同様のことが他の事柄にも言える
自分の持っているものがとても高価なものだとそれだけ自分が特別な存在になっているようにも勘違いする
高度な技術を身に付けると自分が特別な存在になったように思えてくる
いい大学に行くと自分が高級な人間になったような勘違いをする
一流企業に入ると自分が高貴な民族になったような勘違いをする
お金をたくさん持っていると社会的に偉い人になったような勘違いをする
何が立派で何か立派でないかは「勘違い」の上に成り立っている
おおよそ人間には高級な人種もなければ低俗な民族もいない
違いがあるとすれば「自分のことを理解して」現実活動を行っているか、それとも勘違いをしているか、それぐらいだろう
「私は私です、ごめんなさい」
人と会話するときには言葉の最初にそう唱えてから対話するのが自分に優しくなれると思う
自分に優しくなれるとおそらく人にも優しくなれると思う