第二十二章 「善友」・六種の完成
世尊はスブーティ長老に次のように説かれた。
「・・・・・・(省略) 実に、スブーティよ、この私の全知者性もまた、これら、すなわち六種の完成から生じたものである。
それはなぜか。というのは、スブーティよ、三十七のさとりの助けとなる要素(三十七菩提分法)はこれら六種の完成のなかに包含されいるし、四種の崇高な心境(四梵住)、有情を摂受する四種の事項(四摂法)はいうまでもなく、およそ仏陀の徳性といわれるもの、仏陀の知、みずから生じる知、不可思議な知、たぐいなき知、量り知れない知、数えきれない知、比類のない知、至高なる知、全知者の知、 そのすべてが六種の完成のなかに包含されているからである。
こういうわけで、スブーティよ、六種の完成こそ菩薩大士の善友である、と知りなさい。
以下、・・・・・・(省略)」 (「八千頌般若経Ⅱ」 丹治昭義訳 中公文庫・大乗仏典 3 p206)
私の解釈
本文によりますと、世尊の全知者性は六種の完成(六波羅蜜)から生じたものであるということです。
六種の徳目(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の完成態を総称して六波羅蜜といいますが、世尊は、そのなかの智慧波羅蜜を何時でもどんな場合にも、自由自在に働かせることができるのです。
本文で述べられているような世尊の全知者性について、私は次のように理解しています。
・世尊の知は「根本の真実をあまねく知り尽くし、断滅し、体得して、直観的に見ることにより生み出される」ものである。ここでいう根本の真実とは、「空性という異名をもつ最高の真理」ともいわれる。(この「 」内のことばは中公文庫・大乗仏典15・世親論集・「中辺分別論」・長尾雅人訳・p289、p416からの引用です。)
・世尊は一切の煩悩を断滅しているから、空性のなかから物事の真実(ありのままの相(すがた))を直観的に把握し、全知者性の知を生み出すことができる。 と。
私たち凡人は概念的に世尊の全知者性を理解できますが、このような知を働かせることは不可能です。何故なら、私たちは永遠に煩悩を断滅することができないからです。
特に私は、六種の徳目が馴染み難いことにもよりますが、これらを意識して実践することが出来ません。
私にできることは、「八正道」を心がけながら生活し、仏典を読み、思索し、メモし、それらの言葉を繰り返し読誦することだけです。
そして私は「真実は煩悩を完全に消去した空性のなかにある」という厳然たる事実を忘れないように心がけたいと考えています。
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