幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

佐賀藩羽州遠征隊の着帆地点 姉川伊貞陣中日誌

2024-02-18 12:50:42 | Weblog
 佐賀藩士 姉川伊貞の戊辰戦争従軍日記を読んで、こんなものなのでしょうかと思ったことがありましたので、紹介致します。
姉川伊貞と鍋島藩兵は、慶応四年八月十一日、鍋島藩船甲子丸とイギリス船に乗り込み、羽州を目指して久原村から出発しました。
八月二十一日新潟県北部の島に粟島に到着しました。

 着帆ニ而、水少々相談相成候得共、昨今之戦争ニ而其儀難叶

とありまして、粟嶋で水を貰うため交渉したところ、戦争中なので断られたとあります。
また、夕方七時頃、山形県飛島に着船水を貰おうとしたところ、

  紋付之籏差上、大鉋打掛る様子ニ御座候得ハ、早速出帆

紋付之籏を上げ、大砲を打ちかける様子でしたので、すぐさま出帆したとあります。
この後、秋田領分の男鹿嶋に着帆して上陸しますが、

  右トは違、大悦ニ而秋田より役人罷出

とあります、官軍に属する秋田藩の行為としては、当然と思われますが、この後鍋島勢は、秋田に到着後、今泉付近で南部藩との戦争に突入して行きます。

さて、到着する目的の港もなく、姉川伊貞らは水を求めて漂着しています。       こんなものなのでしょうか。

ただ、粟嶋でも飛島でも、交渉相手は百姓だったと思われます。
力ずくでも水は奪えたと思われますが、相手の言い分を通して佐賀兵は立ち去っています。
そう言えば、戊辰戦争で民衆(農兵は別として)が殺戮されたと言う記事は見たことがありません。
ただ、福島県の日記に土佐藩兵が通行した後は犬がいなくなって困ると言う記事がありましたが、、

やはり、江戸時代は兵農が分離された、倫理的な社会であったような気がします。


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