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井戸で370倍の有害物質 

2015-06-19 20:54:41 | 日記
転載
井戸で370倍の有害物質
きょうどうつうしん 2015年6月18日(木)22時43分配信 共同通信
 千葉県船橋市は18日、飲み水として使われてきた工場跡地周辺にある井戸から、基準値の最大370倍超に当たる有害物質トリクロロエチレンを検出したと発表した。土地を所有する三菱電機(東京)から報告を受け、市は工場周辺の井戸の調査を開始。住民に井戸水を飲まないよう注意を呼び掛けている。

 市によると、工場では、三菱電機の子会社だった建材メーカー「日本建鉄」(廃業)が機器の洗浄にトリクロロエチレンを使用していた。昨年9月、日本建鉄が事業を終えた後、三菱電機が敷地内の土壌と地下水を調査、トリクロロエチレンが検出されたと5月、市に報告した。

93歳寂聴さん、国会前「命懸け」スピーチ

2015-06-19 15:59:45 | 戦争立法
東京新聞より転載

93歳寂聴さん、国会前「命懸け」スピーチ

2015年6月19日 朝刊


国会前で行われている抗議行動に参加し、安保法案反対を訴える瀬戸内寂聴さん=18日午後、東京・永田町で

 死を覚悟した訴えが、国会前に響きわたった-。十八日夜、東京・永田町の国会議事堂近くで繰り広げられた安全保障関連法案に反対する抗議行動に、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さん(93)が参加した。すぐれない体調と高齢を押して駆け付けた「命懸け」のスピーチは、主催者発表で二千人以上集まった参加者の心に深く刻み込まれた。 


 「どうせ死ぬならここに来て、『このままでは日本はだめだよ』と申し上げて死にたかった」。法衣姿の寂聴さんが車いすから立ち上がり、国会議事堂裏の歩道で語り始めると、抗議行動に集まった人たちからどよめきが上がった。


 背骨の圧迫骨折や胆のうがんなどで昨年五月から療養生活に入り、ほとんど寝たきりだった。今年四月には法話を再開したが、完治にはほど遠い。


 一九二二年に生まれ、太平洋戦争末期の空襲では母親と祖父を亡くした。自著で「戦争の生き残り老人は、嫌われてもののしられても、戦争反対を言い続けなければならない」と記すなど、戦争を憎む思いは人一倍強い。九一年の湾岸戦争、二〇〇一年の米アフガニスタン攻撃の際には断食も決行した。


 「良い戦争は絶対ない。すべて人殺しだ」。この日も、反戦を訴える舌ぽうは衰えをみせなかった。約五分のスピーチを終えると、参加者たちは「ありがとう」と声を上げた。


 抗議行動への参加を決意したのは二日前の十六日。スピーチ後、会見した寂聴さんは「年寄りを集めて国会前に座りたかった。必ず冷えて三人や四人は死ぬ。あなた方(報道陣)はほっとけないから大騒ぎする」と冗談めかして振り返った。


 今の状況は開戦に向かっていた当時の日本の雰囲気に似ているという。「表向きは平和だが、すぐ後ろの方に軍靴の音が続々と聞こえている。そういう危険な感じがする」


 療養中も法案をめぐる国会論議に注目していた。「このまま安倍晋三首相の思想で政治が続けば、戦争になる。それを防がなければならないし、私も最後の力を出して反対行動を起こしたい」と決意を語った。


 参加者からは感激の声が相次いだ。東京都小平市のNPO法人役員保坂みどりさん(63)は「あの年齢で、命を懸けて来てくださるなんて。すごく勇気をもらった」と声を弾ませた。

◆国会前スピーチ要旨


 瀬戸内寂聴です。満九十三歳になりました。きょうたくさんの方が集まっていらっしゃったが、私よりお年寄りの方はいらっしゃらないのではないか。去年一年病気をして、ほとんど寝たきりだった。完全に治ったわけではないが、最近のこの状態には寝ていられない。病気で死ぬか、けがをして死ぬか分からないが、どうせ死ぬならばこちらへ来て、みなさんに「このままでは日本はだめだよ、日本はどんどん怖いことになっているぞ」ということを申し上げて死にたいと思った。私はどこにも属していない。ただ自分一人でやってきた。もし私が死んでもあくまでも自己責任だ、そういう気持ちで来た。だから怖いものなしです。何でも言って良いと思う。


 私は一九二二年、大正十一年の生まれだから、戦争の真っただ中に青春を過ごした。前の戦争が実にひどくって大変かということを身にしみて感じている。私は終戦を北京で迎え、負けたと知ったときは殺されると思った。帰ってきたらふるさとの徳島は焼け野原だった。それまでの教育でこの戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のため、と教えられたが、戦争に良い戦争は絶対にない。すべて人殺しです。殺さなければ殺される。それは人間の一番悪いことだ。二度と起こしちゃならない。


 しかし、最近の日本の状況を見ていると、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。せめて死ぬ前にここへきてそういう気持ちを訴えたいと思った。どうか、ここに集まった方は私と同じような気持ちだと思うが、その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います。

地下貯水池 重いツケ 2年前急造 汚染水処理続く

2015-06-19 15:29:14 | 原発
東京新聞より転載
地下貯水池 重いツケ 2年前急造 汚染水処理続く

2015年6月18日


 東京電力福島第一原発で二年前、東電は水が漏れる危険性を認識しながら急場しのぎでいくつも地下貯水池を造り、そこに超高濃度の汚染水を入れた。やはり汚染水漏れが起き、周辺の地下水ではいまだに汚染が続くため、現場は継続的な処理に追われている。安易な選択のツケはかなり高くついた形だ。 (小倉貞俊)
 問題の地下貯水池は、汚染水を貯蔵するタンクの用地が不足する中、クレーンが使えない土地にも造れるからと東電が編み出した。池となる掘った部分には粘土層を敷き、三重の遮水シートで覆ってはいるが、一般的な廃棄物処分場の防護層より薄く、一リットル当たり数億ベクレルと放出基準の四百万倍はある高濃度の放射性ストロンチウムなどを含む汚染水を厳重保管できるような性能はなかった。
 東電は汚染水の増加傾向を見越して十分なタンクを造る必要があったが、貯水池は一つで数千トンとタンク数基分の容量があるため、タンクの増設ペースをゆるめた。二〇一三年一月、いよいよタンクが不足し、きちんと公表することもないまま、貯水池に汚染水を入れ始めた。
 わずか三カ月後の四月には水漏れ事故の発生が確認された。漏れは遮水シートが破れる構造的な問題が原因。東電は計二万七千トンに上る池の汚染水を抜き、タンクを急造して移送するしかなかった。
 貯水池から汚染水はほぼなくなったものの、漏れた水の濃度があまりにも高いため、周辺の監視井戸からくみ出した水は数万ベクレルの汚染度に。行き場がないため池に戻しているが、今度は池の壁面や底にこびりついたストロンチウムなどが溶け出し、一〇〇万ベクレル程度にまで濃度が上昇。池に水がたまると、再びくみ出し、汚染水がたまるタービン建屋地下に移送するなどの対応を強いられている。
 現在、池に残っている汚染水は計千トン超。再び水漏れ事故が起きる危険もあるため、くみ出し作業を続ける必要がある。「いつまで続ける必要があるのかは分からない」(東電の担当者)という。


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