節税は税金を払わなくていい様にうまく計算して支払うことですよね。
合法的にです。
脱税は払わないといけない税金をこっそり隠して払わないことですよね。
脱税は違法という観点から悪いということは当然です。
そもそも税金は社会のために国が徴収するものですよね。
しかし、税金を払わない方向で考えてるのは双方が向いてる向きは同じです。
社会のための税金でしょ。
たくさん税金を払うことはたくさん世の中が良くなるために寄付をしてること同意義ではないですか?
国が下手な使い方をしてるという考え方をして支払いたくない人もいると思います。
確かにそうかもしれません。
人が介入する以上は完璧はおそらく存在しません。
しかしねぇ、できるだけ上手に使って欲しい。
国のあり方に対しては寄付という言い方は当てはまらないでしょう。
でも、世間で色々と集めてる通常の寄付でも本当に寄付を受けるべき人々に恩恵が届いてるかといえばなんだか怪しい気もします。
社会のためならばどちらも大差ない気がします。
税金も寄付も社会のため。
であれば、税金はたくさん払う方が世の中のためじゃないですか。
そう考えると、節税をするのは「寄付はしたくない」という意思表示では?
世の中からよく思われたいから寄付をする?
ならば税金を払うことで良く思われる様にすれば良くないですか?
ふるさと納税などというごまかしをして、一般の商売の方法を取り入れることは逆効果であり、税金をさらにうまく払わない様にするんですから。
それで、社会に必要な税金(世の中のために必要な費用)を減らして、未来のためになりますか?
わたしにはどうもよくわかりません。
これからの日本は高齢者の国になるならば、団塊ジュニア世代の雇用や生活のことも含めて今後の世の中のために税金の持つ意味合いを、もっと国を受け持っている国会議員や環境庁の方々から考え直して見た方がいい様に感じています。
もう2~30年もすれば失われた時代を成長してきた団塊ジュニアが高齢者になります。
その時に、介護をしてもらいたくてもそれに従事する若い世代は人口減で存在しない。
その上、介護費用の出せない団塊ジュニアたち。
日本国民の血統は絶滅危惧種でしょうか。
消えるのならそれはそれで致し方無いのかもしれません。
その時代はすでに私は生きていないでしょうから。
未来は未来を生きる人たちのものです。
bon voyage!