人は何か希望がないと暮らしが停滞して鬱になる。
子供の頃、遠足の日の朝はワクワクして早く目が覚めることがあったと思う。
そういうことだ。
逆に、友達と喧嘩をして仲直りできるかどうかの不安が残る朝は気分が落ち込む。
そういうことだ。
日常において、将来における希望があれば毎日がワクワクする。
何か新しいもの、それも面白そうなもの。
楽しそうなもの。
愉快なもの。
そういうものが今日以降に待ち構えていればその時間はワクワクするだろう。
そういう人にうつ病になるような素材は存在しない。
現代社会うつうつとして暮らす人がほとんどだ。
それは今日、これからの時間に不安の原因となる楽しくない時間が待ち構えているからだ。
楽しくない時間。
それは喜怒哀楽で言えば怒りに近いものではないかな。
自分にとって不都合なものであり避けたい何かがある。
ところが、避けられない。
逃げられないもの。
そういうものだろう。
しかしながら、逃げられないならば、その逃げられない何かを可能な範囲で変えるのが一番楽かもしれない。
痛みを痛いと感じれば嫌だ。
痛みを心地良いと感じればそれはそれで快楽に変わる。
変態だな。
しかしながら、単純に変態になってしまうよりも、もっと合理的な変換ができれば良いのかもしれないな。
あるいは、自分一人で進もうとするから、いわゆる障害になる可能性もある。
ワクワクするためには、人を巻き込んだ未来があると、ちょっとした冒険でも楽しくなる。
スタンドバイミーと言う映画がある。
あの映画はそういう意味を内在している。
友人たちとちょっとだけ困難な旅をする。
一人ぼっちで嫌なことをすると嫌だけれども、友達とちょっとだけ困難な旅をすると、そこにはどことなくワクワク感がある。
そういう意味で言えば、友人はとても大事だ。
孤独は苦しい。
だから昨今はSNSが流行る。
SNSの世界に何かしらの友人が存在していると希望を持てるからだ。
それならばそれはそれで良い。
他人に被害を与えない程度に、内輪だけで世の中を攻撃するレベルであれば、それはそれで良いのではないかと感じる。
わくわく感と言うのは人によって感じ方が違う。
多くの人によって成り立つワクワク感もあれば、孤独のグルメのようなわくわく感もある。
しかしながら、やはりどこか何かしらの『人間関係』が奥底のほうに潜んでいる気がする。
わくわく感の感じかたも人によって様々なのだろう。
ただ単に孤独を感じていることで快楽を感じている人もいるかもしれない。
そこに関して私は個人的には理解できない。
ただ、楽しい事は誰かが共有してくれるとより楽しくなるのではないか?
そしてそれは時間が止まったままの状態で感じられるものではない。
たった一人であっても、先に進んでいると言う実感が必要だと思う。
それはモノであってもいいし、五感で感じられるだけのものであっても構わないと思う。
今日は昨日より一歩先へ!
明日は今日よりも一歩先へ!
階段を一つずつ上がっていこう。
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