Ruby の会

シニアライフ~能楽・ボランティア・旅行・食べ歩き・演劇などを綴っています

「読ませられよ」 考

2017-02-10 | 日記・つぶやき

 「~せられ」は、岡山県の方言だそうだ。高岡では「~しられ」と言う方言がある。いずれも、「~しろ」や「~せよ」と言う「~する」の命令形の尊敬語であろう。
 「行かれ」、「来られ」は「行きなさい」、「来なさい」に当たる。「する」はサ行変格活用なので「せられ」、「しられ」となる。「勉強せ(し)られ」、「練習せ(し)られ」と言うように使う。

 さて、「せる、させる」は、「使役の助動詞」である。「行かせる」、「書かせる」、「食べさせる」など、「AがBに、何か動作をさせる」時に使う。
 例えば、「本を読ませる」の場合、「AがBに本を読ませる」である。「本読まれる」となれば、「Aが本を読まれる」ので、「れる」は、「尊敬の助動詞」であり、「本読まれる」となれば、本が主語だから、「れる」は「受け身の助動詞」となる。

 前置きが長くなったが、こんな場面に出くわした。Aさんがある本を差し出し、「ちょうど読み終わったけど、次に誰か読む? Bさん、どう?」と聞かれた。Bさんは、「私は…。Cさんに読ませられよ。」と答えておられる。当のCさんは、突然振られたのもあってか、びっくりして「読ませられ?」と呟いておられる。傍にいた私も「え?」と言う思いだった。

 👆で述べたように、「読ませられ」は、「読む」+ 使役の助動詞「せる」+命令形の尊敬の方言「られ」であろう。今の場合、「使役」はAさんからCさんへ、「命令」と「尊敬」はBさんからAさんに向かう、と言うことかな?(図解するとわかりやすいのだが)
 いずれにせよ、仮に、Bさんが忙しくて本が読めない状況だったにせよ、自然な対応とは言えない。目の前のCさんに「先に読まない?」と直接聞けば済むことだからだ。意図を図りかねる言葉に悪意さえ感じられ、後味が悪かった。

 そう言えば、先日知人から聞いた話だが、「家で何をしている?」と近所の人に聞かれ、「本を読んだりしている」と答えたら、「本ばかり読んでいるとボケて来るよ」と言われたそうだ。外へ出て人と話すようにと言うことだろう。かつて高峰秀子さんの本を読んだ時、朝食後ベッドで読書するのが至福のひととき、と書いてあった。
 が、今時「読書」は敬遠されつつあるのだろうか。皆さんの感想、意見など聞きたくて書いてみました。ちなみに、👇は今私が読んでいる本です。