幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

天保十一年の雪(続三方領地替え)

2018-04-01 17:28:28 | Weblog
三方領地替が言い渡された庄内藩は豪雪地帯であります。
次第に、庄内藩御百姓による三方領地替えへの反対闘争は、庄内藩農民幕府の様相を呈してきます。
幕府のある江戸に行くには、船を利用しなければ、山越えは必須です。
実際、幕府への越訴や有力諸藩の嘆願には、山越えの路を利用しています。
奥羽山脈や鳥海山、月山、吾妻山の積雪が気になるところです。
そこで、今回は天保十一年の積雪を調べてみたいと思います。

手元の史料で、天保十一年の雪の記事があるのは、天保十一年六月十九日(1840年7月17日)の南アルプス市の日記です。
「 上天気、八ツ時より夕立、始メ此辺ハ雨少しふり、川東甲府在ハひうかふり、鏡中条辺ハ大夕立有之候、富士山ハ候(降?)雪か八合目頃迄雪ふり 」
とありまして、富士山には新暦の7月17日八合目まで冠雪があったようです。
初冠雪か終雪かは分かりませんが、かなり早いです。
富士山の冠雪は、この頃では2008年の8月9日が最も早いようです。

次の記録は、九月七日(新暦10月2日)の弘前の記録で「 岩木山に雪見ゆ 」とあります。現在の平年値では10月21日ですので、天保十一年の冠雪は富士山や岩木山で現在の平年値より20日ほど早いことが分かります。

1840年の気温を現在の平年値で比較したのが下のグラフです、時間は正午です。



平均気温が現在の平年値より3度程低くなっています。

十月一日(10月25日)には秋田県から山形県にかけて初雪が降っており、庄内地方も初雪が降った事と思われます。秋田市での初雪の現在の平年値が11月13日ですから、やはり20日程現在の平年値より早いようです。

矢口弥兵衛の早駕篭が鶴岡についたのが、十一月八日ですので、早駕篭の出発した十一月一日から八日までの間は江戸から鶴岡辺で雪の記録はありませんので、早駕篭は雪に悩ませられることは無かったようです。

しかし、翌日の十一月九日には、「 雪降、近所山迄白く相成候 」秋田県南の院内の記録では、雪が里まで下りてきたようです。
天保十一年は、やはり現代より寒冷で雪も早かったようです。

庄内藩農民代表が転封に反対して江戸へ出発する、十一月二十三日までには、まだ間があります。

雪も、幕府対庄内藩御百姓の闘いも未だ序章でございます。
コメント (2)
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