幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

吉原放火 遊女の意図 嘉永二年八月五日(西暦1849年9月21日)

2022-03-13 14:07:17 | Weblog
先日、晩酌をしながらテレビをみていますと、「歴史探偵」と言う
番組で、遊女による吉原の放火事件を放送していました。

放火には、必ず意図があり、その意図により放火日の天候を選ぶのが
通常です。
「吉原遊郭」は大変興味深く拝見しましたが、天気好きの私には、もう少し放火当日の
天気を掘り下げて頂きたいところです。

そこで、吉原の梅本屋、豊平他遊女16人放火の日江戸の天気を見ますと、

 雨、8つ後より晴【鎌田日記】【江戸】
 朝雨午後晴【林日記】【江戸】
 小雨 巳の刻過止 曇【江戸日記】【江戸】
 雨降昼後晴暮時より又雨【月岑日記】【江戸】
 雨天【梅若実日記】【江戸】
 朝より四ツ時迄降夫より天気、夜に入又雨多分【二宮尊徳日記】【江戸】
 朝雨西北風、74度、29寸4分3厘【霊憲候簿】 23.3
 午正雨西南風、75度、29寸4分6厘【霊憲候簿】 23.9
 昏曇南風、昏後雨、77度、29寸5分2厘【霊憲候簿】 25

となっており、江戸も広いので一概には言えませんが、
朝から午前10時~昼ぐらいまで小雨、昼すぎには止み曇り
夜になるとまた雨が強めに降った様子です。
ちなみに気温は摂氏23~5度で、風もなく湿気の多い温暖な一日でした。

天気の概況を見ますと、七月末ごろから、八月中旬頃まで関東付近に丞
秋雨前線がかかり、湿気の多い日々が続いています。

このような状況での、火災は広がりにくく、放火の目的は火事を起こすことの
他にあったようです。
吉原から抜け出すためだったのでしょうか。

北町奉行遠山左衛門尉は、その辺も考慮に入れてのお裁きだったと思われます。
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