(1975/ミロス・フォアマン監督/ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、ウィル・サンプソン、クリストファー・ロイド、ダニー・デビート)
「17歳のカルテ」の時に、この映画についてふれました。「17歳・・・」の25年前に作られた映画ですが、舞台となる時代はほとんど同じ様です。あちらは割と静かな住宅街の中の病院という雰囲気でしたが、こちらは山間のオレゴン州立精神病院です。仮名にしてもこんなにハッキリと地名を出していいのだろうか。
ケン・キージーの原作を元に、チェコから亡命してきたM・フォアマンが映画化したもので、この年のアカデミーでは作品・監督・脚色・主演男優(ニコルソン)、主演女優(フレッチャー)を受賞しました。共同製作者にマイケル・ダグラスがおり、撮影はハスケル・ウェクスラーという豪華さです。
ミロス・フォアマンはこの前に「パパ/ずれてるゥ」なんてコメディで才能を見せていて、この作品後で有名なのは、やはり「アマデウス」でしょう。
映画としては、感覚的に少し古さを感じるところがないでもありません。有名すぎて、ラストが分かっているからかもしれませんが。ラスト近くの脱走前夜、乱知気パーティーでふとみせた、マクマーフィー(J・ニコルソン)の顔のアップ。あれは「卒業」のラストの二人のアップと同じように意味深です。マクマーフィーのバックボーン(家族とか)の説明がないのも不満です。
フレッチャーの演技は氷のような心を演じているのですが、この後の映画の女性像に影響をあたえたものでしょう。そういえば最近の映画に関する投票の中で、「映画に出てくる悪人」の№1に、ハンニバル・レクターを抑えてラチェット婦長が選ばれていました。
病院の仲間役に、「バック・ツウ・ザ・フューチャー」のクリストファー・ロイド、ペンギンのダニー・デビートが出ています。あっ、それと「ゴースト/ニューヨークの幻」の地下鉄内の幽霊の男も。
「17歳のカルテ」の時に、この映画についてふれました。「17歳・・・」の25年前に作られた映画ですが、舞台となる時代はほとんど同じ様です。あちらは割と静かな住宅街の中の病院という雰囲気でしたが、こちらは山間のオレゴン州立精神病院です。仮名にしてもこんなにハッキリと地名を出していいのだろうか。
ケン・キージーの原作を元に、チェコから亡命してきたM・フォアマンが映画化したもので、この年のアカデミーでは作品・監督・脚色・主演男優(ニコルソン)、主演女優(フレッチャー)を受賞しました。共同製作者にマイケル・ダグラスがおり、撮影はハスケル・ウェクスラーという豪華さです。
ミロス・フォアマンはこの前に「パパ/ずれてるゥ」なんてコメディで才能を見せていて、この作品後で有名なのは、やはり「アマデウス」でしょう。
映画としては、感覚的に少し古さを感じるところがないでもありません。有名すぎて、ラストが分かっているからかもしれませんが。ラスト近くの脱走前夜、乱知気パーティーでふとみせた、マクマーフィー(J・ニコルソン)の顔のアップ。あれは「卒業」のラストの二人のアップと同じように意味深です。マクマーフィーのバックボーン(家族とか)の説明がないのも不満です。
フレッチャーの演技は氷のような心を演じているのですが、この後の映画の女性像に影響をあたえたものでしょう。そういえば最近の映画に関する投票の中で、「映画に出てくる悪人」の№1に、ハンニバル・レクターを抑えてラチェット婦長が選ばれていました。
病院の仲間役に、「バック・ツウ・ザ・フューチャー」のクリストファー・ロイド、ペンギンのダニー・デビートが出ています。あっ、それと「ゴースト/ニューヨークの幻」の地下鉄内の幽霊の男も。
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】
私の場合、ラストを知らずに見てたのでかなり衝撃的でした。パーティーのシーンで、学生時代のノリが思い出し、ほのぼの気分で見ていたのでカウンターパンチを浴びた気分でした。
偶然にお見かけして、この映画について書いている方は少ないようなのでTBさせていただきました。いい映画をたくさん見ていきたいですね。
コチラこそ、よろしく。
今は東京ですが、故郷は九州・熊本ですからお隣りです
ね☆ボクも映画館にあまり行かなくなって久しいですが、
さすがにこの作品の頃は呆れるほど行ってました(^^;)。
そうそう、この映画は「17歳のカルテ」とほぼ同時期の
作品なんですよね。これ書いたら、「17歳・・・」のほう
も覗かせてもらおうと思います。
はじめまして。
御本も書かれているんですね。これからも勉強にお伺いします。よろしくお願いします。
先日はコメントありがとうございました。
わたしは、カッコーの巣の上でを観てから、映画好きになりました。
出ている役者さんが、全員ほんとの患者のように見えて、ものすごく衝撃を受けました。
>「ゴースト/ニューヨークの幻」の地下鉄内の幽霊の男も。
(^m^)
そうですよね!あの人ですよね!
ゴーストを観たときに、地下鉄の幽霊の顔に、もしや・・・カッコーに出ていた人?って思ったのですが、確証がなくて、もやもやしておりました。
長年のもやもやが解けました。
ありがとうございます。
tentententekoさんの「映画の部屋」にも、またお邪魔しますね。
TBありがとうございます。
実はちょこちょこ覗かせていただいていました。
携帯からでしたので、中々TBやコメント残せませんでしたが、
楽しく拝見させていただいていました。
本日はPCにて拝見させていただいています。
この作品、実はあまりにも重いテーマという認識で
ずっと観なかった映画でしたが、やはり「17歳のカルテ」を観に行った後、
観なければという思いが大きくなり、漸く観たという作品でした。
やはり素晴らしい物語でした。
結構後味の悪いエンディングの作品が好きなのですが、
この作品のラストは・・・・(笑)。
また伺わせていただきますね。
これからもよろしくお願いいたします。
携帯で見られてましたか。ありがとうございます。
どうしても「17歳・・」と比べてしまいますよね。作られた年代は違いますが、お話の舞台は同じ時代でした。患者が男と女とまるっきし違いますが。
>結構後味の悪いエンディングの作品が好きなのですが・・・
えぇ!、そうですか。
私は後味の良いものしか好きになれないんです。
ぼのさんのブログには、音楽の記事もあるようで、いずれそこらへんも読ませていただきますね。こちらこそ、よろしく!
