耕作のなんだり、かんだり!日暮し綴り

 家庭菜園を楽しみながら、気ままに散歩や旅で見た風景や出来事を写真でスケッチ 感じたことなど気楽に記します。

さだまさし関白宣言!・・・

2022年12月30日 | 日記
明日は大晦日の年越しだ!、・・近くに住んでる娘家族と例年は 紅白を見ながら1年を振り返ることが恒例だが、・・今年はそうも行かない状況が起こってる?・・・次女家族のご主人様が昨日コロナ感染の陽性反応で、家族外出禁止に
なってしまい、さらに、長女家族の娘が( 孫娘 )医療系の職場でコロナ状況により・・緊急出勤要請ありで、今年の、年末年始はバラバラと・・なるがこの世情では致し方なし・・老夫婦で・・新年を迎る?ことになりそうです。
わが夫婦は来年は、57年目ですが、二人元気に60年目までと頑張っている。
自分は 関白宣言の歌詞が好きだ、が 決して関白の生活をしてるつもりはない、
しかし、夫婦はどちらか、後になったものが、最後にお尻を拭く役割で終えるのがいい、自分はそれが夫婦の勤めであると思っている。 関白宣言の歌詞とは逆に、俺は妻より先には死ねない!・・思いの日暮です。
出来得るならば、 夫婦で笑って~ 目標まで、・・です。
 
コロナ禍で、 の老夫婦の 年越しでえす!

大雪の風景もいい!

2022年12月17日 | 日記
例年より早い雪、10センチも積もって周りは銀世界となっている。ここ2、~3日降る~降る で外へも出れずに、家に籠り 家庭菜園もなくなり、大雪の景色を窓から楽しんでいる??


定年を期に日々の過ごし方をどうする?考えたが、ゴルフも出来ない、
カラオケに通う喉もない、マージャン、パチンコも現役時代に一生分やり尽くした? 短歌、俳句も 文芸の能力なし、然らば自給自足の野菜作りに行きついて自宅から4キロほどのところに土地を求めて、小さなセカンドハウスを建てて20年過ぎた。今冬から畑に通うよりそのミニハウスに住むことにした。
いままでは、冬期間は締め切り 雪解けとともに通っていたが、泊まり込みの引っ越しも何年振りかで終えて老夫婦の生活が変わった。夏だけの利用だったので、冬の灯油代、暖房等、それに除雪等が予想より大変だ。
平屋ながらリビングルームを吹き抜けにして楽しんでたが冬向きでない、
暖房代が余計にかかることに気付いている


病院通いが多くなってる老夫婦だが、今冬は暮らし方を楽しむ工夫を模索しています。 年金暮しの 枠内で 迷惑をかけない、楽しみ方をと~!


義母命日の墓参り

2022年12月10日 | 日記
もう14年も過ぎてしまったが明日が義母の命日です。1日早いが娘家族と一緒に墓参りを済ませた。
戦死の義父~残された戦争未亡人 ~ 女手ひとつで子育ての苦労を聞かされた。そして嫁いだ家を守る責任を背負いながら、出来得るならば家を継いでお墓を守ってとのほしいとの要望を受け入れた自分であった。56年も前のことだが
約束通り娘家族と墓参りが出来たことは、背中の荷物が軽くなった気になってる。  
    
92才で自宅で看取った朝のこと、孫 ひ孫 まで駆けつけてくれた様子など
それに、常日ごろに受けてた教えを思い出して語り尽くした1日です。
親から子へ、子から孫に、その家の繋がりが続いてゆく~のがいいと思いながら過ごしてきたが、最近の風潮は苗字や 家系にこだわらない家族づくりに変わっているようだ。 幸せな家庭づくりが基本なのだから・・と納得している。

義父の戦死通知

2022年12月01日 | 日記
今日から12月となり、雪がちらつき、寒い、最高気温も3℃止まり、外の仕事とも残ってるが、家に閉じ籠った。
今年の3月に住処を家庭菜園にあったセカンドハウスに移したがそのときに片づけないで段ボールに詰めたままの書類等を整理し始めているが、80年も前の軍事郵便がそのままにあり、一部であるが開きはじめたが、その中に戦死通知があった。確かに紙切れ1枚だけの遺品なき通知だけであった。
  
 故 海軍1等兵曾 ○○ ○○○君ハ  
 昭和19年7月8日 マリアナ諸島方面ニ於テ 戦死セラル
 洵ニ哀悼ニ堪えず  謹ミテ護国ノ英霊ニ対シ
 深厚ナル 弔意ヲ表ス

 昭和20年7月23日
            岩手県知事正5位
                 勲4等  宮田 為益
この文面での戦死の通知が保存されていた。
そして、一緒にあった書類に、当時の給料辞令があった。
 
  給与証明書
       海軍2等兵曾 ○○  ○○○
  一 俸給 (月額)弐拾弐円也
  昭和18年11月1日

  第35号駆潜特務艇艇 艇長 海軍中尉 後藤末治 印
当時のお金を現在に換算すれば、どのようなのかは知る由なしだが
戦時中の社会を思い知る1日となった。
戦死通知も1年以上も過ぎてからとなっている。給料は家族にどのようにして
支払われたのだろう? 、終戦後の遺族の苦労は多く語られてるが、戦時中の
銃後の家族の生活も調べてみようと思った日です。