれは省略します。今、気にして頂きたいのは、電流値が増大すると電流間力が増大すると言う事実です。そしてその力はどのように導線に現れるのでしょうか?


画像8:最終的に電流間力は電気抵抗となって現れる

この図の説明で特に注意すべきなのは、電流間力の計算式には「電流値の2乗」という因子が含まれることです。つまり電流値が増えると2次関数的に抵抗が増えると言う事実を示します。

つまり、大電流を流すことは大幅な抵抗の増大を招き、どこかで電流は流れなくなってしまうのです。なお、電流間力は磁力によるものなので、この抵抗を磁気抵抗と呼ぶこともあります。

ここで画像5の「電流間力の減少ファクター」をよく見てください。10のマイナス7乗とありますが、1000アンペアとは10の3乗ですから、1000の2乗は10の6乗となります。よってこの時点で、「電流間力の減少ファクター」はほとんど無くなってしまうので、この辺りから、急激な抵抗値の増大が始まります。

私が、導線に電流を流せるのはいいところ1000アンペアまで、というのはこういうことなのです。

電流間力を無視して良い場合

電流間力による抵抗値の上昇は数百アンペア以上の電流を扱う場合に現れるものであり、家庭や実験室内の低電流環境下では減少ファクターが十分効いているので、電流間力は誤差の範囲で収まり、計算上も無視して構わないのです。

この事実を踏まえてオームの法則を一般化すると次の様に書けるかと思います。

 V=(Rc+ R(i))×I

ここにある Rcとは常温における物質固有の抵抗、R(i)は物質に流れる電流量に依存して生じる抵抗を表します。私たちが普段目にする電気は R(i)=0 と扱えるので、V=R×Iのような単純なオームの法則が成り立つのです。

ところが、大電流を扱う強電(きょうでん)の世界では、もはやこのR(i)は無視できるものではありません。そして、この重要な物理的事実が一般には全く知らされていないのです。


すると、現実世界に大きな矛盾が見えてきます。仮に一戸当たりの契約アンペア数を25アンペアとしましょう。すると、導線一本では40戸分の電流しか送れません。

高圧電線に張られている導線の数は、多くても50本程度ですから、高圧電線の1ラインで電気が送れる戸数は

 40×50 = 2,000 (戸)

までとなります。

東京都の世帯数(ここでは戸数とみなします)はおおよそ500万世帯ですから、何本の送電ラインが必要になるか計算すると

 5,000,000 ÷ 2,000 = 2,500 (ライン)

となります。

ここで東京都民の方にお伺いしますが、本当にこれだけの高圧電線ラインが近隣県から都内に通じていますか?疑問に思われる方は今すぐ調べてみるとよいでしょう。

そしてもう一つ、たとえ1000アンペアという電流を流せたとしても、導線内部では電流間力によって抵抗値が十分上昇しているため、送電している間に電力を消費し尽くしてしまう可能性が出てくるのです。それを指摘したのが旧記事で、私の試算では、5㎝の太めの導線でいいところ10km~20km程度、それ以上の長距離送電は不可能と言う結論を得ています。

もちろん、電流量をぐっと押さえて抵抗を減らせば長距離送電も可能となりますが、送電ラインを丸々一ライン使って100軒、200軒分の電気を送れたところで、そんなものが経済的に見合うはずがありません。詰まるところ

 長距離送電は現実的に無理

と言わざるを得ません。ですから、福島などの遠方から送られてきた電気で東京の旺盛な電力需要が賄われているはずがないのです。


■電圧だけを上げられない
大電流の送電が不可能であると書くと、たまに次の様な反論を受けることがあります。

電力=電圧×電流 である。発電される電力自体は一定なのだから電圧を上げれば相対的に電流値は減るではないか?


こういう反論をされる方は、数学が得意でも物理は苦手なようですね。物理式は数学のように特定の変数をいじればどうにかなるというものではないのです。そもそも、電流量を減らしたら送電の意味はないじゃないですか。この反論の間違いについては次の図で解答させていただきます。


画像9:電圧を上げるとは抵抗値・電流値を上げること

これで、「電圧を高くすれば高効率で電気が送れる」という電力会社による説明が、全くのデタラメであることが分かるでしょう。電圧だけを上げることなど初めから不可能なのです。高電圧とは高抵抗、もしくは高電流と同意であり、どちらも抵抗の増大を意味するので、効率が良くなるはずが無いのです。実際に、高圧線と呼ばれるものはほとんど使われていないことが分かっています。

 関連記事:送電線は空きだらけ

この図に加えて回答しておきますが、一定の高負荷(抵抗)が常にかかっている環境下では大電力に対して電流値は下がります。例えば

 100万キロワット=4000オーム×500アンペア×500アンペア

のような関係です。これならば一般電力としてなんとかなると考えられますが、その代わり、抵抗値を大きく減らすことは絶対に許されません。抵抗が減った瞬間に、電流量が増大し、過給電状態となり、最悪の場合は放電、発火などの事故が起きてしまうからです。

こうして見ると、送電線を流れる電流量とは電力生産量と電力消費量との需給関係で決まってくるのがよく分かります。必然的に電圧もその関係によってのみ生じるものです。私たちが学校で習うような、初めに電圧ありき電流ありきではないのです。

