テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

ルシアンの青春

2008-06-21 | ドラマ
(1973/ルイ・マル監督・共同脚本/ピエール・ブレーズ、オーロール・クレマン、オルガ・ローウェンアドラー、テレーゼ・ギーゼ、ステファーヌ・ブーヌ、ルム・イヤコベスコ/140分)


 戦争というものには複雑な面があり、例えば相手国に占領された国においては、地下抵抗運動を始める人がいるかと思えば、占領国側について抵抗運動する人々を摘発する人もいる。占領国側に付く人の中にも、日和見に徹して、うまい汁を吸おうという輩もいれば、祖国で冷遇されていた為にすすんで敵国に加担する人もいる。

 ドイツ軍に占領されたフランスの片田舎が舞台の「ルシアンの青春」は、無知故に図らずもナチスドイツの手先となってしまった17歳の少年を描いた作品である。貧しい農家の生まれの少年には“無知故”と簡単に片付けることの出来ない残酷な感情もあり、戦争という大人の都合に巻き込まれた少年を描いた反戦映画というだけではなく、無軌道な若者の青春物語という側面もある。【原題:LACOMBE LUCIEN

*

 1944年6月、ドイツ占領下の南フランス。
 小作人の父親がナチスの捕虜となった17歳のルシアン(ブレーズ)は、遠くの町の病院で雑役夫の仕事をしているが、5日間の休暇をもらって自転車で実家に帰ってくると、居間のテーブルでは見知らぬ家族が食事をしていた。一家の主人らしき男は『お前のお袋さんなら、旦那さんの所にいるから聞いてみろ』と言い、父親の銃を持って地主の屋敷に向かうと、母親が男の部屋の窓から顔を出してきた。いつの間にか、母親は地主と懇ろになっていたのだ。
 非常時だから仕方なかったのかも知れないが、『(父親が)帰ってきたら、修羅場だな』と思うルシアンだった。

 病院での暮らしに嫌気がさしていたルシアンは、知人がレジスタンスに入っているのを聞いて自分も入ろうかと思う。村の小学校の先生が選んでくれると言うので獲ったウサギを手土産に訪ねてみるが、若すぎるからと断られた。

 『せっかくの働き口じゃない。それにあんたがここにいると旦那さんが嫌がるのよ』と、病院の仕事を辞めたいという息子に母親はそう言い、仕方なくルシアンは病院に帰ることにする。途中で自転車のタイヤがパンクし、夜道を歩いて帰ることになった。
 真夜中、夜間は外出禁止のご時世に、愉快な声をあげながら走る車を見つけたルシアンは、後を追って、とあるホテルの敷地に入っていく。派手な装いの人々が集い、活気に溢れたそこは、実はフランス人によるドイツ警察の本拠地で、酒を振る舞われたルシアンは聞かれるままに先生の事を喋ってしまう。ルシアンの出身地にレジスタンスの活動家が居ることを知っていた彼らがカマをかけたのだ。翌日、連行されてきた先生の様子に事態を薄々飲み込むが、先生に『裏切り者』と呼ばれ、為す術を無くしてしまうルシアンだった。

 射撃の腕を見込まれ、やがてルシアンは彼らドイツ警察の一員となる。先輩に連れられて、パリの一流の仕立屋だったというユダヤ人の家でスーツを新調する。
 レジスタンスの一員を装って反ナチの豪邸を襲い、仲間と共に金品も手に入れる。銃を使って、レジスタンスのアジトを襲うこともあった。

 出来上がったスーツを取りに行くと、奥でピアノを弾いていた仕立屋の娘(クレマン)が出てきた。恐れることもなく自己紹介する娘にルシアンは惹かれ、その後もあしげく通うようになる。お金を差し出すことでドイツ警察に匿われている仕立屋(ローウェンアドラー)は、ルシアンを疎ましく思うが、やがて娘はルシアンに誘われるまま彼らのパーティーに行く。少女は少女で、今の閉塞状況にうんざりしていたのだ。
 連合軍はノルマンディーに上陸し、スペインでは反ナチの動きが強くなる。仕立屋は一か八か、ルシアンを手がかりにスペインへ逃げようと思うのだが・・・。

*

 25歳で「死刑台のエレベーター」でデビューしたルイ・マルの、41歳の時の作品。滑らかな語り口は相変わらずで、田舎町の豊かな自然の扱いも、ユダヤ人家族の緊迫したドラマの演出もお見事でした。
 序盤の、ルシアンが小動物をパチンコや銃で撃ち殺すシーンや、馬の死体の扱いなどで少年の荒々しさを印象づけるという構成も巧いと思いました。