今回は、1970年代の洋画の中で、私のベスト10に入る1本、「カッコーの巣の上で」についてです。
強烈の一語に尽きる、演技派の怪優ジャック・ニコルソン。
喜怒哀楽、そのどれをとっても、本当に強烈なインパクトのある表情をするんですね。
あれだけの表情を生み出すには、あらゆる感情をストレートに受け入れ、発散できるだけの純粋な魂が必要だと思います。
彼がそのピュアな魂の持ち主である事は、自分の演技が面白ければ、一観客のように笑い転げながら、楽しむ事のできる人だという話からも納得できます。
彼の表情の中でも、特に強烈なのはその笑顔だ。まるで子供のような無邪気な笑顔の中に、時として無垢な冷酷さを漂わせ、言い知れぬ恐怖感をも与えるんですね。
彼は、アカデミー主演男優賞に輝いた「カッコーの巣の上で」のマクマーフィ役で、私に強烈な印象を残してくれました。
精神病院という管理社会の縮図の中で、人間としての自由も尊厳も失った患者達に、その素晴らしさを蘇らせていく姿は、彼の独壇場でした。
しかし、自由を象徴する個人のパワーは、管理社会から敵視され、抹殺されてしまいました。
この映画「カッコーの巣の上で」の原作は、ケン・ケイジーのベストセラー小説で、アメリカの反体制的な若者達に圧倒的な人気があると言われていました。
この映画の原題は、子守唄の「一羽は東に、一羽は西に、一羽はカッコーの巣の上を飛びました」というのからきているが、カッコーには"狂気"の意味があるのだ。
この「カッコーの巣」とは、精神病院ひいては、その象徴する非人間的、没精神的な現在の管理社会を意味しており、それに反抗して、自由な精神の翼でもって、独り飛ぼうとしたのが、ジャック・ニコルソンが熱演するマクマーフィであり、彼が落ちたその後を、その精神を受け継いで、代わって飛び立っていったのが、ウィル・サンプソン演じるインディアンのチーフであるというように、理解する事ができると思います。
尚、カッコーは、他の鳥の巣に卵を産むというから、「カッコーの巣」には、もっと深い意味が潜んでいるのかもしれません。
仮病を使って、刑務所から精神病院に逃れて来た、陽気な刑余者のマクマーフィが、科学的な治療の名のもとに、物的に取り扱われ、死んだも同然となっている患者達に、生命の火を吹きかけ、自由への意欲を再発見させるが、病院の管理システムへの反抗が危険視されて、精神病者としてロボトミーを受けて、植物人間になってしまうのだ。
魂を失った彼をそのまま生かすに忍びず、彼を殺して、故郷のカナダへと脱走するインディアンのチーフ。
「良きインディアンが、正しい白人を殺す」初めての映画でもあるのだ。
このインディアンの父も、白人よりも優れていただけの理由で、周囲から圧迫され続け、遂にアル中となって、死んでしまったという苦しい過去が、偽の聾啞者として入院していた彼の背後にあるのだ。
冒頭、陽が昇ろうとする、薄暗い闇の中を走って来るマクマーフィを乗せた車と、最後に、逆光の朝靄の中を国境に向かって走り去るチーフの後ろ姿の二つのシーンは、重なり合い、結びつく。
この映画の主演女優は、優秀な婦長のラチェットを演じるルイーズ・フレッチャー。
病院のルールに忠実に奉仕する事が、患者のため最善であり、自ら正しい事をしていると確信している事が、結果的に悲劇を生む事になる。
しかし、彼女を冷酷非情なだけの悪役だと見てはいけないだろう。
また、そのように注意深く演出もされていると思う。
このTV出身の女優は、ジャック・ニコルソンを圧倒する演技力を示していて、アカデミー主演女優賞を受賞したのも納得の演技だ。
この映画の成功は、1969年に動乱後のチェコからアメリカへ亡命して来た、ミロス・フォアマン監督の確実な構成力と優れた演出力によるものだと思う。
彼は、この映画を撮るにあたって、次のように語っています。
「今日、社会は余りにも組織化されてしまっているから、その体制が資本主義であれ社会主義であれ、また君主制であれ民主制であれ、そのシステムを受け入れかねる個人をどうするかという、普遍的な問題がある。どんな社会でも、悲劇は我々が何の疑いもなく、盲目的にそのルールが法律になっているというだけで従っていることにある。自分たちが法律をつくるはずであるという事を忘れてしまっている」と。
チェコ出身の彼が「アメリカでは個人がシステムに抹殺されることに、非常に神経質だ」と言っている事は、今日的な意味があると思う。
この映画のほとんどがコメディ調で、"正気と狂気"の混乱を描いて笑わせるが、ラストの5分間で、我々観る者を感動で打ちのめしてしまいます。
マクマーフィーより少しまともな感覚の男を演じてますが、反体制派な感じは共通してます。
ミロス・フォアマンでは「アマデウス」が最高の傑作。「パパ/ずれてるゥ」は未見のままで、このまま見れないで終わりそうな気がしてます。グスン(;:)