ろうばのつぶやき

もはや逆らえないわが身の老化と世の中のIT化、パソコンを前にひとりつぶやく昨今。

続 まだまだ気が抜けない

2013-07-31 19:08:08 | 老い
なんと今日で7月も終るとは!

ここ数日蒸し暑く、いわゆるえぞ梅雨状態。
体力的には一番こたえて、超しんどい。

一昨日、なんとか夫の免許更新ができて、やれやれ
だったのに、昨日はS君の母上が今日緊急手術をする
ことになった話を聞き、ダルいなんて言ってられなく
なった。

わたしは直接何もしてあげられないし、難しい手術で、
成功を祈るばかりであるが・・・

それにしても昨今の気象も過酷だし、今さらながら
人生もラクではないと思う。

それでも試練は乗り越えて行かなければ前へは
進めない。

昨日は超ヘロヘロだったが、また気が引き締まった
せいか、今日はダルくない。

夫は今はまだ家でのんびりと、自分のペースで暮らす
ことが必要な期間のようだ。

幸い炊事ができるので、毎日散歩がてら買物に
行き、歩いて持ち帰られるだけの食材を買って、
夕食のおかずを作ってもらうことにした。

当分主夫な暮らしをしてもらおう
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まだまだ気が抜けない。

2013-07-27 12:11:32 | 老い
週の後半になると、疲れが溜まってくるのが判る。

気の弛みもあって、昨日の朝の仕事の予定を
故意にではなく、すっぽかしてしまった

前日夕方までは頭の片隅にあったのだが、帰宅後は
すっかり記憶が飛んでいて、いつも通りの時間に起きて
しまった。

で、今朝はしっかり起きてリカバリー。
夫のこともあってなかなか仕事に集中できないと
いうのは、言い訳にならないと反省。

しかし夫へのケアはまだまだ大変だと思う事実が
昨日判った。

夫と眼鏡屋へ行く約束も忘れていて、仕事をチョンボ
してしまったおかげで時間ができ、眼鏡屋へ行くことに
した。

ところが眼鏡による矯正では、免許更新できる
基準までは難しいとなった。

それで2年前、目のかすみで受診した眼科へ急きょ
行くことにした。

夫の目のことはずっと気になっていた。
2年前には、白内障の初期でまだ手術不要だった。

昨年あたりから次第に視力低下を感じていて、
医大の眼科も受診するように言ったこともあったが、
夫は落ち着かないからと嫌がった。

で、昨日2年前に受診した眼科で、白内障が進んで
いるほかに、どうやら罹患していたがんが原因で
網膜に症状があることが判った。

腫瘍が原因で自己抗体ができてしまうものらしく、
発見の順序が逆なら、腫瘍マーカーにも成りうる
のかのかも?

もし2年前に白内障を重視して、その眼科に定期的に
通院していたら、その過程で腫瘍の存在の疑いが
出たかも知れない。

結果的には、1年前に糖尿病で入院した病院の内科医が
腫瘍を発見してくれたので、時期的には差がないとは
思うが。

夫のすい臓・肝臓の腫瘍は両方とも非常に珍しい
ものであったが、これまた症例が極めて少ないもの
のようである。

原因の腫瘍は切除したから、視力が即回復すると
いうように単純にはいかないようだが。

それに夫の場合は白内障もあるので、いずれその
手術は必要だし、こういう成り行きになって
しまったので、来月医大の外科受診予定日に、
眼科にも行くことにした。

それにしても、お盆休みはガッツリ休まないと

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ボンビー会社でも

2013-07-23 20:06:28 | パソコン他
自分の会社(自宅が事務所)の他に、うちの仕事もして
くれるS君は、時折ノートPC持参でうちの事務所へ
来ていたが、最近そのノートPCのキーボードが
壊れたのだとか。

メッチャ多忙の彼はなかなか次のマシーンを用意
できないだろうから、ちょうどわたしが持っていて、
あまり使ってなかったノートPCを使ってもらう
ことに。

ネット・メール、あとはエクセルが使えればと
言うことだったが、あいにくMSーOfficeを
入れてなかった(高いから買わないでいたのョ)