ここで問題となるのは、電力生産と消費の需給をどこまで精密にバランスがとれるかなのです。そうなると、送電線はそこに発生する電流間力という抵抗(消費)によって、全体のバランスを取っているとも言えるのですが、如何せんそれにも1000アンペアの壁があるので、大電力発電にはそれ相応の大電力消費を常に用意しておかなければなりません。

電気鉄道などが、緊急事態宣言下でも常に定時運行を続けなければならない理由とはここにもあるのです。特に、原子力発電の場合は、需要の低下に合わせて簡単に出力減はできませんから。ですから、銚子の風車のように需要を調整する電力消費施設が必要となるのも当然なのです。

しかし、このやり方には大きなリスクがあります。何かの事故で大電力消費が止まれば、同一送電網にぶら下がる電気機器に一斉に過大な電流が流れてしまいます。一般的にはブレーカーなどで家庭内への過電流の流入を防ぐことはできますが、既に生産された電力はどこかに消えてしまう訳ではありません。

位相差の問題で他の発電系統へのミックスなどできず、また、電力プールどという一時保存が、物理・化学エネルギーへの変換(一種の消費)無しでできないことは前回の記事で説明済です。保存にはそれ相応の大型施設を予め用意しておかなければなりませんが、そのようなものが都心部にどれほどあるのでしょうか?

結局のところ、その過大分を送電線が請け負うことになり、それが壁の値を超えてしまえば、一斉に送電線内で放電・発火が発生します。

今年に入っても停電により大電力消費の代表とも言える都内の電気鉄道が止まりました。ところが、現実にそのような危険な状況は観測されていません。

同事故に対する一般的な説明では、変電所の不具合とありましたが、もしもそれが事実なら、今度は市中送電網に余剰電流が流れ込み、そこで大停電など大変な事態を招いたと考えられます。しかし、報道にもあるように、電車の中が真っ暗なのと対照的に、駅や周囲の街の灯りは消えることはなく、大きなトラブルもありませんでした。

 参考記事:山手線大停電でも街は明るかった

これはいったいどういうことなのでしょうか?余剰電流はどこに消えてしまったのでしょうか?


画像10:高圧電線のある風景。いったい何のためにあるのだろう?


■2つの質問
ここで私は読者様に2つの質問を出したいと思います。

・1つ目は、上述したように、皆さんの使っている電気はどこからやってきているのか、その答です。

・2つ目は、どうして停電で電車が止まっても、周りの街は煌々と灯りを点けていられるのか、その理由です。

この様に順を踏んで考えると、皆さんの使っている電気が、これまで皆さんが学校で教えられ、イメージしているような経路でやってきていないことがよく分かるはずです。

これは、日本国政府が隠し続けている電力に対する国民洗脳政策の成果の一つであり、電気が普及し始めた明治時代の終わり頃から一貫して行われているものです。ですから、3年前の北海道のブラックアウトも、311の時の電力制限も、私たち日本国民を欺き電力神話を維持するための壮大な茶番だったのです。

 関連記事:北海道、嘘だらけの節電呼びかけ

ここで、再度、偉大な哲学者ニーチェの言葉を下記に掲載します。

"Aber der Staat lügt in allen Zungen des Guten und Bösen; und was er auch redet, er lügt—und was er auch hat, gestohlen hat er's."
(zitiert aus "Auch sprach Zarathustra" von Nietzsche)

「国家が語る言葉はどれも嘘であり、国家が保有するものはどれも盗んだものである」
(ニーチェ「ツラトゥストラはかく語りき」より)


現在進行中の新型感染症に関する社会問題で、政府の発信が本当に信頼に足るものであるか、改めてよく考えてみてください。私がメインとする123便事件も、世の中全体を包み込んだ大きな嘘の中の一つでしかありません。

私たちが真に省みなければならないことは、国土の深刻な放射能汚染と、国家によって己の心と知識の中に詰め込まれた膨大な嘘の数々(洗脳)なのです。


 * * *


旧記事を公開した直後、電力中央研究所の幹部が同記事に対して大変憤慨しているとの話が人づてに伝わってきました。話をよく聞くと、記載内容に誤りがあるとかではなく、事実を公開した点を怒っておられるとのことです。

私は誰かに迷惑をかける意図など毛ほども持ち合わせていませんが、嘘はやっぱり嘘であり、正すべきだと考えます。当該研究機関はもちろん、結託して国民に嘘をまき散らしている電力会社、大企業、日本国政府は、私に怒りをぶつける前に、自ら事実を公開し、国民に対して真摯に詫びるのが先ではないでしょうか。


PROPTEREA HAEC DICIT DOMINUS DEUS QUIA LOCUTI ESTIS VANA ET VIDISTIS MENDACIUM IDEO ECCE EGO AD VOS AIT DOMINUS DEUS
それゆえ、主なる神はこう言われる。お前たちはむなしいことを語り、欺きの幻を見ているので、わたしはお前たちに立ち向かう、と主なる神は言われる。
(エゼキエル書 第13章8節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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