神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

友人の死亡記事が京都新聞に載っていました

2017年09月11日 10時07分51秒 | 新聞記事
先日の友人の死亡記事は、私の購読している産経新聞には出ていなかったようでしたが、地元の京都新聞には出ていました。

「村形明子氏死去 京大名誉教授、元日本フェノロサ学会長」

関心のある方は、どうぞ。

昨日は泣き言を書いたが

2017年09月11日 08時13分08秒 | 生活の知恵
昨日の記事「それにつけても難聴の身は」を書いたあと、Gooブログから昨年9月10日の記事が届いていた。

欠けたものを補って生きる・・・パラリンピック
テレビではパラリンピックの花盛りである。今朝は水泳を見ている。腕のない人が、ふつうには歩けない人が、水の中では素晴らしい泳ぎを見せる。それだけでも感動的である。人は......


そうかあ。私は昨年はそんなことを思ったのか。

そうなのだ、人は欠けたところがあるから努力するのだ。

私が努力しているとはさらさら思っていないが、しかし、昨年書いたことは真理だと思う。

欠けたところは人によってさまざまだろう。

私のように、聴覚に障害のある人もいれば、目が不自由な人もいる。

手足の不自由な人もいる。

身体でなく、家庭的に恵まれない人もいる。

故国に恵まれなくて、独裁政権の国に我慢して暮らしている人たちもいる。

極端に暑い国、寒い国に暮らしている人たちは、気候に恵まれていないと言えるだろう。

その中で、人は努力するのだ。

努力せざるを得ないのだ。

昨年の自分の記事を読み直してみて、そんなことまで思った。

  生きてゐる人はそれぞれ努力する人目に見える見えぬはあれど

  精神を病みてゐるひと生きてゐるそのことだけでも努力なるべし

5日に亡くなった友人は鬱病でも苦しんでいた。