で、フリーソフトのオープンオフィスをインストール
して間に合わせることに。

S「これで、他から送られてきたエクセル(ファィル)が
  使えるんですか?」と半信半疑。

私「互換性があるから大丈夫のはず」

S君、まだ少し信じてない感じ。

そこでUSBメモリーを取り出して、中のエクセル
ファィルを開いて見せたら

S「おー!」

わたしかて、少しは知ってますのんョ

かってはン十万もしたPCも、今や3万~ほどになり
ボンビー会社でも何とかなる時代。

零細経営者ほど一念発起して、便利で安価なツールを
取り入れる算段をすれば、お互い無駄な時間や労力が
省けると思うのだが。

未だに、なかなか対応してくない取引先が多いのが
現実だ。
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7シーズン目

2013-07-20 16:06:05 | 
生まれて初めて野良仕事をすることになってから
早7年目。

今年も何とか蒔いたり植えたりした甲斐あって、
毎朝1~2人分くらいのサラダにできるものが
採れる。



時間がなくてほとんど手を掛けられず、トマトは
だいぶわき芽を伸ばしてしまった。

昨年大豊作だったゴーヤは、今年の苗が元々貧弱
だった上、土質の良くない場所で肥料も足りな
かったようで、今のところあまり期待できない。

それでもミニトマトが赤くなってきたのが嬉しい。

夫が絶不調で食欲がなかったときでも、最初に
手を出したのが、まっかなミニトマトだった。

当時は嗅覚・味覚が鈍り、だるさで箸を持つのも
嫌がっていたので、まず視覚と触覚(子供のように
手で取って口に入れたくなるようなもの)に訴えられて
呼び水になるものとして、ミニトマトは最適だった。

健康なときなら、大きなトマトを丸かじりするのが好き
でも、さすがにそれは無理だったから。

冬でも九州産のみずみずしいミニトマトが売って
いたので、欠かさず買っていたが、これから
しばらくは買わずに済む。

明日の日曜はまた野良仕事もしなくては。
水遣り、ゴーヤに追肥、そして草むしりなどなど・・・
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続 それでも時間が足りない

2013-07-20 13:17:01 | Weblog
気がつけばもう1週間が過ぎて、晩には英語教室へ
行かなければならず、今週の土曜日、即ち今日も
仕事

作業仕事の取引先の人たちは当たり前に毎土曜も
働いていて、事務所に用事で来るのでわたしも
家で休んではいられない。

でもその人たちのおかげで、夫が入院中でも仕事が
続けられてきたのだから、こちらの都合など言って
いられない。

今朝も午前中は家にいたかったが、9時の約束で
出てきた。

わたしのほうが自由が利くし、相手の都合に合わせ
やすいのは確かだ。

近くのは夜12時までやっているし、
24時間スーパーも家から近い。

札幌市内ではときどき女性がひったくり被害に
遭うが、このあたりの治安はそんなに悪くない。

深夜でもろうばが安全に便利に行動できるなんて
その点、日本は悪くない国だと思う。

便利過ぎてつい夜行性になり、朝早起きできなく
なるのが難だが。

今日はこれから病院へ夫を迎えに行き、家に送り
届け、スーパーに寄りまた会社へ戻り、夕方隣街へ
1件納品してから帰宅予定。

あ、明日は選挙なんだ。
入院中でも夫は不在投票ではなく、明日普通に
散歩がてら近くの学校へ行き投票できる
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それでも時間が足りない

2013-07-17 22:07:43 | Weblog
先週の金曜日に夫は会社近くの病院へ移った。


それでも週末は外泊許可を取ったので、土・日も
少し仕事があったわたしは何かと忙しかった。

病院までの時間はぐんと短縮されたが、食事時間へ
合わせて行くことには変わりがないので、常に
時間に追われることに変わりはない。

仕事もアポで行動するので神経を使う。

事務仕事がなかなか処理できないで、溜まる一方だ。
尚且つ貧乏性の主婦でもあるので、スーパーや、ドラッグ
ストアのポイント加算デーに縛られて行動してしまう。

その上、ネットでも何やらポイント期限のお知らせ
メールなどが来ると、慣れない操作に時間を取られ
ながらも、ついやってしまう。

やっと丸一日休めた祝日の15日も、庭に勝手に
生えてだんだん高くなってきた桑の木の剪定に時間を
費やした。

B夫人が高枝切りバサミと脚立を貸してくれたので、
自己流でバサバサと枝を切り落としたのだが、
丸く格好をつけて意外に上手くできた。

以前B宅に来たシルバー人材センターの二人組みの
おじさんなんて、ひとりは助手なのか、まるでど素人
だったから、わたしだってこれならシルバーに登録
できるわネと、B夫人に冗談を言った。

