旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

謝るけれども反省しない日本人(その1)

2006-03-01 12:27:58 | 日々雑感
 またまた、見てしまった。テレビカメラを前にした謝罪会見だ。
 今日のは、ライブドアの堀江貴文前社長が出したという自民党幹事長の次男あての3000万円振り込み指示メールを取り上げ、勢いづいた民主党国会議員のもの。

 そうそう、国会審議の中で、首相と質問に立ったN議員との間で、「ガセネタ」の定義論を交わしたやつ。くだんのN議員は、報道陣を前に次のように述べたという。「情報の信ぴょう性を立証できないまま衆議院予算委員会でメール問題を取り上げ、迷惑をかけた。しかし、メールの真偽とは別に事実関係を追及していく」と。

 この論理はどこかおかしい。
 
 それにしても、企業の不祥事を始め、近年こうした会見が多すぎる。そのこと自体が問題なのだが、他にも気になるところがある。どの謝罪会見もそうだが、きまってニギニギしく椅子から立ち上がり、テレビカメラに向かって深々と頭を下げる。迷惑をかけた人々に謝っているとは思うのだが、そうした人々の代理人であるかのように報道陣に対して、いやテレビカメラそのものに対して謝っているようにさえ見えてしまう。

 確かに、謝罪会見する方からしてみれば、迷惑をかけた多くの人々に直接謝る手立てが無いから仕方の無いことなのかもしれない。でも、やっぱり変だ。だってね。それこそ国民の大部分が、何回となくこうした謝罪会見を朝晩のニュース等を通じて目にしているのだから。

 とりわけ、スピード重視、効率性重視を是とした企業人は、社会の動きに敏感なはず。繰り返される謝罪会見を目にしないなどということは考えられない。「やれば次は自分!」ということくらいは誰でも想像がつきそうなこと。それでも、こうした会見が続くということはどうしたことだろう?
 
 「謝ることと反省することとは別次元のもの」とさっぱりと整理できる精神構造を持っているとしか思えないのは、わたしだけだろうか?

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