昨日の午後は友人と待ち合わせして、母と一緒に三人で宮尾登美子の『陽暉楼』こと「得月楼」で昼食を摂った。
陽暉楼得月楼と名を変へてはりまや橋の近くに今も biko
門を入るとツツジがきれいに咲いていた。
通されたお部屋の前の庭。
私達は老人ばかりなので、立派な会席ではなく、簡単なお弁当をお願いした。
いろいろ入っていて楽しい。^^
母は嚥下障害なので、食べるのに時間がかかるので、大学教授の友人と私は、二人で、得月楼の方に案内してもらって、幕末期の有名な画家、河田小龍の絵を見せていただいた。
河田小龍は、ジョン万次郎つながりで有名な画家だ。
すなわちアメリカから帰国したジョン万次郎が土佐藩の取り調べを受けている間寄宿していたのが河田小龍の家で、ジョン万次郎は小龍に日本語の読み書きを習い、小龍は万次郎から英語を学ぶという具合に。
その小龍の家は得月楼のすぐ傍だったので、得月楼はこれら小龍の絵を手に入れやすかったのだろうか。
しかし、その頃は、その得月楼はまだ陽暉楼で、鏡川の河口近く、もっと下地のほうにあったはずだ。
得月の近くに河田小龍の生家はありて絵が床の間に biko
絵の飾られている大広間の前の庭を撮影。
その後、歩いてはりまや町の実家に友人の大学教授を案内したあと、友人が見たいと言っていた東洋のルソーと呼ばれていた中江兆民の生誕地にご案内した。
実家の近くだったが、私は今回調べるまで、そんな立派な学者の生誕地が近くにあったことすら知らなかった。
東洋のルソー中江兆民とわれの生まれし地は近くなり biko
知らざれば知らぬまま死ぬことあらむ近くに生(あ)れし中江兆民 biko
いいこと聞きました。
6月にお遍路、高知に一泊
します。
立ち寄ってみたいと思います。
今回お連れしたのは女性ながら某国立大学名誉教授な方だったので、ふつうの名所旧跡では満足されないので、特殊なところにご案内しました。
興味がおありでしたら、この得月楼の近くに河田小龍の生まれた地の案内板があったりするので、ぜひ。^^