あとはお盆まで連休はない。
土曜も働かないと仕事をこなせない。

ついこの間まで、体重は昨年から変わってないのに、
みんなに痩せたと言われていた。

痩せたというよりやつれて見えるんだろうと思って
いた。

それがここ数日で2キロ増えていた。
忙しさは相変わらずでも、気持ちの上でなんかきっと
少しほっとしたのかも知れない。
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この1年余 その5 もうひと山

2013-07-13 16:43:42 | 老い
一つ目のすい臓手術も、予想より延びて10月下旬
だった。

7月中旬に一旦退院、お盆前にまた5日ほど入院と、
やれ仮出所だの仮釈放だのと冗談を言いながら、病院の
方針のままに応じていた。

すい臓の手術後は、クリスマスの少し前まで入院して
いた。

正直、開腹手術はかなり身体に負担がかかるもの
なのだとわたしは痛感し、夫は懲りたのではないかと
思ったが、夫は何も言わなかった。

まだ先に肝臓の手術も控えており、そのほうが
もっと大変だろうと予想できた。

お盆も、クリスマス・お正月も家で過ごせたが、
その後の3ヶ月の入院期間は、夫もわたしも一番
大変だった。

放射線科で切除する肝臓に肝動脈塞栓術を施す。

だるさ、発熱、更に壊死が起こり、雑菌がつき、
膿が溜まってしまった。

夫は食事が摂れなくなった。

単に病院食がまずいという問題ではなく、今考えると
恐らく治験目的だった(?)抗がん剤の副作用も
あったのではないか。味がしなくなったとも言っていた。

医師に呼ばれ、とにかく食べさせて口から栄養を
取らなければ、点滴だけだと病状が悪循環に陥ると
言われたので、夕食を持ち込むと申し出たら、
本当ですか?助かりますと言われた。

それから毎日夕食だけだが、持っていき病室で
たべさていると、殆どの看護師さんがわたしにお礼を
言うので、わたしとしてはおかしかった。

それまでは病院に顔は出しても、時間に追われ
最低限なことしかできずにて、まったく看護師
さんたちのお世話にまかせきりだったので、
お礼を言うのはわたしのほうなのだから。

放射線科では、外科からまだ術前措置が終って
ないの?と言われるのが、辛いらしい。

切除後に残る肝臓の容積・機能が基準値まで達しない
限り、手術はできない。

また溜まった膿の洗浄・排出と、1ヶ月は余分に
要したのではないだろうか。

急きょ決断して4WDの車に買い替えたおかげで、
真冬の夜道もなんとか運転して通えるようになった。

4月の初旬、退院時に放射線科の医療チームの方たちが
あいさつにきてくれた。

比較的元気になってなんとか退院できたと思ったが
今までで一番長い3ヶ月という入院期間の副作用、
廃用症候群なるものが、なかなかやっかいだった。

6月初旬の手術予定日までに、なんとか回復して
外科に再び戻らなければならなかった。

退院後はわたしがプレッシャーを感じていた。

昨年3つ目の入院先の医大で外科の執刀医の
先生とは、あってから1年が経っていた。

夫の場合、肝臓の腫瘍もかなり珍しい例に該当し、
進行が極めて遅いものだったのが幸いし、1年
がかりで肝機能数値も問題なくなり、リスクの少ない
状態で手術にこぎつけることができた。

