太平洋戦争のさなか日本海軍が本土決戦に備えて地下壕を建設した。
場所は、旧矢本町鹿妻から旧鳴瀬町牛網の丘陵地(現在は、合併によりいずれも東松島市)。
だいぶ前のことになるが、石井閘門(旧北上川と北上運河の接続地点)を訪れた際に、『水の洞窟』という施設に立ち寄った。
そこで目にした『ZERO ひたかみ 2007.10』という郷土紹介冊子。
掲載されていた記事にびっくりしてしまった。
『石巻地方の戦史 第3回 松島航空基地地下壕「松島要塞」調査の顛末』(邊見清二著)
その内容の一部をそのまま転載させていただく。
***
地下壕が掘削された理由と時期?
石巻湾に面した海岸部の平坦地に立地する松島基地は、その地形から空襲や地上戦には不利な基地で、
本土決戦を前にした海軍は基地の中枢を北西部の丘陵地の地下壕に移し、倉庫機能のほかに作戦室、通信室、
居住室、病室、奉安室(天皇陛下の写真を飾った部屋)などを設置し、松島航空基地の指揮と運用機能の確保
を図りました。
これらの地下壕は終戦まで各種兵器と燃料などの格納保管と一部の隊員の居住区となり、戦後は米軍による
接収までの保管場所として利用されたようです。
(以上、原文のまま)
***
地下壕掘削の時期は不明だが、松島基地が落成式を挙げた昭和18年2月以降の早い時期、18年中と推定されるという。
総延長約1.1キロメートル。
この記事を見て以来、自分の目で現地を確認したい思いに駆られていた。
3月29日(土)に野蒜築港をめぐる講演会が東松島市で開催されるので、
それへの参加の前に歩いてきた。 ⇒ こちら
○場所:東松島市牛網(鷹ノ巣山 標高43.9m)
▲鷹ノ巣山
鷹ノ巣山公園登り口に駐車。
階段状の坂を上っていくと、ほどなくして芝生広場に出る。
東屋やベンチが配置。
周囲には桜と見事なアカマツの木々。
▲鷹ノ巣山公園登り口
▲芝生広場
北側奥には立派な石碑。
なんとも趣のある風情。
春の暖かい風が吹きすぎていく。
▲石碑:右は『鷹の巣山七十五周年記念碑』、中央は『鷹巣山経営記念碑』、左は『牛魂碑』(倒壊)
▲『鷹巣山経営記念碑』(拡大):紀元2592年 昭和7壬申歳11月3日と刻まれている。
▲倒れたままの牛魂碑
しばしの間、石碑などを眺め、北側に降りていく山道を進んでみた。
ヤマザクラの巨木が枝を差し出し、これまた開花のときは格別に違いない。
▲北側への道
▲見事なヤマザクラの木
舗装された林道の前には牛網池。
こちらも新緑や紅葉の季節は美しい光景となるはず。
▲林道側
▲牛網池(鷹ノ巣山と牛網池はみやぎ新観光名所100選の一つとなっている。)
山側を見ながら反時計回りに進むと、道路面から2m弱の高さのところに地下壕の入口があった。
それらを順に確認。
内部を覗くと、落盤しているようだ。
(東日本大震災の影響だろうか?)
一番大きな開口部では、生活ゴミも散乱。
牛網別当住宅側はコンクリート擁壁の上にフェンスが張られ、地下壕への入口は確認できない。
奥の池のほうまで行ってみたものの同じ。
▲地下壕の配置図(先の記事から一部加工して転載)
▲A地点
▲B地点
▲C地点
▲C地点の内部
▲D地点(右側ヤブの中?)
