旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

元禄潜穴の悲話~自刃して果てた大越喜右衛門と6名の技術者たち

2010-08-01 22:26:26 | 水の道逍遥
仙台藩直轄工事であった元禄潜穴の総指揮をとっていた大越喜右衛門。しかしその彼が、ある事件の責任をとって藩命を待たずに自刃して果てたという。そのお墓と言われる場所に、やっと訪れることができた。

それは、宮城県宮城郡松島町上幡谷地内の「長松園森林公園町民の森」にある東側展望台の奥。(センターロッジの方に行き方をたずねたら、道は悪いし、ヤブになっており、蛇やハチがいるから十分気を付けるようにと言われてしまったが・・・。)

    *

<鹿島台町史・松島町史等で紹介されている内容は、次のようなもの。>





 元禄11(1698年)年8月15日、仙台藩の直轄工事として進められていた元禄潜穴や排水路の工事が完成した。その落成式には、大きな期待を寄せ待ち望んでいた藩主伊達綱村が臨場することになっていた。

 ところが、前日の夜半から暴風雨となり、15日朝には品井沼一面が増水。工事の総指揮をとっていた大越喜右衛門は、これでは排水の現場をよく見ることができないだけでなく、藩主の身に危険が及びかねないと考えた。

 現場の諸役人や地元村方一同が相談し、臨場は後日に行ってもらうことを決め、仙台城に急使を走らせた。しかし、速馬が仙台城下の大橋に着いた時には、すでに藩主一行は橋の中央にまで進んでしまっていた。とにもかくにも臨場は後日に変更になり、地元は一応安堵したが、おとがめが必ずある、殿様を惑わした罪は重いと大騒ぎになった。

 こうした事態を受け、大越喜右衛門は、藩命を待たずに、その責任をとって品井沼を一望に見下ろす丘で自刃。部下の技術者6名もその後を追って果てたのである。

 後難を恐れてか7つの屍は野ざらしのまま幾日か放置されたが、やがて付近の人々の手で埋葬された。

 7つの土まんじゅうが草むらの中にある。松島町上幡谷地内、現在の「長松園」の一番高い所のその場所を、いつしか人々は「お墓山」と呼ぶようになった。

また里人は、大越喜右衛門を偲び、次のような地口(地唄)」を唄ったという。

 品井沼かすかにみたか いとおしや 大声(大越・おおごえ)あげて 泣くぞ喜右ヱ門




▲東側展望台への入口とそこからの道


▲途中の道ばたに咲くキキョウ・展望台のあずま屋


▲展望台奥のお墓への入口


▲お墓のアジサイの花がとてもきれい


▲右側のお地蔵様がのっている土まんじゅうに注目


▲この土まんじゅうが大越喜右衛門たちの墓とされるもの


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