このことは、夫本人よりも執刀医の先生のほうが
感慨深げで、手術前日にも夫に声をかけ励まして
くれた。

思えば、自分ではどうするというわけにも行かず、
なんとなく流れに逆らわず、その時点でできる
ことを選択してきた。

寿命を決めるのは病気とは限らないという
開き直りもあり、余計な心配もしないように
してきた。

書ききれないほど、いろいろなことはあって、
大変な1年だったが、過ぎてしまえば実感が
すっかり薄れてしまい、その大変さすら思い
出せない。

昨日、近くの病院へ転院、忙しくてヘロヘロ
だったし、今日も仕事、明朝も仕事

結局今の大変さ、今の疲れしか覚えていられない。

それでいいのだと思う。

                おわり
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この1年余 その4 手術の是非

2013-07-13 14:33:58 | 老い
すい臓の生検は、それだけでも難しくリスクも高い
ものだと知った。

しかしこの検査が、がんセンターではできないなんて、
理解に苦しむ。

数年前、兄が腎臓がんに罹ったとき、函館の病院より
札幌にきて、がんセンターで見てもらったほうがいいと
当時も単純に思ったものだが、大いなる誤解であった。

で、夫の場合はすい臓がんの5%にしか当たらない珍しい
神経内分泌がんというものであった。

説明医が走り書きした”NET”という単語をしゃれでは
なくネットで検索したら、あのアップルのCEOだった
ジョブズ氏が罹ったものと同類のものだった。

このころから、かなりネットサーフィンをしている
間に、ひと口にがんと言っても、千差万別、これほど
個人差のある疾病もないだろうと思えてきた。

ジョブズ氏は2003年に、この進行が遅く手術で治る
可能性の高いすい臓がんだと判り、そのとき医師は
涙した(絶望的なものではないことで)と言う。

しかし当のご本人は、なんと手術を拒み、食事療法
などの代替療法に走ってしまったのだとか。

で、2004年7月の検査では、腫瘍は大きくなって
いて、やっと決断して手術を受けたときには、肝臓に
三ヶ所の転移も見つかったという。

その後、2009年3月には肝移植手術を始め、
巨万の富をつぎ込んだ最高の検査、治療のかいなく
(それでも8年経過後)亡くなってしまったわけだが。

氏のがんは、神経内分泌がんのなかでも、さらに
グルカゴンというホルモンによるグルカノーマで
あったらしく、腫瘍が小さいうちから肝転移を起す
もので、殆ど良性のインスリノーマではなかったので、
やはり、発見時にすぐに手術を受けていれば、結果は
また違っていたのだろうか?

手術後の説明のとき、わたしがジョブズのがんも
NETだと知っていたので「よく御存知で!」でと
先生はびっくりしていたが。

夫は早々とすい臓も肝臓も、できれば両方一度に
なんて、手術を受ける決断をしていた。

肝臓の場合は生検で、4つの腫瘍のうち1ケが
悪性だとされた。

わたしは迷いながら、ネット情報の中で、がん放置論
とか、がんもどき論などにも多少傾倒しかかったが、
ジョブズ氏が結局、早期に手術を受けなかったことを
本人が後悔していたと知り、やはり手術が不可能に
なったとき後悔しても遅いのだと考えた。

ただ、この時点で夫もわたしも、後にまずすい臓だけの
縮小手術をし、そのあと肝臓をということになった上に、
その肝臓手術が、約1年後になるとは想像してなかった。

そして、Tさん以外に他の人も、手術しないほうが
いいのではないか?という意見の人もいた。

Tさんは十数年前に奥さんを胃がんで亡くされている。
今ならもう少し慎重に他の病院・治療の選択をできたかも
知れないと悔やんでいる。

夫の執刀医の話でも、当時はとにかく腫瘍が見つかると
周囲をできるだけ大きく切除する拡大手術が当たり前の
時代だったと言う。

夫がもし80代で、尚且つ拡大手術を余儀なくされて
いたら、まちがいなく躊躇ちゅうちょしていただろう。



                     つづく
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この1年余 その3 三度目の正直

2013-07-10 21:27:25 | 老い
がんセンターで、素っ気無い担当医師から
説明を受けた日の晩だと記憶しているが、あまり
正確には覚えてはいない。

確か、まだ病院に残っていた夫から電話があって、その
担当医師の下にもうひとりの若い医師がいて、彼が医大の
自分の恩師に検査資料を持ち込み相談に行ってくれる
ことになったとのこと。

そのおかげで、夫は2週間後にはやっと3つ目の病院で、
がんの種類や悪性度が判る生検まで受けられることに
なった。

当時わたしは仕事が詰まっていて、時間がなかったのか、
計らいをしてくれた医師にも、受け入れてくれた医大の
医師にも未だに会ってはいない。

しばらくして検査前の説明に呼ばれたときも、チームの
一番若い医師の説明だった。

がんセンターの担当医がおざなりだったことは、資料の
中にすい臓の腫瘍に関するものが、入ってなかった
らしいことでも思い知らされた。

医大で改めて検査して、すい臓にも9ミリの腫瘍が
あるのが見つかったので、肝臓より先にそちらの生検を
先にすることになったので、検査の予定・計画を
変更しなくてはならなくなったと言われ驚いた。

最初の病院で、すい臓に9ミリの腫瘍らしきものが
写っているとはっきり言い、肝臓と両方検査してもらう
ようにと紹介状を書いたはずなのに、がんセンター
→医大にくる間にすい臓に関する資料が抜けていたの
だろうか!?