 1974年のアカデミー賞で外国語映画賞にノミネートされ、全米批評家協会賞では助演男優賞(ローウェンアドラー)を受賞、英国アカデミー賞では作品賞を受賞し、監督賞と脚本賞(マル、パトリック・モディアノ)にもノミネートされたとのこと。

 シュエットさんの「寄り道カフェ」によると、<ルシアンを演じたピエール・フレーズは一般から公募で選ばれた>とのことで、田舎の少年らしさは充分すぎる程出ていたが、ナチスに加担していった少年の心情に同情心を起こさせるような繊細な表現が無く、物足りない気分になった。ルシアン自体に魅力が無いとも言えるのだが。
 役者で言えば、明日をも知れぬ人生ながら、傍若無人な若者に冷静に対処するユダヤの仕立屋を演じた、ローウェンアドラーの演技がお見事でした。

 音楽が、ウディ・アレンの「ギター弾きの恋」でも出てきたジャンゴ・ラインハルト。事前情報を見落としていたので、嬉しくなりました。

 思慮の浅い主人公に同情心が湧かないので、お薦め度は★一つマイナスしました。映画の出来は五つ★です。

・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 テアトル十瑠

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10 コメント

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他作品のことも (viva jiji)
2008-06-21 20:12:25
ゴッチャリ、書いてる記事の中に
ちょっぴり書いているのでHNTBで
参りました~。

>ルシアン自体に魅力が無いとも

彼はあれで精一杯なんじゃろね~
そんな気がしながら観ていました(--)^^

キャスティングはほんと大事ですわね。
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ルシアン・ルコンブ (十瑠)
2008-06-22 08:43:40
結果として先生を密告したことを後悔し、その後開き直る、そんな少年の心の移り変わりみたいなものが表現されていたら、もっと理解しやすいんですけどね。

「さよなら子供たち」は同じようなテーマで、立場の違う少年が主人公で、これも未見なのでとても興味があります。
返信する
Unknown (シュエット)
2008-06-22 22:36:32
十瑠さんTBありがとうございました。
ルシアンは、ずっと自分が何をしたいのか、何を求めているのか、自分が何なのかって 彼自身わかっていなかった、何故?っていう疑問とか問題意識をもたない粗野な若者だったと思います。レジスタンス運動を希望したのも彼にとってはドイツ軍とかレジスタンスについて何の問題意識ももっていなかった。
>先生を密告したことを後悔し、その後開き直る
開き直りはないんではないかなって思う。後悔とはちょっと違って、案外と無感動に近いものだったのではないかしら。他人に対し彼はほとんど関心がなかったとも思える。母親とのやりとりも殺伐としたものだったし。それがユダヤ人一家と接していく中で、彼自身気づかない間に人間らしい感情が芽生え出してきたっていう風に私には思えます。
母親とのやりとりも途中で母親が会いに来た時と、冒頭でのやり取りとでは随分とルシアンは違っていた。
最後、陽だまりの中で彼がみせたまどろむ表情は秀逸だと思います。無知で粗野な少年がようやく人としての幸福を知ったとき、既に遅かったルシアンの悲劇。階級社会、ユダヤ人差別、戦争いろんな問題が内包されて描かれていると思います。なんか反論みたいなコメントになってしまい申し訳ないです(ペコリ)
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おはようございます、シュエットさん (十瑠)
2008-06-23 09:58:56
ルシアンの心中がどうであったか。これは色んな見方が出来るんでしょう。マルはルシアンを肯定的にはみていなかったように思います。ですから、彼の心情を詳細には描かなかったけど、無感動とか、他人に無関心というのも、なんだかねぇ~

最初に観た時は、昔の青春ヤクザ映画のように感じました。無学な若者が派手な暮らしに惹かれて、善悪を気にせずに強いグループに入っていって・・・というような。
邦画だと、恋人の出現に改心するも時既に遅くとなるわけで、その辺も若干似ていますが、マルはお涙頂戴にはせずに、最後までルシアンを突き放して描いた。

