ようやく、斎藤月岑日記から、天気データの取り込みがおわり、
今度は、手元にある原文書(日記)から、天気データを入力することにしました。
日記には、表紙がなく裏表紙にもなにも書いていません。
勿論、書いた人は自分が何処で書いたかは分かり切っているために、全く手掛かりが
ないことも間々あります。
ところで、この日記には、土浦、水海道など茨城県の地名が出てきます。
また、日川村、福岡村、田村などの村名が出てきます。これを検索しますと
となり、日記の書かれた場所は「つくばみらい市」となります。
また、筆者は誰かと言うと巻頭に7人が、年頭の賀詞を書いていますが、
その筆頭の「飯泉保太郎」という人が第一候補だと思います。
曰く
皇家貴主好神仙 別業初開雲漢辺
山出尽如鳴鳳嶺 池成不譲欣龍川
とあります。上手いかどうかは分かりませんが、韻は踏んでおります。
日記を読み進めて参りますと、「保太郎より村方え年頭罷出る」とか、
「保太郎樋沢二十三夜様え参詣」などとあり、日記の筆者は、飯泉保太郎氏の違いありません。
保太郎氏は店も持っており、土浦藩の特権商人だったような感じです。
それでは、この日記は何時書かれたものでしょうか。
丑年に書かれたことは間違いありませんが、文化文政以降に町人日記は飛躍的に増えますので、
慶応元年、嘉永六年、天保十二年あたりが、有力候補と言えるでしょう。
続いて、日記記述の月の大小をみますと、
1月大、2月小、3月大、4月大、5月小、6月大、7月小、8月大、9月小、10月大、11月小、12月大
となっていまして、嘉永六年と一致しています。
ただ、気懸りなのは、嘉永六年の日記にも関わらずペリー来航の記事がひとつもなく、また、
二月二日の小田原地震の記述もないことです。
一応念のために、日記からシビアウェザーを拾い出してみると、
2月21日(西暦1853年3月30日) 雨天、夜大雨
2月22日(西暦1853年3月31日) 朝より昼まで大雨 誠ニ大雨大水出
とあり、珍しい春の大雨となった様子です。
他の史料と突き合わせてみますと、
2月21日 38度、朝よりくもりさむし、八ツ時よりきり雨ふり夕方より雨つよし、夜中終夜ふる【大高氏記録】【水戸】
2月22日 宵より雨ふり終日雨、七ツ半時より止、四ツ時より雨ふり【大高氏記録】【水戸】
昨夜より大雨【二宮尊徳日記】【江戸麻布】
とあって、天気記事がぴったり合い、嘉永六年の日記に間違いありません。
そこで、この無名の日記に名前をつけましょう。
「嘉永六年 丑 飯泉保太郎日記(つくばみらい市)」となります。
史料価値がぐっと高まったような気がします。
最後に,この日記は格調高い賀詞で始まり「長作のおおばかやろう」で閉じています。
年酒で酔っぱらったのでしょうか。
人は立派なだけでは生きていけないものなのでしょう。
そうだ、俺も飲みに行こう。
今度は、手元にある原文書(日記)から、天気データを入力することにしました。
日記には、表紙がなく裏表紙にもなにも書いていません。
勿論、書いた人は自分が何処で書いたかは分かり切っているために、全く手掛かりが
ないことも間々あります。
ところで、この日記には、土浦、水海道など茨城県の地名が出てきます。
また、日川村、福岡村、田村などの村名が出てきます。これを検索しますと
となり、日記の書かれた場所は「つくばみらい市」となります。
また、筆者は誰かと言うと巻頭に7人が、年頭の賀詞を書いていますが、
その筆頭の「飯泉保太郎」という人が第一候補だと思います。
曰く
皇家貴主好神仙 別業初開雲漢辺
山出尽如鳴鳳嶺 池成不譲欣龍川
とあります。上手いかどうかは分かりませんが、韻は踏んでおります。
日記を読み進めて参りますと、「保太郎より村方え年頭罷出る」とか、
「保太郎樋沢二十三夜様え参詣」などとあり、日記の筆者は、飯泉保太郎氏の違いありません。
保太郎氏は店も持っており、土浦藩の特権商人だったような感じです。
それでは、この日記は何時書かれたものでしょうか。
丑年に書かれたことは間違いありませんが、文化文政以降に町人日記は飛躍的に増えますので、
慶応元年、嘉永六年、天保十二年あたりが、有力候補と言えるでしょう。
続いて、日記記述の月の大小をみますと、
1月大、2月小、3月大、4月大、5月小、6月大、7月小、8月大、9月小、10月大、11月小、12月大
となっていまして、嘉永六年と一致しています。
ただ、気懸りなのは、嘉永六年の日記にも関わらずペリー来航の記事がひとつもなく、また、
二月二日の小田原地震の記述もないことです。
一応念のために、日記からシビアウェザーを拾い出してみると、
2月21日(西暦1853年3月30日) 雨天、夜大雨
2月22日(西暦1853年3月31日) 朝より昼まで大雨 誠ニ大雨大水出
とあり、珍しい春の大雨となった様子です。
他の史料と突き合わせてみますと、
2月21日 38度、朝よりくもりさむし、八ツ時よりきり雨ふり夕方より雨つよし、夜中終夜ふる【大高氏記録】【水戸】
2月22日 宵より雨ふり終日雨、七ツ半時より止、四ツ時より雨ふり【大高氏記録】【水戸】
昨夜より大雨【二宮尊徳日記】【江戸麻布】
とあって、天気記事がぴったり合い、嘉永六年の日記に間違いありません。
そこで、この無名の日記に名前をつけましょう。
「嘉永六年 丑 飯泉保太郎日記(つくばみらい市)」となります。
史料価値がぐっと高まったような気がします。
最後に,この日記は格調高い賀詞で始まり「長作のおおばかやろう」で閉じています。
年酒で酔っぱらったのでしょうか。
人は立派なだけでは生きていけないものなのでしょう。
そうだ、俺も飲みに行こう。