昔、写真業界で仕事をしてた頃『0円プリント』というのはあった。
昨今、『0円』という言葉を聴く。
思い出すのである。
『0円プリント』というのは写真が0円ですよ、という意味を持つ。
しかし条件があってフィルム現像をした場合に0円ですよ、と言う。
現像しない状態からの写真は有料だ。
なぜかと言うと、フィルム現像の利益がすごく多いからそれでも利益が残るからだ。
フィルム現像は大量の処理すると、おそらく50円くらいの費用で処理できる。
それを600円くらいの値段で受け付けるから、550円が利益になる。
36枚のフィルムで写真1枚あたり作る費用が10円くらいかかる。
大量に処理するとそれくらいでできる。
36枚作って360円の費用でできる。
結果として儲けは190円残る。
つまりコストを別のものに転嫁してるだけだ。
そういうカラクリを作って費用が見えなくなっている。
それは次の仕事でも同様のカラクリを使っていた。
今までやった仕事はほぼそういうカラクリを持っていた。
まぁ、単純な仕組みだからみんな分かっていただろうけれど、なんとなく思うのは
『見ないようにしていた』ように思う。
今はスマホだ代がそうだろう。
少し前にスマホ業界に指摘があったが、そもそもそういうカラクリは世の中から無くならない。
関税と聴くと、そこにもなんだか怪しい仕組みを感じる。
昨今の『0円』という言葉を聴くと『絶対に何か他に費用がかかるなぁ』と思うのです。
そしてそれはかなり高額なんだろうなぁ、と。
なぜなら繁盛してる業界は多くの企業が参入するでしょ。
つまりは、そこに必ず多くの利益を産む仕組みがあるからでしょ。
儲からない業界は企業からは手を引くから。
『0円』は損をするとは言わないにしても得はほぼ無い。
そう思うのです。
しかし、それをしっかりと計算して利用する人がいて、そして、今度はそういう計算をするのを仕事にする人まで出てくる始末。
ややこしくすればするほど、それで儲けられる複雑な仕組みが出来上がってる。
しかしねぇ。
それはまさに無駄を作り出し世間の仕組みな気がするのです。
人の生活って、もっと単純なものではないかしら。
空を飛んでも、それだけでゆとりある暮らしができますか?
むしろ危険を増大するだけ。
今まさに、そういう危険が最大限に膨らんできてませんか?
あらゆる意味で、そう思います。
もっと簡素化した暮らしが心を豊かにする気がするのです。
なのに、今の複雑怪奇な暮らしから逃げ出せない。
まさに牢獄の暮らしを毎日感じる。
ここもおそらくそうでしょうね。
暮らしの中に蔓延ってる歪曲された時間と空間と意識。
恐ろしくて精神疾患は全ての人の脳の中に入り込んだ。
呪術廻戦の漫画みたいだなぁ、と。
それでも、苦笑いしながら生きてるんです。
それでも、なのです。
誰かどうにかして。
他力本願はダメでしょ。
確かに。
でも、できない。
現代の洗脳は奥深く食い込んでて、逃れようがない。
苦しいですよね。
きっと、みんな。
お金じゃあ無いのに、結局お金の計算をしてるのもそうでしょ。
きっと。
そんな気がしてます。
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