十数年後に同じ時代設定の「さよなら子供たち」(未見)を作っていますが、それを観ればマルが何故「さよなら・・」を作ったのか、「ルシアン」で何を描こうとしたのかが分かるような気がします。
「さよなら」は、シュエットさんの記事で大方の内容が分かり、ますます観たくなりました。
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TB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2009-04-30 03:00:36
>青春ヤクザ映画
そういう面も確かにありますが、ルシアンなる少年にとっては、レジスタンスもゲシュタポの手先もうさぎ狩りの延長であり、大して変わらないのだと思いますね。

日本でも、暴力が公然と使えるので機動隊や警察に入る若者がいると聞きました。

歴史的に言えば、ナチスの侵攻直後はナチスへの協力が当たり前でレジスタンスは非国民であり、その流れが恐らく変わったのが「史上最大の作戦」であるということを考えると、少年は時代の流れにも逆行しているので、思想的なものは何もないんですよね。彼がトリュフォーの「野性の少年」ならぬ、マルの「野性の少年」と思った所以。善悪そのものを殆ど知らなかったと言えば大袈裟でしょうが。

僕が印象に残ったのはルシアンが仕立て屋に「あんた、良い人だね」と言うところです。彼の人間性が呼び戻された瞬間でしょう。
ここが言わば起承転結の「転」ですね。

所感に多少異なるところはあるようですが、映画の出来栄えとしては見事という点では同じ!
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オカピーさん (十瑠)
2009-04-30 17:11:05
私は映画を観るときに、神の目で見ることはせず、もっぱら登場人物の心情を追いながら観るので、この映画ではルシアンだけが分かりにくい人物でした。

反戦映画として成り立つには、同情すべき部分があるのが普通で、そもそも同情すべき事情がないのなら、反戦映画にはならないように思います。
ルシアンには同情すべき部分は多々あり、反戦映画として見ることに異論はないのですが、心情が分かりにくいので減点したと解釈して下さい。
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共感と同情 (オカピー)
2009-05-01 02:38:40
やんわりと突っ込まれてしまいましたね。^^;
英語でsympathyは共感と同情のどちらの意味に使えるので、レトリック上同情という言葉を使ってみましたが、やはり日本語で共感と同情は明らかに違いましたね。
この場を借りて同情→共感に訂正致します。<(_ _)>

>心情
心情と心理は違うのか、という命題があると思いますが、僕はルシアンが貧しくて無知であり、心理を語れるほど知性はなかったので、ルシアンの代弁者でもあるマルがその心理を描けなかったのではないかと思っているのです。
一方で、心情が心理より感情に近いものとすれば、もう少し描けたかもしれませんね。

もう一つ印象的なシーンがありました。
レジスタンスと闘っている最中にルシアンが野ウサギを撃ち損なって「ちぇっ」という場面があるのですが、少年の“子供性”が垣間見えて興味深かったです。

しかし、シュエットさんのコメントを今読みましたが、僕が言いたいことが全て要領よく入っていました。
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おはようございます (十瑠)
2009-05-01 07:33:08
ルシアンに対する捉え方、つまりマルが描こうとしたルシアンという少年については、オカピーさんやシュエットさんの言われる事が当たっているのだと思います。

>ルシアンが貧しくて無知であり、心理を語れるほど知性はなかったので・・

という事ですね。
で、私としてはそういう主人公に魅力を感じなかった、ということですね。^^
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ルシアンの青春 (ゆんゆん)
2011-11-12 22:41:41
初めまして。
「ルシアンの青春」が好きな者です。

ルシアンは、こちらのブログではあまり人気がないようですね(笑)。自分は、彼の無表情でぶっきらぼうな振る舞いを見ながら、かえって心の内を知りたいと思っていたのですが・・・。

レジスタンスの小学校教師が、勉強の出来ない子供に「羊飼いの子に勉強はいらない」と言ってエリート意識を垣間見せたり、ルシアンの兄貴分が、黒人差別的な発言をした同僚に腹を立てたり、秘かにゲシュタポを憎んでいる小間使いが、ユダヤ人差別的な暴言を吐いたりと、一筋縄ではない点も興味深いです。

奪う方と奪われる方だったら、奪う方につきたいと思っている人間には身にしみる映画ですね。
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ゆんゆんさん (十瑠)
2011-11-13 22:17:34
>かえって心の内を知りたいと思っていたのですが・・・。

理解できないけど好きになれるのですか。
妙に魅力を感じるという程度なら分からんでもないですが・・・。

>奪う方と奪われる方だったら、奪う方につきたいと思っている人間には身にしみる映画ですね。

人を区分する時に、そういう基準があるとは!
男女の愛に、そういう表現をした作家はいましたがね。
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