66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

面倒な奴ら

2020-02-07 22:34:26 | メンタル
自虐を言うこととは
 
自己を否定することではあるが、そこには嫌味を伴う
 
つまり気持ちの裏では否定を認めていないからである
 
そして認めない上に嫌がらせで相手を攻撃する
 
それが自虐である
 
なので、ただの自己肯定よりもさらに肯定の度合いが高い位置からの目線でものを言う
 
絶対に否定しないという意思表示なのである
 
それが攻撃性を伴った言葉として否定した言い方を取らせる
 
それが自虐である
 
自虐を言う奴は、だからこそ面倒なのだ
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無機質

2020-02-07 07:07:00 | メンタル
以前、うつ状態?の時に感じた感覚ですが、泣こうにも 泣くという感覚が思い出せないと感じました
 
泣くことができれば笑うこともできるでしょう
怒ることもできるでしょう
 
泣けない
笑えない
無機質なのです
 
ただ、生きてるけれど
生きてて何かありますか?
 
でも、そういう感覚は今始まったものでは無くずいぶん以前、子供の頃からあった様な、そんな気もするのです
 
これで良いという感覚がほとんど無く、良いのか悪いのかの判断ができないのです
 
もっと言えば、人を殺してどうして悪いの?
という疑問、そういう感覚に近いかもしれません
 
人は成長するに従って環境から生きることを学びます
 
昔 本で読みましたが、狼に育てられた子供が人間の社会でも生きられる様に再教育されるストーリー
実際にあった話だそうですが、その内容は育った環境によって人は感覚すらも違うということを訴えていました
 
私はわりと無機質な育ち方をしたのかもしれません
生まれ育ったのは随分な田舎でした
物心のついた頃 母親はずっと仕事をしてて、母親に抱っこされている記憶は全く無いです
そして夜 寝るときは祖母と一緒に寝起きしてました
 
なので、母親に育ててもらったという感覚は無く、ただ農村の家で育ったという感覚があります
記憶を辿ると 幼稚園に入るまでは犬と遊んでいた様な気がします
 
私には兄と姉がいますが年齢が離れてて、一緒に遊んだというより親戚のおじさんおばさんの感じです
成人した頃見た写真には、姉に私の乗った乳母車を押してもらっている写真がありました
古い写真です
 
一人っ子?
というよりも兄弟がいたのかな?
親子関係が希薄なのか、一つの家庭の子供と言う感覚が薄い様に思います
 
それはそれで良いのですが、小さい時から人の社会に溶け込むことができませんでした
人間から離れて生活しようとしていた様な気がします
 
一人で野山を走り回るのが好きでした
それも誰もいない、月が明々と照らす深夜に
 
社会人になるまでその感覚を持ったままでしたし、今でもそうです
今は仮の生活、、、そんな感覚です
いったい此処に居る人間擬き(もどき)は何なのだろう
人の姿はして居るけれど、、、、
 
人間界の中のひとりという感覚の欠落、それは誰でもあるものなのでしょうか
あるものなのでしょうね、きっと たぶん。。。
 
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