耕作のなんだり、かんだり!日暮し綴り

 家庭菜園を楽しみながら、気ままに散歩や旅で見た風景や出来事を写真でスケッチ 感じたことなど気楽に記します。

家庭菜園も終盤に!

2019年10月30日 | 日記

気温が17~18℃の秋晴れ最高の作業日和が

続くが、家庭菜園の収穫も終わりに近い。

青首大根を少し掘り、女房は丸漬けにしたいという。

来月は全部掘らなければならいが今日は1部だけにする。

スーパーでは売り出しの安売りの目玉にしている大根だ。

そんなチラシは、生産農家の気持ちを逆なでされてる

ようにも感じる。趣味の野菜作りと比較は出来ないが

割り切れない思いだ。自給自足の自分はそんな農業経営

の事まで踏み込むつもりは毛頭ないが、働き方改革の

話は農家には遠い話題なようだ。気候の崩れない内に

残り作業を終えたいと老夫婦は一日畑を楽しみ過ごした。

 

 


雲上の楽園跡へドライブ!

2019年10月25日 | 日記

我が県は広い! 本州一番の広さを誇るが殆どは

山だ。 今は紅葉に染まっている。今日は東洋一

の硫黄鉱山だった松尾鉱山跡を訪ねて走った。八幡平

国立公園の麓に当時の鉱山拠点があり当時の資料館が

あり無料公開で開かれているのだ。当時から

雲上の楽園と羨ましがれていてヤマの繁栄が県民の羨望の町だった。

ヤマの作業員4500人 家族含めて13000人が八幡平の麓の屋敷台地区に

住み、小学校、中学校、高等学校、郵便局、映画館、等が整備されて

至れり尽くせりの暮らしだったようだ。

鉄筋コンクリートの アパートが建てられて、水洗トイレ、

セントラル暖房が完備の町だった。当時の(昭和30年代の県都盛岡

にもまだそんなアパート、住宅は珍しかった時代である。

 

そんな、栄華も? 石油精製に出来る回収硫黄に押されて

昭和47年の廃山になってしまった。当時の鉄筋コンクリートの

建屋は今も廃屋で残っている。

木造のものは消防訓練に利用して燃やされたと言う。

社会の発展とともに、繁栄するところ、沈んでゆく地域の

双方を見たり、聞いたり、経験したりでこの年齢まできたが

50年以上も前になったが、この松尾鉱山の閉山に伴って解雇

になった方々と職場をともにした思い出があり、今日は回顧

の気持ちと事業の盛衰で変わらざる人生を複雑な思いで資料館

を閲覧して戻った。今日は行き付けのお医者さんに夫婦で行き

診察も受けたが二人こと問題になるところがないとのことなので

有り難いことだと思う。・・・あと〇〇年?になるか?

残る人生を杖を使わずに暮らし通したいと語っている。

 


紅葉狩りで気分爽快!

2019年10月21日 | 日記

畑の作業もなくなったので、今日は、 快晴の誘いで紅葉狩りと

洒落てみた。毎日眺めながらの畑仕事している岩手山のふもとの

滝の上温泉へと向かった。葛根田川の河原が懐かしい。

紅葉が始まってる!・・すごい!

途中の山も真っ盛りだ!

川面にたれる枝も最高!

 三ツ石山の登山口、 若かりし頃50年以上前に

青春を楽しんだ山だ。後期高齢者になった夫婦がタイムスリップした

時間?・・・自然の恵みを享受ありがとう。元気で来年も来ようと

、山の温泉で紅葉を観ながらお湯を楽しみ・・・至福を味わえた。

人生100歳と言われる時代に・・どこまでいけるか?我が夫婦・・

挑みます!


50年前の災害再び!に驚く

2019年10月16日 | 日記

なんと、すごい災害だ。山がほとんどの日本列島だから

大量の雨はみんな留まりきれずに下って川に溢れる。

今朝の新聞はその凄まじい被害状況を伝えている。自然には

勝てないと良く言われているが、50年前に同じような災害の

ことが思いだしている。 自分の勤めて会社の工場が(郡山)

全部水に浸かってしまって全部の生産ラインが止まって長期間

の休業止む無く、跡片付けに各地からの支援要請があり、私も

長靴や、着替えを用意して3日ほど泊まり込みで作業した。悪臭

の泥水の中での作業は大変なものだったが、今回また同じ工場

が同じように水に浸かったという。前回の時に周りの水除けの

塀を相当高く補強工事したはずなのに、今回の災害はそれを超した

水量だったようだ。新聞には100年に1度の雨量とあるが、自然には

勝てないでなく、自然に負けない人間社会をつくるために、生き続け

なければならない。私が50年前にした作業を後輩社員が頑張って

くれてるだろう。被害の大きさも想像がつかないが、なんとか一日

も早い復興を祈るだけだ。阿武隈川の氾濫は凄い・・恐ろしい川だ。

 


台風一過の十五夜!

2019年10月13日 | 日記

昨日からの台風19号がようやく我が県の空を越して

温帯低気圧に変わって過ぎたが?大きな被害が日本各地で

発生している、毎年台風の通り道なってるのが、なんで!日本なんだろう?

被害に遭っても遭っても、住み続けるこの根性は何なんだろう?と・・

この国に生まれ育っていることの運命を受け入れてることが

不思議というか?定めなのか?と諦めににた思いでいる。

台風一過の畑作業が午後からだったので、終えて帰るころは

満丸いお月さんが、輝いていた!・・ウサギさん餅付いてるかな?

子供の頃、母におんぶで、夕闇の、野道の家路が思いだされた。

帰って暦を見れば、旧暦の9月15日であった。満月の夜なんです。

百姓は、旧暦で仕事をして、旧暦で暮らすことも、忘れては

ならないんです。作物のサイクルは旧暦に合わせるのが、自然なのです。

そんな、日暮を楽しみながら、の畑作業です。