医大側では、がんセンターでCTスキャンしたときに
見落としていたのではと言うが、どうも解せない。

いずれにしても、結果から見れば、最初から紹介先を
医大にしてもらっておけば良かったことになるが、
とにかくがんセンターの実態を少しは知ることには
なった。

”がんセンターならどんながんでも判るはず”なんて、
勝手な思い込みにすぎなかったのだ。

少なくてもがんに対する最新の知識・技術を有して
いるんじゃないの?と誰もが(わたしの知人ばかり
だけど)未だに思ってますが。

余談だが、生保に出す診断書も予定の2週間経って、
さらに催促してやっとこさもらえた。

PCに最低必要事項を打ち込むだけの簡単な内容だが、
料金は今までで一番高い。

内容は関係なく一律料金なのは解るが、それならもっと
早く出して、尚且つ料金ももう少し低くして欲しいョ。

                    つづく
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この1年余 その2 がん難民

2013-07-10 19:32:39 | 老い
夫の老化現象が、糖尿病のせいだったのは予想外
だった。

が、2週間ほどで良くなり、この病院が天然温泉
付きだったのも予想外で、夫は初めての入院ライフは
この時点では悪くはなかった。

しかし余計なお土産つきだったのだ。

5月連休明け退院前の説明で、担当医師はCTスキャンの
結果、気に入らないものが膵臓に映っていると
言った。

9ミリほどのもので、肥満でもない夫が急に糖尿に
なったのは、このせいかも知れないと。

さらに肝臓にもなにやらあると。

さらに詳しい検査のできる病院を決めて、そこへ
紹介状を書くと。

おそらくがんの類だろうから、あまり遠くもないので、
がんセンターにしてもらった。

5月下旬にがんセンターに入院するまでの間は、
がんのことよりも、インスリン注射の扱い、毎日
測る血糖値、食事管理のほうに気を取られていた。

がんセンターで約1週間後の医師との面談の内容は、
意外なものだった。

すい臓の腫瘍については、詳しい検査はできない。
たちの悪いものではないと思う。

肝臓にはのう胞があって、普通は液体があり、それ
だけなら問題はないのだが、ちがうものも映っていて、
判らない。非常に珍しい症例で、ここではこれ以上の
検査方法がない。

仮に悪性だとしたら、すい肝、十二指腸に及ぶ拡大
手術になり、超大手術になる(ここじゃ無理だよみたいな
ニュアンス)と。

後に周囲の人に話したとき、総ての人が、わたしと同じ
思い込みをしていた。

がんセンターは、がん治療の専門機関なのだから、どんな
がんにも対応できるはずと。

世の中は、実際に体験してみないと解らないこと
だらけだった。

まさか、がんセンターで画像検査したけれど判りません
でした終るとは!

しかも、ここではありきたりの食前に飲む糖尿病薬も
前の病院と同じものがなく出してもらえなかった。

がんセンターって、食堂で言うなら定食しか扱わない?
いわゆる標準治療の適用患者のみウエルカムなところ
だったの?

こういう認識を持ったんだけど違ってないよネ?

で、ま、ここにこれ以上いても仕方がないと
なったのだが・・・

                   つづく






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この1年余 その1 老化現象

2013-07-09 13:39:33 | 老い
2010年に於ける日本人男性の健康寿命は70.42歳。

昨年4月まで、夫はそれまで、入院経験もなく、何の薬も
服用していなかった。

で、一昨年70歳を過ぎたころから、かすみ目、頻尿などが
現れ、眼科では白内障の初期(手術には至らない)と
言われていて、多少のだるさも仕事疲れ、あとは老化
現象で仕方がないと、夫もわたしも思っていた。

しかし昨年の春先になって、食欲はあり充分に食べて
いるのに痩せてきたので、なかば強引に近くの病院を
受診させた。

夫の様子がさすがにおかしいと気になり始めていたが、
普段かかりつけの医院もない上、最寄の総合病院は
メチャ混みだろうし、手ごろな規模で、なるべく検査の
ための最新機器が入っていそうな近くの病院を選択
せざるを得なかった。