▲E地点
▲E地点の内部
▲牛網別当住宅の奥の池
▲住宅の南側で進む宅地造成
先の記事によれば、地下壕調査は平成3年8月7日、松島海軍航空隊の元隊員らで結成された「松島空慰霊碑世話人会」の働きかけに、
航空自衛隊第4航空団施設隊が実施したとのこと。
これまたその調査報告書を拝見したくなってしまった。
▲平成3年調査時の様子(記事から転載)
▲平成3年調査時の様子(記事から転載)
▲近くにある愛宕神社と熊野神社(2段になっているのが興味を引く。)
場所は、旧矢本町鹿妻から旧鳴瀬町牛網の丘陵地(現在は、合併によりいずれも東松島市)。
だいぶ前のことになるが、石井閘門(旧北上川と北上運河の接続地点)を訪れた際に、『水の洞窟』という施設に立ち寄った。
そこで目にした『ZERO ひたかみ 2007.10』という郷土紹介冊子。
掲載されていた記事にびっくりしてしまった。
『石巻地方の戦史 第3回 松島航空基地地下壕「松島要塞」調査の顛末』(邊見清二著)
その内容の一部をそのまま転載させていただく。
***
地下壕が掘削された理由と時期?
石巻湾に面した海岸部の平坦地に立地する松島基地は、その地形から空襲や地上戦には不利な基地で、
本土決戦を前にした海軍は基地の中枢を北西部の丘陵地の地下壕に移し、倉庫機能のほかに作戦室、通信室、
居住室、病室、奉安室(天皇陛下の写真を飾った部屋)などを設置し、松島航空基地の指揮と運用機能の確保
を図りました。
これらの地下壕は終戦まで各種兵器と燃料などの格納保管と一部の隊員の居住区となり、戦後は米軍による
接収までの保管場所として利用されたようです。
(以上、原文のまま)
***
地下壕掘削の時期は不明だが、松島基地が落成式を挙げた昭和18年2月以降の早い時期、18年中と推定されるという。
総延長約1.1キロメートル。
この記事を見て以来、自分の目で現地を確認したい思いに駆られていた。
3月29日(土)に野蒜築港をめぐる講演会が東松島市で開催されるので、
それへの参加の前に歩いてきた。 ⇒ こちら
○場所:東松島市牛網(鷹ノ巣山 標高43.9m)
▲鷹ノ巣山
鷹ノ巣山公園登り口に駐車。
階段状の坂を上っていくと、ほどなくして芝生広場に出る。
東屋やベンチが配置。
周囲には桜と見事なアカマツの木々。
▲鷹ノ巣山公園登り口
▲芝生広場
北側奥には立派な石碑。
なんとも趣のある風情。
春の暖かい風が吹きすぎていく。
▲石碑:右は『鷹の巣山七十五周年記念碑』、中央は『鷹巣山経営記念碑』、左は『牛魂碑』(倒壊)
▲『鷹巣山経営記念碑』(拡大):紀元2592年 昭和7壬申歳11月3日と刻まれている。
▲倒れたままの牛魂碑
しばしの間、石碑などを眺め、北側に降りていく山道を進んでみた。
ヤマザクラの巨木が枝を差し出し、これまた開花のときは格別に違いない。
▲北側への道
▲見事なヤマザクラの木
舗装された林道の前には牛網池。
こちらも新緑や紅葉の季節は美しい光景となるはず。
▲林道側
▲牛網池(鷹ノ巣山と牛網池はみやぎ新観光名所100選の一つとなっている。)
山側を見ながら反時計回りに進むと、道路面から2m弱の高さのところに地下壕の入口があった。
それらを順に確認。
内部を覗くと、落盤しているようだ。
(東日本大震災の影響だろうか?)
一番大きな開口部では、生活ゴミも散乱。
牛網別当住宅側はコンクリート擁壁の上にフェンスが張られ、地下壕への入口は確認できない。
奥の池のほうまで行ってみたものの同じ。
▲地下壕の配置図(先の記事から一部加工して転載)
▲A地点
▲B地点
▲C地点
▲C地点の内部
▲D地点(右側ヤブの中?)
▲E地点
▲E地点の内部
▲牛網別当住宅の奥の池
▲住宅の南側で進む宅地造成
先の記事によれば、地下壕調査は平成3年8月7日、松島海軍航空隊の元隊員らで結成された「松島空慰霊碑世話人会」の働きかけに、
航空自衛隊第4航空団施設隊が実施したとのこと。
これまたその調査報告書を拝見したくなってしまった。
▲平成3年調査時の様子(記事から転載)
▲平成3年調査時の様子(記事から転載)
▲近くにある愛宕神社と熊野神社(2段になっているのが興味を引く。)
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