我が県は広い! 本州一番の広さを誇るが殆どは
山だ。 今は紅葉に染まっている。今日は東洋一
の硫黄鉱山だった松尾鉱山跡を訪ねて走った。八幡平
国立公園の麓に当時の鉱山拠点があり当時の資料館が
あり無料公開で開かれているのだ。当時から
雲上の楽園と羨ましがれていてヤマの繁栄が県民の羨望の町だった。
ヤマの作業員4500人 家族含めて13000人が八幡平の麓の屋敷台地区に
住み、小学校、中学校、高等学校、郵便局、映画館、等が整備されて
至れり尽くせりの暮らしだったようだ。
鉄筋コンクリートの アパートが建てられて、水洗トイレ、
セントラル暖房が完備の町だった。当時の(昭和30年代の県都盛岡
にもまだそんなアパート、住宅は珍しかった時代である。
そんな、栄華も? 石油精製に出来る回収硫黄に押されて
昭和47年の廃山になってしまった。当時の鉄筋コンクリートの
建屋は今も廃屋で残っている。
木造のものは消防訓練に利用して燃やされたと言う。
社会の発展とともに、繁栄するところ、沈んでゆく地域の
双方を見たり、聞いたり、経験したりでこの年齢まできたが
50年以上も前になったが、この松尾鉱山の閉山に伴って解雇
になった方々と職場をともにした思い出があり、今日は回顧
の気持ちと事業の盛衰で変わらざる人生を複雑な思いで資料館
を閲覧して戻った。今日は行き付けのお医者さんに夫婦で行き
診察も受けたが二人こと問題になるところがないとのことなので
有り難いことだと思う。・・・あと〇〇年?になるか?
残る人生を杖を使わずに暮らし通したいと語っている。