とりあえず検査だろうから、病院や医師の評判を調べる
余裕もないし、機器の精度が良さそうなところで、近ければ
いいという考えだった。

で、血液検査で血糖値が高いことが判り、即入院。

かすみ目や頻尿、だるさなどは、やはり単なる老化現象
ではなかったのだ。

今まで健康診断など受けたことがことがなかったので、
この際可能な限り調べてもらえればと思っていたら、
今どきの病院はみなそうなのか、特に頼まなくても
脳から骨まで検査したようだった。

入院後に知ったのだが、この病院の担当医は、たまたま
B夫人のお母上(故人)が診ていただいてたらしく、B夫人は
あまり好いてはいなかった。

確かに少しぶっきらぼうなところがあるが、この医師が
夫の膵臓と肝臓の異変を見つけてくれた。

                      つづく
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Patient

2013-07-06 17:44:59 | Weblog
英語で病人とか患者(名詞)のことだが、忍耐強い、辛抱(がまん)
強いという形容詞でもある。

先日、術後2週間目の検査結果等の説明のとき、担当医師が
今回のように諦めずに1年がかりで手術にこぎつけたことは
初めてで、医者としても大変貴重な経験をさせてもらい、
患者のSさん(夫)に敬意を払いますと言ってくれた。

確かに予定通りにことは進まず、いろいろな困難も
発生したが、夫はグチも文句もいっさい言わず、
ひたすら耐えて治療を受け入れていた。

昨年10月に続き、2回目の開腹手術から、約ひと月
経って、今日は外泊許可で出た。月曜の午後までに
戻ればよい。

そして、来週末には会社近くの病院に移る。

先生が、わたしが遠いと通うのが大変でしょうからと、
リハビリ・療養のための最寄の病院を紹介してくれた。

その病院なら車で10分もかからないので、確かに
わたしもかなりラクになる。

いずれにしても、もうそんなに長い間通わなくても
いいと思うが、とにかく少しでも近いほうがいい。

今回も入院・手術までに、時間を掛けて増やした
体重が、またその分だけ減ってしまった。

でも食欲早めに回復してきているので、また少しずつ
太ればいい。

夕食にお刺身でも買って帰ろうかな・・・
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怒涛の6月が去った。

2013-07-01 22:19:31 | Weblog
先週の土曜はM子さんとランチに行けた。

1年ぶりだとM子さんに言われて、初めて確かに
そうだと思い出した。

話は尽きなかったが、夕方仕事が1件と病院へ
行くために、重い腰をあげた。

病院にいたとき、携帯が鳴った。

時々アルバイトを頼むA氏、最近iPhone を会社から
支給されて、いじっていたらネットに繋がらなく
なったとか。

設定を確認して、とくに問題はないのに何でか??
とりあえず再起動して見てと言った。

少しして、繋がりました!とメールがきた。

Aさんのあせっていた様子が、わたしも使い始めの
ころはそうだったので、おかしかった。

日曜は、お天気も良かったせいか、ご近所は
オールスターな顔ぶれ。

朝からW夫人がC夫人を捉まえ庭先に長居。
わたしは裏庭でG夫人の長話を切り上げさせるのに
ひと苦労。

E夫人も庭に出ていた。

前庭に回ると、C・D夫人と見知らぬ某夫人が、
我が家の前に。

それにいつの間にかA夫人が混ざってきた。

わたし以外は毎日が日曜日な人たちだが、平日は
それぞれ病院へ行ったりもして、結局みな日曜に
庭仕事をするわけか・・・

夕食後、取引先従業員のO君から、貸している
車のキーのことで、SOS電話が入り、出かける
ことになった。

月曜の朝でも良かったのだが、早起きする自信が
なかった。

第四週は英語学校が休校だったので、まだ
助かったが、最後まで何かと忙しい月だった。


そして、今日からなんともう7月!

予定を翌日に延ばし、のんびりスタートしようと
思っていたが、急な相談が持ち込まれ、結局そうも
行かなくなってしまった。

ま、仕方がない。自分にできることは、無理なこと
以外は骨惜しみすべきではないと思う。

お互い支えられて生きていることを、最近とみに
実感しているので。
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